学位論文要旨



No 212731
著者(漢字) 並木,芳博
著者(英字)
著者(カナ) ナミキ,ヨシヒロ
標題(和) 新規免疫抑制剤FK506(タクロリムス)の互変化現象と活性発現
標題(洋)
報告番号 212731
報告番号 乙12731
学位授与日 1996.03.06
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第12731号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 海老塚,豊
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 助教授 長野,哲雄
 東京大学 助教授 遠藤,泰之
内容要旨

 臓器移植,あるいは自己免疫疾患に対する新規免疫抑制剤FK506(以下,タクロリムス)は,筑波山麓の土壌より単離された放線菌Streptomyces tsukubaensis No.9993株が生産する抗生物質である(図1)。タクロリムスは,単結晶X線構造解析及び各種スペクトル解析に基づき,既存の免疫抑制剤で環状ペプチド構造のシクロスポリンAとは異なるマクロライド化合物であると決定された。また,タクロリムスは,固体状態ではシス体として存在するが,溶液状態ではプロリンを含有するペプチド同様,N(7)-C(8)におけるアミド結合の回転障害に基づくトランス体に変換し,ペプチジルプロリルシストランスイソメラーゼ活性を有するタンパク質(タクロリムス結合タンパク質,以下,FKBP)と結合することが知られている。FKBPとの結合は,タクロリムスと類似の部分構造を持つラパマイシンにも認められたが,それぞれの免疫系への作用は異なっていた。すなわち,タクロリムスはT-リンパ球活性化の初期反応(インターロイキン-2などの初期遺伝子の発現)を抑制するが,ラパマイシンでは後期反応(インターロイキン-2刺激によるT-リンパ球の増殖)を阻害する。Clipstoneらは,タクロリムスあるいはシクロスポリンAの結合タンパク質(FKBPあるいはシクロフィリン)との複合体がカルモジュリン及びカルシウムイオンの存在下で,カルシニューリン(カルモジュリン依存性脱リン酸化酵素)と結合し,その結果,カルシニューリン酵素活性が阻害され,免疫抑制作用が発現することを明らかにしている。

図1 タクロリムス

 本研究では,既知のシス・トランス異性化とは別に,タクロリムスには溶液状態で新たに認められたC(10)のへミケタール部分に起因する平衡現象(以下,互変化現象)が存在することを明らかにし,互変体の構造及び互変化機構を解明した。更に,品質管理における互変体の取扱いも含め,この互変化現象が分子レベルにおけるタクロリムスの活性発現にどのように関連しているかについての考察も加えた。

 タクロリムスは,溶液中において回転障害に基づくシス・トランス異性を生じる可能性のあるアミド結合,並びにエピメリゼーションを起こす可能性のあるヘミケタール部分を構造中に有している。固体13C-NMRスペクトルではカルボニル領域に4個のカルボニル基に対応して4本のシグナルが観測されるのみであるが,重クロロホルム中でのスペクトル測定の結果,この領域に強度の異なる2本のシグナル対が顕著に認められ,2成分の存在が示唆された。異なった溶媒中での測定及び昇温測定実験結果から,この2成分は平衡関係にあることがわかった。更に,13C-NMRスペクトルの詳細な解析により,この平衡はペプチジルピペコリン酸部分のアミド結合におけるシス(メジャー成分)・トランス(マイナー成分)異性体に由来するものと判断できた。一方,シス体のタクロリムスを50%エタノールに溶解し,カラム温度を5℃とした逆相液体クロマトグラフ法(以下,HPLC),並びに順相HPLCでの分析結果から,この異性体に起因するとは考えにくいピークの出現を認めた。順相HPLCにより,それぞれの成分(成分I及びII)を分取し,順相及び逆相HPLCにより再分析を行ったところ,前者の条件ではいずれの成分とも高純度であることが確認できたが,後者の条件では成分間の変換が観察された。したがって,この新たな平衡現象は,タクロリムスの構造より考えて,ヘミケタール部分におけるエピ化に起因するものと推定した。

