学位論文要旨



No 212727
著者(漢字) 福原,弘紀
著者(英字)
著者(カナ) フクハラ,コウキ
標題(和) ストレス侵襲に対する生体の恒常性調節機構の解析 : 視床下部〜下垂体〜副腎皮質/甲状腺系、交感神経〜副腎髄質系の動態
標題(洋)
報告番号 212727
報告番号 乙12727
学位授与日 1996.03.06
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第12727号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 齋藤,洋
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 助教授 小野,秀樹
 東京大学 助教授 松木,則夫
内容要旨

 Selyeはストレス時にみられる副腎皮質肥大、胸腺萎縮、胃潰瘍などの変化を生体の非特異的反応として定義し、副腎皮質系の過剰反応によって生じることを指摘した。ストレスに対する下垂体〜副腎皮質系の反応は、生体が適応するための生理反応として捉えられている。また、Cannonはストレスによる交感神経〜副腎髄質系の活性化を生体の緊急反応と考えた。両者の考え方は、ストレスに関する神経内分泌研究の基本概念として定着していたが、近年の研究報告では、視床下部〜下垂体〜副腎皮質系や交惑神経〜副腎髄質系の反応パターンがストレスの種類によって異なる場合もあり、彼らの学説を一部、修正する必要が出てきた。

 反復寒冷ストレスの一種であるSART(Specific Alternation of Rhythm in Temperatureの略)は、動物を昼間、1時間毎に室温と寒冷に交互に暴露し、夜間は寒冷にて飼育するストレスであり、ストレスによる非特異的な反応の他に、他のストレス動物と異なり、疼痛過敏を呈することを特徴とする。この現象はSARTストレスにより動物の恒常性維持機構が破綻を来した結果、生じた変化の1つであると考えている。このようなストレス負荷動物とおける恒常性維持機構の変化を明らかにすることは、現代社会で増え続けるヒトのストレス由来疾患の発症機序を解明する上で有用となる。

 本研究では、ストレス時に鋭敏に反応する視床下部〜下垂体〜副腎皮質系や交感神経〜副腎髄質系、ならびに寒冷暴露に対して顕著に変化する視床下部〜下垂体〜甲状腺系に着目し、SARTストレスに対するこれら神経内分泌系の反応特性を解明するとともに、SARTストレスと共通性のある常時寒冷暴露した寒冷ストレスと、急性ストレスモデルとして汎用される拘束ストレスに対する神経内分泌系の反応パターンについて比較検討し、興味深い結果を得たので報告する。

1.SART、寒冷及び拘束ストレスラットにおける視床下部〜下垂体〜副腎皮質/甲状腺系の反応1-1)SART及び寒冷ストレスラットにおける血漿中ACTH、コルチコステロン、TSH、甲状腺ホルモン動態ならびに視床下部のTRH動態

 SART及び寒冷ストレスラットにおける視床下部〜下垂体〜副腎皮質及び甲状腺系の活動態度を、血漿中ACTH、コルチコステロン、甲状腺ホルモン及びthyroid-stimulating hormone(TSH)濃度、ならびに視床下部thyrotropin-releasing hormone(TRH)動態を指標に比較した。1日間のSARTストレス負荷は、ラットを09:00から1時間毎に室温(24℃)と-3℃に暴露し、16:00から翌日の09:00までは-3℃で飼育して行った。5日間のSARTストレス負荷は、この手順を5日間反復した。寒冷ストレス負荷では、常時-3℃に暴露し、1日あるいは5日間飼育した。血漿中ACTH及びコルチコステロン濃度は1日及び5日間のSARTあるいは寒冷ストレスにより増加しなかった。TSH及び甲状腺ホルモン(遊離型T3及びT4)濃度は、各ストレス群とも1日あるいは5日間負荷により有意に増加した。KCl60mM刺激による視床下部からのTRH遊離量は、1日及び5日間ストレスを負荷した両ストレス群で有意に増加した。

