学位論文要旨



No 212665
著者(漢字) 小林,一三
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,カズミ
標題(和) 人工林造成と害虫の発生及びその対策に関する考察
標題(洋)
報告番号 212665
報告番号 乙12665
学位授与日 1996.02.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12665号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古田,公人
 東京大学 教授 田付,貞洋
 東京大学 教授 佐々木,恵彦
 東京大学 教授 鈴木,和夫
 東京大学 講師 久保田,耕平
内容要旨

 1950年代からきわめて活発となった針葉樹人工林造成と林木育種事業の進展に伴って優良な造林用種子の需要が高まった。種子生産の阻害要因となる針葉樹の球果・種子害虫に対する研究需要もそれにつれて1960年代から急速に高まった。特にカラマツでは年による結実の豊凶の差が激しく豊作は数年に一度程度であって、並作以下の年には球果・種子に虫害が激しい実態が関係者に知られるようになったが、当時は我が国でのカラマツの球果・種子害虫の研究はほとんど皆無の状態にあった。

 そのため著者はこの研究に着手し、その主要害虫がカラマツタネバエであることを1964年に明らかにした。本種はヨーロッパ、シベリア、北朝鮮で知られていたが、日本列島での生息の確認はこれが初めてである。続いてその生活史・生態の解明に着手し、本種の大半は1年1化であるが、2年1化の個体も存在し、このことによって豊凶の変動の激しいカラマツの球果に依存して種の維持が図られていることなどを明らかにした。また、越冬は蛹態で地中で行われるが、一部の個体は樹冠に残る球果の中で越冬した。本種によるカラマツ球果の被害は本州中部から北海道にかけて分布していた。北海道にはカラマツ属の天然分布がないとされているのに本種が生息する原因は人為による被害球果持ち込みによる可能性が高い。さらに、採種園で母樹に結実促進処理した場合には、ほとんどの球果が加害され種子生産の重要な阻害要因になることを明らかになり、早急な防除対策が必要となったため、羽化期、成虫の生存期間、産卵期間を調べて、それらの成果をもとに本種の被害を軽減させるための最適な薬剤防除のスケジュールを決定した。

 海岸砂防林を除くと、我が国でマツ類が全国的に積極的に造林されたのは先の大戦後から1960年代始めまでのことである。このマツ若齢林を中心ににマツカレハなどの害虫が全国的に大発生し、その対策には主として薬剤防除が実施された。また、大戦前から我が国のマツ林に甚大な被害を与えている松くいむし被害対策として薬剤散布が1972年頃から実施されるようになった。我が国で森林への大規模な薬剤散布はマツ林でなされてきており、森林生態系への影響に関して様々な論議が生じた。

 このため、薬剤散布がマツカレハに対するマツ林の環境抵抗への影響を知るために、薬剤散布をした林と無散布林でマツカレハ卵の付け加え・網掛け等の方法によって若齢幼虫期における補食性天敵類の働きを1971年から調べてきた。その結果、アリ類、クモ類等の補食性天敵類がマツカレハ幼虫の初期死亡に大きく関与していること、50%MEP乳剤100倍液の1ha当たり12001散布(松くいむし被害予防のための地上散布)によって補食性天敵の働きが低下してマツカレハの発生に対する環境抵抗が弱まることを明らかにした。松くいむし被害予防の薬剤散布では散布時期がたまたまマツカレハ防除期と一致しているのですぐには問題にならないものの、森林への薬剤散布は天敵類の働きを低下させ、害虫への環境抵抗を弱め、昆虫の害虫化を促進する可能性が示唆された。

 大戦後の活発な人工林造成で最も広く植栽されたのはスギで、次いでヒノキであった。この両樹種にはマツ類やカラマツに比べると害虫被害は少なく、特に食葉性害虫のような人目に付きやすい虫害は稀なために、人工林造成時には害虫被害に強い樹種とされてきた。しかし、成林後の生立木の幹の樹皮下を食害して材部に変色・腐朽を発生させる材質劣化害虫の被害が1970年代から蔓延しつつあり、林業上の重大問題になってきた。スギ・ヒノキ材質劣化害虫の代表格がスギカミキリであり、その被害は全国的に広がっており、防除対策の策定が急務となっている。

