学位論文要旨



No 212661
著者(漢字) 森下,芳和
著者(英字)
著者(カナ) モリシタ,ヨシカズ
標題(和) ナトリウム利尿ペプチドの非ペプチド性アンタゴニストHS-142-1の単離と生理活性に関する研究
標題(洋)
報告番号 212661
報告番号 乙12661
学位授与日 1996.02.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12661号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,昭憲
 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 教授 小川,智也
 東京大学 助教授 片岡,宏誌
 東京大学 助教授 作田,庄平
内容要旨 1.背景

 ナトリウム利尿ペプチドファミリーは体液量および血圧の調節に関与するペプチドホルモン群で、3種の関連ペプチド、即ち、Atrial natriuretic peptide(ANP),Brain natriuretic peptide(BNP),C-type natriuretic peptide(CNP)より構成される。これら3種のペプチドは、尿量および尿中ナトリウム排泄量の増加、血管の弛緩、およびナトリウムの吸収を促すステロイドホルモンであるアルドステロンの合成抑制等を介して、体液量調節および血圧調節に関与していると考えられている。

 ナトリウム利尿ペプチドファミリーが3種類の関連ペプチドで構成されると同様に、これらのレセプター(natriuretic peptide receptor;NPR)にも3種類のサブタイプが存在する。3種類のうち2種類は一本鎖の膜貫通型グアニル酸シクラーゼで、A型(NPR-A)およびB型(NPR-B)と呼ばれており、これらの細胞外ドメインへナトリウム利尿ペプチドが結合すると、細胞内ドメインのグアニル酸シクラーゼが活性化されてcGMPが合成される。ナトリウム利尿ペプチドに対する細胞応答のほとんどが、このようなグアニル酸シクラーゼー体型受容体を介した細胞内cGMPレベルの上昇により引き起こされると考えられている。第三のレセプターはグアニル酸シクラーゼを持たないタイプで、C型(NPR-C)もしくはクリアランス型と呼ばれる。この型のレセプターの細胞外ドメインは前述したA型やB型とのホモロジーを有するが、細胞内ドメインは極く短い。C型のレセプターは主に、ナトリウム利尿ペプチドの分解や代謝に関与していると考えられている。

 3種類のナトリウム利尿ペプチドと3種類のナトリウム利尿ペプチド受容体の相互関係については、以下の3点にまとめることができる。

 1)C型の受容体は3種のナトリウム利尿ペプチドをほぼ同等の強さで認識する;

 2)A型の受容体はANPとBNPを強く結合するが、CNPに対しては親和性は弱い;

 3)B型の受容体はCNPを強く結合するが、ANPおよびCNPに対しては親和性は弱い。

 このような相互関係を簡単にまとめたものを図1に示す。生体内ではこれら3種のリガンドと受容体が協奏的に働いて体内水分量や血圧調節に関与しているものと考えられる。

 ナトリウム利尿ペプチドは、ラット等の実験動物に静脈内投与すると、顕著な尿量、尿中ナトリウム排泄量の増加と、血圧降下作用をひきおこす。このため、非ペプチド性の物質で、ナトリウム利尿ペプチドと同様に、ナトリウム利尿ペプチド受容体に特異的に結合する物質が得られれば、その物質はナトリウム利尿ペプチドと同様な薬理作用を持ちながら、ナトリウム利尿ペプチドそのものよりも優れた経口吸収性と長い体内半減期を有する可能性があると考えられる。この様な考察のもとに、筆者らは、ナトリウム利尿ペプチドと同様な薬理活性をもつ物質(アゴニスト)を微生物培養液中に検索(スクリーニング)することに着手した。

2.スクリーニング系の確立とHS-142-1の単離

 前述したようにナトリウム利尿ペプチドの生理作用は、ナトリウム利尿ペプチドと、細胞膜上のレセプターの結合を介して引き起こされる。このため、ナトリウム利尿ペプチドのアゴニストが存在すれば、必ず、ナトリウム利尿ペプチドと同様に、ナトリウム利尿ペプチドのレセプターに結合すると考えられる。このような考察から、スクリーニング方法としてレセプターアッセイを選び、ナトリウム利尿ペプチドのレセプターが高密度に発現しているウサギ腎皮質膜画分をレセプター源として、125Iで標識したラットANP(以後125I-rANPと略記)の結合を測定するレセプターアッセイ系を確立した。この系を用いて、125I-rANPの結合阻害作用を指標に約8000株の微生物の培養液をスクリーニングした結果、Aureobasidium sp.KAC-2383の菌類の培養液中に125I-rANPの結合を阻害する物質が生産されていることを見い出した。Aureobasidium sp.KAC-2383の培養液中には多数の結合阻害物質が生産されていたが、最も活性が強く生産量の多い画分をHS-142-1と名付け、疎水吸着樹脂HP-20を用いた吸着クロマトグラフィー、順相シリカゲルを用いた分配クロマトグラフィー、疎水吸着樹脂HP-20ssを用いた逆相クロマトグラフィー、LH-20を用いたメタノール中でのゲルろ過クロマトグラフィーの計4段階のクロマトグラフィーによる精製を行い、90Lの培養液よりHS-142-1を2.3gを単離した。

