学位論文要旨



No 212713
著者(漢字) 元永,拓郎
著者(英字) Motonaga,Takuro
著者(カナ) モトナガ,タクロウ
標題(和) 大学受験予備校生の不安と抑うつ : その学業成績との関連
標題(洋) Anxiety and Mild Depressive State Related to Academic Performance in Students of Preparatory School for University
報告番号 212713
報告番号 乙12713
学位授与日 1996.02.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第12713号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松下,正明
 東京大学 教授 末松,弘行
 東京大学 教授 川田,智恵子
 東京大学 助教授 関根,義夫
 東京大学 助教授 中安,信夫
内容要旨 はじめに

 試験による大学入学者選抜制度は、世界各国で様々な問題点が指摘されている。特に、日本においては、より権威ある大学に入学することが人生の成功であると考えられがちで、大学入学試験を巡る競争は特に過酷であると指摘されてきた。その厳しい受験戦争を乗り切るために、高等学校卒業後も大学入学試験の準備のために勉強し続ける生徒が大量に存在し、彼らは「大学受験浪人生」(以下、「浪人」と略す)と呼ばれる。また、彼らが浪人している時期に、大学入学試験対策の教育を専門に受けるために在籍する学校が、「大学受験予備校」である。その予備校に在籍する生徒は「予備校生」と呼ばれている。

 世界の中でもユニークな存在である日本の予備校生の精神衛生状態については、過去にいくつかの研究があり、その精神衛生上の問題が指摘されている。しかし、予備校生にとって非常に重要である学業成績との関連が検討されたことはなかった。筆者は、1987年より、日本において伝統があり、かつ有名な某予備校の精神衛生サービスに関わっている。その個別カウンセリングの経験でも、学業成績の話題が予備校生の精神衛生状態を理解する上で重要であることが多かった。

 そこで本研究では、予備校生の精神衛生状態と学業成績との関連について検討する。また、受験生にとって最も重要となる翌春の大学受験合否状況との関連についても分析した。精神衛生状態の把握には、簡便で現場で利用しやすいように、Todai Health Index(以下、「THI」と略す)の簡略版であるTHI Short Version(以下、「THI-SV」と略す)を新規に作成し用いた。さらに、精神衛生カウンセリング利用者の利用前の精神衛生状態の分析を通して、カウンセリング利用を促進する要因を抽出し、今後の予備校での精神衛生活動のあり方に関する若干の検討を行った。また、個別カウンセリングを利用した生徒の事例検討を行い、上記統計分析の結果を吟味した。

対象と方法

 精神衛生状態の把握にはTHIを用い、加えて、属性、現在の勉学状況に関する質問項目を含めた調査票を作成した。調査票は、予備校開講後の時期(1992年4月24日:以下「Time A」と呼ぶ)と開講後5ヶ月たった時期(同年10月7日:以下「Time B」と呼ぶ)の2時点で実施した。対象は、学業成績の条件をそろえるために同一地区の私立文系大学志望コース在籍生(定員3000名)とした。学業成績には、それぞれの調査票実施日に最も近い模擬試験(以下、「模試」と略す)の結果を用いた。また、これらの模試も含めた計3回の同レベルの模試成績から成績変化の変数を作成し分析に用いた。調査票に有効回答し学業成績も得られた生徒は、Time Aで1,963名、Time Bで1,116名、Time AとTime Bの調査票両方に有効回答し、成績変化の変数が得られた生徒は、780名であった。

 THIの分析は、各尺度ごとの比較に加えて、「抑うつ感(depressiveness)」と「情緒不安定(mental instability)」の尺度に因子分析を行い、同一の因子を持つ項目を抽出した上で、THI-SV尺度を作成した。THIの「抑うつ感」尺度からは、「孤独感(loneliness)」「憂うつ感(melancholy)」、THIの「情緒不安定」尺度からは「神経過敏(sensitiveness)」「緊張(high tension)」のTHI-SV尺度が得られた。THI-SV尺度の信頼性は係数で確認したところ、0.6未満の尺度が1つのみあったが、これは尺度の項目数が少ないためと考えられるためほぼ充分と思われた。

結果と考察

 予備校生は、男女ともに「不定愁訴」「呼吸器」「生活不規則性」などの主に身体面に関する訴えが、Time A、Time Bの2時点とも同一年齢標準集団に比べて多かった(t-test,p<0.05)。また、「抑うつ感」や「情緒不安定」の尺度については、男子生徒に関してのみ、同一年齢標準集団と比較して訴えが多かった。男女とも「憂うつ感」が、Time AからTime Bへ向けて増加している(+0.65,paired t(779)=9.1,p<0.001)のに対して、「緊張感」は減少していた(-0.36,paired t(779)=-5.7,p<0.001)。

