ウルグアイ・ラウンドは1994年4月ようやく調印に至ったが、この貿易交渉を難航させた最大の要因は農業保護削減をめぐるアメリカーEC間の対立であった。ECはこれまでのガット交渉において農業保護勢力の中心的役割を果たしてきており、それゆえECの共通農業政策についてはわが国でも強い関心が寄せられてきた。もちろん共通農業政策に対するわが国の関心は対外面にとどまらなかった。わが国の基本法農政が西ドイツ、フランスに範をとっており、共通農業政策、特にその構造政策への関心は高かったからである。そして近年には、条件不利地域政策、農業環境政策に対して熱い眼差しが向けられてきた。 こうしたEC共通農業政策については、わが国でも研究が進展してきており、制度的仕組みについての翻訳をはじめ、穀物価格政策、牛乳・乳製品過剰問題、条件不利地域政策、農業環境政策などについて相当量の研究成果が公表されている。また最近ではEC共通農業政策についての包括的研究も出されており、EC農政の成立からマクシャリー改革までを理念史的に検討した研究、EC農政の成立以降の変遷を政治過程として克明に分析した著作が発表されている。 しかし、こうしたわが国における研究の進展にもかかわらず、EC共通農業政策についてはまだ解明されていない点が多々あるように思われる。例えば、70年代の価格支持政策の実際については明らかにされているとはいえない。そもそもEC共通農業政策の現代農業保護政策としての根拠に明確に言及したものはないようであるし、EC共通農業政策のガットとの関連についても地中海諸国、ACP諸国との関係まで視野に収めたものはみあたらない。また、80年代半ば以降の生産調整政策の要をなす牛乳クォータ制度についても、詳細についてはわからない点がある。共通農業政策の80年代半ば以降の局面は、生産調整政策のほか農業環境政策、地域・農村政策の多面的な展開として性格づけられるが、そうした様々な施策の具体的内容と問題点についても十分に明らかにされているとはいえない。そのほかにも解明を要する点はある。 本論文は、今指摘したようなEC共通農業政策の未解決な問題にアプローチを試みたものである。その場合、共通農業政策といっても、生産調整政策、農業環境政策、地域・農村政策の具体的展開を検討するとなると、各国レベルまで降りた分析が必要になってくる。そこで、ここではイギリスを事例に取り上げ接近を試みることにした。またイギリス農政の全体像を知るために、共通農業政策の領域外にある農地政策の分析も行った。そして最後に、諸点の考察を通じて浮かび上がったEC農政及び現代イギリス農政の特質について論及した。 2章「共通農業政策の背景に関する若干の問題」。戦後の西欧の農業保護は、(1)帝国主義段階の社会政策的な農業保護、(2)現代資本主義による農業不況の回避策としてのケインズ政策、(3)大衆民主主義国家における多元的利害の調整、(4)高度成長に起因する農工間所得格差問題への対応、(5)先進経済段階における農産物需要閉塞下での急激な技術進歩に伴い発生する農業調整問題への対応、として多重的に整理される。これがECの農業保護にも継承された。ガットとの関連では、ローマ条約の定めた共同市場形成、加盟国と海外領土との連合関係、並びに共通農業政策の可変課徴金・輸出払戻金制度が、ガット締約国団の黙認によって既成事実化した点が注目される。この背景には、EC諸国の政治的自立の強まり、戦後冷戦体制と欧米同盟の必要性、さらにはアメリカによるガット・ルールの形骸化とそれによるECの反ガット的行動の誘発があった。 3章「共通農業政策の基本構造と展開」。共通農業政策の農業保護政策としての特質をみると、(1)間接統制的性格、(2)原料生産段階と加工段階の整合性のとれた、また農産物間の相対価格に配慮した保護政策の体系性、(3)域内生産者にとっての重要度に応じて保護の形態と程度を異にする保護政策の位階性、(4)価格政策と構造政策の有機的関連性、(5)ECの政治統合体としての性格(超国家的要素と国民国家的要素の混在)に由来する保護プッシュ要因の存在(通貨制度と政治・財政制度にみられる)、を指摘できる。 70年代におけるECの農産物価格支持政策の特色は所得パリティ政策にあり、その基軸をなしたのが価格算定方式のオブジェクティブ・メソッドであった。しかしそれは、ECの低成長への転換に伴い社会―構造政策による過剰人口の削減が困難になったこともあって、農産物過剰が悪化した80年代初めにはその役割を終えた。オブジェクティブ・メソッドは、保護水準が設定されるべき経営階層(専業的家族経営の中位層)を特定化し、算定結果からのズレをもたらす政治圧力の影響を中和することで、保護水準の決定に一定の機能を果たした。 