学位論文要旨



No 212716
著者(漢字) 飯郷,雅之
著者(英字)
著者(カナ) イイゴウ,マサユキ
標題(和) 魚類のメラトニンリズムに関する研究
標題(洋)
報告番号 212716
報告番号 乙12716
学位授与日 1996.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12716号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 会田,勝美
 東京大学 教授 伏谷,伸宏
 東京大学 助教授 森,裕司
 東京大学 助教授 小林,牧人
 東京大学 助教授 鈴木,譲
内容要旨

 メラトニン(N-acetyl-5-methoxytryptamine)はウシ松果体より単離されたインドール化合物である。脊椎動物の松果体や網膜におけるメラトニンの合成は,暗期に亢進,明期に抑制され,その結果,血中メラトニン濃度も同様の動態を示すことが報告されてきた。メラトニンはこの日周リズムゆえに環境の光周期に関する情報を伝達するホルモンであると考えられており,哺乳類においては,繁殖期の決定やサーカディアンリズムの同調に重要な役割を果たしていることが知られている。しかしながら,魚類におけるメラトニン動態やメラトニンによる情報伝達機構に関する知見は乏しく,基礎的な知見をさらに積み上げていかなければならない状況にある。そこで,本研究においては,魚類におけるメラトニン合成の調節機構からメラトニン受容体による情報伝達系までを一連のプロセスとしてとらえ,総合的に研究を行った。本研究の概要は以下の通りである。

1.各種魚類における血中メラトニン濃度の日周リズム

 魚類における血中メラトニン濃度が日周リズムを示すか否かを明らかにするために,ウグイ,オイカワ,ナマズ,サクラマス,ヒラメ,マダイ,カンパチ,ブリを用いて,明暗条件下における血中メラトニン濃度を測定した。その結果,どの種においても血中メラトニン濃度は暗期に高く,明期に低い日周リズムを示すことが判明した。また,サクラマスとマダイの血中メラトニン濃度におよぼす日長の影響について検討したところ,血中メラトニン濃度の高値持続時間は暗期の長さによって規定されることが明らかになった。これらの結果から,魚類の血中メラトニン濃度は魚種にかかわらず,暗期に高く,明期に低い日周リズムを示すことが明らかになった。

2.キンギョにおけるメラトニンリズム

 キンギョの血中,松果体および眼球内メラトニンの動態について比較検討した。まず,眼球にメラトニンが存在することを高速液体クロマトグラフィーとラジオイムノアッセイの組み合わせにより確認した。次に,明暗条件下における血中メラトニン濃度,松果体および眼球内メラトニン含量を測定したところ,三者とも暗期に高く,明期に低い日周リズムを示すことがわかった。続いて,眼球除去,松果体除去実験を行った結果,血中メラトニン濃度の日周リズムは松果体が作り出していることが確認された。さらに,血中メラトニン濃度と眼球内メラトニン含量の日周リズムにおよぼす日長の影響を検討したところ,キンギョにおいてもメラトニンの高値持続時間は短日条件下の方が長日条件下よりも長いことがわかった。最後に,暗期の開始時から明期を延長して持続性の,また,暗期開始5時間後より急性の光照射(300,1,500lx)を行いその影響について検討した。その結果,持続性光照射により血中メラトニン濃度の日周リズムは失われたが,眼球内メラトニン含量の日周リズムは300lx照射群では振幅が小さくなったものの存続した。一方,急性光照射時には,血中メラトニン濃度は照射開始後直ちに減少し.低い値を維持した。眼球内メラトニン含量は,300lx照射群においては変化を示さなかったが,1,500lx照射群においては照射開始1時間後になってはじめて減少した。急性光照射時の血中メラトニン濃度の経時変化より計算された血中メラトニンの半減期は,300lx照射群においては11.0分,1,500lx照射群においては16.8分であった。以上の結果から,キンギョの松果体と眼球におけるメラトニン合成は互いに独立していること,血中メラトニン濃度の日周リズムは松果体が作り出していること,松果体のメラトニンリズムの方が眼球よりも光感受性が高いことが明らかになった。

