学位論文要旨



No 212706
著者(漢字) 松嶋,成志
著者(英字)
著者(カナ) マツシマ,マサシ
標題(和) トリプシノーゲンの生理的活性化酵素、エンテロペプチダーゼの構造について
標題(洋)
報告番号 212706
報告番号 乙12706
学位授与日 1996.02.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12706号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大原,毅
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 助教授 菅野,健太郎
 東京大学 助教授 久保田,俊一郎
 東京大学 助教授 名川,弘一
内容要旨

 エンテロペプチダーゼ(EC 3.4.21.9)は十二指腸粘膜に局在する、生理的には唯一のトリプシノーゲンの活性化酵素である。活性化されたトリプシンが他の膵酵素前駆体を活性化するため、本酵素は腸管内消化酵素系におけるkey enzymeであると考えられている。実際、本酵素の先天的欠損症では、消化吸収及び成長障害がみられるが、膵酵素製剤投与により劇的改善が認められることが報告されている。

 本酵素の生理的重要性のため、これまでにも多くの精製、特性に関する報告が見られる。これらの報告によれば、本酵素はトリプシン型のセリンプロテアーゼに属し、厳密な基質特異性、即ち、ウシトリプシノーゲンアミノ末端(Val-Asp-Asp-Asp-Asp-Lys-)の如く、P1サイトに塩基性アミノ酸残基を、P2〜P5サイトに酸性アミノ酸残基を要求する特殊な基質特異性が特徴的であるという。しかしながら、本酵素の構造についての知見は未だ不明確、ないし不足していると考えられる。分子量は種により異なり15万〜30万、構成鎖数はウシ、ブタでは二鎖、ヒトでは三鎖、触媒鎖はいずれも分子量の小さいL鎖と報告されているが確定しているとは言い難い。この不明確さの理由の多くの部分は、一次構造情報の欠如に帰せられるといえよう。

 一方、本酵素の医学的側面からの研究として、生理的条件下における消化酵素活性化の調節・制御、十二指腸粘膜への局在及び十二指腸粘膜の発生・分化との関連、発現・活性制御の機構、腸上皮化生粘膜・消化管癌組織における発現、先天的欠損症の発症のメカニズム、膵炎・術後逆流性食道炎等の病態に果たす役割といったテーマが容易に発想される。しかしながら、実際にはこれらの研究の成果はほとんど得られていない。この理由としては、一次構造情報の欠如のため、近年の研究手段として不可欠であると考えられる遺伝子工学的手法を十分に活用できていないことが、やはり、その多くを占めているものと考えられる。

 以上より、生理的にも重要な役割を果たしている本酵素の今後の研究の発展のため、一次構造の解明が不可欠と考え、精製、各鎖のアミノ末端アミノ酸配列の決定、cDNAクローニングを行うこととした。また、得られた触媒鎖アミノ酸配列から、コンピュータ・モデリングの手法を用いて三次構造を推定し、本酵素の特徴的な基質特異性の説明を試みた。尚、本研究中、1994年にLaVallieらによりウシ酵素の軽鎖のみ、部分的な一次構造が発表されている。

 Liepnieks and Lightの報告した精製法を改変し、ブタ十二指腸40頭分を材料として0.42mgの精製酵素を得た(収率6.4%、精製度729倍)。ゲル濾過により分子量は約20万と推定された。SDS-PAGEによる分析を行ったところ、還元状態では従来報告されていた二鎖と思われる、分子量152KのH鎖、48KのL鎖に加え、16-19Kのバンドの集合(M鎖と命名した)が新たに観察された。非還元状態では、M鎖は変化ないが、H鎖、L鎖は消失し、(H+L)鎖と考えられる分子量約200Kのバンドがみられた。以上の結果から、本酵素は、従来報告されていた、共有結合にて結合しているH鎖、L鎖の二鎖構造でなく、非共有結合にて結合しているM鎖を加えた三鎖構造をとるものと考えられた。

 SDS-PAGE後、各バンドをPVDF膜に電気的に転写し、各鎖のアミノ末端アミノ酸配列解析を行った。H鎖はSVIVIFDLLFAQWVSDENIKEELIQGIEA(29残基)、L鎖はIVGGXDSREGAXPXVVALYYNGQLLXGASLV(31残基)との結果が得られた。M鎖については主な三本のバンドについて解析を行ったが、全てLGKSHEARGTMKITXGVTYNPNL(23残基)と同一配列であった。アミノ酸配列解析時のH,L,M各鎖のフェニルチオヒダントイン(PTH)アミノ酸誘導体のモル比は、平均して、約1:0.6:0.7となった。転写等に伴う各鎖の収率、分析手法上の誘導体収率のばらつきを考慮すれば、この三鎖は、精製酵素あたり等モル量存在しているものと考えられる。

 次に、上述の配列情報をもとにcDNAクローニングを試みた。H鎖配列の一部(Phe10〜Ile27)をもとに53塩基のオリゴヌクレオチドブローブ(イノシン16塩基を含む)を合成した。はじめに、プタ十二指腸粘膜由来のランダムブライマーを用いて合成したcDNAライブラリーを、上記プローブでスクリーニングを行い、部分クローンを得た。次にこの部分クローンをプローブとして、オリゴdTブライマーにて合成したcDNAライブラリーをスクリーニングすることにより、全長と考えられるクローン(EK-2)を得た。EK-2は全長3597塩基対、第3559塩基にポリA付加シグナル、3’端にポリAを有していた。最初のATGコドンは、Kozakによる真核生物の開始コドンの条件を満たしており、このコドンより始まる3102塩基対のオープン・リーディング・フレーム、および、1034残基の推定アミノ酸配列が得られた。推定アミノ酸配列の疎水性分析の結果、第19〜43残基に唯一の疎水性領域を認めたことより、本酵素前駆体においては、この疎水性領域がいわゆるinternal signal sequenceの役割を果たし、この部位を介して膜結合しているものと考えられた。精製蛋白内にはこの疎水性領域は含まれておらず、腸管内への遊離ないし抽出、精製の過程でM鎖との間で切断されるものと推定された。この切断される配列は-Ala-Ala-Leu-であり、膵から大量に分泌されるエラスターゼの基質特異性と一致していた。

 M,H,L各鎖のアミノ末端配列は、各々第52、118、800残基からの配列と一致した。従って、本酵素は単一の前駆体(計算分子量114,763)として合成されるものと考えられた。各鎖のカルポキシル末端側にさらにプロセシングが起こらないものとすると、M,H,L各鎖は、各々、66,682,235残基を含み、計算分子量は7.5K,75.4K,26.4Kとなる。SDS-PAGEにより求められた分子量よりいずれもかなり小さいことから、各鎖は糖修飾を受けている可能性が高いと考えられる。実際、アスパラギン結合型糖鎖付加可能部位も、各々、1,17,4ヶ所、有していた。

 H鎖については、いくつかの特徴のある領域が認められる。アミノ末端近傍、第172〜187残基の領域には、セリン、スレオニンがクラスターを形成しており、16残基中12残基を占めている。機能としては、金属イオンの配位、ムチン型糖鎖の結合などが考えられるが、現在の所、裏付けとなる実験データはない。ホモロジー検索の結果、限定されたいくつかの領域に他の蛋白とのホモロジーをみた。第195〜236残基、第654〜692残基の2領域は相互にホモロジーを有し、補体C9、LDL受容体等の一部とホモロジーが認められた。さらに、第240〜353残基、第539〜653残基の二領域にも相互にホモロジーが認められ、補体C1r、C1s等の一部とホモロジーが認められた。第772〜788残基については、第X因子、プロテインC等の二鎖構造をとるセリンプロテアーゼの非触媒鎖カルボキシル末端領域と緩やかなホモロジーがあり、特にシステイン残基についての保存性が高い傾向が認められた。

 L鎖については、他のセリンプロテアーゼ触媒鎖と高いホモロジーが認められた。特にヒトヘプシン、ヒト血漿カリクレインとは、40%を越える一致率をみた。

 以上の知見から、本酵素は特徴を持った複数の領域がタンデムに連なった、いわばモザイク様の構造をとる前駆体として合成され、糖鎖付加、プロテアーゼによる切断等の過程を経て成熟型となっていくものと考えられた。