 1978年からスギカミキリの防除を目指す研究を開始した。春から夏にかけての幼虫期、蛹期、越冬成虫期のすべてを樹皮下・材内で過ごすために、薬剤防除等の対象とはし難く、防除対策策定のためには春に材部から脱出する成虫の消長を予測する必要があった。そこで、約1200頭の越冬前材内成虫の入ったスギ被害丸太を集め、5段階の恒温室を用いて、材内越冬成虫が正常な産卵のできる状態で材から脱出するまでの発育零点は4.4C°、有効積算温度は24:4日度であることを明らかにした。成虫の脱出消長には年による春の気温の変動によって異なるが、これによって成虫の50%脱出期の推定が可能になった。また、脱出後の産卵経過を明らかにして、雌成虫の50%脱出日の頃に1回の幹への殺虫剤散布によって防除効果を挙げられることを示した。

 先の大戦後の生産力増強を目指した大規模な針葉樹人工林造成が盛んであった時期には、時代の要請による造林事業がまず先行して、それに伴って発生した様々な害虫被害の対策は後追い的な対応にならざるを得なかった。そして防除法としては当時農業害虫対策として盛んに使用されるようになっていた殺虫剤散布がしばしば取り入れられた。しかし、農地と森林では生態系として見た場合には際だった違いがあり、人工林といえども農業害虫とは異なった森林生態系の働きに即した害虫防除対策が取られるべきである。

 当時盛んに造成された人工林は、未だ40年生以下が8割であって成育途上にあるものの、蓄積を増しつつ成熟段階に向かっている。また、今日では毎年の造林面積は最盛期に十分の一近くまで減少した。そして我が国の林業が現在直面する二つの大課題である(1)緑と水の源泉である多様な森林の整備、(2)国産材時代を実現するための林業生産・加工・流通における条件整備を達成する手法として流域単位での森林管理システムの構築が進められつつある。森林整備の方向も保育・間伐の推進に加えて、長伐期施業、複層林施業、混交林施業の推進が図られている。このような森林及びそれを巡る状況の変化と環境問題の顕在化を背景に、往時の後追い的・対処療法的であった人工林の害虫対策から、本来のあるべき姿の森林害虫対策への移行を現実問題として検討すべき時期になっている。

 森林害虫対策は自然生態系の構造と機能が正常に働き、特定昆虫が許容限界を超えて大発生をしない条件を維持する森林管理に立脚することが望ましい。その具体化は現在その構築が進められている流域単位での森林管理システムのなかで行われるべきである。このシステムの大きな特徴は自然的・社会的な地域特性を十分に配慮して、それぞれの地域で地域住民をも含めた森林の関係者が自主的にその地域の森林管理の将来ヴィジョンを作り、その達成のための問題点を明らかにして、問題解決の方策を探り、それに対して政府が支援をする仕組みになっているとこである。しかし、現段階でのこのシステム作りの状況は、多くの場合、林業・林産業関係者による川上・川下を通じた木材流通と労働力対策が主体となっている。

 今後の人工林施業の長伐期化を考慮すると、害虫対策としてはスギカミキリなどの材質劣化害虫対策が特に大切である。樹皮下の食害であるため、被害の発見が遅れがちで、被害が大きくなってから認知されることが多く、対策は後手に回るのが一般的である。初期段階で被害を見つけて地域全体で総合的な対策をたてることが肝要であり、被害の早期発見マニュアルや個別の防除手法はできている。地域全体の早期発見のシステムの構築が今後の課題である。しかし、これだけを単独で流域管理システムの中に組み込むことは困難であって、病害や野生動物も含めた総合的な森林保護のための効率的なモニタリングシステムを構築する必要がある。それに次いでさらに、森林動態長期モニタリングを含む持続的な森林生態系管理のための総合管理システムを目指した研究者の努力が期待されるとともに地域関係者との綿密な連携が望まれる。

審査要旨

 1950年代からのわずか20年ほどの間に,スギ,ヒノキ,カラマツ,アカマツなどの単純林が国土の27%にわたって造成された。このような短期間に植生がこれほど変化したことは歴史的にもきわめて稀なことであり,その影響はさまざまな動植物に及んだと考えられる。その一つのあらわれが,森林害虫の頻繁な発生であった。戦後の人工林の造成にともなって発生した森林害虫の多くは,それまでほとんど問題とならなかったもので,防除法の確立には多くの研究の蓄積が必要であり,防除の主力は殺虫剤の散布であった。