1-2)拘束ストレスラットにおける血漿中ACTH、コルチコステロン、TSH、甲状腺ホルモン動態ならびに視床下部のTRH動態

 拘束ストレスは、動物を伏臥位にし、ステンレス製の板に四肢を固定して負荷した。1回の拘束ストレス負荷は2時間とし、反復負荷の場合は1日1回2時間の負荷を計7日間繰り返した。血漿中ACTH及びコルチコステロン濃度は単回の拘束ストレス群で有意に増加し、反復ストレス群で、さらに増加する傾向を示した。TSH、遊離型T3、総T3濃度ならびに視床下部・室傍核のTRH mRNAレベルは、単回ストレス群で有意に減少した。

 以上より、1)視床下部〜下垂体〜副腎皮質系は拘束ストレスにより顕著に活性化するが、SART及び寒冷ストレスでは活性化しないこと、2)視床下部〜下垂体〜甲状腺系はSART及び寒冷ストレスにより顕著に活性化するが、拘束ストレスでは活性化しないことが示唆された。

2.SART、寒冷及び拘束ストレスに対する交感神経〜副腎髄質系の反応2-1)SART及び寒冷ストレスラットの血漿中カテコールアミン及びその代謝物動態

 カテコールアミンの生合成、遊離及び代謝を推定し、SART及び寒冷ストレスに対する交感神経〜副腎髄質系の活動態度を明確にするために、血中カテコールアミンとその代謝物濃度を同時に測定した。1日あるいは5日間のSART及び寒冷ストレスにより、血漿中ノルエピネフリン(NE)及びその代謝物濃度が顕著に増加したが、エピネフリン(EPI)濃度は増加しなかった。5日間のSARTストレスでは、寒冷ストレスに比べ、血漿中NE及びその代謝物であるMHPG濃度がさらに増加した。

2-2)拘束ストレス負荷ラットにおける血漿中カテコールアミン及びその代謝物動態

 拘束ストレスの単回負荷により、血漿中NE、EPI及びそれらの代謝物濃度は有意に増加した。反復負荷により、NE及びEPIの基礎遊離レベルが上昇し、拘束ストレスに対する反応性が低下した。

2-3)SART、寒冷ストレス及び拘束ストレスラットの交感神経支配末梢組織におけるカテコールアミン合成酵素動態

 各ストレスに対する末梢交感神経活動を生合成レベルで解明するため、ストレスに対して鋭敏に反応する副腎及び産熱に重要である褐色脂肪組織のカテコールアミン合成酵素の動態について検討した。SART、寒冷ストレスは1日及び5日間、拘束ストレスは単回及び反復負荷した。副腎のtyrosine hydroxylase(TH)及びphenylethanolamine N-methyltransferase(PNMT)のmRNAレベルは、SART、寒冷及び拘束ストレスにより、いずれの負荷期間においても顕著に増加した。SART及び寒冷ストレスを1日あるいは5日間負荷すると、副腎のTH及びPNMT活性は顕著に増加するが、褐色脂肪組織のTH活性は5日間の寒冷ストレス負荷でのみ増加した。拘束ストレスの場合、副腎のTH活性は反復負荷でのみ顕著に増加したが、PNMT活性は単回負荷でも顕著に増加した。

 以上より、1)SART及び寒冷ストレスは交感神経系を活性化するが、副腎髄質からのEPI遊離を刺激しないこと、2)SARTストレスの5日間負荷により、NEの遊離と代謝は寒冷ストレスと比較して増大すること、3)SARTストレスでは、寒冷ストレスと異なり、褐色脂肪組織のカテコールアミン生合成が増加しないこと、4)SART、寒冷及び拘束ストレスでは、副腎のカテコールアミン生合成が亢進するが、SART及び寒冷ストレスは拘束ストレスと異なり、EPI遊離を増加させないことが示唆された。

3.ストレス時における下垂体〜副腎皮質/甲状腺系と交感神経〜副腎髄質系との相互作用3-1)副腎あるいは甲状腺摘除ラットの血漿中カテコールアミン及びその代謝物濃度に対するSART、寒冷及び拘束ストレスの影響a)副腎摘除ラットにおける検討

