学位論文要旨



No 212667
著者(漢字) 宮川,権一郎
著者(英字)
著者(カナ) ミヤカワ,ケンイチロウ
標題(和) 枯草菌のプリンヌクレオシド生産菌の育種に関する研究
標題(洋)
報告番号 212667
報告番号 乙12667
学位授与日 1996.02.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12667号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山崎,眞狩
 東京大学 教授 高橋,秀夫
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 北本,勝ひこ
内容要旨 はじめに

 5’-イノシン酸、5’-グアニル酸を化学調味料の原料として、工業的規模で製造する試みは旧くから行なわれ、現在では、プリンヌクレオチドの生産量は国内で約5000トンに及び、わが国の発酵工業の一翼を担っている。 製造法としては当初、酵母リボ核酸の酵素的分解による方法が主体であったが、現在では直接ヌクレオチドを発酵により製造する方法、または、ヌクレオシドを発酵で得てこれをリン酸化させる方法が主流となってきた。筆者らは後者の方法が経済的にもっとも有利であると考えて研究を実施し、従来にない新しい知見を得てこれらを応用することに成功した。 枯草菌において、プリンヌクレオチドはdenovo合成経路を経て合成され、これが脱燐酸化を受けて菌体外に排出される。野生株では、これらの合成系は厳密な代謝調節を受けているためにプリンヌクレオシドの蓄積は見られないが、今日における代謝制御発酵の技術により、菌体外にプリンヌクレオシドを著量に蓄積する変異株が育種され、実用化されている。しかし、コスト削減のために、菌株の一層の改良育種が望まれている。すなわち、従来より収率の高い菌株の育種、イノシン、グアノシンどちらかのみを著量に蓄積する菌株の育種、任意のイノシン/グアノシン生産比率に適応する菌株の育種が望まれる。

 本研究の目的は、伝統的な手法で育種されたイノシン・グアノシン生産菌をもとに、遺伝子組換え技術を用いて、これらの要望に応えるべく新しい育種法を確立することにある。

1)IMPデヒドロゲナーゼ遺伝子のクローニングと遺伝子導入効果によるグアノシンの生産増加

 グアノシン蓄積能を有するB.subtilis NA7821株の染色体DNAからIMPデヒドロゲナーゼ遺伝子を E.coli C600のキサンチン要求性株を宿主として、要求性相補からpBR322にクローン化した。挿入断片は6.4kbのPstI断片であった。つぎにこれを、HindIIIで部分分解し、pC194に連結し、B.subtilis Marburg MI114株のキサンチン要求性株にサブクローン化した。得られたプラスミドをイノシン・グアノシン併産株B.subtilis NA6128株に導入したところIMPデヒドロゲナーゼ活性は導入前に比較して約10倍上昇し、著量のグアノシンの蓄積が認められ、ベクターを用いた典型的な遺伝子導入効果が見られた。

2)遺伝子破壊によるイノシン単独生産菌の育種

 ベクターを用いる遺伝子導入の方法では、酵素活性の上昇は期待できるが、減少もしくは不活性は期待できない。特定の酵素を不活性化するには、酵素遺伝子をクローン化し、薬剤耐性遺伝子を挿入し、これを枯草菌に形質転換させ相同組換えを起こし薬剤耐性となった株を取得する方法がとられる。すなわち、クローン化されたIMPデヒドロゲナーゼ遺伝子に薬剤耐性遺伝子catが挿入されたDNAをE.coli内で構築し、これを用いて、イノシン・グアノシン併産株B.subtilis NA6128株を形質転換したところ、得られたクロラムフェニコール耐性株はすべてキサンチン要求性を示し、IMPデヒドロゲナーゼ遺伝子が破壊されていることが示された。それらの菌株のイノシンの生産はB.subtilis NA6128株のほぼ2倍に達した。Southernハイブリダイゼーションの解析結果についても形質転換株染色体上のIMPデヒドロゲナーゼ遺伝子が破壊されていることが示され、本方法は、極めて選択的な、かつ、確実な酵素活性欠損株取得法であることが判った。

3)IMPデヒドロゲナーゼ遺伝子(guaB)の塩基配列決定

 クローン化された6.4kbのguaBを含む挿入断片より、E.coli中でのキサンチン要求性相補を指標としてguaBの存在位置を調べた結果、guaB遺伝子はXba I-Hin cII断片(1.85Kb)上にあることがわかった。 そこで、Xba I-Hin cII断片の塩基配列の決定を行ったところ、この断片上に 513 アミノ酸をコードする1539bpのオーブンリーディングフレームが存在し、その間始コドンの上流にはGAAAAGAGGGGなる配列が見いだされ、guaBのSD配列と推定された。 またその上流には、枯草菌の-35領域のコンセンサスに一致するTTGACAが、さらに17bp離れてTAATCAなる配列が見いだされた。 このことから、これらが各々本遺伝子のプロモータの-35,-10領域であると推定した。塩基配列から推定されるアミノ酸配列を報告にある大腸菌のIMPデヒドロゲナーゼのアミノ酸配列と比較したところ、52%の相同性が認められ、また塩基配列から推定される枯草菌のIMPデヒドロゲナーゼの分子量は、Mr=55,724(513A.A.,1,539bp)であり、Tiedemann and Smithが報告している大腸菌のものときわめて近い(Mr=54,512(511AA,1,533bp))ものであった。

4)プロモー夕交換によるグアノシン高比率蓄積株・イノシン高比率蓄積株の育種

 染色体上のIMPデヒドロゲナーゼ遺伝子の発現を人為的に調節できれば、イノシン/グアノシン生産量比を安定させることを含め両者を任意の比率で生産させることが可能になることが期待される。前項と同じ相同組換えを利用する方法で染色体上のプロモーターが交換された株の育種を行った。 すなわち、クローン化されたIMPデヒドロゲナーゼ遺伝子のプロモータおよび構造遺伝子の大部分が欠失したDNAを作製し、これを用いて染色体上のguaBの大部分が欠失したキサンチン要求性形質転換株(guaB株)をイノシン・グアノシン併産株B.subtilis NA6128株より取得した。別途、guaBのプロモーター部分を枯草菌内で高発現が期待できるSP01プロモーター,低発現が期待できるP1プロモーターに各々置換したDNAを作製し、これらを用いて上述guaB株を形質転換した。 前者を用いて得られた形質転換株では、酵素活性の上昇とグアノシン蓄積量の増大が、また後者を用いて得られた形質転換株では、酵素活性の低下とイノシン蓄積量の増大が認められた。これは染色体に組み込まれた改変guaBの発現によるものと考えられた。

5)プリンオペロンの発現制御部位の改変によるイノシン・グアノシン高生産株の育種

 枯草菌のプリンヌクレオチド生合成系酵素群は、プリンオペロン上にコードされていることが知られている。大腸菌のプリン要求性株を用いて要求性相補を指標にイノシン・グアノシン併産株B.subtilis NA6128株の原株であるB.subtilis No.115株のプリンオペロンをクローニングした。B.subtilis No.115株のプリンオペロンの構造およびプロモータ領域の塩基配列はEbbole and Zalkinによって報告されているB.subtilis 168株のものとよく一致した。 クローン化されたプリンオペロンDNAのプロモータ領域上流より種々の長さが欠失したDNAを作製し、これを用いてB.subtilis 168株を形質転換し、形質転換株のプリンオペロンの発現をアミドホスホリボシルトランスフェラーゼ活性を指標に解析した結果、転写開始点上流-84〜-61にアデニンによる抑制部位が、また、下流+1〜+200付近にグアニンによる抑制部位が存在していることが判った。これらの制御領域を欠失させ、高発現の期待できるSP01由来のプロモー夕を連結したDNAを作製し、これを用いてB.subtilis 168株を形質転換したところ、そのプリンオペロンの発現は、アデニンおよびグアニンの存在下においても抑制を受けず構成的に発現していることが認められた。上述のDNAを用いて、イノシン・グアノシン生産株B.subtilis NA6100株から得られた形質転換株はNA6100株に比して約1.5倍のイノシン・グアノシン生産を示した。一方、このDNAを用いてイノシン・グアノシン生産株B.subtilis NA6128株を形質転換したところ、生育不良とイノシン・グアノシン生産の低下が見られた。アデニンによる抑制部位を残しグアニンによる抑制部位を除いたDNAによって形質転換されたB.subtilis NA6128株の形質転換株は、正常な生育と約2割のイノシン・グアノシン生産の増加が認められた。高生産株の育種にはグアニンによる抑制部位を欠失させることが有効であった。

おわりに

 イノシン、グアノシンの生産比率を任意に変え、これに適応する菌株の育種、およびプリンヌクレオチド合成系を強化した菌株の育種を目的として、プリンヌクレオチド生合成関連酵素遺伝子の発現制御に的を絞り育種を展開し、伝統的育種技術に組換えDNA技法を組み合わせた。その結果、ほぼ意図した目的を達成することができた。本手法により、変異点を目的遺伝子に限定する事ができ、再現性よい結果が得られることが明らかになった。また、単に生産性の高い優良株の育種に止まらず、生合成経路の律速部位の解析に応用することができ、さらに育種を次のステップに進める上で有用な多くの情報が得られた。

