はじめに 子宮頸癌は今日までの臨床的並びに病理組織学的研究より前癌病変としての異形成(dysplasia)及び上皮内癌(carcinoma in situ,CIS)を経て発生すると考えられており、ヒト癌の中では発生過程の解析が比較的すすんでいる癌の一つである。Human papillomavirus(HPV)感染では一般に、ヒトの角化細胞が標的細胞となっている。 HPVはヒトの角化上皮で分裂能のある基底細胞に感染し、基底細胞の分裂を促進する。そして基底細胞が分裂して角化細胞に分化成熟していくにつれて、DNAの複製(replication)がおきるとされている。 HPV遺伝子は約7900塩基対の環状二本鎖よりなる。その遺伝子として初期領域(Early region,E1-E7)、後期領域(Late region,L1,L2)、そして調節領域または非転写領域(Non-coding region,NCR)と呼ばれる領域が存在する。 特にE6及びE7遺伝子は細胞のトランスフォーメーションに必要であることが分かり、これらは癌遺伝子として注目されている。 E6およびE7蛋白質は癌抑制遺伝子産物であるp53やpRBに各々結合し、これらの癌抑制遺伝子蛋白を量的に減少させることが明らかにされた. E6及びE7はHPVの癌化の各ステップで広く機能していることが多くの研究より示唆されている. 本研究の目的は、異形成および子宮頸癌におけるHPV DNA、pgs(papillomavirus genus specific common antigen)、HPV E6,E7,及びp53の発現をin situ hybridization(ISH)および免疫組織化学的染色にて検索することによって、子宮頸癌の発生と進展におけるウイルス関連因子の関与を病理組織標本上に明らかにすることにある。とりわけ、各因子が発現している細胞の病変全体に於ける局在及び相互の位置関係を明らかにし、また長期にわたる臨床的予後を含めて検討する中で発癌を論ずることに主眼をおいた。 症例と方法 症例:東京大学医学部付属病院病理部で扱われた1986年から1993年までの子宮頚部病変の生検材料および手術材料119例、またそのうち62例を経過観察症例として検索対象とした。病理組織学的診断(確定診断)はWHO子宮頸癌組織分類にもとずいた。119例の内訳は、慢性頸管炎32例、軽度異形成2例、中等度異形成23例、高度異形成12例、上皮内癌(CIS)18例、扁平上皮癌21例、腺癌11例であった。 これらのうち62例は臨床的経過観察結果もふくめて検討した。これらの経過観察症例は1986年から1993年の間、3-6ヶ月毎に外来にて追跡された(最高68ヶ月間)。 そのうち20症例には子宮摘出術が施行された。方法:症例の組織学的診断はHE染色標本によったが、119例の生検材料及びそのうちの62例の経過観察症例にはin situ hybridization法により、HPV DNAを検索し、また免疫組織化学的染色によりpgsを検索した。 さらに経過観察症例のうち36例には、HPV E6,E7及びp53の発現の検索を免疫組織化学的染色により行なった。 経過観察症例は、組織学的な初回診断及び最終診断により、軽快群と非軽快群に分類した。 軽快群とは初回診断が軽度異形成ないし中等度異形成で、最終診断が慢性頸管炎ないし軽度異形成となった症例である。 非軽快群とは時間の経過とともに異型の増している群で、初回診断が慢性頸管炎ないし高度異形成で、最終診断が軽度異形成ないし上皮内癌および浸潤癌となった症例の群とし、また初回診断と最終診断が不変のものも非軽快群とした。また非軽快群において追跡した最大期間をその症例の病変の進行期間とした。 In situ hybridization: 市販の染色キット(Patho Gene,Enzo Diagnostic Inc.,U.S.A.)を使用した。 本キットのプローブには、ニックトランスレーション法により ピオチン標識された3種類のHPV DNA(1.HPV 6&11型,2.HPV 16&18型,3.HPV 31&33&51型)の混合プローブが使用されている. 免疫組織化学的染色: 119症例についてはHPVの多くの型をはじめ広く動物のパピローマウイルス抗原と反応するpapillomavirus genus specific common antigen(pgs 抗原)(DAKO papilloma virus,DAKO cooporation,U.S.A.)を用いて検索を行なった。 経過観察症例については、さらにHPV E6,HPV E7及びp53の発現の検討を加えた。 p53抗体はCD-7(Monoclonal antibody,CD7,Immunotech U.S.A.)を使用した。またHPV16,18型のE6領域の産生蛋白を認識する抗体HPV E6(Human papillomavirus types 16 and 18 early protein,E6,Santa Cruz Biotechnology,Inc.),HPV16型のE7領域の産生蛋白を認識する抗体HPV E7(Human papillomavirus type 16 early protein E7,Santa CruzBiotechnology,Inc.)を使用し、E6,E7の発現を検索した。 染色には市販されている染色キット(DAKO LSAB Kit,Peroxidase,DAKO cooperation,U.S.A.)を使用した。 結果 119例の平均年齢は43才であった。 30歳から49歳の間に最も高い感染率がみられた。 HPV陽性率は病変別にみると高度異形成において最も高く、浸潤癌において最も低かった。 