学位論文要旨



No 212659
著者(漢字) 三浦,豊
著者(英字)
著者(カナ) ミウラ,ユタカ
標題(和) ラット肝臓におけるインスリン様成長因子I及びその結合タンパク質遺伝子の発現調節機構の解析
標題(洋)
報告番号 212659
報告番号 乙12659
学位授与日 1996.02.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12659号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 教授 荒井,綜一
 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 助教授 日高,智美
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
内容要旨

 食餌タンパク質の質と量を変化させると成長速度が変化することは周知の事実であるが、インスリン様成長因子I(IGF-I)は食餌タンパク質の変化に応答して血中濃度が変化し、食餌タンパク質による成長制御において中心的役割を果たしていることがすでに明らかにされている。また、IGF-Iは特異的な数種類の結合タンパク質(IGFBPs)と結合した状態で血中に存在しており、IGFBPsの血中濃度、IGF-Iとの結合状態も食餌タンパク質により変化することが知られている。本研究は、IGF-Iの主要生産臓器である肝臓におけるIGF-IとIGFBPsの遺伝子発現調節機構を明らかにし、食餌タンパク質による成長制御におけるIGF-IとIGFBPsの生理的役割を考察することを目的とした。

(1)食餌タンパク質によるラット肝臓でのIGF-I遺伝子発現調節

 ラットに質の良い食餌として12%カゼイン食(12C)を、質の良くない食餌としてLys,Thrが欠乏している12%グルテン食(12G)を、更にタンパク質を全く含まない無タンパク質食(PF)を1週間摂取させ、肝臓中のIGF-ImRNA量をNorthemblot分析法により測定した。その結果、12G,PFを摂取したラットの肝臓中では12C摂取ラット肝臓と比べてIGF-ImRNA量が約40%まで減少しており、血中IGF-I濃度の変化は肝臓中のIGF-ImRNA量の変化が原因であることが明らかになった。また、IGF-ImRNAには3’非翻訳領域の違いにより長さの異なる複数のmRNAが存在していることが知られているが、各群のmRNA量の変化を長さの異なるmRNAごとに解析したところ比較的長いmRNAである7.4kbのmRNAと4.0-3.6kbのmRNA量がより顕著に12G群、PF群で減少していることが明らかとなった。これら長いmRNAは短いmRNAに比べて、半減期が短いことが知られているので、12G,PF群で観察されたIGF-ImRNA量の減少はmRNAの安定性の段階で調節された結果であることが考えられた。次に他の食餌タンパク質の例としてMetが欠乏している大豆タンパク質を用いて同様の実験を行ったところ、大豆タンパク質を摂取した群でIGF-ImRNA量の減少が観察され、その減少はMetを添加することによりカゼイン食群と同レベルまで回複した。また、長さの違いに着目して解析したところ7.4kbと3.6-4.0kbのIGF-ImRNAが顕著に減少していた。以上の結果から食餌タンパク質の質と量の違いによる血中IGF-I濃度の減少は肝臓中のIGF-ImRNA量の減少が原因であること、IGF-ImRNA量は主としてIGF-ImRNAの安定性の段階で調節されていることが明らかになった。

 これを更に確認するため12C,12G,PFを摂取したラット肝臓より単離核を調製し、nuclear run-on transcription assayを行い、IGF-I遺伝子転写速度を定量した所、12G,PF群でIGF-I遺伝子転写速度が約20%減少していたものの、有意な差はなく、食餌蛋白質の質と量の違いによるIGF-ImRNA量の調節は,主としてmRNAの安定性などの転写後段階で行われているものと結論した。

 同時に、すでにPF食を摂取することにより肝臓中のmRNA量が顕著に増加することが明らかにされているIGFBP-1に関しても、遺伝子転写速度を測定したところIGF-Iとは異なり、IGFBP-1遺伝子転写速度はPF群で12C群の約4倍に増加していた。従って、IGFBP-1遺伝子発現は食餌タンパク質により主として転写段階で調節されていることが明らかになった。

(2)初代培養肝細胞系におけるIGF-I,IGFBP-1,-4遺伝子発現調節機構の解析1)ホルモンによる調節

 肝臓でのIGF-I,IGFBP-1遺伝子発現調節機構をより詳細に解析し、in vivoで観察された食餌タンパク質によるIGF-I,IGFBP-1遺伝子発現の調節機構を明らかにするため、初代培養肝細胞系を用いた解析を行った。初代培養肝細胞系は現存のin vitro系のなかでもっとも良くin vivoの肝機能を維持していることが知られている細胞系である。まず初代培養肝細胞でIGF-I遺伝子がどの程度発現しているのか、またどのIGFBPsが発現しているかを確認したところ、in vivoよりは低レベルながらIGF-I遺伝子が発現しており、IGFBP-1およびIGFBP-4を合成・分泌していることが明らかとなった。次にホルモンによる調節機構を明らかにするため、培地に成長ホルモン(GH)、インスリン(Ins)、デキサメタゾン(Dex)を添加し、IGF-I遺伝子発現の変化を解析したところIGF-ImRNA量、IGF-I分泌量ともにGH,Ins添加時に増加することが明らかとなった。DexはIGF-I遺伝子発現に影響しなかった。また、解析の過程で初代培養肝細胞の培地中のIGF-I濃度を定量する際、培地中のIGF-IをIGFBPsから遊離させるために行われていた酸エタノール処理法では、完全にIGFBPsを除去できないことが明らかとなり、初代培養肝細胞系でIGF-I分泌量を測定する際には、培地をacid gel chromatographyに供した後にRIAを行う必要があることが示された。