3.HS-142-1の構造解析

 NMRおよびIRを用いた構造解析の結果、HS-142-1は直鎖状に1,6結合したグルコースにカプロン酸が結合した新規な多糖類であると推定された。加水分解実験後、糖組成分析するとグルコースのみが検出されたこと、および、脂肪酸部分の組成をガスクロマトグラフィーにより行うとカプロン酸のみが検出されたことも、上記の推定とよく一致した。NMRの解析からHS-142-1が複数の構造の類似した成分を含むことが推定されたため、単離したHS-142-1を精密なゲルろ過により分離し、単一な活性成分を得ることを試みた。ゲルろ過クロマトグラフィーの溶出液を細かくフラクションコレクターで分取し、各フラクションの結合阻害活性を測定し、質量分析および2次元NMRを用いた構造解析を行った。分取したフラクションの構造解析から、一つの糖残基にカプロン酸は0個ないし1個結合しており、カプロン酸は主に糖鎖中のグルコースの3位に結合していることが推定された。また、各フラクションのFAB-MSにおいで、m/z6000から3000までの範囲で、溶出順位が早いほど検出されるイオンピークの質量数の最大値は大きかったが、各フラクションの結合阻害活性に大きな差はなかった。この結果からHS-142-1は活性に大きな差はないが、分子量の異なる成分から構成されていることが示された。さらに、HS-142-1のMALD-TOF-MSにおいては、少なくとも60種の質量数の異なるピークが検出され、ゲルろ過による分画により得られた-フラクションのMALD-TOF-MSにおいても、7種の親イオンピークが検出された。この結果は、HS-142-1の構成成分は少なくとも60種であり、精密なゲルろ過クロマトグラフィーによっても構成成分の分離は困難であることを示した。

 これらの結果を踏まえて、構成成分を分離する方法をさらに検討したが、有効な分離方法を見いだすことができなかった。このため、HS-142-1の構成成分をひとつひとつ単離して構造解析を行うことを断念し、図2に一般式で構造を示したクロマト的に一定の挙動を示す混合物、HS-142-1を用いて生理活性の検討を行った。

図表図1.ナトリウム利尿ペプチドとナトリウム利尿ペプチドレセプターの相互関係 / 図2.HS-142-1の構造
4.HS-142-1の生理活性

 はじめに、HS-142-1が125I-rANPとレセプターの結合のみを特異的に阻害するかどうかを検討した。HS-142-1はウサギ腎皮質のANPレセプターと125I-rANPの結合をIC50(125I-rANPの特異的結合を50%阻害する濃度)0.3g/mlで阻害したが、125I-Angiotensin-II,125I-Endothelin-1のそれぞれのレセプターへの結合には100g/mlでも全く影響を与えなかった。これらの結果よりHS-142-1がANPとそのレセプターの結合を選択的に阻害することが明らかとなった。

 次に、HS-142-1のサブタイプ間の選択性を、A型およびB型ナトリウム利尿ペプチドレセプターを主に発現したウシ副腎皮質膜画分、およびC型レセプターを主に発現したウシ肺膜画分を用いて、C型レセプターに選択性の高い誘導体Atriopeptin-1と比較することにより検討した。レセプター結合実験およびアフィニティクロスリンキング実験から、HS-142-1は、C型レセプターにはほとんど結合せず、グアニル酸シクラーゼをもつA型およびB型ナトリウム利尿ペプチドレセプターへの高い選択性を有していることが明らかになった。また、ウシ副腎皮質膜画分を用いたHS-142-1の結合阻害様式の解析からは、HS-142-1が125I-rANPの結合を拮抗的に阻害していることが明らかになった。

 最後に、HS-142-1の生理作用を、ウシ副腎皮質、肺およびPC12細胞のナトリウム利尿ペプチドによるcGMPの産生を指標に検討した。HS-142-1はウシ副腎皮質および肺膜画分のcGMP産生には単独では全く影響を与えなかったが、ANPによるcGMP産生を10g/mlで抑制した。またPC12細胞のANP,BNPおよびCNPによるcGMPの産生を同等に阻害した。この結果より、HS-142-1がナトリウム利尿ペプチドのアゴニストではなく、アンタゴニストとしての活性を持つことが明らかになった。

