学位論文要旨



No 212715
著者(漢字) 大竹,臣哉
著者(英字)
著者(カナ) オオタケ,シンヤ
標題(和) 剥離渦のスピンダウンによる人工湧昇流に関する研究 : 水産のための湧昇流発生構造物の開発に向けて
標題(洋)
報告番号 212715
報告番号 乙12715
学位授与日 1996.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12715号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,良太
 東京大学 教授 中野,政詩
 東京大学 教授 二村,義八朗
 東京大学 教授 玉井,信行
 東京大学 助教授 島田,正志
内容要旨

 海洋における熱塩対流による深層大循環流の湧昇域,風成エクマン輸送の補償流としての湧昇域,地形変化による湧昇域は何れも生物生産力が大きく,かつ熱や物質の鉛直循環に寄与して地球環境変化の緩衝に大きく関わっている。

 近年,この自然機能を人工的に作出するための湧昇流発生構造物の開発が盛んになってきた。本研究は水産における人工湧昇流漁場造成技術の開発研究の一環として行ったもので,これは同時に開発における生態系環境の回復や創造技術に通じるものである。

 第1章では従来の研究と問題点について述べる。風成湧昇については海洋学における成果,エクマン輸送が風の進行方向に右(北半球)直角方向に起こるので沿岸を左手(南半球では右手)に見て風が長時間吹くと沖出しのエクマン輸送が起こり,その補償流として沿岸湧昇が起こることを世界の大風成湧昇域をあげて紹介し,地形性湧昇域については高橋らによる伊豆大島の後流域に渦状の湧昇域が生じ,ここではクロロフィルa(植物プランクトン指標)が増大していることが観測され,また鹿児島県国生曽根や山口県外海汐巻礁における湧昇流および北海道苫小牧沖の浚渫土砂マウンドにおける人工湧昇の発生などが観測され何れも好漁場となっていることを紹介した。

 湧昇流発生構造物は各種あるが原理的にはカルマン渦の発生によるもの,反方向渦対の自己推進力によるもの,水中構造物後流域の渦管の特性によるもの,霧吹き原理によるものなどがある。これらの研究手法は,歪みなしの水理模型における可視化実験で湧昇を観察し,定量化している。何れの実験でも縮尺率が非常に小さいので実海域との相似,特に粘性項の評価が必要である。

 第2章では本研究の経時的進展を述べる。本研究の発端は1978年科学技術庁による海域制御プロジェクト研究で山口県日本海側汐巻礁の調査研究に参加したことに始まる。汐巻礁は流れに直角に凹型の約4kmの双峰の礁で,礁間を越えた海域に強い湧昇流が起こっている。これは礁間の速い流れと礁背後の淀み域との圧力差の作り出す流軸方向に軸を持つ反方向渦対による湧昇として解析された。これを水槽実験で継続し,更により小型で湧昇効果の良い人工構造物を開発するために逆T型,逆Y型,I型,マウンド型その他について可視化実験を行った。実験ケースは構造物を水路全幅に置く2次元実験,一部に置く3次元実験や上下流に複列に置いた場合等についても行われ,結果的に逆T型2列配置が量も湧昇効果が大きいことが観察された。他方これらの現象が渦管を伴っていることから渦管の基本的性質を調べるために,剥離平面渦(z軸渦)の実験を行った。そして剥離渦のスピンダウンに伴って底層水を渦管底面より渦管内に吸い込み湧昇させていることを観察した。

 第3章では渦運動における相似則,特に粘性効果の考察を行った。規則渦について海洋学で地衡流近似の成り立つ渦では粘性は無視できるが,海底では底層境界層を扱う。境界層内の流れは摂動解として求められ,この流れは上向き成分を持ち,底層水を渦内に吸い込み,渦経が増大する解が得られている。すなわち非粘性であっても渦のスピンダウンは生じる。次に渦の不生不滅という有名なHelmholtzの渦定理は流体中の渦の持つ角運動量従って循環が保存されることを示し,これらのことは本研究における剥離渦を取りまく流体が非粘性流として扱えることを示唆している。次に不規則渦については非粘性として扱える慣性小領域の渦があり,これはKolmogorovの-5/3剰則に従う。以上を以下の章で理論と実験より検討することとした。

