内容要旨 | | 地球上の生物は,その進化の過程で多様な周期のリズムを獲得してきたが,なかでも約24時間を周期とする概日リズムは,動植物を問わず生物界を通じて広く観察され,真核生物の多くの生理機能がこの概日リズム機構の支配下にあることが知られている。この概日リズムは,地球の自転周期に近似した約24時間の周期をもちながら,自転に由来する外的な日周環境変化に生物が反応した結果としての外因性リズムではなく,生物自らが発する自律性振動の表現型,すなわち内因性リズムである。哺乳類における自律性振動の発振源は,視床下部の視交叉の背側に位置する視交叉上核(suprachiasmatic nucleus;SCN)内に存在しており,この小さな神経核には,約24時間のリズムを司る時計機構のみならず同調機構まで具備されていることが知られている。つまり,哺乳類は種および個体に固有な内因性リズムの周期(24±4時間)を,様々な外部環境因子(同調因子)を用いてSCN内の時計機構を日々微調整することで,24時間周期へと同調させている。そして,このような同調機構の存在が,新たな明暗周期への馴化や,季節繁殖や冬眠といった生体機能の概年リズムの発現を可能ならしめているものと推察されている。 霊長類以下の哺乳類では,最も強力な同調因子とされる光によってSCNに駆動される全ての生体リズムが同調されるが,この光刺激によって即座に表現型リズムが影響を受けるパラメターとして,"松果体中serotonin N-acetyltransferase(NAT)活性リズム"と"行動リズム"が挙げられる。松果体で産生・分泌されるメラトニンの合成過程における律速酵素として重要なNATの活性は,暗期に高まり明期に低下する明瞭な内因性の概日リズムを示すばかりでなく,暗期に光刺激を与えると明期の基底レベルにまで急速に低下することが知られている。さらに,SCNを発振源とし松果体におけるNAT活性リズムの発現を司る神経伝達経路と,暗期にNAT活性を低下させる光刺激の伝達経路は同一のものであると推察されており,後者のメカニズムの解明を通じて,概日リズム機構という重要な生命現象に対する理解が格段に深まることが期待されている。そこで本研究では,この光刺激による松果体中NAT活性の抑制効果に着眼し,これを指標としてSCNの時計機構を同調させる光刺激のSCN内伝達機構を解明することを目的として以下の実験を行った。 まず,光刺激による松果体中NAT活性抑制効果の特性を明確にすべく各種検討を行った。供試動物であるラットに対し,暗期に5.0luxの白色光を照射した場合,5分間の継続照射の間にはNAT活性の完全な抑制は認められないが,2分間照射の15分後にはNAT活性が完全に抑制されることなどが判明した。さらに各種照度の白色光を2分間照射し20分後にNAT活性を測定したところ,0.5lux以上の照度があれば完全な抑制効果が認められることが明らかとなった。 次に,SCN内情報伝達物質として示唆されてきた興奮性アミノ酸(excitatory amino acid;EAA)に着目し,EAA受容体に対する各種作動薬および阻害薬をSCN内に微量投与し,光刺激が負荷された際の情報伝達に対する各薬物の効果を比較検討した。先の検討結果を受け,作動薬の場合には投与20分後に,また阻害薬の場合には投与20分後に3.0luxの光を2分間照射し,その20分後に松果体中NAT活性を測定するという実験系を設定した。暗期にEAA受容体の作動薬を投与すると,NAT活性は低下し,光刺激を与えた際と類似の効果が得られた。この効果は,EAA受容体サブタイプのうちN-methyl-D-aspartate(NMDA),-amino-3-hydroxy-5-methyl-4-isoxazolepropionate(AMPA),およびkainate(KA)受容体に対する全ての作動薬について認められたが,その効力はNMDA>AMPA>KAの順であり,NMDAおよびAMPAについては用量依存的な作用が認められた。また,暗期にEAA受容体の阻害薬をSCN内に投与した後に光刺激を与えると,本来は低下するはずの松果体中NAT活性が残存し,EAA受容体阻害薬は光刺激の効果を部分的ながら阻害することが示された。この阻害効果は,NMDAおよびnon-NMDA(AMPAおよびKA)受容体に対する阻害薬のいずれについても認められ,NMDAとnon-NMDA受容体阻害薬を同時に投与した際には,単独投与に比べてさらに強い阻害効果が得られた。