 男子生徒に関して、Time Aでは、学業成績が良い生徒ほど「孤独感」(F(2.1493)=6.0,p<0.01)や「神経過敏」(F(2,1493)=3.7,p<0.05)の訴えが多くみられたが、Time Bでは一転して、学業成績の悪い生徒ほど「憂うつ感」(F(2,830)=3.1,P<0.05)の訴えが多く、調査時期によって精神衛生状態と学業成績との関連に変化が生じていた。この結果は、調査2時点の調査対象集団が同一でないため、直ちに一般化できるものではないが、大学受験時期の精神衛生状態を検討する際には調査時期の影響を充分考慮すべきことを示唆している。

 Time Aにおいて、一日当たりの勉強時間が3時間を越える男子生徒については、「孤独感」「神経過敏」と学業成績との関連がみられたが、一日当たりの勉強時間が3時間以下の男子生徒では、精神衛生状態と学業成績との関連はみられなかった。つまり、開講後における精神衛生状態と成績との関連は、勉強への取り組みが真剣な生徒により表れる傾向があると言える。開講後、勉強への取り組みが真剣で成績の優秀な学生ほど、大学受験の失敗をより深刻に受けている可能性があり、それが精神衛生状態に悪影響を及ぼしている可能性が推察される。

 女子生徒は、男子生徒と同様に「不定愁訴」「呼吸器」「生活不規則性」の訴えは多かったが、精神衛生面に関連する尺度での訴えは標準集団と比較して有意な差はなかった。また、精神衛生状態と学業成績との関連は女子にはみられなかった。対象集団において、男子と比較し女子の学業成績は良く、女子は男子と比較しより成績のよい層のみが浪人を選択する状況にあると推察される。女子の成績は男子と比較してばらつきが小さく、そのため精神衛生状態と学業成績との関連も示されにくいのかもしれない。この点についてはさらに検討が必要となろう。

 成績変化との関連を男子生徒についてみると、「成績低下群」(偏差値が3以上低下した群)において、Time Aでの「憂うつ感」の訴えが有意に多かった(F(2,568)=3.7,P<0.05)。また、「志望校の明確度」の低い生徒は、有意に「憂うつ感」が高かった(t(569)=3.7,p<0.001)。「憂うつ感」が高まることで大学受験の目標があいまいになり成績に負の影響を及ぼしている可能性がある。また、翌年の大学受験ですべて不合格であった男子生徒は、既にTime Aにおいて、「憂うつ感」を有意に高く訴えていた(t(695)=2.1,p<0.05)。また、Time AのTHI-SV尺度や学業成績を基に、翌年の大学合否状況の大学判別分析を行うと、82.2%が正しく判別された。

 精神衛生力ウンセリングを受けた事例の検討でも、軽うつ状態が勉強への集中力を妨げ、成績が低下するケースが示された。また、成績が下がったことでさらに抑うつ的になり勉強が手につかなくなるといった悪循環も見受けられた。厳しい大学受験の状況の中での無理な勉強が精神的疲労を高め、軽うつ状態を呈しているようである。これは、開講5ヶ月後に「憂うつ感」が増加するとの分析結果とも合致する。

 精神衛生カウンセリング男子生徒利用者(n=21)は、Time Aの「孤独感」(t(1494)=2.8,p<0.01)「神経過敏」(t(1494)=2.5,p<0.05)「緊張感」(t(1494)=2.2,p<0.05)の各尺度で、来談しなかった男子生徒と比較して訴えが高かった。学業成績では「英語」と「国語」の成績が、カウンセリング非来談者と比べて来談者において高かった。「憂うつ感」は、他の訴えほど精神衛生カウンセリング利用を促進する要因ではないようである。「憂うつ感」は学業成績の低い生徒に高いとの結果も考慮すると、学業成績が低くTHI-SV尺度で把握される様な軽うつ状態を呈する男子生徒は、精神衛生サービスの重要な対象となると同時に、学業面も含めた精神衛生的関与が必要となろう。

 もちろん、この研究は一予備校を対象としたものである。しかし、この予備校は日本でも有名な伝統のある学校であることと、分析対象数も大きいことを考慮すると、得られた結果は日本の予備校生の状況をある程度反映しているといえよう。よって、THI-SV尺度は簡便でありながら、予備校生の精神衛生状態の把握と学業成績との関連を検討する上で有効であると同時に、浪人生への精神衛生サービスの対象を把握する上でも有用な実践的な尺度であると考えられる。

まとめ

 予備校生は、同一年齢標準集団と比較して、身体面での訴えが多かった。精神衛生画については、男性のみが訴えの多さが目立った。学業成績との関連では男子生徒のみにみられたが、開講後は学業成績の高い生徒に「孤独感」「神経過敏」などの訴えが多い一方で、開講5ヶ月後では学業成績の低い生徒に「憂うつ感」の訴えが多かった。「憂うつ感」は、学業成績変化や大学合格に負の影響を及ぼしている。一方、精神衛生カウンセリング利用者は、「孤独感」「神経過敏」「緊張感」の訴えが目立った。よって、「憂うつ感」が高い生徒が精神衛生サービスの重要な対象となり、勉学画のサポートも含めたサービスを行う必要があろう。また、学業成績との関連や精神衛生サービスの対象を把握する上でもTHI-SV尺度が有用であることが示唆された。