5.ナトリウム利尿ペプチドの非ペプチド性アンタゴニスト、HS-142-1の有用性

 ナトリウム利尿ペプチドの作用を特異的に遮断する性質を持つHS-142-1は、アンジオテンシン変換酵素阻害剤がレニンーアンジオテンシン系の生理的役割の解明に大きな貢献をしたように、ナトリウム利尿ペプチドの情報伝達機構および生理的役割の研究に多大な貢献をするものと考えられる。

審査要旨

 ナトリウム利尿ペプチドファミリーは、体液量および血圧の調節に関与するペプチドホルモン群で、3種の関連ペプチド、即ちatrial natriuretic peptide(ANP),brain natriuretic peptide(BNP),およびC-type natriuretic peptide(CNP)より構成される。また、これらナトリウム利尿ペプチドに対するレセプターにも3種類が知られている。

 本論文は、微生物の代謝産物中にANPのレセプターに対する結合阻害作用を有する物質を検索し、その化学構造と生物活性について論じたもので、本文2章と序論および考察とよりなっている。

 第1章では、活性物質の検索と、単離・構造解析について論じている。まず、レセプターが高密度に発現しているウサギ腎皮質膜画分をレセプター源とし、125Iで標識したラットANP(125I-rANP)の結合を測定するレセプターアッセイ系を確立した。この系を用いて、125I-rANPの結合阻害を指標に約8000株の微生物の培養液を検索し、最終的にAureobasidium sp.KAC-2383の培養液中に強い阻害活性物質が再現性良く生産されることを見いだした。続いて、阻害活性本体の精製を行い、同菌の培養液90Lから、顕著な阻害活性を有する2.3gの活性分画(HS-142-1)を得た。

 活性分画、HS-142-1に対する、NMRおよびIR分析の結果、HS-142-1は、直鎖状に1,6結合したグルコースにカプロン酸が結合した新規な脂質多糖であることが示唆された。同分画をHPLC,2次元NMR、質量分析等を用いて詳細に検討した結果、HS-142-1は、図1に示すように、主に3位に0〜1個のカプロン酸がエステル結合したグルコースが、1,6結合により直鎖状となった、糖鎖長の異なる脂質多糖の混合物(分子量3000〜6000)であることが明かとなった。

図1 HS-142-1の推定構造

 なお、混合物を個々の成分に分離する事には成功していないが、それらの阻害活性は相互にほとんど差異のないことが示唆された。

 第2章では、HS-142-1の生理活性に関して論じている。HS-142-1は、ウサギ腎皮質のANPレセプターと125I-rANPとの結合を、0.3g/mlで50%阻害したが、125I-Angiotensin-II、および125I-Endothelinの、それぞれのレセプターへの結合に対しては100g/mlという高濃度においても影響を与えず、HS-142-1がANPとそのレセプターの結合を選択的に阻害することが明かとなった。

 次に、HS-142-1のANPレセプターのサブタイプ間の選択性を、A型およびB型レセプターを選択的に発現しているウシ副腎皮質膜画分、およびC型レセプターを主に発現したウシ肺膜画分を用いて検討した。即ち、レセプター結合実験、およびアフィニテイクロスリンキング実験の結果から、HS-142-1は、C型レセプターにはほとんど結合せず、グアニル酸シクラーゼをもつA型およびB型のANPレセプターに対し高い選択性を有していることを明かにした。また、阻害様式の解析から、125I-rANPに対する阻害は拮抗的であることが示唆された。

 さらに、HS-142-1の生理活性を、ウシ副腎皮質、肺およびPC12細胞におけるANPのcGMP産生を指標に検討した。HS-142-1は、ウシ副腎皮質および肺膜画分のcGMP産生に対し、単独では全く活性を、示さず、ANPによるcGMP産生を10g/mlで明らかに抑制した。また、PC12細胞のANP、BNPおよびCNPによるcGMPの産生も同様に阻害した。これらの結果から、本論文の著者は、HS-142-1は、アゴニストではなくアンタゴニストとしての活性を持つものと結論した。

 以上、本論文はナトリウム利尿ペプチドホルモン(ANP)とレセプターとの結合阻害を指標に、微生物の生産する生理活性物質を検索し、拮抗阻害物質として新規の脂質多糖を得、それらの化学的ならびに生理的特性を明かにしたもので、学術上貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた次第である。

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