3.環境要因がメラトニンリズムにおよぼす影響

 環境要因がキンギョの血中メラトニン濃度の日周リズムにおよぼす影響について検討するために.季節,水温,および光周期の影響について調べた。まず,自然条件下で季節変化を調べたところ,明期の値は年間を通じて低かったが,暗期の値は季節変化を示し,6月,9月に高く,12月,3月に低い値を示すことが判明した。これらの変化は水温の変化と有意な相関を示したことから,実験的に水温が血中メラトニン濃度の日周リズムにおよぼす影響について,5,15,25℃と水温を変化させて調べた。その結果,光周期にかかわらず,暗期の血中メラトニン濃度は25℃>15℃>5℃の順になった。また,水温にかかわらず,血中メラトニン濃度の高値持続時間は暗期の長さによって規定されていることが判明した。これらの結果から,キンギョの血中メラトニン濃度の日周リズムは環境の光条件と水温の双方に影響を受けた季節変化を示すことが明らかになった。

4.生物時計によるメラトニンリズムの制御

 キンギョにおけるメラトニンリズムが生物時計による調節を受けているか否かを明らかにするため,恒常条件下でサーカディアンリズム(周期が約24時間の自由継続リズム)を示すかどうか調べた。キンギョにおける血中メラトニン濃度は,恒暗条件下では3日間サーカディアンリズムを示し,明暗条件下の暗期に相当する時刻に高い値を,明期に相当する時刻に低い値を示した。一方,眼球内メラトニン含量は2日間はサーカディアンリズムを示したが,3日目にはリズムは失われた。恒明条件下においては,血中メラトニン濃度は低い値を保ち,変化を示さなかったが,眼球内メラトニン含量は,恒暗条件下に比べて振幅は小さかったものの,サーカディアンリズムを示した。次に松果体の灌流培養を行ったところ,明暗条件下,および逆転した明暗条件下では,メラトニン分泌は暗期に高く,明期に低い日周リズムを示した。恒暗条件下では,周期が23.6ないし24.9時間のサーカディアンリズムを示したが,恒明条件下ではメラトニン分泌は抑制され,リズムは失われた。最後に培養時刻と光条件がキンギョ眼杯標本からのメラトニン分泌量と眼杯におけるメラトニン含量におよぼす影響を検討したところ,明期(1130hr)に眼杯標本を作成し,1200-1500hrの間培養した場合には,メラトニン放出量,メラトニン含量ともに明条件群と暗条件群の間に差は認められなかった。暗期に入る直前(1730hr)に眼杯標本を作成し,1800-2100hrの間培養した場合には,メラトニン放出量,メラトニン含量ともに,暗条件群のほうが明条件群よりも高い値を示した。また,これらの実験の明条件群,暗条件群それぞれにおいて,1800-2100hr培養群の方が,1200-1500hr培養群よりも高い値を示し,培養時刻が眼杯におけるメラトニン産生に影響をおよぼすことが判明した。これらの結果から,キンギョにおけるメラトニンリズムは環境要因のみならず内因性の生物時計による制御も受けていることが明らかになった。

5.メラトニン受容体の分布と性状

 メラトニンの作用機序を解明するために,キンギョのメラトニン受容体の分布と性状について検討した。メラトニン受容体の体内分布を2-[125I]iodomelatoninをリガンドとしたラジオレセプターアッセイにより検討したところ,脳,網膜に高い特異的結合を,脾臓に低い特異的結合を認めた。脳,網膜における特異的結合は,迅速,安定,可逆的,飽和可能であり,メラトニンに対して高い特異性を示した。親和性(Kd),結合部位数(Bmax)はそれぞれ,脳では27.2±1.4pM,10.99±0.36fmol/mg protein(n=6),網膜では61.9±5.7pM,6.52±0.79fmol/mg protein(n=9)であり,生理的なメラトニン受容体であると判定された。細胞内分布を調べたところ,脳では粗マイクロソーム分画(P3)>粗ミトコンドリア分画(P2)>粗核分画(P1),網膜ではP2>P3>P1の順であった。脳内分布を調べたところ,密度は視蓋-視床>視床下部>終脳>小脳>延髄の順であった。これらの結果から,メラトニンは脳内の様々な神経核や網膜に存在するメラトニン受容体に結合して作用している可能性が示唆された。特に視蓋に高密度にメラトニン受容体が分布することから,視覚情報の統合にメラトニンが重要な役割を果たしていると推察される。

