学位論文要旨



No 212698
著者(漢字) 関,志雄
著者(英字)
著者(カナ) カン,シユウ
標題(和) アジア太平洋経済における相互依存関係 : 円圏成立に向けて
標題(洋) Economic Interdependence in the Asia-Pacific Region : Towards a Yen Bloc
報告番号 212698
報告番号 乙12698
学位授与日 1996.02.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 第12698号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀内,昭義
 東京大学 教授 鬼塚,雄丞
 東京大学 教授 植田,和男
 東京大学 教授 伊藤,元重
 東京大学 教授 河合,正弘
内容要旨 求められるアジアの視点

 近年、日本の経済力・資金力の増大、日本とアジア近隣諸国との相互依存関係の深化、そしてECにおける通貨統合を反映して、アジアにおける円圏成立の可能性についての関心が高まっている。円圏に関しては明確な定義がなく、日本とアジアの間の実体経済面における相互依存関係を中心に議論されることが多い。ここでは通貨統合の側面に焦点を当て、円圏を、円がその圏内の基軸通貨としての役割を果たし、参加国が対円為替レートを安定的に維持するような国の集合体と限定する。これは、旧ポンド圏や現在ECが目指しているEMUなどの通貨圏に類似している。

 円圏は日本の都合だけで進むものではない。従来、円圏に関する研究は日本の視点に立った「円の国際化」というアプローチをとっていた。しかし、より一層の理解を深めるためには、円圏の潜在的メンバーてあるアジア諸国(NIEs、アセアン諸国)からの視点も考慮していく必要がある。

 国際取引で使用する通貨の選択は、概念上二段階の過程を経るものと考えられる。第一段階は、自国通貨と外国通貨との関係を決める為替レート制度の決定である。通常、この決定は政府が経済の安定成長など国家の政策目標を考慮に入れて行う。第二段階は、既定の為替レート制度の下で各経済主体(輸出入業者、金融機関、中央銀行など)が、貿易・金融取引に使用する通貨をどの通貨にするかという実務上の選択である。第一段階の決定が、通常マクロ経済上の政策目標とかかわるのに対し、第二段階の決定は、リスクと利益(または費用)のバランスという、主にミクロ経済的考慮に基づく。

円とアジアの景気変動

 域内相互依存関係が深まるにつれて、アジア諸国の成長率に変動をもたらす要因として円の動向が重要になってきた。

 円ドルレートの変動がアジア諸国経済にもたらす影響は、NIEsとアセアン諸国とで非対称的になる。これは、NIEsの貿易構造が日本と競合的であるのに対し、アセアン諸国は日本と補完的であることに起因している。円の切上げは、NIEsの輸出物価を輸入物価以上に押上げ交易条件(輸出物価と輸入物価の比率)を改善させることで、これらの国々の成長率を高めていく。これに対して、対日輸入依存度が高く日本と競合する度合いの低いアセアン諸国に対しては、円高は輸出物価以上に輸入物価を押上げ、その交易条件を悪化させることを通じて成長にマイナス影響を与える。

 こうした非対祢性を反映して、円高が進行した85-88年においてはNIEsの成長がアセアン諸国を大きくリードし、逆に89-90年の円安の局面では、80年の第二次石油危機以降初めてアセアン諸国の成長率がNIEsを上回るいわゆる「南北逆転現象」が起こった。

 特に、過去の円ドルレートの推移とNIEsの成長率を比較すると双方に緊密な相関関係がある。実際、円ドルレートの変化率は、一般に同地域の景気に最も影響が大きいと考えられている米国の成長率よりも、NIEsの経済成長率の変動をうまく説明することができる。

 こうした円ドルレートのアジア経済に対する影響は日本にもフィードパックされている。例えば、円高になると、日本の対NIEs輸出は後者の生産拡大に伴って加速するが、これは価格効果の大きい対欧米輸出の純化とは対照的である。逆に、円安の場合は、対欧米輸出が伸びるのに対して、対NIEs輸出は純化する傾向がみられる。このように、対NIEs輸出は日本経済にとって為替変動の影響をやわらげる自動安定装置の役割を果たしている。