 IGFBP-1遺伝子発現に関しては、GHはほとんど影響しなかったが、Dex添加によりIGFBP-1mRNA量、分泌量ともに増加し、そのEC50は3×10-6Mであった。Dex添加時のIGFBP-1mRNA量、IGFBP-1分泌量は良く相関していたことからDexによるIGBP-1遺伝子発現の促進は、転写レベルでの作用であると考えられた。一方Ins添加によりIGFBP-1mRNA量、分泌量ともに減少し、そのEC50は8×10-10Mであった。Ins添加によるIGFBP-1mRNA量の減少と分泌量の減少も相関していたため、InsによるIGFBP-1遺伝子発現の抑制も転写レベルでの作用であることが考えられた。以上の結果より肝臓でのIGFBP-1遺伝子発現はDexにより正に、Insにより負に調節されていることが明らかとなった。また、DexとInsの両者を共存させた際には、DexによるIGFBP-1mRNA量とIGFBP-1分泌量の増加作用が完全に打ち消され、IGFBP-1遺伝子発現に対する作用はInsの方がDexよりも強いことが示された。

 一方、IGFBP-4遣伝子発現調節機構に関して、Dex,Insは単独では何の効果も示さなかったが、両者が共存したときにIGFBP-4mRNA量、分泌量ともに顕著に増加することが明らかになり、IGFBP-4遺伝子発現はIGFBP-1とは異なる調節を受けていることが考えられた。

2)アミノ酸による調節

 in vivo観察された食餌タンパク質の質と量によるIGF-I,IGFBP-1遺伝子発現調節機構を明らかにするためホルモンによるIGF-I,IGFBP-1遺伝子発現調節機構を解析したが、その結果だけではin vivoの現象を説明することができないため、次にアミノ酸自身が肝臓におけるIGF-I,IGFBP-1の遺伝子発現調節に関与しているのではないかと考え、解析を行った。培地中から必須アミノ酸のみを除去した培地を作製し、初代培養肝細胞を培養しIGF-ImRNA量,IGFBP-1mRNA量の変化を必須アミノ酸を含んだ培地を対照として測定した。その結果、培地から必須アミノ酸を除去することによりIGF-ImRNA量は対照群の40%にまで減少し、その減少はin vivoで観察されたのと同様に長いmRNAの方が顕著であった。一方、IGFBP-1mRNA量は必須アミノ酸を除去することにより顕著に増加していた。IGFBP-4mRNA量も同時に測定したが、アミノ酸の有無により変化しなかった。以上の結果より、肝臓でのIGF-I,IGFBP-1遺伝子発現の調節因子としてアミノ酸が重要な役割を果たしていることが明らかとなった。

(3)まとめ

 食餌タンパク質の質と量の違いと相関して血中IGF-I濃度が変化することが知られていたが、その機構として肝臓中のIGF-ImRNA量が食餌タンパク質の質と量に応答して変化していることが明らかとなった。またその際IGF-I遺伝子転写速度は変化しておらず、IGF-ImRNA量の変化は主としてIGF-ImRNAの安定性などの転写後段階で調節されていることが明らかとなった。一方、IGFBP-1については食餌タンパク質の質と量の変化に応答してその遺伝転写速度が変化しており、IGF-Iとは異なる調節を受けていることが示された。また初代培養肝細胞系を用いることによりIGF-I遺伝子発現がGH,Insにより正に調節されていること、IGFBP-1遺伝子発現がDexにより正に、Insにより負に調節されていることが明らかとなった。初代培養肝細胞ではIGFBP-4遺伝子発現していたが、DexとInsの共存下でそのmRNA量が顕著に増加することが明らかとなった。更に肝臓でのIGF-I,IGFBP-1遺伝子発現調節においてアミノ酸が重要な役割を果たしていることが明らかとなった。

 以上のことより食餌タンパク質の質と量を変化させた際には、GH,Ins,Dexなどのホルモンと血中のアミノ酸濃度の変化が複合的に作用し、IGF-I,IGFBP-1遺伝子発現を調節し、動物の成長制御を行っているものと考えられた。

審査要旨

 本研究は、栄養価の異なる食餌タンパク質を摂取したり、食餌タンパク質の摂取量が異なる場合に、成長速度が影響を受けるという現象の機構を、インスリン様成長因子I(IGF-I)とIGFに特異的な結合タンパク質(IGFBPs)の遺伝子発現調節機構を解析することにより、分子レベルで明らかにしようとしたもので、論文は緒言とそれに続く4章よりなる。

