内容要旨 | | 1.序章(重回帰モデルの活用と限界) 水産資源学分野においては,生物の成長や再生産の動態,漁獲の過程などの定量的な把握を目的に,様々な統計モデルが考案されてきた。モデルの構成には,物理学的生物学的に現実的な定式化が求められるが,数式が複雑になると推定や計算には困難が伴う。あまり複雑なモデルは現実的であっても,実際のデータに基づく解析では実用に耐えない,という矛盾が生じてくる。本分野では固定的なモデルに固執せず,新たなモデルを模索する傾向が著しく,これには近年の統計学分野における「最尤法と情報量規準AICを用いた統計モデルの研究」の進展が大きく寄与している。小型計算機や非線形最適化法の発達により,モデルが複雑になっても推定できるため,自由自在な発想でモデル構築を進めることが可能となった。モデルの数学的な研究も発展し,水産資源の定量的研究はより一層現実的なモデルを通して解析されるようになった。 本論文の内容は「水産資源の変動要因モデルと漁海況の予測モデルの構築と改善に関する統計学的研究」である。資源変動を把握し変動を予測し,資源管理を目的とした許容漁獲量などが決定されるため,現実的な解析のための統計モデルの構築は重要な研究といえよう。生物資源の量的変動yには水温や塩分あるいは餌料などの環境に由来する変動要因xiが複雑に関与することが知られ,重回帰モデルy=ixi+が基礎的解析手法として頻用されている。yに対するxiの応答が線形に限定された単純な構造をもち,計算上の扱いが容易である重回帰モデルは,変動の概要の把握には適しているが,資源変動に潜在する,yとxiの複雑な応答関係を適切に摘出するには限界がある。本章では,太平洋南西沿岸におけるウルメイワシ漁況yと黒潮流軸変動xiの関係を材料とし,重回帰モデルにより典型的な漁海況の解析を実施した。重回帰モデルの活用と問題点および改善の方向性を示し,変動要因の更なる詳細な解析をするには,新しい統計モデルの構築が必要であることを強調した。 2.最適変換法を用いた資源変動要因の解析 資源量変動yには,環境変動要因xiが,直線的な比例関係だけでなく,極大値や極小値のある非線形で複雑な応答をもつことが知られる。水産生物には固有の最適環境があることや,再生産や死亡(加入や逸散)という資源の増加や減少に,環境要因が複雑な過程を経て応答することが原因にあげられる。変動要因からの応答の形態は不明である場合が多く,詳細な推定が可能な統計モデルの構築が検討課題となる。非線形な応答を表現できるパラメトリックモデルは,データの特性に応じてパラメタを大幅に増やす必要があり,適用には困難が伴う場合が多い。本章ではノンパラメトリックな統計モデルである,Breiman and Friedman(1985)による,最適変換法(Optimal Transformations:以下OTと略称する)(y)=ii(xi)+eを導入した。OTは一種の回帰モデルであり,任意の関数(・)とi(・)で変動要因の柔軟な応答を推定できる。 本州東北海域におけるサンマの漁海況データ(y;サンマ漁獲量,x1;前年漁獲量,x2;動物プランクトン現存量,x3;黒潮続流北限緯度)を適用例とした。x1による再生産関係などの非線形な応答を表現した2種類のパラメトリックモデル,と(cは係数;は正規分布に従う誤差)を構築した。さらにOTによる解析を経てモデルを改善し,全てのモデルを比較検討した。OTを用いることによりデータへのモデルの適合性は改善され,xi(i=1,2,3)のyに対する詳細な応答関係を推定できた。特に動物プランクトン現存量x2からyへの応答に明瞭な極大値が特定でき,変動要因に対する貴重な知見が得られ,変動機構に対する様々な考察を推論できた。積変数xixj(i≠j)による,交互作用項の導入も試み,付加項の有意性の統計的検定方法を新たに開発した。 3.資源変動モデルと漁況予測モデルの構築と改善 資源量変動yと変動要因xiの応答関係は,限定された狭い数値範囲では近似的に線形とみなせるが,実際の広い数値範囲では非線形的応答の考慮は不可欠となる。広い数値範囲で普遍的なyとxiの関係を表すためには,yとxiの関数(応答)関係を特定したパラメトリックモデルの構築が必要となる。候補となる仮説的なモデル(応答または関数形)がある場合には,関数形を全て組み合わせ,AIC最小化に基づきモデルを効率的に探索することができるが,応答の関数形が無数に存在する場合のモデル構築は容易ではない。本章では,応答関係が未知で複雑である資源変動や漁況予測に関するパラメトリックモデルの構築と改善において,前章の最適変換法OTを適用し,(・)とi(・)の推定値に基づいて関数形を特定した。 