 成分I及び成分IIを単離・精製後,IR,MS,NMRの各種スペクトルによる構造解析を行った結果,成分Iは,タクロリムスの10位へミケタールが開環し,10位ケトン及び14位水酸基となり9位のカルボニル基に水分子が付加したもの(互変体I),一方,成分IIはタクロリムスの10位エピマー体(互変体II)であることが明らかとなった。次に,タクロリムス,互変体I及び互変体IIの関係を調べるため,それぞれを50%エタノールに溶解し,液体クロマトグラム上での挙動などを観測した結果,互変体Iを反応中間体とする互変化現象が明らかとなり,先のシス・トランス異性体も含めた溶液状態におけるタクロリムスのとる複雑な平衡現象を解明することができた(図2)。

 互変化現象は,タクロリムスを極性溶媒に溶解した場合にのみ観測され,その平衡速度はpH及びタクロリムスの濃度にほとんど影響されないが,温度依存性が認められた。一方,結晶水1分子を有するタクロリムスと順相HPLCにより結晶水を除去した無水タクロリムスにおける50%エタノール中での互変化速度を比較した場合,無水タクロリムスの互変化速度はタクロリムスのそれより明らかに遅く,結晶水が互変化反応に重要な役割を果たしていることが確認された。これは,結晶水が互変化反応の中心部分であるヘミケタール部分と水素結合をしている事実からも支持される。タクロリムス注射剤では,水に不溶なタクロリムスの溶解性向上,並びに生理食塩液,あるいはブドウ糖溶液による希釈時の結晶析出の防止のため,無水エタノール及び界面活性剤ポリオキシエチレン硬化ヒマシ油60が配合されている。この界面活性剤も互変化を若干遅延させることがわかったが,注射剤及び各種輸液で希釈した溶液中では互変体はほぼ一定の割合で存在していた。したがって,品質管理上においては,この新たに見いだされた互変体をどのように取扱うかが重要な問題となる。そのため,タクロリムス並びに単離・精製した互変体I及びIIを使用し,血液中(in vitro)での互変化及び薬理活性を調査した。その結果,いずれも血液中(in vitro)では速やかに平衡に達し,互変体I及びIIは,生体内ではタクロリムスと区別し得ないものと推定された。また,BALB/C系マウスの脾臓細胞をコンカナバリンAとともに培養した(3H-チミジン添加)結果から,いずれもタクロリムスとほぼ同様の抑制作用を与えることがわかった。なお,活性測定媒体中での互変体I及びIIは,いずれも細胞添加時には既にその約90%がタクロリムスに変化していたことから,通常の評価系では,薬理作用の判定は困難であると示唆された。以上の結果より,タクロリムスの定量には,互変体を不純物と見なさず,互変体をも含めて含量を算出することが妥当と考えられた。しかし,標準品として使用できる程の高純度な互変体Iを得ることは困難であったため,各々の成分のピーク面積値からは正確な濃度を算出できず,正確な品質評価はできない。そこで,カプセル剤及び注射剤への適用も考慮し,抽出あるいは溶解溶媒として50%エタノールを使用し,タクロリムス及び互変体を強制的に一定の平衡状態とし,タクロリムス自身のピークのみを定量する逆相HPLCを開発した。更に,この方法では,タクロリムス,並びに副生成物・分解物など12種及び内標準物質との分離,検量線,添加回収実験などのバリデーションデータは良好であることを確認した。

 最後に,分子レベルでの互変体の作用を明らかにする目的で,免疫抑制作用発現の第一段階であるFKBP-12との結合速度についてタクロリムスとの比較を行った。結合速度は,FKBP-12の59位トリプトファンの発する蛍光の変化を追跡することにより算出し,その速度論的解析を行った。タクロリムスはシス体よりトランス体への変換後にFKBPと結合すると報告されている。活性を発現する複合体は,トランス体タクロリムスの結合サイトがFKBPに入っただけの中間的複合体(初期反応)が,タクロリムス及びFKBPのコンフォメーション変化を起こし,安定化したもの(後続反応)と推定した。この事実は,アスコマイシン(タクロリムスの21位エチル体)での結果からも類推される。その結果,いずれの互変体もタクロリムス及びアスコマイシンと同様,初期反応は二次で進行し,ほぼ等しい反応速度定数をもつことがわかった。一方,溶液中での主成分がトランス体であるラパマイシンは,いずれの化合物より速くFKBPと反応することが示された。また,後続反応におけるタクロリムス及び互変体の反応速度定数はほぼ等しかった。したがって,互変体は溶液中での異性化メカニズム(図2)に従い,FKBPとの結合サイトを有するタクロリムストランス体へ速やかに変換することが示され,これは同時に実施した逆相HPLCによる変換速度の測定結果とも矛盾しなかった。すなわち,互変体の活性は,タクロリムスのトランス体への変換後にFKBPに結合することにより発現すると推定され,加えてタクロリムスの静注時における血中半減期である5〜10時間のスケールから考えた場合,互変体は生物学的にはタクロリムスと同等とみなせることが明らかとなった。

