学位論文要旨



No 212672
著者(漢字) 倉谷,和良
著者(英字)
著者(カナ) クラタニ,カズヨシ
標題(和) インドメタシンによる幽門部潰瘍の病因とアドレナリン3受容体を介した抑制機序の研究
標題(洋)
報告番号 212672
報告番号 乙12672
学位授与日 1996.02.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第12672号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 助教授 松木,則夫
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
内容要旨

 関節リウマチや変形性関節炎の患者は、その大半が非ステロイド消炎鎮痛薬(NSAID)長期投与による治療を受けている。これらの患者に、副作用として現われる胃病変は、数日から数週の単位で消長する急性病変と、数ヵ月の単位で消長する慢性病変とに大別される。前者は傷害の程度が浅く、胃体部を中心に多数点在し、ヒスタミンH2遮断薬に感受性のびらんである。一方、後者は粘膜筋板に達する深い病変で、単一もしくは少数の病変として幽門部に局在し、ヒスタミンH2遮断薬に抵抗性を示す難治性潰瘍である。従って、この幽門部慢性病変は、実質的に有効な治療薬がないことから臨床上大きな問題となっている。NSAIDによる胃病変の動物モデルとしては、indomethacinを絶食したラットに皮下投与して胃病変を惹起するものがよく知られている。ところがこのモデルにおける病変は、局在や形態において、ヒトの病態ではNSAIDによる急性病変に類似しており、しかも、胃酸分泌や胃運動が病因として重要であることが既に明らかにされている。一方、絶食したラットを1時間だけ自由に摂食(再摂食)させた後に、あるいは非絶食のハムスターにindomethacinを皮下投与すると幽門部に選択的に、しかも粘膜筋板まで達する深い潰瘍を生じることが近年報告されている。これらは、局在および形態学的にはNSAIDによる慢性病変に類似しているが、病因論的な検討は、殆どなされていない。著者は、これらの実験的幽門部潰瘍と胃体部びらんの病態を薬理学的に比較解析することにより、その病因の差異を明らかにし、NSAID潰瘍治療薬創出への端緒を見い出すことができたので報告する。

Indomethacinによる実験的幽門部潰瘍の薬理学的病態解析

 Indomethacinにより、動物に惹起される胃病変の局在および形態は摂食状態により大きく異なることを先に述べた。筆者は、摂食に伴って放出されるホルモンであるinsulinに着目した。Insulinは胃の機能を相補的に調節している自律神経系に強く作用することが知られているからである。実際に胃病変惹起条件下に血漿中のinsulin濃度を測定すると、絶食ラットに比べて再摂食後のラットおよび非絶食ハムスターのほうが高値を示した。そこでstreptozotocin(STZ)処置でinsulinを枯渇した動物において、indomethacinによる胃病変形成を検討したところ、絶食ラットの胃体部病変は、悪化したのに対し、再摂食ラットおよびハムスターの幽門部病変は有意に抑割された。従って、幽門部病変形成には内因性insulinが関与することが示唆された。

 Insulinは、副交感および交感の両自律神経系を刺激することが知られている。そこで次に、famotidine(胃酸分泌抑制剤、H2遮断薬)、atropine(副交感神経遮断薬)、prazosin(交感神経1遮断薬)、yohimbine(交感神経2遮断薬)およびpropranolol(交感神経遮断薬)の各動物モデルに対する作用を検討し、自律神経系の関与について調べた。その結果、famotidineとatropineは、胃体部病変を強く抑制したが、幽門部病変については、弱い抑制しか示さなかった。prazosinとyohimbineは、胃体部病変を悪化したが、幽門部病変を用量依存的に抑制した。propranololは胃体部、幽門部両病変形成に対し、無作用であった。

 以上の検討結果から、indomethacinにより再摂食ラットと非絶食ハムスターに惹起されろ幽門部潰瘍は、病変の局在や、形態のみならず、H2遮断薬の作用が弱い点でもヒトのNSAID潰瘍の病態を反映したモデルであることを見い出した。また幽門部潰瘍形成には、内因性のinsulinが関与すること、および胃体部病変とは違って、胃酸や胃運動などの副交感神経系の機能は、重要ではなく、交感神経系の作動活性の亢進が重要であることが明らかになった。さらに、一般的にヒトの消化性潰瘍の交感神経機能亢進に基づく病因としては、胃粘膜虚血が挙げられていることから「insulinに関連した交感神経系の亢進⇒胃粘膜虚血⇒NSAID幽門部潰瘍形成」という病因-病態に関する仮説が得られた。

Indomethacin惹起幽門部病変と胃体部病変形成におけるinsulinおよび交感神経活性の役割の差異についての検討

 摂食によるinsulinの放出と、交感神経の亢進およびNSAID潰瘍形成の因果関係についてさらに詳細に検討するため、再摂食ラットモデルについて胃病変形成条件下、あるいは種々の薬理学的操作下に血漿中の関係パラメータとしてglucose、insulin、norepinephrine(NE)およびepinephrine(EPI)を経時的に測定した。

 まず、4つのパラメータの経時変化について、再摂食ラット群と絶食ラット群で比べると、再摂食中に、glucoseとinsulin濃度が有意に上昇し、有意な高値は6時間後まで続いた。NEは、再摂食後3〜6時間で有意に高値を示した。EPI濃度は、再摂食と絶食群で経時変化に差はなかった。交感神経の関与について、6-hydroxydopamine前処置により神経終末のcatecholaminesを枯渇した再摂食ラットモデルにて検討した。その結果、NEの再摂食による応答は完全に切れたが、これを補うように、EPIが増加した。この時、幽門部病変形成は有意に抑制されたが、胃体部病変は変化しなかった。またprazosin、yohimbineは、NEおよびEPI濃度を有意に上昇させたが、幽門部病変を抑制し、逆に胃体部病変を悪化した。さらにSTZ前処置ラットでは、insulinの応答が切れたと同時に興味深いことにNEの応答も切れた。この時、幽門部病変は有意に抑制され、胃体部病変は、著しく悪化した。これらの結果から、再摂食によって放出されたinsulinが、交感神経の興奮を起し、それによって幽門部病変が形成され、逆に胃体部は、保護されることが示唆された。

Indomethacin惹起幽門部潰瘍に対するアドレナリン3作動薬の抗潰瘍作用とその機序の解明

 Indomethacinによる幽門部潰瘍形成には、胃血管収縮による虚血が、その直接の病因として推測された。内因性catecholaminesのNEやEPIは血管に対して、受容体を介して収縮的に、受容体を介しては拡張的に調節しているが、総合的な作用としては、収縮に働く。しかし、例えば、代表的な合成作動薬のisoproterenolは、強い血管拡張作用を有することが知られている。また、現在受容体は1、2、3、の3つのサブタイプに分類されてる。そこで、非選択的作動薬としてisoproterenol、2選択的作動薬としてsalbutamol、3選択的作動薬として最近報告されたBRL35135(BRL)、CL316、243(CL)、SR58611A(SR)を用いて、indomethacinによりラットに惹起される、幽門部と胃体部それぞれの病変モデルに対する作用を比較し、虚血の病因としての寄与について検討した。

 その結果、すべての作動薬は、幽門部病変を用量依存的に抑制した。ED50値で強さを比べると、BRL>CL>SR>isoproterenol>salbutamolの順位であった。そこで各作動薬の3つの受容体サブタイプに対する、in vitroでの活性の指標と、幽門部病変抑制のED50値との相関を調べたところ抗潰瘍作用は、1、2活性とは相関せず、3活性とのみr=0.97の強い相関が見られた。従って、作動薬は、3受容体を介して幽門部病変を抑制したことが示唆された。

 次に各作動薬の胃体部病変モデルに対する効果と幽門結薬ラットでの胃酸分泌に対する作用を検討したところ、いずれもisoproterenol、salbutamol、BRLは、抑制作用を示したが、3受容体サブタイプに高い選択性を持つCLとSRは全く無作用であった。従って、3受容体は、1や2受容体とは違って胃酸分泌抑制には関与しないことが示唆された。

 さらに麻酔ラットの幽門部粘膜血流に対する各作動薬の作用を検討した。その結果、BRL>CL>SR>isoproterenolの順位で血流を増加したが、salbutamolは、無作用であった。この順位は、各作動薬の幽門部病変抑制作用の強さに一致したことから、作動薬は、3受容体を介する幽門部粘膜血流増加作用によって、幽門部病変を抑制したことが示唆された。またBRLを用いた検討で、その粘膜血流増加作用は、幽門部に比べて胃体部では非常に弱かったことから、3受容体を介する粘膜血流増加機構は、幽門部により選択的であることが示唆された。

 以上の検討により、アドレナリン受容体作動薬が、「3受容体を介した粘膜血流増加作用」によってindomethacinによる幽門部病変を抑制することを見い出した。そして「交感神経亢進⇒胃粘膜虚血⇒NSAID幽門部潰瘍形成」という仮説が支持された。さらに、選択性の高い3作動薬は、全く新しいNSAID潰瘍治療薬として有用であることを見い出した。

<図.Indomethacin惹起幽門部潰瘍の病因に関する仮説>
総括

 1.Indomethacinによる幽門部潰瘍発生に関して、摂食により放出されたinsulinが、交感神経系の亢進をもたらし、次に受容体を介する血管収縮により幽門部粘膜虚血が起き、これが直接の病因となって潰瘍が生じるという発症機構を明らかにした。

 2.アドレナリン3受容体を介する幽門部胃粘膜血流増加機構の存在を発見した。

 3.3選択的作動薬が幽門部粘膜血流の増加を介し、幽門部病変を強く抑制することを見い出した。

 4.サブタイプ選択性の高い3作動薬は、全く新しいタイプのNSAID潰瘍治療薬になり得ることを見い出した。

審査要旨

 非ステロイド消炎鎮痛薬(NSAID)の長期投与による治療を受けている患者に副作用として現われる胃病変は、胃体部を中心に点在し、数日から数週の単位で消長する急性病変と、幽門部に局在し、数ヵ月の単位で消長する慢性病変とに大別される。前者は障害の程度が浅いびらんで、ヒスタミンH2遮断薬などの胃酸分泌抑制薬に感受性である。一方、後者は粘膜筋板に達する深い潰瘍病変で、胃酸分泌抑制薬に抵抗性を示す、発症機序不明の難治性潰瘍であり、実質的に有効な治療薬がないことから臨床上大きな問題となっている。本研究は、代表的なNSAIDであるindomethacin(IND)により動物に惹起される実験的幽門部潰瘍の病因を明かにし、本質的治療薬創出への端緒を見い出すことを目的としてなされた。申請者はINDによる幽門部潰瘍の病態を薬理学的に解析し、「摂食により放出されたinsulinが、交感神経系の亢進をもたらし、次にアドレナリン受容体を介する血管収縮により幽門部粘膜虚血が起き、これが直接の病因となって潰瘍が生じる」という発症機序を示唆した。またアドレナリン作動薬が3受容体サブタイプを介した粘膜血流の増加によって幽門部病変を強く抑制することを見い出し、3受容体の新たな生理機能を示唆するとともに選択性の高い3作動薬はNSAID潰瘍の新しい治療薬としての可能性を持つことを示した。