 末梢カテコールアミンの遊離調節機構に及ぼすグルココルチコィドの影響を解明するため、副腎全及び副腎髄質摘除ラットを用い、SART、寒冷あるいは拘束ストレスに伴う血中カテコールアミン動態について検討した。副腎全摘除群のNE及びその代謝物の基礎遊離レベルは偽手術群に比べ高く、1日間のSARTストレスまたは2時間の拘束ストレス負荷により、その増加反応は顕著となった。副腎髄質摘除群のNE及びその代謝物濃度は、SART及び寒冷ストレスにより、偽手術群での場合より増加する傾向にあったが、拘束ストレスでは、偽手術群と同様のレベルにしか増加しなかった。副腎全及び髄質摘除群のEPI濃度は、ほとんど検出されなかったが、SART、寒冷あるいは拘束ストレスにより増加する傾向がみられた。

b)甲状腺摘除ラットにおける検討

 末梢カテコールアミンの遊離調節機構に及ぼす甲状腺ホルモンの影響を解明するため、甲状腺摘除ラットを用い、-3℃の寒冷ストレスを6時間負荷して血中カテコールアミン動態を検討した。甲状腺摘除により、NE及びEPIのストレス負荷前の基礎遊離レベルは高く、寒冷ストレスを負荷するとNEの遊離、特にEPIの遊離は顕著に増加した。

3-2)下垂体摘除ラットの副腎におけるPNMTのmRNAレベルに対する寒冷及び拘束ストレスの影響

 副腎におけるカテコールアミン生合成酵素の遺伝子発現の調節機構への下垂体〜副腎皮質/甲状腺系の関与を明確にするため、下垂体摘除ラットを用い、寒冷あるいは拘束ストレスに伴う副腎のPNMT mRNA動態について検討した。副腎のPNMT mRNAレベルには、下垂体摘除の影響はみられなかった。下垂体摘除群に拘束ストレスを負荷してもmRNAレベルは増加しなかったが、寒冷ストレスでは有意に増加した。ACTHを6日間連日投与した下垂体摘除群に拘束ストレスを負荷すると、mRNAレベルは偽手術群での場合と同様のレベルまで増加した。

 以上より、1)グルココルチコイドは交感神経〜副腎髄質系におけるカテコールアミンの生合成、遊離、再取り込み及び代謝の調節に密接に関与し、抑制的に作用していること、2)甲状腺ホルモンは寒冷ストレス時におけるカテコールアミンの遊離、特にEPIの遊離を抑制していること、3)寒冷ストレス時では副腎髄質におけるPNMTの遺伝子発現と活性化の調節機構にグルココルチコイドは関与しないことが示唆された。

4.総括

 ストレスにより鋭敏に反応する視床下部〜下垂体〜副腎皮質/甲状腺系及び交感神経〜副腎髄質系に着目し、SART、寒冷及び拘束ストレスに対する反応及び適応特性について解析した。本研究では、1)視床下部〜下垂体〜副腎皮質系は、拘束ストレスとは異なり、SART及び寒冷ストレスにより活性化しない、2)視床下部〜下垂体〜甲状腺系は、SART及び寒冷ストレスにより活性化するが、拘束ストレスにより活性化しない、3)交感神経〜副腎髄質系は、SART、寒冷及び拘束ストレスにより顕著に活性化するが、SART及び寒冷ストレスは拘束ストレスと異なり、副腎髄質のエピネフリン遊離機構を活性化しない、4)寒冷ストレスの長期間負荷による脂肪組織におけるカテコールアミン生合成亢進は、SARTストレスではみられない、5)SARTストレスの長期間負荷により、交感神経系の反応性(ノルエピネフリン遊離・代謝)は、寒冷ストレスと比較して増大する、6)甲状腺ホルモン及びグルココルチコイドは、末梢カテコールアミン遊離に対して抑制的に作用することを明らかにした。7)拘束ストレスでは副腎髄質のエピネフリン生合成酵素であるPNMTの遺伝子発現と活性化は主にグルココルチコイドによって調節されるが、寒冷ストレスではこの調節機構にグルココルチコイドは関与しないことを明らかにした。