審査要旨

 本研究は、世界の中でもユニークな存在である日本の予備校生の精神衛生状態について、受験生にとって最も重要となる学業成績と翌春の大学受験合否状況との関連についても分析したものである。さらに、精神衛生カウンセリング利用者の利用前の精神衛生状態の分析を通して、カウンセリング利用を促進する要因の検討も行っている。精神衛生状態の把握には、Todai Health Index(以下、「THI」と略す)の簡略版であるTHI Short Version(以下、「THI-SV」と略す)を新規に作成し用い、以下の結果を得た。

 1.男子生徒に関して、4月開講後では、学業成績が良い生徒ほど「孤独感」(F(2,1493)=6.0,p<0.01)や「神経過敏」(F(2,1493)=3.7,p<0.05)の訴えが多くみられたが、開講5ヶ月後の夏休み明けでは一転して、学業成績の悪い生徒ほど「憂うつ感」(F(2,830)=3.1,p<0.05)の訴えが多く、調査時期によって精神衛生状態と学業成績との関連に変化が生じていた。この結果は、調査2時点の調査対象集団が同一でないため、直ちに一般化できるものではないが、大学受験時期の精神衛生状態には調査時期の影響が大きいことが示された。また、4月開講後は、一日当たりの勉強時間が3時間を越える男子生徒については、「孤独感」「神経過敏」と学業成績との関連がみられたが、一日当たりの勉強時間が3時間以下の男子生徒では、精神衛生状態と学業成績との関連はみられなかった。つまり、開講後における精神衛生状態と成績との関連は、勉強への取り組みが真剣な生徒により表れる傾向があると言える。開講後、勉強への取り組みが真剣で成績の優秀な学生ほど、大学受験の失敗をより深刻に受けている可能性があり、それが精神衛生状態に悪影響を及ぼしている可能性が推察される。

 2.成績変化との関連を男子生徒についてみると、「成績低下群」(偏差値が3以上低下した群)において、4月開講後での「憂うつ感」の訴えが有意に多かった(F(2,568)=3.7,p<0.05)。また、「志望校の明確度」の低い生徒は、有意に「憂うつ感」が高かった(t(569)=3.7,p<0.001)。「憂うつ感」が高まることで大学受験の目標があいまいになり成績に負の影響を及ぼしている可能性がある。また、翌年の大学受験ですべて不合格であった男子生徒は、既に4月開講後において、「憂うつ感」を有意に高く訴えていた(t(695)=2.1,p<0.05)。また、4月開講後のTHI-SV尺度や学業成績を基に、翌年の大学合否状況の大学判別分析を行うと、82.2%が正しく判別された。

 精神衛生カウンセリングを受けた事例の検討でも、軽うつ状態が勉強への集中力を妨げ、成績が低下するケースが示された。また、成績が下がったことでさらに抑うつ的になり勉強が手につかなくなるといった悪循環も見受けられた。厳しい大学受験の状況の中での無理な勉強が精神的疲労を高め、軽うつ状態を呈しているようである。これは、開講5ヶ月後に「憂うつ感」が増加するとの分析結果とも合致する。

 3.女子生徒は、男子生徒と同様に「不定愁訴」「呼吸器」「生活不規則性」の訴えは多かったが、精神衛生面に関連する尺度での訴えは標準集団と比較して有意な差はなかった。また、精神衛生状態と学業成績との関連は女子にはみられなかった。対象集団において、男子と比較し女子の学業成績は良く、女子は男子と比較しより成績のよい層のみが浪人を選択する状況にあると推察される。女子の成績は男子と比較してばらつきが小さく、そのため精神衛生状態と学業成績との関連も示されにくいのかもしれない。この点についてはさらに検討が必要となろう。

 4.精神衛生カウンセリング男子生徒利用者(n=21)は、4月開講後の「孤独感」 (t(1494)=2.8,p<0.01)「神経過敏」(t(1494)=2.5,p<0.05)「緊張感」(t(1494)=2.2,p<0.05)の各尺度で、来談しなかった男子生徒と比較して訴えが高かった。学業成績では「英語」と「国語」の成績が、カウンセリング非来談者と比べて来談者において高かった。「憂うつ感」は、他の訴えほど精神衛生カウンセリング利用を促進する要因ではないようである。「憂うつ感」は学業成績の低い生徒に高いとの結果も考慮すると、学業成績が低くTHI-SV尺度で把握される様な軽うつ状態を呈する男子生徒は、精神衛生サービスの重要な対象となると同時に、学業面も含めた精神衛生的関与が必要となろう。

 以上、予備校生の精神衛生状態と学業成績との関連が確認された。また、精神衛生状態は、学業成績変化や大学合格にも影響を及ぼしていることが示された。精神衛生状態の中には、カウンセリング利用を促進する要因とそうでない要因とがあるため、勉学面のサポートも含めた総合的なサービスの必要性が示唆された。これらの知見は、これまで検討されなかった部分の解明に寄与すると同時に、大学受験生に対する精神衛生的関与について大きな参考となるものである。よって本研究は、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50678