これらの結果より,網膜で受容された元情報は,SCNにおいてEAA受容体であるNMDA受容体およびnon-NMDA受容体の両者をともに介して伝達され,さらに松果体へと伝えられてNAT活性の抑制を引き起こすことが示唆された。SCNにおいてはEAA受容体の存在が確認されており,またこれらのEAA受容体が光刺激による行動の概日リズム同調機構にも深く関与することが報告されていることなどを勘案すると,EAAは光刺激が様々な概日リズムを同調させる際の共通の伝達物質であろうと推察された。 続いて,やはりSCN内光情報伝達物質としての関与が予想されるアセチルコリン(acetykholine;ACh)について,EAAの場合と全く同一の実験系を用いてその役割を評価し,また神経伝達物質としてのEAAとAChの相互関係についても検討を加えた。その結果,carbacholにのみ光刺激を与えた際と類似した効果が,また-bungarotoxin(-BTX)にのみ光刺激の阻害効果が認められた。他の実験系においてcarbacholの光刺激類似効果および-BTXの光刺激阻害効果は報告されているが,本研究における実験系でも松果体中NAT活性を指標としてこれらの効果を確認することができた。一方で,ACh受容体サブタイプのうちnicotinicもしくはmuscarinic受容体に対する選択性がより高いとされる他のリガンドには効果が認められなかった。SCN内にはnicotinicおよびmuscarinic受容体が共存する細胞が存在することも知られていることから,網膜で受容された光情報がSCN内において伝達されるためには2種のACh受容体が同時に刺激される必要のあることが示唆された。また,-BTXがNMDAによる刺激効果を阻害し,さらにNMDA受容体阻害薬がcarbacholによる刺激効果を阻害したことから,EAAとAChは,両神経伝達物質に対する受容体を併せ持つ細胞によって受容されるものと推察された。行動リズムを指標としたcarbacholの作用もEAA受容体アンタゴニストによって阻害されることが知られており,本研究から示唆された機構は,他の概日リズムの同調に際しても共通に利用されるものであるのかもしれない。 さらに,内在性のEAAがSCN内情報伝達物質として働く可能性について,SCN内含量の日内変動および光刺激による変化を解析することで検討を試みた。一日を通して4時間毎に全脳を摘出し,SCN領域をパンチアウトして超音波破砕した後,除蛋白を行って抽出した各種アミノ酸の濃度を高速液体クロマトグラフィーにて測定した。その結果,有意な日内変動は認められなかったものの,aspartate,glutamateといったEAAを含む数種のSCN内アミノ酸含量については明期に減少傾向が観察された。また,白色光(5lux・5分間)照射直後のNAT活性の抑制開始時期におけるSCN内各種アミノ酸含量を測定し,光を照射しないものと比較すると,aspartateが有意に減少しており,またglutamateも減少傾向を示すことが明らかとなった。すなわち,網膜で受容された光情報がSCN内で伝達される際には内在性のEAAが重要な役割を果たすであろうとした上述の神経薬理学的実験から誘導された仮説を,支持する成績が得られた。 本研究では,霊長類以下の哺乳類において生理学的・行動学的パラメターが示す概日リズムの最も強力な同調因子である光刺激のSCN内情報伝達機構に着眼し,神経伝達物質候補であるEAAとAChの役割について,松果体中NAT活性を指標として検討を行った。その結果,SCN内のEAA含量は光刺激によって減少することが判明し,また光情報がSCN内で伝達される際にはEAAに対するNMDA受容体およびnon-NMDA受容体のいずれもが関与するという受容機構が明らかとなった。方で,AChもnicotinic受容体およびmuscarinic受容体を同時に活性化することによりSCN内光情報伝達機構に関与するが,その作用部位はおそらくRHT終末部よりも伝達経路の下流であろうと推察された。さらに,AChの作用部位にはEAA受容体が存在し,両神経伝達物質は光の情報を相補的に伝達している可能性が示唆された。以上,本研究の結果から,網膜で受容された光情報は網膜視床下部路を経由して直接SCNへと送られ,EAAを神経伝達物質としてEAAおよびACh作動性の介在神経に伝達され,さらにSCNからの出力は松果体に伝えられて,メラトニンの律速酵素であるNAT活性を低下させるという,光情報伝達機構の概要が明かとなった。 |