図2 タクロリムスの溶液状態における平衡現象
審査要旨

 FK506(以下タクロリムス)は放線菌Streptomyces tsukubaensisより単離された特異な構造を持つマクロライド系抗生物質であるが、臓器移植あるいは自己免疫疾患に対する免疫抑制剤として注目され、臨床効果への期待だけでなく免疫抑制機序解明の基礎的研究も広範に展開されている。

 並木芳博は、溶液状態のタクロリムスに、アミド結合の回転障害に基ずくシス・トランス異性化の他に、C-10ヘミケタール部分に起因する平衡(互変化)現象を見出だし、これら互変体の構造、互変化機構、分離定量法、互変化現象の活性発現に対する関連を解析している。

タクロリムスの溶液状態における平衡現象

 タクロリムスは固体13C-NMRでは4個のカルボニル炭素のシグナルを与えるが、重クロロフォルム中ではこの領域に強度の異なる2組のシグナル対が認められ、昇温測定などの結果から、これらがアミド結合に関するシス・トランス異性体であることをまず確認した。ついで、極性溶媒中のNMRあるいは極性溶媒を用いた順相逆相HPLCにおいて、これらの異性体とは異なる2成分の存在を見出だし、これらを単離し、各種スペクトルの詳細な比較解析から、成分Iは10位へミケタールが開環し9位に水の付加したもの、成分IIはタクロリムス10位のエピマーであることを明らかにした。

注射剤の製造および臨床使用時における互変化現象

 上記の互変化現象はタクロリムスを極性溶媒に溶解した場合にのみ観測され、その平衡速度には、温度依存性があるが、濃度、pHにはほとんど影響されないことを示した。また、注射剤製造時に添加される無水エタノールや界面活性剤、また希釈のために加えられる各種輸液の平衡に及ぼす影響も検討し、いずれの場合も調製30分後には成分Iが2.3〜2.6%,成分IIが5.3〜5.5%と一定の割合で存在することを明らかにしている。さらに、血液中(in vitro)でも速やかに同様な平衡に達しており、生体内ではタクロリムスと区別し得ないものと推論した。このことは、コンカナバリンAとともに培養したBALB-C系マウスの脾臓細胞を用いたチミジン取り込みに対し、成分I、IIともにタクロリムスそのものと同等の抑制活性を示したことからも支持された。

タクロリムスの溶液状態での平衡
分子レベルでの互変体の生物活性

 分子レベルでの互変体の作用を明らかにするため、免疫抑制作用発現の第一段階であるFKBP-1との結合速度を蛍光法により算出しタクロリムスと比較している。タクロリムスは、シス体からトランス体へ変換後FKBPと結合し(初期反応)、この複合体がコンフォメーション変化し安定化した(後続反応)後、活性を発現すると考えられているが、成分I、IIともに初期反応後続反応どちらにおいてもタクロリムスとほぼ等しい反応速度定数を示したことから、いずれの互変体もFKBPとの結合サイトを有するタクロリムストランス体へ変換後にFKBPと結合し活性を発現していると結論している。

 以上のように、本研究では現在臨床で免疫抑制剤として広く用いられているタクロリムスの、溶液状態での互変化体の構造を明らかにするとともに、平衡に及ぼす各種要因の解析、および各互変体の生物活性発現機構をも明らかにしており、天然物化学、医薬品化学の進展に寄与するところが大きく博士(薬学)の学位に値するものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク