本研究は精神分病裂の病態仮説のひとつである神経発達障害仮説に基づいて、中枢神経系の発達に重要な役割を果たす神経栄養因子のひとつであるニューロトロフィン3遺伝子を取り上げ、その遺伝子の多型を検索し、さらに発見した多型を用いた分裂病の関連研究である.すでに見い出しているニューロトロフィン3遺伝子の2塩基繰返し配列多型のアリルA3と精神分裂病との関連を示唆した先行の関連研究をさらに進めたものであり、以下の結果を得ている. 1.現在までに報告されているニューロトロフィン3遺伝子のアミノ酸コード領域とプロモーター領域のAP-1タンパク結合部位及びTATAボックスを含む領域のDNA塩基配列の解析の結果、アミノ酸コード領域に3つの多型を検出した. 多型のひとつはマイナス63番目のグリシンのコドンの第2番目の塩基G(GGG)がA(GAG)にかわり、グリシンがグルタミン酸に変化するミスセンス変異であった(Gly-63→Glu-63).変異2はマイナス55番目のプロリンのコドンの第3番目の塩基AがGに変化したサイレント変異であった(CCA→CCG).変異3は65番目のアスパラギンの第3番目の塩基CがTになったサイレント変異であった(AAC→AAT). 2.検出した3つの変異について健常対照群の遺伝子型の頻度(日本人集団での頻度)を決定し、多型情報量(PIC)やヘテロ接合率を算出した. 3.それらの変異について分裂病群(158名)と健常対照群(101名)の間のアリルの頻度と遺伝子型の頻度を比較検討した結果、いずれの変異についても分裂病群全体としては両群の間で有意差はなかった. 4.遺伝様式が不明で異種性が示唆されるなどの特徴を持つ精神分裂病においては、神経発達障害仮説は重症分裂病の病因をある程度説明できるので、患者群を早期発症(≦25歳)、罹病期間10年以上の重症分裂病群(61名)に限ることにより、変異Glu-63については統計的に有意の差があることが示され(P=0.004,X2=8.290,df=1)、変異型アリルGlu-63をもつひとの相対危険度はもたないひとに比べて 2.595倍であることが示された.(95% 信頼区間(CI)、1.356-4.966). 以上、本論文は精神分裂病の神経発達障害仮説に基づいて、分子遺伝学的手法を用いたはじめての関連研究である.候補遺伝子として取り上げたニューロトロフィン3遺伝子の多型を検出し、それらの多型の日本人集団での頻度を確定した.検出したいずれの多型もアミノ酸コード領域に存在し、そのひとつはアミノ酸が変化するミスセンス変異であることなどから、精神科領域のみならず、他の領域においても分子遺伝学研究の重要なDNAマーカーとして価値を持つと考えられる.さらに、それらの多型と精神分裂病との関連を検討し、神経発達障害仮説のより適合する重症分裂病群で有意の差を得ている.本研究は近年、急速に進歩した分子遺伝学的手法を精神科領域の研究へ適用することにより、難病のひとつと考えられている精神分裂病の病因遺伝子の究明に示唆を与えると考えられ、学位の授与に値すると考えられる. |