 緒言では研究の背景を論じた。第1章では、ラットに、栄養価の良いタンパク質を必要量含む食餌として12%カゼイン食(12C)、必要量は充足するが栄養価の低い12%グルテン食(12G)、およびタンパク質欠乏食としての無タンパク質食(PF)を摂取させ、肝臓中のIGF-ImRNA量を測定した。12GもしくはPFを摂取したラット肝臓では、12C群のラットと比べ、IGF-ImRNAの総量が約60%減少していた。IGF-ImRNAには3’非翻訳領域の長さの違いにより分子サイズの異なるmRNAが数種存在しているが、異なるサイズのmRNAごとに量の変化を解析した結果、長いmRNAである7.4kbと4.0-3.6kbのmRNAがより顕著に減少していることを発見した。これらの長いmRNAは、短いmRNAに比べ代謝半減期が短いので、12G、PF群で見られたIGF-ImRNA量の減少はmRNAの安定性の段階で調節された結果であると結論した。

 次に大豆タンパク質を用いて同様の実験を行ったところ、大豆タンパク質を摂取した群で肝臓IGF-ImRNAの総量の減少が観察され、この減少は、飼料にメチオニンを添加することにより、対照である12C群と同レベルまで回復した。この場合も7.4kbと4.0-3.6kbのIGF-ImRNAの変化が顕著であった。

 さらに、12C、12G、PFを摂取したラット肝臓におけるIGF-I遺伝子転写速度を定量したところ、12GおよびPF群では、12C群に比べて転写速度が約25%減少していたが、有意な差はなく、食餌タンパク質の質と量の違いによる肝臓IGF-ImRNA量の調節は、mRNAの安定性の段階で行われていると結論した。

 同時に、PF食摂取により肝臓中のmRNA量が増加することが報告されているIGFBP-1の遺伝子転写速度を測定したところ、IGF-Iと異なり、PF群で12C群の約4倍に増加していた。従って、肝臓中のIGFBP-1のmRNA量は食餌タンパク質によって転写段階で調節されていることが明らかになった。

 次にIGF-I、IGFBP-1遣伝子発現調節機構を初代培養肝細胞系を用い、より詳細に解析した。第2章では初代培養肝細胞においてIGF-I、IGFBP-1、IGFBP-4遺伝子が発現していることを確認し、続く第3章では、それらに及ぼす各種ホルモンの効果を解析した。IGF-ImRNA量および分泌量は、成長ホルモン(GH)もしくはインスリン(Ins)添加時に増加した。デキサメタゾン(Dex)はこれらの量に影響を及ぼさなかった。一方、IGFBP-1遺伝子発現に関しては、GHは影響を及ぼさなかったが、DexはIGFBP-1mRNA量と分泌量を、ともに増加させた。また、Ins添加によりIGFBP-1mRNA量、分泌量はともに減少した。Dex、Ins添加とIGFBP-1mRNA量および分泌量の変化が相関していたことから、Dex、InsによるIGFBP-1遺伝子発現調節は転写レベルで行なわれており、Dexにより正に、Insにより負に調節されていると結論した。DexとInsの両者を共存させた場合には、DexによるIGFBP-1mRNA量と分泌量を増加させる効果が認められなくなったため、Insの作用の方がDexよりも強いと結論した。IGFBP-4遺伝子発現に関しては、Dex、Insは単独では影響しなかったが、両者が共存するとmRNA量、分泌量共に顕著に増加し、IGFBP-4はIGFBP-1とは異なる調節を受けていると考えられた。

 最後に第4章では、アミノ酸自体が肝臓におけるIGF-I、IGFBP-1、IGFBP-4の遺伝子発現調節に関与しているか否かを、培地から必須アミノ酸を除去することによって解析した。必須アミノ酸を除去すると、IGF-ImRNA量は対照群の40%にまで減少し、その減少は長いmRNAにおいて顕著であった。IGFBP-1mRNA量は必須アミノ酸を除去すると顕著に増加した。IGFBP-4mRNA量は変化しなかった。これらの結果より肝臓でのIGF-IおよびIGFBP-1遺伝子発現の調節因子としてアミノ酸が重要な役割を果たしていることが明らかとなった。

 以上の結果を総合し、総合討論では、食餌タンパク質の栄養価と量の違いによる動物の成長速度の違いは、これらの要因が、GH、Ins、Dexなどのホルモン、および血中アミノ酸濃度を複合的に制御し、それがIGF-IやIGFBP-1の遺伝子発現を変化させることによってもたらされるのであろうと考察している。

 以上要するに本論文は、食餌タンパク質の量および栄養価の違いが、成長中のラットのIGF-Iおよびその特異的結合タンパク質であるIGFBP-1の遺伝子発現におよぼす影響を分子レベルで詳細に解析し、その変化が動物の成長の制御に大きく関係していることを明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50976