対円ペッグと経済の安定

 通貨当局は自国通貨の為替レート操作を通じ、円ドルレートの変動がもたらす生産の振幅を相殺することができる。これは即ち、アジアNIEsは、円高(円安)がもたらす生産の増加(減少)を自国通貨の切上げ(切下げ)により、実質賃金を引上げ(引下げ)、生産を抑制(促進)させることによって埋め合わせることができることを意味する。逆に、アセアン諸国が生産の安定化をはかるためには、円高(円安)時に自国通貨の切下げ(切上げ)を必要とする。また通貨バスケットにペッグさせれば、このような生産の安定化は自動的に達成できる。

 前述の議論をふまえると、生産を安定させるためには自国通貨をペッグする対象通貨を、競合相手国の通貨のウェイトが大きく、主要供給国通貨のウェイトが小さいかまたはマイナスのパスケットにすべきである。これは、アジア諸国においては次のことを意味する。日本に似た輸出構造をもつNIEsにとって、対円ペッグ(または、その通貨が連動しているバスケットにおける円の比重の引上げ)は生産の安定化に寄与するが、一方で、日本からの輸入依存度の高い一次産品輸出国(例えばアセアン諸国)には逆の論理が成り立つ。従って、他の条件が同一であれば、アジアNIEsはアセアン諸国よりも為替レートを円にペッグさせるインセンティプが強くなるわけである。

マクロ経済的考慮

 アジア諸国は従来より米国経済に依存してきたため、これまでは各国通貨と米ドルの二国間レートに焦点を合わせ為替レート政策を策定してきた。ところが、近年アジア諸国は、貿易相手国と直接投資国の地域構成の大幅な変化と、85年からの世界的な為替レート調整がもたらした大きな景気変動を経験した。このような新しい国際環境に適応するためアジア諸国は、緩やかな対米ドルペッグという従来の為替政策を修正し、他の主要通貨、とりわけ日本円に重点を置かざるをえなくなるだろう。

 アジア諸国の最大の輸出市場が米国であるとの理由から、その通貨をドルにペッグすべきであるという議論には、以下の二つの点から反論することができる。第一に、生産の変動を最小化する「最適パスケット」のウエイトには、輸出入相手の地域構成よりもむしろ貿易相手国に対するその国の競合性の程度を反映すべきである。すなわち、対日輸出依存度の高いアセアン諸国よりも、対日依存度の低いNIEsの方が円ペッグの生産安定効果が大きい。第二に、(日本を含む)アジア諸国の輸出総額に占める対米輸出の割合は、86年の34.1%から92年には24.21へと急速に低下してきており、その代わりに域内貿易のシェアは30.9%から43.1%にまで上昇している。これを反映して、アジア経済成長率の米国経済成長率に対する弾性値(米国の成長率が1%上昇すればアジアの成長率が何%上昇するかを示す)が70年代の1.0から直近で0.3にまで低下している。

 アジア諸国の為替レート政策における円の役割は、同地域の急速な工業化のテンポが今後も鈍らないものと考えられるため、より重視されるべきである。今後アジアNIEsの輸出商品構成がますます日本に似てくる一方、アセアン諸国の輸出構成はアジアNIEsに近づこう。その結果、円へのペッグがアジア諸国にもたらす利点(即ち生産の安定)は増大するものと考えられる。

ミクロ経済的考慮

 ミクロ経済レベルでは、日本円が国際通貨として使用されるのを妨げる要因として、従来指摘されている日本金融・資本市場の問題に加え、アジア諸国通貨の対円レートの不安定さが挙げられる。しかしながら、アジア諸国が、為替レート制度を、緩やかな対米ドルペッグから円ペッグ(または通貨パスケットにおける円の比重の大幅な引き上げ)に変更するのであれば、ドルに代わり円建てでの取引を好むアジア諸国の貿易業者が増加すると予想され、政府・中央銀行などの借入主体及び投資家も、金融取引での円建て比率を一層高めるようになるだろう。

 対円ペッグは、為替リスクを低減させ、日本との貿易及び日本からの資本流入(特に直接投資)を拡大させることを通じてアジア諸国に利益をもたらすであろう。日本が米国に代わってアジアにおける最大の投資家となり、もはや米国だけでは同地域の牽引車の役割を果たしえなくなった今日、円に重点を置いた為替政策が益々重要となってきている。

残された課題

 円圏は依然として発展の初期段階にあり、それに関する研究も未発達のままである。この問題についての理解を深めるためには、日本とアジアの視点(例えば、円圏が日本とアジア諸国にもたらす得失)に加え、世界的視点(例えば、三極通貨体制の安定性)と地域的視点(例えば、アジアは最適通貨圏なのか)を包括的で一貫性のある理論にまで統合していく必要がある。これまでの研究では、日本の視点から「円」の側面を問題にしたものがほとんどてあり、他の視点(特に「圏」の側面)について十分な考慮が払われていない。アジア諸国の通貨にとっての最適ペッグの選択を中心とする本文の分析は、これまでの円圏の理論には欠落していたアジア側の一つの視点を提起したと言えよう。

審査要旨

 関志雄氏から提出された博士論文Economic Interdependence in the Asia-Pacific Regionは序章に当たる展望を含む9つの章から構成されている。それらのほとんどは、氏が現在在籍している野村総合研究所における研究調査の一環としてとりまとめられたものであり、全体としての印象は、良い意味でも悪い意味でも調査研究の色彩が濃厚に読み取れる。

 以下では、まず提出された博士論文の各章の内容を手短に要約する。次いで、結論として当論文の評価を述べる。

提出論文の概要

 第1章(An overview)はこの論文の展望であるが、同時にアジアのマクロ経済のパフォーマンス、および相互連関の推移を統計に基づいて概観している。

 第2章(Balance-of-payments imbalances and exchange-rate realignment)は一国の貿易収支の長期的な変動を、一種の「ライフ・サイクル仮説」に立脚して説明している。この仮説によれば、貿易収支の状況は「若い債務国」、「成熟した債務国」、「債務削減国」、「若い債権国」、「成熟した債権国」、「資産消費国(asset liquidator)」の6つの段階に分類できる。関はこの分類法に基づき、為替レートの変動の影響やそれがもたらす「雁行形態」の貿易構造に視点を絞って、アジア経済の近年の推移を展望している。

 第3章(Exchange-rate realignment and short-term economic fluctuations)は関論文の核となる分析の一つが提示されている。すなわちアジア諸国を、比較的貿易構造が日本のそれと類似しているNIEsと、貿易構造が日本のそれと補完的であるASEAN諸国に二分し、それらが為替レートの変動から非対称的な影響を蒙ることを強調している。NIEsは円ドル・レートの上昇(円高)からプラスの影響を受け、実質成長率を高める。それは円高がそれらの国々の輸出品の海外市場での競争力を高め、また交易条件を改善するからである。一方、ASEANは円高からマイナスの影響を受ける。それらの国々は日本への原材料・鉱物資源の輸出などに強く依存しているからである。関論文では、単純なモデルで開放された小国の交易条件と労働市場の均衡の関係を分析し、かつ実質GNP成長率と為替レート、あるいは交易条件の関係を統計的に調べ、NIEsとASEANで上に述べたような(主に1970年代後半から90年代初頭までの期間について)非対称性が見られることを確かめている。

 第4章(An optimal peg for the Asian currencies)は、アジア各国が実質成長率を安定化させるという政策目標に照らして、どのような為替レート政策を採用するのが望ましいかを検討している。この章の分析は一国の実質GNP(y)が交易条件の上昇からプラスの影響を、実質賃金率上昇からマイナスの影響を受けるという仮説から出発するモデルに基づいて、yの変動を小さくする上で、当該国が為替レートをドルのペッグすべきか、それとも円にペッグすべきかを分析する。NIEsのように日本と競合する製品輸出が重要であるような諸国は、円レートにリンクさせて自国通貨レートを変動させることが望ましい。この結論が得られる理由を大まかに説明すれば以下のようになる。円高(円安)は当該国の輸出品価格を上昇(下落)させ、交易条件を改善(悪化)する。このためにyは上昇(下落)する圧力を受ける。この影響を除去ないし緩和するためには、自国通貨を円高(円安)に合わせて切り上げ(切り下げ)、国内物価水準を下落(上昇)させ実質賃金率を上昇(下落)させることが適切である。一方、ASEAN諸国は総じて、日本への輸出に依存し補完的な貿易構造を持っているので、上のような議論は妥当しない。むしろ自国通貨を円レートにリンクさせれば、円高がもたらすデフレ的影響が交易条件の画でも、国内の実質賃金の面でも現れてしまう。この章では、韓国を例にとって、交易条件の円ドル・レートに関する弾力性、実質生産の交易条件関する弾力性、輸出価格(および実質賃金)の円ドル・レートに関する弾力性、実質生産の実質賃金に関する弾力性を推計し、そこから韓国ウオンが円とどの程度リンクすべきかを計算している。関氏の推計によれば、ウオンは円ドル・レートの変化の75%で変化させるべきである。

 第5章(The flying-geese pattern of changing trade structure)はアジア諸国の貿易構造の変化を比較優位の変遷を軸に分析している。この視点は赤松要教授が提唱した「雁行形態論(Flying-geese hypothesis)」の応用である。経済発展と貿易構造との関係は、発展初期の導入段階(農産物、鉱物資源の輸出)、輸入代替製品の生産、労働集約的製品の輸出(若いNIE段階)、資本集約的製品の輸出(成熟NIE段階)、直接投資と資本集約的製品の逆輸入(成熟工業国段階)という段階を辿るという通説を解説した後、産業の特化指数(製品の輸出超過額を輸出入合計で割った比率)を基準としてアジア各国の発展段階を調べている。この分析では、日本、およびシンガポールが現在、成熟した工業国段階に達しているのに対し、韓国、台湾、香港が成熟NIEの段階に達している。

 第6章(Deepening intra-regional interdependence)はアジア経済の域内交易の高まりと、対アメリカ貿易の重要性低下を分析している。まず簡単な統計に基づいてアジアの域内交易の重要性が1980年代を通じて序々に上昇してきたことを指摘した後、その結果としてアジア地域(ASEANとNIEs)の実質経済成長率とアメリカのそれとの相関関係が80年代後半に有意に低下したことを明らかにしている。また日本とアジア諸国、とりわけNIEsとの相互依存的関係の高まりが強調されている。この関係は為賛レートの変動を媒介として次のように説明されている。円レートの増価は第3章で示したように、NIEsの製品の国際競争力を高め、それらの国の輸出を増加させる。一方、NIEsが輸出を拡大するためには、日本からの資本財や中間財の輸入を増加させなければならない。かくして、円レートの上昇(下落)とNIEsの輸出拡大(縮小)、日本からNIEsへの輸出拡大(縮小)という相互連関が生み出されたというわけである。アメリカ、ヨーロッパなど他の地域への日本の輸出は円レートの上昇とともに縮小する傾向を示すので、円高にともなうNIEsへの輸出拡大は日本にとって輸出のビルトイン・サタビライザーの役割を担っていると主張されている。

 第7章(Expansion of new frontiers)はアジア経済圏のニュー・フロンティアとして、中国、その他の旧社会主義諸国経済の位置を分析している。まず中国、ヴェトナム、北朝鮮の経済開放政策の推移を簡単に展望し、次いでこれらの国々と他のアジア諸国との間の補完的関係の高まりが強調されている。この補完関係を経済発展戦略に利用しようとする試みが「南中国経済圏」、「東北アジア経済圏」、「拡大ASEAN」などの経済圏の形成であると説明されている。経済分析として興味深い点は、中国との経済関係の深化が香港経済に与えるインパクトに関する分析である。中国の開放政策の進展とともに、香港から中国への資本移動が急増する。その結果、香港における製造業製品を中心とする交易財の生産が縮小し、非交易財の生産が増加しなければならない。これは工業生産の空洞化(de-industrialization)である。一方、固定為替レート制度を採用している香港にとって、交易財の価格が外貨建てで外生的に与えられているので、非交易財生産の拡大を実現するためには、非交易財の国内価格を上昇させる必要がある。これは国内インフレをもたらす。つまり中国の市場経済化の進展は、香港の工業部門の空洞化と慢性的なインフレの危険をもたらしているのである。インフレを回避するために、香港は伸縮的な為替レート制を採用する必要がある。