 第4章では人工岬に見立てた平板の下流側に生じる渦管列について,次のような解析と結果を得た。理論は第3章の示唆に従って,

 (1) 渦の生成は岬平板(構造物)表面の境界層内で行われる。

 (2) 剥離後の渦は角運動量(従って循環)を保存する。

 (3) 境界層内および剥離渦の渦度に比し一般流の渦度は省略できる(非粘性流体)として理論解を求め次の結果を得た。

 (4) 平板(岬)によって生成される剥離渦の強さ,空間スケールa(渦半径),時間スケールT(発生周期)を平板沿いに発達する境界層から理論的に導き,これを実験結果と対比して検証し,満足すべき結果を得た。

 (5) (4)で発生した剥離渦が流下に伴って渦径を増大しスピンダウンする。これから角運動量を保存して,エネルギーを計算すると余剰エネルギーを生じることが求められ,これが底層水の渦内の吸入湧昇に用いられるとして理論式を導き,吸入湧昇流量の実験値と対比し,よく一致していることを検証した。

 (6) (4)(5)における理論式は実験係数を含まない理論式でよく実験値を満足し,理論における(1)(2)(3)の条件は成り立つことを示した。

 第5章では海底に設置した衝立平板による湧昇流の解析を行った。湧昇流の発生機構について可視化実験から次のように考察する。

 (1) 衝立平板の後流域閉曲面は平板端縁から発生する渦管で覆われ,渦管の流下成長に伴い,底面境界層より閉曲面内の水を吸い出し,閉曲面内に圧力低下エネルギーが蓄積し,これが限界圧力低下に達すると,閉曲面が破れ爆発的にエネルギーが開放され湧昇流が起こる。複列衝立板の場合,下流側衝立によって爆発時に流向が上方に修正され湧昇効率が大となる。

 (2) (1)の現象を理論化する。第4章で求められた渦管の特性から衝立板後流域の圧力低下水頭hpを求め,これをパラメータとして湧昇高さH,湧昇量Vuを求めた。他方後流域内から渦管への吸い出し速度から,限界低下圧力水頭に達するまでの時間T(間欠的湧昇周期)を求める式を導きVu/Tとして平均湧昇速度を求め,以上の諸式を実験値と対比して理論の整合性を確かめ,また実験より実験係数を定めて実用式にまとめた。

 (3) 間欠的湧昇流の発生時の流速観測からエネルギースペクトル解析を行い,湧昇時の乱流が慣性小領域の渦であることを示す-5/3剰にほぼ近い傾き(両対数方眼上)であることが確認された。このことは湧昇の骨格構造は非粘性として記述され,その後周辺水と粘性による平均化が起こると考えられる。

 (4) 衝立の高さと幅のアスペクト比を変えて実験し,アスペクト比2(幅/高さ)の場合が最も湧昇流量が大きい。

 第6章では実用上の構造的補強を考えて衝立平板の両側に扶壁を取り付けた構造について実験した結果を述べた。実験結果は第5章で行った理論式と対比し,若干の式の変形で表現され,間欠的湧昇周期,湧昇高さ,湧昇量,平均湧昇速度に関する実用式を導き実験値と対比しほぼ満足すべき結果を得た。

 第7章では第6章で開発した扶壁付き湧昇流発生構造物の現地実験を述べた。これは水産庁の漁場造成新技術として,筆者のアイデアが採択されたもので,青森県今別地区における磯焼け対策,愛媛県日振島海域における湧昇流漁場造成パイロット事業として実施された。多くの項目の観測がなされたが,本研究と直接対比できる項目では,後流域の連続観測より求めたスペクトル解析におけるエネルギー卓越周期が本理論による湧昇流発生周期と一致していること,湧昇域乱流域のエネルギースペクトル分布が慣性小領域の渦であることなどあげられる。