 前述のように、L鎖は他のセリンプロテアーゼ触媒鎖と高いホモロジーを有している。このセリンプロテアーゼ触媒鎖については、共同研究者の梅山らが、キメラ参照蛋白を用いたコンピュータ・モデリングにより、三次構造モデルを作成する手法を発表している。今回我々は、この手法をエンテロペプチダーゼL鎖に適用し、三次構造モデルを作成した。本酵素の基質特異性の特徴は、P2〜P5サイトに酸性アミノ酸残基を要求する点である。従って、単純に考えれば、対応する部位に塩基性アミノ酸残基がクラスターを作って存在するであろうと推測できる。モデリングの結果、活性中心近傍にArg885-Arg-Arg-Lys888なる塩基性残基のクラスターが存在することが判明した。この塩基性残基クラスターは、他のセリンプロテアーゼの一次構造上の対応する部位に存在せず、エンテロペプチダーゼ特異的であった。さらに、エンテロペプチダニゼの基質であるトリプシノーゲンアミノ末端ペプチド、Val1-Asp-Asp-Asp-Asp-Lys6との結合モデルを作成したところ、Asp2:Arg1015、Asp3:Arg886、Asp5:Lys888の三つのイオン結合が生ずることが判明した。残るASP4については、このトリプシノーゲンアミノ末端ペプチドとトリプシノーゲン三次構造を重ね合わせるというラフなモデリングを行ったところ、トリプシノーゲンのLys176とイオン結合を作る可能性が示された。以上より、エンテロペプチダーゼの特殊な基質特異性が明快に説明された。

審査要旨

 本研究は腸管消化酵素系のいわばkey enzymeであると考えられる、エンテロペプチダーゼの一次構造を初めて明らかにし、触媒鎖高次構造モデルの作成を行い本酵素の特殊な基質特異性の説明を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.これまで報告されていた本酵素の精製法は、純度、収率、再現性等の点に問題があったため、精製法に改良を加えこれらの点を解決し、本研究の蛋白レベルでの構造解析を可能としたほか、以後の本酵素の蛋白レベルでの研究を容易にした。

 2.1.の精製法を用いて精製されたブタ十二指腸由来の本酵素は、これまで報告されていたような2鎖構造(H鎖、L鎖)ではなく、あらたにM鎖を加えた3鎖構造をとっていることが判明した。

 3.上記の3鎖のアミノ末端アミノ酸配列を決定し、この配列情報をもとにオリゴヌクレオチドプローブを作成した。ブタ十二指腸粘膜cDNAライブラリーを作成し、このプローブを用いてクローニングを行い、全長クローンを得た。

 4.本クローンの解析により、本酵素はM,H,L鎖の順にコードされており、M鎖の上流に精製酵素からは失われた膜貫通領域と思われる配列が存在した。従って、本酵素はこの部位で冊子縁膜に結合した2型の膜結合型酵素であると考えられ、この結合領域は自然の可溶化ないし精製の過程で切断され、精製酵素から失われたものと考えられた。

 5.H鎖中には、他の蛋白の一部と相同な配列が存在し、このうちには互いに相同な2配列2種が含まれていた。機能についてはいずれも推測の域を出ず、今後の研究が待たれる。また、L鎖は他のセリンプロテアーゼ触媒鎖と相同な配列であった。

 6.L鎖配列より、キメラ参照蛋白を用いる手法にて、高次構造モデルを作成した。本モデルの解析により、本酵素の特殊で厳密な基質特異性(S1位に塩基性アミノ酸残基、S2-5位に酸性アミノ酸残基を要求)が明快に説明された。

 以上、本論文は腸管消化酵素系のkey enzymeともいうべき、生理的なトリプシノーゲンの活性化酵素である、エンテロペプチダーゼについて、初めて全一次構造を明らかにしたものであり、また、触媒鎖高次構造モデルの作成により、本酵素の特殊な基質特異性の説明にも成功している。腸管酵素消化系については、その発現、調節機構に関する研究は未だ発展途上にあるが、key enzymeともいうべき本酵素のcDNAが得られ、構造も解明されたことにより、これらの研究に大きく寄与していくものと考えられる。

 また、本酵素は、本酵素欠損症は勿論、膵炎、胃切除後食道炎等の病態にも関係があるものと考えられている。これらの病態の研究には、本酵素の一次構造は勿論、必要であるが、触媒鎖高次構造モデルの作成は特に本酵素の特異的阻害剤の開発とその応用に有用であると考えられた。

 以上より、本研究は腸管酵素消化系の解明および膵炎、胃切除後膵炎、本酵素欠損症等の病態のメカニズムの解明と治療に重要な貢献ををなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50980