 本研究はまず,主要な植林対象樹種の害虫類のなかからカラマツタネバエとスギカミキリの2種の昆虫を選び,殺虫剤の使用による最も効果的な防除法の確立のための研究について述べ,次いで,殺虫剤の散布が昆虫類の環境抵抗に与える影響をマツカレハについて明らかにし,そのうえで森林害虫の防除の総合的なあり方を考察したものである。

 カラマツ種子の安定供給のためには虫害の克服が必須である。とくに,母樹に結実促進処理を行う採種園では,ほとんどの球果が加害され,種子生産の重大な阻害要因となっている。筆者はその主要害虫がカラマツタネバエ(Hylemya laricicola)であることを明らかにし,つづいて生活史の解明をおこなった。さらに,解明した生活史をもとに,薬剤散布を基本とした採種園での防除スケジュールを決定した。採種園のような人為的な栽培環境下では,球果の結実と害虫の寄生状況との的確な把握の上に,最小限の薬剤散布による防除が今後とも必要であると考えられる。

 スギカミキリ(Semanotus japonicus)は林業的には最重要害虫であるが,幼虫,蛹,越冬成虫の各時期を樹皮下・材内で過ごすため,研究をおこなううえでさまざまな困難があり,また防除も困難であった。著者は,まず本種の生態についてくわしい研究を行ったうえで,発育零点と有効積算温量をもとに成虫の脱出時期を正確に予測するととともに,薬剤の1度の散布によって最も効果があがる防除期はメス成虫の50%脱出日であることを明らかにした。これによって,容易で,経済的な防除法が確立された。人工林では,今後,長伐期化が進行すると考えられるので,スギカミキリのような個体群密度の比較的低い材質劣化害虫の対策が特に重要である。被害が発生してからの対策としては殺虫剤の有効な使用によって被害を最小限度におさえることが必要であることはいうまでもない。

 殺虫剤が森林害虫の防除にひろく使用されるならば,環境にさまざまな影響を与えることはいうまでもないが,森林昆虫に限っても,直接の防除対象害虫以外の昆虫に与える影響が懸念される。著者は薬剤を散布することによって昆虫類の環境抵抗がどのように変化するかを明らかにするため,マツカレハ(Dendrolimus spectabilis)を人為的に野外に接種し,実験的な手法を採用しながら,死亡要因を解明した。その結果,主としてマツカレハの若齢期にはたらく捕食性の天敵類がマツカレハの個体群動態に大きく関与していることと,殺虫剤の散布はそれらの天敵類の働きを著しく低下させ,マツカレハの環境抵抗を低下させることを明らかにした。こうして,大面積にわたる森林への薬剤の散布が,対象害虫以外の昆虫の害虫化を促進する可能性があることを具体的に指摘した。

 以上のように本研究によって,採種園のような人為的な栽培環境下のカラマツタネバエ,人工林の材質劣化害虫であるスギカミキリといった林業上重要な2種類の害虫に対し,殺虫剤の有効な使用による防除法が確立された。しかし,人工林における大面積での殺虫剤の使用は直接の防除対象種以外の昆虫類の環境抵抗を低下させて,あらたな害虫化をひきおこす可能性があることをも具体的に明らかにした。筆者は,このような事実をもとに,森林害虫対策は森林生態系を構成する生物群集のさまざまな相互作用のなかで特定の種の昆虫が許容限界をこえて大発生しない条件を維持するような森林管理に立脚することが望ましいと考察し,そのための具体的な方策として流域管理システムのなかでの生物管理を提案した。

 以上のように,本研究は大面積にわたる人工林の造成にともなって最も問題となった2種の森林害虫の防除法の開発・実用化のための研究成果,ならびに殺虫剤の散布に伴って生ずる問題点を具体的に解明し,その経験をふまえて森林害虫問題の対策のあるべき姿を考察したものである。この研究は学術的,応用的に寄与するところが大きい。よって審査員一同は申請者に博士(農学)の学位を与える価値があると認めた。

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