6.脳内メラトニン受容体の調節機構

 メラトニン受容体の細胞内情報伝達系について明らかにする第一歩として,各種グアニンヌクレオチド類とカチオンを用いてG蛋白質と連関しているかどうか調べた。各種ヌクレオチド類はキンギョ脳内メラトニン受容体の特異的結合を用量依存的に減少させた。その効果はguanosine 5’-0-(3-thiotriphosphate)(GTPS)>GTP>GDP>GMP=ATP>cGMPの順であった。また,GTPS(10-6M)は,受容体からリガンドの解離を引き起こし,また,メラトニン受容体のKdを増加させ,Bmaxを減少させた。各種無機塩類の影響について調べたところ,NgCl2(5mM)は特異的結合を増加させたが,高濃度の各種無機塩類は特異的結合を用量依存的に減少させた。その効果はCaCl2>LiCl>MgCl2>NaCl>choline chloride=KClの順であった。MgCl2(5mM)の存在下ではKdは変化しなかったが,Bmaxは増加した。また,CaCl2(75mM),MgCl2(100mM),NaCl(200mM)の存在下においては,Kdは増加し,Bmaxは減少した。これらの結果から,キンギョ脳内メラトニン受容体はG蛋白質と共役していることが示された。

7.脳内メラトニン受容体の日周リズム

 メラトニンは明瞭な日周リズムを示すホルモンなので,受容体の側にも日周リズムが存在するのではないかと考え,キンギョ脳内メラトニン受容体の日周リズムとその調節機構について調べた。明暗条件下では,キンギョ脳内メラトニン受容体のBmaxは明期に高く,暗期に低い,血中メラトニン濃度と負の相関を持った日周リズムを示した。この結果から,メラトニン受容体のBmaxがメラトニンによりdown regulationを受けている可能性が示唆されたので,血中メラトニン濃度の日周リズムを消失させる松果体除去と恒明条件下での飼育を行い,その影響について検討した。その結果,松果体除去,恒明条件下での飼育のいずれによっても脳内メラトニン受容体の日周リズムは消失した。また,松果体除去と恒明条件下での飼育の効果は相加的ではなかった。これらの結果から,脳内メラトニン受容体の日周リズムは血中メラトニン濃度の日周リズムにより駆動されていると結論された。

8.肝膵臓におけるメラトニンの代謝

 魚類における血中メラトニンの代謝経路の一端について明らかにするために,メラトニンの代謝器官であると予測されるキンギョの肝膵臓を用いて外因性メラトニンの代謝をin vitroで調べた。その結果,メラトニンは酵素的に6-hydroxymelatoninに代謝されることが判明した。この代謝系は生体内のメラトニン量とその作用を調節する上で重要な役割を果たしていると推察される。

9.メラトニン投与法

 これまでに魚類に対するメラトニン投与は数多く行われてきたが,投与時のメラトニン動態については全く報告がない。そこで,腹腔内注射と経口投与によりメラトニンをキンギョに投与し,血中メラトニン濃度の経時変化を調べた。メラトニンを体重1kgあたり1mg腹腔内注射したところ,投与後直ちに血中メラトニン濃度は上昇し,1時間後に最大値(425.9±129.9ng/ml)を示した後,徐々に減少し,24時間後には投与前とほぼ同じ値に戻った。血中メラトニンの半減期は64.2分であった。また,メラトニン含有飼料を作成し,体重1kgあたり1mg経口投与したところ,投与1時間後に最大値(1607±599pg/ml)を示した後,徐々に減少し,6時間後には投与前とほぼ同じ値に戻った。これらの結果から,メラトニンは腹腔内注射のみならず経口的に投与することも可能であり,血中メラトニン濃度も上昇することが明らかにされた。今後,メラトニンの経口投与による魚類の生理機能制御技術が開発されることが期待される。

 以上,本研究においては,魚類におけるメラトニン合成の制御機構,メラトニン受容体による情報伝達機構,メラトニンの代謝系,ならびにメラトニン投与法などについて総合的に検討した。これらの結果は,魚類においてもメラトニンが,季節繁殖などの年周リズムや,遊泳活動,摂餌活動などの日周リズムの調節に重要な役割を果たしていることを強く示唆している。本研究で明らかになった結果は,魚類におけるメラトニンの生理作用をさらに詳しく解明するために重要な基礎的知見となるものと思われる。

審査要旨

 メラトニン(N-acetyl-5-methoxytryptamine)は脊椎動物の松果体や眼球で暗期に合成されることから、環境の明暗情報を伝達するホルモンと考えられている。メラトニンは、哺乳類においては繁殖期の決定や概日周期の同調に重要な役割を果たしているが、魚類における知見は乏しい。そこで本研究は、魚類におけるメラトニンの動態、合成・代謝機構、さらにメラトニン受容体による情報伝達系までを総合的に明らかにすることを目的としている。概要は以下の通りである。

