学位論文要旨



No 212726
著者(漢字) 天野,成昭
著者(英字)
著者(カナ) アマノ,シゲアキ
標題(和) 音韻・単語知覚における相互作用の時間的側面
標題(洋)
報告番号 212726
報告番号 乙12726
学位授与日 1996.03.04
学位種別 論文博士
学位種類 博士(心理学)
学位記番号 第12726号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 二木,宏明
 東京大学 助教授 高野,陽太郎
 東京大学 助教授 佐藤,隆夫
 専修大学 教授 中谷,和夫
 名古屋大学 教授 筧,一彦
内容要旨

 音韻知覚と単語知覚における相互作用の時間的側面を明らかにする目的で,時間伸縮音声を刺激に使用し,音韻検出および単語/非単語判断に要する反応時間を測定する心理実験を行なった。

 まず,単語知覚から音韻知覚への影響を調べる目的で,心的辞書情報による音韻知覚の促進と音韻の単語内モーラ位置および時間位置との関係を明らかにする実験を行たった。時間伸縮率が0.5倍,1.0倍(自然音声),2.0倍の1-5モーラ長の単語/非単語中の様々なモーラ位置に存在する音韻/k/に対する検出反応時間を測定したところ,音韻の時間位置が約200ms以上でありかつモーラ位置が語尾から数えて1ないし2モーラである場合において,単語中の音韻の検出反応時間が非単語中のそれよりも短くたった。したがって,心的辞書情報は時間位置が約200ms以上でありかつ語尾から数えて1ないし2モーラの位置の音韻の知覚を促進することが明らかになった。

 次に,自然音声の単語前半部の音韻においてモーラ位置の増加とともに検出反応時間の減少する傾向が,自然音声に含まれている調音結合情報による音韻知覚の促進であることを検証する目的で,調音結合情報を含まないように作成した連結音声による1-5モーラ長の単語/非単語中の様々なモーラ位置に存在する音韻/k/に対する検出反応時間を測定した。その結果,自然音声で観察された単語前半部の音韻検出時間の減少は連結音声では観察されたかった。したがって,調音結合情報が単語前半部の音韻知覚に対して促進的効果を及ぼすことが明らかになった。

 この実験の補足として,自然音声および連結音声による2モーラ長の単語/非単語中の各モーラ位置おける音韻/k/に対して検出反応時間を測定することにより,調音結合情報による語頭部音韻の知覚への抑制効果が存在しないことを確認した。さらに,連結音声における基本周波数(F0)のF0の不連続性が音韻検出反応時間に影響を及ぼさないことを検証する目的で,第2母音のF0を様々に変化させたVCV刺激中の音韻/k/に対する検出反応時間を測定し,F0を様々に変化させても/k/の検出反応時間に有意差が見られないことを確認した。

 次に,音韻知覚から単語知覚への影響を調べる目的で,心的辞書へのアクセスが同時的におきるのか,それとも逐次的におきるのかという問題と心的辞書へのアクセスに使われるユニットが何かという問題を検討した。時間伸縮音声の単語知覚時点を測定し,それと音韻検出反応時間との関係を調べたところ,単語知覚時点は時間伸縮率ではなく,語頭からの知覚された音韻数に依存するという実験結果を得た。この結果から,心的辞書へのアクセスは音韻等のアクセスユニットを使って逐次的に行なわれることが示唆された。

 また,音韻知覚に対する心的辞書情報の促進効果が現れ始める時点と,単語知覚時点との相対的時間関係を明らかにする目的で,単語/非単語判断の反応時点を原点とし,そこからの単語/非単語中の音韻/k/の相対的時刻と,/k/に対する音韻検出反応時間との関係を検討した。その結果,心的辞書情報は単語が知覚された後の音韻の知覚を促進するばかりでなく,単語が知覚される前のある範囲の音韻の知覚をも促進することが明らかになった。

 さらに,音韻の時間位置とその知覚時点との関係を明らかにする目的で,語頭から測定したときの/k/の破裂部の開始時点と,その/k/に対する語頭を基点とした音韻検出反応時間との関係を時間伸縮音声において検討した。その結果,時間伸縮率によらず,両者は1次式によって当てはまり良く回帰できた。すなわち,音韻の時間位置から音韻の知覚時点が1次式によって予測可能であることが明らかになった。

 以上の知見をまとめて,音韻知覚と単語知覚の間の相互作用を含む音声知覚処理過程の時間的な動きについて記述を行なった。

審査要旨

 本論文「音韻・単語知覚における相互作用の時間的側面」は、音声単語中の音韻及びその単語がいかなる時点で知覚され、心的辞書を介してそれらが相互にどのように影響し合っているかを明かにしたものである。本論文は5章からなり、6つの実験を通じて音韻知覚に働く心的辞書情報の促進効果が発現する単語内モーラ位置の決定、心的辞書へのアクセスの形態、単語知覚時点の決定等を行なっていることを明らかにしている。本論文の一つの特徴は調音結合、発声速度、ピッチなどの音声が本質的にもつ要因の影響を十分に考慮にいれて検討を行なうとともに、それらを利用することにより音韻・単語知覚の処理の解明をはかっている点である。

 本論文の主要な知見は、以下の3点にまとめることができる。

 1.心的辞書情報による音韻知覚への影響は、単語の語尾から数えてl〜2モーラの位置において、音韻知覚の促進として現れるが、時間伸縮音声を用いた実験により上記現象は語頭からのモーラの時間的位置が200ms以上の場合にのみ発現することが明らかになった。また語の前半部において観察される音韻検出反応時間の減少傾向は、心的辞書の効果ではなく、調音結合の影響によるものであることもわかった。

 2.時間伸縮音声を巧みに利用し、種々の発声速度における単語知覚時点と音韻検出反応時点を比較することにより、単語知覚時点は発声速度によらず、知覚された語頭からの音韻数に依存することを見いだした。この結果は、心的辞書へのアクセスが音韻等のユニットを使って逐次的に行なわれるという考えを支持するものである。

 3.音韻知覚と単語知覚の相対的な時間関係から、心的辞書情報は単語が知覚された後の音韻知覚を促進するばかりでなく、単語が知覚される前のある範囲の音韻知覚も促進することを明かにした。また音韻が/k/の場合、語頭から測った/k/の破裂時点とその音韻の検出反応時間の関係が一次式で表されることを示し、単語、非単語の場合について、そのパラメータを与えた。

 以上の結果は、従来殆ど検討されていなかった、日本語音声の単語中の音韻知覚と単語知覚の処理過程間の関係とその全体像、特にその相互作用の時間的側面を明確にしたものであり、その意義はきわめて大きい。この論文で用いられた実験パラダイムと定性的な帰結のほとんどは、広く他の言語に対しても普遍性をもつものと考えられる。このように、本論文は今後の音声知覚の研究を発展させるうえで不可欠の、音韻・単語知覚の時間的側面についての全体的像を与えていると認定される。

 なお、本論文は音韻知覚と単語知覚の関係を扱っているが、心的辞書へのアクセスユニットのサイズに関しては実験による直接的検討が行なわれていない。この問題は、心的辞書の機能の解明には欠かせないものであり、今後の検討課題であると思われる。しかし、このことは必ずしも、本論文の評価を損なうものではない。

 以上述べた成果により、本審査委員会は本論文が博士(心理学)の学位を授与するに十分な内容を持つものであると判断する。

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