審査要旨

 5’-イノシン酸、5’-グアニル酸は化学調味料として工業的規模で製造されており、両者の国内生産量は5000トンにおよび、我国の発酵工業の一翼を担っている。製造法としては当初、酵母リボ核酸の酵素的分解による方法が主体であったが、現在では直接ヌクレオチドを発酵により製造する方法、またはヌクレオシドを発酵で得てこれをリン酸化させる方法が主流となってきた。枯草菌において、プリンヌクレオチドはde novo合成経路を経て合成され、これが脱リン酸化を受けて菌体外に排出される。野生株では、これらの合成系は厳密な代謝制御を受けているためにプリンヌクレオチドの蓄積は見られないが、代謝制御発酵の技術により、菌体外にプリンヌクレオシドを著量に蓄積する変異株が育種され実用化されている。本論文はこのようにして育種された枯草菌のイノシン・グアノシン生産菌を基に遺伝子組換え技術を用いて、任意のイノシン/グアノシン生産比率を示す菌株の育種をめざした成果をまとめたもので以下の4章より成る。

 第1章は緒言にあてられている。第2章は枯草菌のIMFデヒドロゲナーゼ遺伝子のクローン化とその利用に関するものである。IMPデヒドロゲナーゼは5’-グアニル酸、或いはグアノシン生産に関わる鍵酵素である。グアノシン蓄積能を有する枯草菌NA7821株の染色体DNAからIMPデヒドロゲナーゼ遺伝子領域を大腸菌C600のキサンチン要求性相補を指標にpBR322にクローン化した。挿入DNAは6.4kbのPstI断片であった。次にこれをHindIIIで部分分解し、pC194に連結し枯草菌Marburg MI114株のキサンチン要求株にサブクローン化した。得られたプラスミドをイノシン・グアノシン併産株である枯草菌NA6128に導入したところIMPデヒドロゲナーゼ活性は導入前に比較して約10倍上昇し、著量のグアノシンの蓄積が認められた。

 クローン化されたIMPデヒドロゲナーゼ遺伝子にクロラムフェニコール耐性遺伝子 catが挿入されたDNAを大腸菌内で構築し、これを用いて枯草菌NA6128を形質転換したところ得られたクロラムフェニコール耐性株はすべてキサンチン要求性を示し、IMPデヒドロゲナーゼ遺伝子が破壊されていることがサザンハイプリダイゼイションで確認された。それらの菌株はイノシン単独生産型となり、その生産量はNA6128株のイノシン量のほぼ2倍に達した。

 IMPデヒドロゲナーゼ遺伝子(guaB)を含む6.4kbのPstI断片よりguaBの位置を特定し全塩基配列を決定した。同遺伝子には513アミノ酸をコードする1539bpよりなるオープンリーディングフレームが存在し、その開始コドンの上流にはSD配列と推定される配列が見出だされた。またプロモーターの-10、-35領域と想定される配列も見出だされた。塩基配列から推定されるIMPデヒドロゲナーゼのアミノ酸配列を大腸菌のものと比較すると52%の相同性が認められた。枯草菌NA6128株のguaBのプロモーターを枯草菌体内で高発現が期待出来るSP01プロモーター、及び低発現が期待できるP1プロモーターに置き換えた。前者の形質転換株ではIMPデヒドロゲナーゼ活性の上昇とグアノシンの蓄積量の増大が、また後者の形質転換株では同酵素活性の低下とイノシン蓄積量の増大が認められた。

 第3章はプリンオペロンの改変によるイノシン・グアノシン生産に関するものである。枯草菌のプリンヌクレオチド生合成系酵素はプリンオペロン上にコードされていることが知られている。枯草菌No.115株(NA6128株の元株)のプリンオペロンを大腸菌のプリン要求性株の要求性相補を指標にクローン化した。このオペロンの構造ならびにプロモーター領域の塩基配列は、直前にZalkinらによって報告された枯草菌Marburg168株のそれとよく一致した。クローン化されたプリンオペロンDNAのプロモーター領域上流より種々の長さの欠失DNAを作製し、これを用いて168株を形質転換し、プリンオペロンの発現をアミドホスホリボシルトランスフェラーゼ活性を指標に解析した結果、転写開始点上流-84〜-61にアデニンによる抑制部位が、また下流+1〜+200付近にグアニンによる抑制部位が存在していることが判明した。これらの制御領域を欠失させ、更にプロモーターをSP01のものに置換したDNAを用いて枯草菌のイノシン・グアノシン併産株NA6128株を形質転換した。両抑制部位を除去したDNAによる形質転換株の場合は生育不良とイノシン・グアノシン生産の低下が認められた。一方、グアニンによる抑制部位のみを除去したDNAによる形質転換株の場合は正常な生育と約2割のイノシン・グアノシン生産の増加が認められた。即ち、高生産株の育種にはグアニンによる抑制部位を欠失させることが有効であった。

 第4章は結論にあてられている。

 以上、本論文は枯草菌のイノシン・グアノシン生産菌に組換えDNA技術を導入し、IMPデヒドロゲナーゼ遺伝子を初めてクローン化し、それらを利用してイノシン/グアノシンの生産比率を制御することに成功したもので基礎、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)論文として価値あるものと認めた。

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