 NSAIDによる胃障害モデルとして一般的に知られている、INDを絶食したラットに皮下投与して惹起される胃病変は、点状または線状のびらんが胃体部に現われる点において、むしろヒトに見られる急性病変に類似している。一方、絶食したラットを1時間だけ自由に摂食(再摂食)させた後に、あるいは非絶食のハムスターにINDを皮下投与すると幽門部に選択的に、しかも粘膜筋板まで達する深い潰瘍を生じることが近年報告されており、こちらはNSAIDによる慢性病変に類似している。しかしながら病因論的な検討は、殆どなされていない。そこで、これらの実験的幽門部潰瘍と胃体部びらんの病態を薬理学的に比較解析した。胃病変の局在および形態は摂食状態により大きく異なることから申請者はまず、摂食関連ホルモンであるinsulinに着目した。すなわちstreptozotocin(STZ)処置でinsulinを枯渇した動物において検討したところ、絶食ラットのINDによる胃体部病変は、悪化したのに対し、再摂食ラットおよびハムスターのINDによる幽門部病変は有意に抑制された。従って、幽門部病変形成には内因性insulinが関与することが示唆された。Insulinは、胃の機能を相補的に調節している副交感および交感の両自律神経系を刺激することが知られている。そこで、famotidine、atropine、prazosin、およびyohimbineの各動物モデルに対する作用を検討し、自律神経系の関与について調べた。その結果、famotidineとatropineは、胃体部病変を強く抑制したが、幽門部病変については、弱い抑制しか示さなかった。prazosinとyohimbineは、胃体部病変を悪化したが、幽門部病変を用量依存的に抑制した。これらの結果から、INDにより再摂食ラットと非絶食ハムスターに惹起される幽門部潰瘍は、病変の局在や形態のみならず、H2遮断薬の作用が弱い点でもヒトのNSAIDによる幽門部潰瘍の病態を良く反映したモデルであること、およびその病変形成には、内因性のinsulinが関与すること、さらに胃体部病変とは違って、胃酸や胃運動などの副交感神経系の機能は重要ではなく、交感神経系の作動活性の亢進が重要であることが明らかになった。交感神経機能亢進に基づく病因としては、胃粘膜虚血が考えられることから「insulinの放出と交感神経系の亢進⇒胃粘膜虚血⇒NSAID幽門部潰瘍形成」という発症機序に関する仮説を提示した。

 次にinsulinの放出、交感神経亢進と幽門部病変形成の関連性についてさらに詳細に検討するため、再摂食ラットについてINDによる胃病変形成条件下に、種々の薬理学的操作を加えて血漿中のinsulinおよび交感神経活性関係パラメータの経時変化を調べた。まず、再摂食ラット群と絶食ラット群で比べると、血中norepinephrine(NE)は、再摂食後3〜6時間で有意に高値を示した。次に6-hydroxydopamine前処置により神経終末のcatecholaminesを枯渇したラットでは、再摂食によるNEの応答が完全に遮断され、幽門部病変は有意に抑制された。さらにSTZ前処置ラットでは、insulinの応答が遮断されたと同時にNEの応答も遮断された。このとき、幽門部病変は有意に抑制され、胃体部病変は、著しく悪化した。これらの結果から、再摂食によって放出されたinsulinが交感神経の興奮を起し、それによって幽門部病変が形成され、逆に胃体部は保護されることが示唆された。

 さらに胃粘膜虚血のIND惹起幽門部潰瘍形成の病因としての重要性について検討を加えるため、代表的な血管拡張薬であるアドレナリン作動薬の作用を検討した。また、現在受容体は1、2、3、の3つのサブタイプに分類されてるため、非選択的作動薬としてisoproterenol、2選択的作動薬としてsalbutamol、3選択的作動薬としてBRL35135(BRL)、CL316,243(CL)、SR58611A(SR)を用いた。その結果、幽門部病変はED50値で比べると、BRL>CL>SR>isoproterenol>salbutamolの順位で、用量依存的に抑制されることを見い出した。しかもこのED50値と各作動薬の3つの受容体サブタイプに対するin vitroでの活性の指標との相関を調べたところ、1、2活性とは相関せず、3活性とのみr=0.97の強い相関が見られた。従って作動薬は、3受容体を介して幽門部病変を抑制したことが示唆された。さらに麻酔ラットの幽門部粘膜血流に対する各作動薬の作用を検討した結果、BRL>CL>SR>isoproterenol>salbutamolの順位で血流を増加することを見い出した。この順位は、各作動薬の幽門部病変抑制作用の強さに一致したことから、作動薬は、3受容体を介する幽門部粘膜血流増加作用によって、幽門部病変を抑制したことが示唆された。これらの結果は、「胃粘膜虚血⇒NSAID幽門部潰瘍形成」という仮説を支持した。さらに、選択性の高い3作動薬は、全く新しいNSAID潰瘍治療薬として有用であることを見い出した。

 以上、本研究は、動物モデルにおける病態を、ヒトの病態と対比しながら、薬理学的見地から詳細に解析することで、NSAID潰瘍に対する新薬開発の一つの方向性を提示し得たこと、さらに胃粘膜における微小循環系の新たな調節機構の存在を示唆したことにおいて、薬理学および生理学の進歩に貢献していると評価し、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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