1.各種魚類における血中メラトニン濃度の日周リズム

 数種について血中メラトニン濃度を調べたところ、いずれの種においても暗期に高く、明期に低い日周リズムを示し、高値持続時間は暗期の長さによって規定されることが判明した。

2.キンギョにおけるメラトニンリズム

 キンギョについてさらに詳しくメラトニンの日周リズムを調べたところ、血中メラトニン濃度、松果体および眼球内メラトニン含量も同様な日周リズムを示すこと、血中濃度の日周リズムは松果体に依存していること、松果体と眼球におけるメラトニン合成は互いに独立しており松果体では眼球よりも低照度の光で抑制されることが判明した。

3.環境要因がメラトニンリズムにおよぼす影響

 キンギョの血中メラトニン濃度は6月、9月に高く、12月、3月に低い明瞭な季節変化を示した。このため環境条件を変えて調べたところ、血中濃度は水温の高低にかかわらず暗期に高い日周リズムを示したものの、低水温下では暗期の濃度は大きく低下することが判明した。この結果、血中メラトニン濃度は日長と水温の双方に影響を受けるものと結論された。

4.生物時計によるメラトニンリズムの制御

 キンギョを恒暗条件下におくと血中メラトニン濃度および眼球内メラトニン含量は概日周期を示した。また培養松果体も、恒暗条件下で概日周期を示した。これらの結果から、キンギョのメラトニンリズムは環境要因のみならず内因性の生物時計による制御も受けていることが明らかになった。

5.メラトニン受容体の分布と性状

 メラトニン受容体の分布と性状を2-[125I]iodomelatoninをリガンドとしたラジオレセプターアッセイにより調べたところ、特異的結合は脳と網膜で高く、その結合は迅速、安定、可逆的、飽和可能であることが判明した。脳内分布を調べたところ、密度は視蓋-視床>視床下部>終脳>小脳>延髄の順に高かった。この結果、メラトニン受容体は脳内の様々な神経核や網膜に存在すること、受容体の脳内分布は哺乳類とは大きく異なることが示唆された。特に視蓋に高濃度に受容体が分布することから、視覚情報の統合にメラトニンが重要な役割を果たしていることが推察された。

6.脳内メラトニン受容体の調節機構

 各種ヌクレオチド類はキンギョ脳内メラトニン受容体の特異的結合を用量依存的に減少させた。その効果はGTPS>GTP>GDP>GMP=ATP>cGMPの順であった。また各種無機塩類の影響について調べたところ、MgCl2(5mM)は特異的結合を増加させたが、高濃度の各種無機塩類は特異的結合を減少させた。その効果はCaCl2>LiCl>MgCl2>NaCl>Choline chloride=KClの順であった。これらの結果から、キンギョの脳内メラトニン受容体はG蛋白質と共役していることが示された。

7.脳内メラトニン受容体の日周リズム

 キンギョ脳内メラトニン受容体の結合部位数は明期に多く暗期に少ない日周リズムを示した。松果体除去あるいは恒明条件下での飼育によって血中メラトニン濃度の日周リズムを消失させると、受容体数の日周リズムも消失したことから、受容体数の日周リズムは血中メラトニン濃度の日周リズムによって駆動されていると結論された。

8.肝膵臓におけるメラトニンの代謝

 メラトニンの代謝器官であると予測されるキンギョの肝膵臓を用いて外因性メラトニンの代謝をin vitroで調べたところ、メラトニンは酵素的に6-hydroxymelatoninに代謝されることが判明した。

9.メラトニン投与法

 メラトニンの生理作用の解明にはメラトニンの投与が必須である。これまで魚類に対してメラトニン投与は数多く行われてきたが、投与後のメラトニンの動態については全く知見がない。そこで腹腔内注射と経口投与(いずれも 1mg/体重1kg)によりメラトニンをキンギョに投与し、血中メラトニン濃度の経時変化を調べところ、いずれの方法でも血中メラトニン濃度の日周リズムを再現できることが判明した。

 以上、本論文は、魚類におけるメラトニンの日周リズム、合成・代謝機構、受容体による情報伝達機構ならびに投与方法などについて総合的に明らかにしたもので、学術上、応用上寄与するところが大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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