 これらの現象は、各種ストレスに対して生体の神経内分泌系が選択的に駆動し、恒常性の維持を担っていることを端的に示すもので、特に、寒冷ストレス動物における変化は、下垂体〜甲状腺系による産熱を維持、増強するための適応反応であると考えられた。寒冷ストレスの間欠的反復であるSARTストレスと寒冷ストレスとの間にみられた交感神経系における反応性の違いは、末梢交感神経系が寒冷ストレスよりもSARTストレスに対して適応し難いことを示唆している。今後、各種ストレス動物の神経内分泌機能をさらに解明し、ヒトに外挿できるストレスモデルを開発していきたい。

審査要旨

 Selyeはストレスに対する生体の神経内分泌反応において下垂体〜副腎皮質系が重要であることを示し、いかなるストレスにおいても副腎皮質肥大、胸腺萎縮、胃潰瘍などの非特異的反応が生じることを指摘した。一方、Cannonはストレスに対する生体の緊急反応には交感神経〜副腎髄質系が最も密接に関係していることを明らかにした。これらの神経内分泌系の反応は生体がストレスに対して恒常性を維持するための過程で共通な反応として認識され、両者の学説はストレス研究の基本概念として定着していたが、近年の研究報告では、これら神経内分泌系の反応パターンがストレスの種類によって異なることが示唆されている。本研究では、ストレス学説の見直しを図るため、反復寒冷ストレスの一種で、慢性ストレスモデルのSART(Specific Alternation of Rhythm in Temperatureの略)ストレス、SARTストレスと共通性のある常時寒冷暴露した寒冷ストレス及び急性ストレスモデルの拘束ストレスを用い、ストレス時に鋭敏に反応する視床下部〜下垂体〜副腎皮質系と交感神経〜副腎髄質系、ならびに寒冷暴露に対して顕著に変化する視床下部〜下垂体〜甲状腺系の反応パターンについて比較検討した。

 1.視床下部〜下垂体〜副腎皮質/甲状腺系の反応

 1)視床下部〜下垂体〜副腎皮質系は、拘束ストレスの場合とは異なり、SART及び寒冷ストレスにより活性化しない、2)視床下部〜下垂体〜甲状腺系は、SART及び寒冷ストレスにより活性化するが、拘束ストレスにより活性化しないことが示唆された。

 2.交感神経〜副腎髄質系の反応

 1)交感神経〜副腎髄質系は、SART、寒冷及び拘束ストレスにより顕著に活性化するが、SART及び寒冷ストレスは拘束ストレスと異なり、副腎髄質のエビネフリン遊離機構を活性化しないことが示唆された。2)寒冷ストレスの長期間負荷による脂肪組織におけるカテコールアミン生合成亢進は、SARTストレスではみられないこと、SARTストレスの長期間負荷により、交感神経系の反応性(ノルエピネフリン遊離・代謝)は、寒冷ストレスと比較して増大することが示唆され、末梢交感神経系は寒冷ストレスよりもSARTストレスに対して適応し難いものと考えられた。

 3.下垂体〜副腎皮質/甲状腺系と交感神経〜副腎髄質系との相互作用1)甲状腺ホルモン及びグルココルチコイドは、末梢カテコールアミン遊離に対して抑制的に作用すること、2)拘束ストレスでは副腎髄質のエピネフリン生合成酵素であるPNMTの遺伝子発現と活性化は主にグルココルチコイドによって調節されるが、寒冷ストレスではこの調節機構にグルココル-チコイドは関与しないことを明らかにした。

 以上、本研究ではストレスにおける神経内分泌機構に関する新規の知見を得た。これらの知見は、従来のストレス学説とは一部異なり、各種ストレスに対して生体は神経内分泌系を選択的かつ特異的に駆動し、恒常性の維持を担っていることを示唆している。本研究の成果は、現代社会で増加しているストレス誘因疾患の発症機序解明の研究並びに、ストレスを軽減できる薬剤の開発研究において基本となる「ストレスの概念」を是正したものとして、生理学及び神経内分泌学の発展に貢献するところ大きく、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと判断した。

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