更にHPV型別にみると高度異形成においてHPV16/18の陽性率が最も高く(33.3%=4/12)、HPV31/33/51の陽性率は低かった(8.3%=1/12)。 一方扁平上皮癌においてはHPV16/18の陽性率は4.8%(=1/21)で,HPV31/33/51のそれは9.5%(=2/21)であった. pgs陽性例を検討すると、HPV陽性20例中8例が陽性であった。病変別では慢性頸管炎、軽度異型成、高度異型成及びCISにおいてもpgs陽性例が見られるが、浸潤癌においては陽性例は見られなかった。 HPV型別にみると、HPV16/18陽性例においてpgs陽性のものが多く(7/14=50.0%),HPV31/33/51陽性例ではすべてpgs陰性であった(0/5=0%)。 経過観察症例においては62症例についてはISHの結果による検討を行なった。 軽快群は17例、非軽快群は45例であった。 HPV陰性率は、軽快群は52.9%(=9/17)、非軽快群は57.8%(=26/45)と有意差は見られなかった( 2独立検定)。 HPV陽性率も両群において有意差は見られなかった。 HPVの型別に陽性率をみると、非軽快群におけるHPV16/18陽性率が31.3%(=14/45)で最も高かった。 更に62症例のうち36症例は、HPV E6,HPV E7,及びp53の免疫組織化学的染色を行ない検討した。 軽快群は15例で非軽快群は21例であった。 HPV陽性率は軽快群では46.7%(=7/15)、非軽快群で52.4%(=11/21)で有意差はみられなかった(Fisher法の 2検定)。 p53陽性率は軽快群は0%(=0/15)で、非軽快群は9.5%(=2/21)と、非軽快群においてのみ陽性例が見られた。 HPV E6,E7陽性率は、HPV16/18陽性例においてそれぞれ12.5%(=1/8),50.0%(=4/8)で、HPV陽性例におけるE7の陽性率は比較的高かった。 また軽快群、非軽快群におけるE7の陽性率には有意差は見られなかった。 E6は非軽快群に於て検出されたのみであった。 またHPV及びp53の関係を見ると、HPV陽性例にはp53陽性例はみられなかった。 HPV陰性例にのみp53陽性例が見られ、その2例ともに非軽快群であった。 HPV,p53両者がともに陰性の例は軽快群で53.3%(=8/15),非軽快群で38.1%(=8/21)と有意差は見られなかった。 非軽快群におけるHPVとp53の出現の有無による経過観察期間をみると、HPV16/18陽性例は病変の進行期間にばらつきが見られ、HPV31/33/51 陽性例は4例がすべて2年以内に病変の進行が見られた。 またp53陽性例は2例ともに2年以内に進行が見られた。HPVとp53の両者が陰性の8例中4例に1年以内に病変の進行が見られた。 また経過観察中においてHPVDNA,HPV E6,E7及びp53の検出回数をみた。非軽快群において、異型が増し手術に至った症例群の経過中のHPV DNAの検出回数が最も多かった。異型の増加が見られない群における経過中のHPV DNA検出回数は低かった。 p53は初回検出後は持続して検出される傾向が見られた。 考察 本研究では子宮頸癌と関連深いHPV DNA及びpgsと、HPV E6,E7遺伝子産物及びp53癌抑制遺伝子産物をin situ hybridization及び、免疫組織化学的染色にて検討した。 HPV陽性率は高度異型成例にて最も高く、CIS及び浸潤癌例では低い。 特に高度異形成とCISのHPV陽性率には大きな差が見られた。 HPV16/18陽性率が中等度異形成及び高度異形成において最も高く、ISH法の結果とも強い関係のあることが示唆された。 pgsは、表層のコイロサイトに一致した細胞核にみられ、またpgs陽性例の多くはHPV16/18陽性例であり、HPV31/33/51陽性例にpgs陽性例はみられず、今後検討する必要があると思われた。 経過観察症例において、HPV陽性率、陰性率は軽快群、非軽快群の間で有意差はみられず、HPV感染の有無による癌化危険率はISHのみの検出方法では有意差はみられなかった。 HPV E6,E7の陽性率はHPV DNA陽性率より低く、HPV E6,E7の検出率は低かった。 とくにHPV E6の陽性率は低く、これはHPV E6産生蛋白がp53と結合する結果、両者の分解が早まることによるものであると思われた。 子宮頸部病変におけるp53陽性率は非常に低いものであり、これまでの報告に一致する結果であった。 p53陽性例は2例ともにHPV陰性例であり、両者が同時に陽性である例は少ないと考えられる。 p53陽性例は2例ともに非軽快群にみられ、mutant-p53の悪性化への関与が強く示唆された。 経過観察期間を検討するとHPV16/18陽性例は病変の進行期間にばらつきがみられ、癌化危険率はHPV16/18が高いといわれているが、HPV31/33/51陽性例に病変の進行期間の短いものが多く見られた。 p53陽性例は2例とも2年以内という比較的短期間に病変の進行がみられた。 以上より、HPV31/33/51陽性例及びp53陽性例は病変の進行が見られる場合は比較的短い期間に異型の増加がみられる可能性が高いことが示された。 経過観察例においては持続的にHPV感染が見られる例が手術に至る例は有意に多く見られ、HPV DNA量の増加と持続感染は有意に危険因子であることを示すことはできたと思われる。 本研究では、未解決の点も残されたが、組織標本上に所見を求めていくという視点による異常の局在の追求及び臨床的経過観察の検討は、癌の発生と進展に関する研究には重要な手法であることを示すことが出来たと思われる。 |