ECの農業保護政策の行き着いた矛盾は、農産物過剰と地域問題であった。ただし、農産物過剰は輸出補助金を使って対外的に処理することが可能だったため、70年代半ばから、地域政策が需給調整政策に先行する形で導入された。 4章「80年代における農政改革の始動」。80年代後半以降の国際農産物市場における対立の焦点は、アメリカーEC間における穀物と油糧種子をめぐる対立にあった。ウルグアイ・ラウンドはその帰結であった。80年代に入るとECも農政改革に着手したが、農産物過剰のもたらす財政問題がその最大の原因であった。80年代の農産物過剰対策は、牛乳でのクォータ制度導入を中心とし、穀物等の耕種作物では価格メカニズム重視の需給調整策が採用された。牛乳クォータは生産構造を固定化する弊害をはらんでいた。そのため、農業構造に恵まれたイギリス、オランダ等ではクォータの譲渡、賃貸借による解決が図られ、これに対して劣悪な農業構造を抱えたフランス、西ドイツ等では譲渡の際にサイフォンを用いたり、あるいは酪農廃業計画による対応が行われた。 5章「EC農政の新展開」。農業分野における92年市場統合の直接の影響は小さかったが、間接的影響として地域格差の拡大が懸念された。そこで構造関連基金の増額が図られ、地域開発政策が展開し始めた。ウルグアイ・ラウンドは終結が近づくにつれてECの農政改革に外圧として作用するようになり、92年の共通農業政策の改革につながった。改革の要点は、農業支持の価格支持から直接支払いへの転換、穀物・牛肉・羊肉におけるサブシディー・クォータの導入、並びに農業環境政策の強化であった。 6章「イギリスにおける牛乳クオータ制度」。イギリスでは、弾力的なB方式の追加課徴金制度が採用されたが、MMBを巨大な乳業工場=買入業者とみなすことで課徴金支払いの弾力性は一層高められた。また、クォータの再配分措置としては譲渡、賃貸借が重視され、譲渡はサイフォン付きではなかった。賃貸借もECによる法制化に先行して導入された。クォータ制度の永続見通しや税制の影響で、次第に賃貸借が譲渡に比べて優勢になっていった。クォータ制度の導入は地主―借地農関係にも影響を与えたが、特に借地終了時のクォータ補償が問題であった。そこで1986年農業法で補償の算定方式が定められた。 牛乳クォータ制度が酪農業に与えた影響をみると、飼養頭数及び濃厚飼料の削減によるコスト節約で対応したことがわかる。濃厚飼料の削減は、結局サイレージによる草地利用の集約化をもたらした。譲渡、賃貸借によるクォータ市場の発展も規模拡大のテンポ・ダウンを克服する手段とまではならなかった。 7章「イギリスにおける農政の新展開」。生産調整政策では、1988年に任意セット・アサイド、粗放化、農場植林事業が導入された。92年改革では強制型セット・アサイドに転換し、耕種作物の直接所得支払いの総額規制、並びに繁殖牛クォータ・羊クォータが導入された。農業環境政策では景観及び野生生物生息地の保護が主要目的となり、環境保全地域事業をはじめとして各種の事業が実施された。一方、汚染問題に対しては硝酸塩汚染監視地域事業が導入された。地域・農村政策では、従来から実施されていた条件不利地域政策が強化されるとともに、1988年の構造関連基金改革に伴って目標1(北アイルランド)及び目標5b(スコットランド高地・諸島など4地域)の地域開発政策が導入された。農村政策として1988年からは農場経営多角化事業が導入され、自営兼業の促進が図られた。イギリスでは、1980年代半ばに農政戦略の転換が行われ、それ以降、農務省=農業者連盟は、環境政策を農業政策の枠組みに取り込むことにより環境保護団体の批判を巧みに切り抜けてきている。 8章「イギリスにおける農地政策の展開」。大土地所有を特色とするイギリスでは、19世紀末以降の借地権保護の強化、並びに土地税制の強化が原因となって第1次大戦以降、自作地化が進展した。第2次大戦後も借地権保護の一層の強化で借地が縮小した。そこで1980年代に入ると、新規就農及び規模拡大の対策として、サッチャー政権により借地権保護の緩和が図られるようになった。 大陸を中心とするEC農政の特質としては、構造政策が選別的に運用されたこと、生産調整に国家による再配分方式が導入されたことを指摘したい。そこには、わが国のムラ平等主義とは異なる西欧の社会形成原理の存在が窺われる。合理主義的政策と社会政策の結合は、個人主義にキリスト教的ないし社会民主主義的平等主義が結びつくことで可能となったのであろう。イギリス農政は現代でも自由主義的である。大陸諸国との比較で特徴的なのは、生産調整における市場原理の積極的活用、環境政策重視と階層=社会政策軽視の対照である。 |