 第8章(The Asian economies in the 1990s)はアジア経済の今後に関する中期的な予測を行っている。アジア地域が今後も高い成長率を維持するための前提条件として、世界経済の安定的成長、アジア地域の政治的安定、各国国内の構造的政策調整(産業インフラ整備、所得格差の是正、労働条件の改善など)の成功を挙げた後、アジア地域をNIEs、ASEAN、中国の3地域に分け、これらの地域の1990年代に予想される成長率を代替的なシナリオの下で予測している。シナリオ分析は、それなりの面白さを持っているが、経済分析の側面が希薄であるのでここでは、立ち入った紹介は割愛する。

 最終章の第9章(Formation of a yen bloc)は、アジア地域において円ブロック形成の可能性を巡る経済的分析である。円通貨圏の可能性を国際通貨に関する伝統的な理論に即して展望している。関氏によれば、これらの伝統的理論は通貨圏を構成するべきアジア諸国にとって、円との連関を深める誘因があるかどうかという視点を無視している。この問題点を踏まえて、アジア経済の相互連関の高まり、特にNIEsの貿易構造が急速に日本のそれに類似するようになるとともに、それらの国々にとって自国通貨と円との連動性を高めるメリットが高まっている(第4章の分析結果を参照)と主張されている。またミクロ的視点からも、アジア諸国の生産者にとって円と自国通貨の交換比率の安定化から大きな便益を得られると判断されている。以上の分析から関氏は、円が従来に増して国際通貨としての重要性をアジア地域において高めるであろうと予想している。

提出論文の評価

 以上が、関志雄氏によって提出された博士論文の要約である。この論文のメリットとしては、現実の日本と東アジア東南アジアとの経済的・金融的連関の変容を非常に鮮明に捉えている点を挙げることが出来よう。とくに日本円レートの変動がアジア経済に及ぼす影響に関して、いわゆるNIEsとASEAN諸国に対称的なインパクトを与えていることを指摘している分析(第3章)は、関論文の非常に興味深く、かつ重要な貢献である。アジア経済圏における国際通貨としての円の役割に関しても、円を利用するアジア各国の立場に視点をおいて分析している点は重要である。

 一方、デメリットとしては、各章を構成する理論的あるいは実証的分析に、やや深みを欠いている点を指摘できる。円・ドル為替レートを中心とする為替レート変動がアジア経済に及ぼすインパクトや、円を基軸とする経済圏の形成に関する見通し等について、この論文は興味深く、しかもバランスのとれた見方を提示しているが、その見方をサポートするより厳密な分析については、少々物足りないという感じを読者に与える。為替レートの変動、あるいは交易条件の変化が実物部門へ及ぼす影響に関する分析(第3章)、経済発展が貿易構造の変化を規定するありさまに関する理論分析(第5章)などは、出来合いの単純なモデルを巧みに利用していると言えるが、しかし分析の幅が限定されており、そこで得られている結論の一般性については疑問の余地が残されている。

 またアジアにおける円通貨圏の形成の可能性に関する分析では、交易条件の変化が実物経済に与える攪乱を重視する一方で、金融的攪乱の可能性や、各国の金融政策運営の在り方については、十分な注意を払っていない点も関論文の限界であろう。たとえば、EMSの形成の背景として、ドイツ以外の各国の金融当局が自国通貨とドイツ・マルクの連動性を高めることによって、自国民からの信認を獲得しようとする動機が存在していたと考えられるが、関論文においては、このような側面は全く考慮されていない。

 以上述べたように、関氏の理論的分析には多少物足りない面を否めないが、しかし近年のアジア経済の急速な発展と日本経済とのかかわりについて、非常に明確な問題意識をもって取り組んでおり、その実践的接近方法は十分高い意義を認められる。以上の評価を踏まえて、関志雄が提出した博士論文は、博士(経済学)の学位に値するものと認められる。

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