カナダ,ブリティッシュ・コロンビア州のシュムシュガレイの年級群強度yと,資源量x1および海面水温x2のデータを適用例とした。データをOTで事前的に解析し,推定された(y)と1(x1)および2(x2)の形に基づいて,が最適モデルとして構築された。この式は,非線形なパラメトリックモデル構築法として知られる応答曲面法(Response Surface Analysis:以下RSAと略称する)による既成のモデル(Fargo and McKinnell,1989)よりも妥当であった。OTに基づく本モデルは,yとx1の応答の関数形に複数の極値を特定でき,本魚種の再生産関係に新しい知見を提供する結果となった。OTを活用することにより,RSAより妥当なモデルを構築することができ,モデル改善におけるOTの有効性を実証することができた。 4.漁海況予測のための時系列解析モデルの構築 資源量変動yと変動要因xiの記録は,一般に時系列データとなる。データの時刻毎の独立性が仮定できる場合は,タイムラグを考慮した重回帰モデルが適用可能である。データの時間間隔が短く独立でない場合は,新たなモデルの導入が必要となる。本章では,複数のxiを時刻t毎のベクトルxtとして扱う,多次元自己回帰モデル(Multivariate Auto Regressive model:以下MARモデルと略称する)を導入した。MARモデルの構造は,最大タイムラグMと回帰係数行列Amの構造,および誤差ベクトルvtの確率分布により決定できる。モデルの適用に留まらず,漁海況変動の特徴を適切に把握するためには,MARモデルの改良が必要となる。 本州南岸に位置する6点の岬から黒潮流軸までの離岸距離の6変数の時系列データ(x1,…,x6)を材料として,MARモデルの構築と改良の必要性および予測に関する可能性について検討した。Am中の回帰係数で表される変数どうしの変動の伝達は,360通り(=6×6×10:ただし10は最大タイムラグMとする)存在する。このうち,重要視すべき伝達関係を綿密に模索しMARモデルを構築した。Amの構造の綿密な検討により,x1,…,x6の相互の関連性,すなわち流軸変動や蛇行の発生に関する知見を,定量的に示すモデルを構築することができた。データの特徴として離岸距離の急激な変化が散見され,この特徴的な変化を表現するために,誤差ベクトルvtを正規分布からCauchy分布に置換し,非ガウスモデルとして新たに構築した。これにより本MARモデルはさらに改善され,その有効性を実証するため予測シミュレーションを行った。改善されたMARモデルにより,予測精度の向上が認められ,改良モデルによる現実に即した予測が可能となった。 5.ポアソン計数過程による時系列変動のための統計モデル 資源量変動yの増減の変化が急激で大きく,変動要因xiの突発的な作用に従属的な事例について,統計モデルの導入を行った。この場合は,yの細かな変化よりも,yの大きな値の発生する時刻が問題となり,また発生について適切な予測が必要となる。本章では,漁獲が「ある(1)」・「なし(0)」の2値で与えられる場合に,計数N(t)=kの発生時刻tの変化を確率的に扱う統計モデルを,ポアソン過程(Poisson process)で扱った。(t)はポアソン過程の強度関数(t)で構成されるパラメタであり,(t)を変動要因xiで説明するための統計モデルの構築と,統計的解析を目的とした。 三重県熊野灘の沿岸定置網による冬期のブリ漁獲尾数y(10)の日毎の発生の有無と,水温x1と透明度x2の時系列データを適用例とした。強度関数(t)を近似的な関数およびx1やx2の実測値でモデル化した結果,ブリの漁獲の発生要因を推定することができた。漁獲yの長期的変化は,2次関数で擬似的に表した環境変動xiの緩やかなトレンドに影饗され,短期的変化はx1やx2の前日の値に起因するという結果が得られた。ポアソン計数過程に基づく統計モデルの導入により,時系列変動の現実的な説明と予測が可能となった。 本論文では,水産資源の変動を対象とした研究において,より柔軟で制約の少ない統計モデルが必要になることを適用例を通して示した。従来の線形性や正規分布を前提としたモデルは,水産資源の変動特性に鑑み,非線形性や非ガウス分布を考慮して拡張する必要がある。今後は,新たに構築したモデルによる解析結果を,資源管理へ応用する研究の展開が待望される。 |
審査要旨 | | 水産資源の評価や生物学的特性値の把握は,資源管理を目的とする基礎的解析の位置づけにあり,現実に即した管理方策を確立するために,現実的な視点に立つ資源解析が不可欠である。この目的に対して,自由で発展的な統計的手法が活用され,柔軟な統計モデルが考案され,資源解析に貢献しつつある。現在まで,魚類の再生産関係や成長様式に様々な生物学的仮説を導入した統計モデルをはじめ,資源研究の個々の課題に対応した統計モデルが実用化されつつある。本論文は,資源研究の一課題の「資源変動とその要因の解析」において,望ましい解析手法の開発を目的に,統計モデルを模索したものである。研究成果の大要は以下の通りである。 1.資源変動要因の解析における重回帰モデルの活用と限界 資源の変動解析や漁海況予測において頻用される統計モデルの一つに重回帰モデルがある。重回帰モデルは,独立変数と従属変数の応答関係が線形で,データに正規分布が仮定され,数学的構造が単純で計算上の扱いが容易なモデルである。一方,実際の資源変動の問題には,変数間の複雑な応答関係や正規分布で表現できないデータが潜在する。ここではウルメイワシの漁獲量に係わる環境変動要因の解析を実例として,重回帰モデルの限界を示し,そこから必要となるモデルの機能を整理した。 2.最適変換法による資源変動要因の解析と資源変動モデルの再構築 資源量の変動には,環境要因による変動が直線的な比例関係に留まらず,極大値や極小値を伴って非線形で複雑に応答する。ここでは変数間の複雑な応答を推定する新たな統計モデルとして,ノンパラメトリックな回帰分析法である,Breiman and Friedmanの最適変換法を導入した。同手法を本州東北海域のサンマ漁海況データの解析に用い,漁獲量変動に対する環境要因の複雑な影響を定量的に示した。特に動物プランクトン現存量がサンマの再生産に大きく関与することが把握でき,再生産に関するプランクトン現存量の最適値も具体的に推定できた。また同手法は既成のパラメトリックモデルと比較して,応答の詳細な記述が可能であることを示した。同手法の適用により変動要因に対する貴重な知見が得られ,変動機構に対する様々な考察を推論できた。さらに同手法に交互作用の導入を試み,解析結果の統計的検定法について考察を加えた。 次に,変数の応答の関数形が無数に存在して不明である場合の,資源変動のパラメトリックモデルの再構築において,最適変換法の応用を試みた。カナダ,ブリティッシュ・コロンビア州のシュムシュガレイの資源変動を適用例として,最適変換法の適用結果を基にモデルの関数形を特定した場合,統計的妥当性の高いモデルが構築できた。最終的に選択された最適モデルは,既存のモデルより詳細な再生産関数をもち,本魚種の再生産特性に新知見を提供する結果となった。 3.漁海況予測のための時系列解析モデルの構築 データの時間間隔が短く相互に相関関係がある場合,データ解析は重回帰モデルでは対応が不可能で,データ間の統計的関連性を考慮した時系列解析モデルが必要となる。ここでは,日本沿岸における黒潮流軸位置の変動解析に多次元自己回帰モデルを導入し,モデルの構築と改良の必要性および予測に関する可能性について検討した。モデルの構造を決定する要素のうち,回帰係数行列の構造と,誤差ベクトルの確率分布に注目し改善を検討した。複数の変数間の変動伝達を記述する回帰係数行列について,変動伝達経路を重要視する・しないを明確化することで,統計的に妥当なモデルを構築できた。モデルの誤差ベクトルに非ガウス分布を適用することで,さらにモデルの統計的妥当性が向上することを実証できた。構築したモデルの実用面の有効性を検証するため,モンテカルロ法による予測シミュレーションを行った。改良された多次元自己回帰モデルにより,予測精度の向上が認められ,改良モデルによる現実に即した予測が可能となった。 4.計数過程による時系列変動のための統計モデル 資源量変動が急激で大きく,漁獲が時間上で不連続に発生する場合を想定した。ここでは重回帰モデルに替わる統計モデルとしてポアソン過程を導入し,変動要因の摘出のためのモデル構築を試みた。熊野灘の沿岸定置網によるブリ漁獲の発生の有無と,水温と透明度の時系列データを適用例とした。ポアソン過程の強度関数を近似的な関数や水温や透明度の実測値でモデル化し,漁獲の発生要因を推定した。漁獲発生の長期的変化は,2次関数で擬似的に表した環境変動のトレンドに影響され,短期的変化は水温や透明度の前日の値に起因する結果が得られた。ポアソン過程に基づく統計モデルの導入により,時系列変動の現実的な説明と予測が可能となった。 本論文の成果は,資源変動の解析あるいは研究において要求される実用的な統計モデルの特性を,現実の問題に即して明確にし,今後解析手法を開発するための方向性を与えるという,大きな成果を収めたものといえる。よって,審査員一同は申請者に博士(農学)の学位を授与する価値があるものと認めた。 |