 以上に本論文の要旨を述べた。本要旨第4章の(1)(2)(3)の取り扱いの妥当性,および第5章(3)の現象から規則渦,慣性小領域の渦に関する水理模型実験ではフルードの相似則が最も重要である。

 今,水産では広域漁場環境の造成技術として湧昇流発生構造物に着目している。本研究が水産資源の増殖に,漁業の安定生産に役立つことを期待する。

審査要旨

 海域において湧昇流の発生するところは,栄養塩が多く有光層にまで上昇し、生物生産が盛んになるといわれている。このため、湧昇流に関する研究の重要性が大きい。湧昇流は風成湧昇流と地形性湧昇流とに大別されるが、この研究は、この中で地形性湧昇流を取り上げ、水理学的に分析を加えたものである。

 第1章では、従来の湧昇流の研究を概観し、その問題点を検討する。地形性湧昇流では島や半島の後流域に湧昇流水域が生じていることが報告ざれ研究されている。しかし、その基礎となる統一的な理論を含む解析、またこれを人工的に発生させる研究等は未だ十分でない。第2章では、本研究の経緯および研究の方法が全般的に述べられる。第3章ではこの地形に起因する湧昇の現地における現象と室内における水理模型実験とを対比するための準備として、基礎的な相似則について考察している。

 第4章では、平面的な渦、すなわち、渦管の軸が鉛直になる渦の実験および理論解析がなされる。そのためにまず、この渦の特性を調べる実験を行った。実験水槽は長さが200cm、幅40cm、高さ30cmの流水水槽を用い、その中に岬に見立てて流れに直角方向に長さ15〜30cmの板を立て、その板の先端から渦を発生させ、その流下に伴う渦の変化現象を考察した。岬となる板の先端において、境界層が剥離して周期的に渦を生じさらに剥離渦が流下に伴って渦径を増大する(スピンダウンする)有り様が流れの可視化操作により観察された。これについてここでは、境界層の外側の流れはポテンシャル流であるとし、板の前面に発達した境界層厚さを半径とし、また、その外側の流れが板の先端を四分円弧を描いたところで渦が板を離れて独立する、という仮定をおくのが妥当であることを見出し、理論的に確認した。この理論解析部分では、剥離渦がスピンダウンするとき渦管は角運動量が保存されるがエネルギーは余剰を生じる、この余剰エネルギーが湧昇エネルギーに変換されることとした。さらに実験において、水路の中に上半分を着色した水で満たし、その希釈度合から湧昇量を推定し、理論値と一致することを示した。

 第5章においては、海底においた水面下の衝立状の平板についての検討を行う。これについて、各種の室内実験を行い、複列の平板がもっとも効率がよいことを見出し、とくにこれについて実験と理論解析を行った。一枚目の平板の後には、平板の縁辺から発生する渦管で覆われた閉領域が形成される。この閉領域の中の水は回りの渦管のスピンダウンによって吸い出され、閉領域は徐々に縮小し、それがまた急に拡大することを繰り返す。その急拡大が起こるときに、水を跳ねあげる形で湧昇流を発生させることを見出した。そして、その現象を湧昇エネルギーとして理論的に解析した。

 第6章では、実際に上で述べた衝立状のものを人工構造物として作り、海中に設置する場合を考慮して、平板の両端に扶壁をとりつけた形状のものについて実験を追加した。第5章で理論的に検討した場合と数値的にはあまり異ならず、若干の式の変形でよく表わしうることを見出している。

 第7章では、前章で述べた扶壁つきの衝立状構造物を現地に設置することが青森県今別地区、愛媛県日振島海域でのパイロット事業として行われたことにより、現地の実測による検証が行われている。実際の衝立の後流域での連続流速観測で得られた流れのスペクトル解析結果での卓越周期が本理論による湧昇流発生周期と一致し、また、湧昇流乱流域のスペクトル分布の減衰状況より渦が慣性小領域の渦であることが確認され、理論の実際との一致が確かめられた。

 以上、本研究は、実際に海域において生物生産の盛んな湧昇流領域の重要性に着目し、その基本的な水理学的な機構について明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50982