学位論文要旨



No 212734
著者(漢字) 長谷川,豊
著者(英字)
著者(カナ) ハセガワ,ユタカ
標題(和) 下行性ノルアドレナリン神経による脊髄シナプス前抑制の調節
標題(洋) Modulation of spinal presynaptic inhibition by descending noradrenergic neurons
報告番号 212734
報告番号 乙12734
学位授与日 1996.03.06
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第12734号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 小野,秀樹
 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 助教授 松木,則夫
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
内容要旨

 脊髄運動ニューロンの興奮性は,感覚神経から放出されるグルタミン酸(Glu)やアスパラギン酸(Asp),または下行性神経から放出されるセロトニン(5-HT)やノルアドレナリン(NA)によって増大され,脊髄介在神経から放出されるグリシン(Gly)や-アミノ酪酸(GABA)によって低下する.Glyは運動ニューロンのGly受容体に作用して引き起こされるシナプス後抑制によって,GABAは感覚神経終末のGABAA受容体に作用してGluやAspの放出量を低下させるシナプス前抑制によって,それぞれ運動ニューロンの興奮性を低下させる.

 脳性疾患や脊髄性疾患に伴い発現する伸張反射の増大は,Ia群およびII群感覚神経線維の伝達促進に基づくことが知られている.これら疾患時の伸張反射の増大による痙縮に対して,2-アドレナリン受容体アゴニストである塩酸チザニヂンが有効性を示し,II群感覚神経線維の神経伝達を抑制することがネコを用いた実験によって示唆されている.

 本研究では,ラットを用い,Ia群感覚神経終末のシナプス前抑制に対する下行性ノルアドレナリン神経の影響を検討した.

 実験にはウィスター系雄性ラット(8-9週齢)を用い,ウレタン(1g kg-1,i.p.)および-クロラロース(25 mg kg-1,i.p.)麻酔下,人工呼吸下で脊髄を頚髄第1の高さで切断したラットをスパイナルラットとし,切断しないラットをインタクトラットとした.腰仙部の脊髄を露出後,腰部第5(L5)後根に試験刺激(刺激頻度0.2 Hz,パルス幅0.05ms)を与え,同側のL5前根より単シナプス反射(MSR)を記録した.インタクトラットおよびスパイナルラットいづれにおいても,試験刺激で誘発されたMSRは,隣接するL4後根に条件刺激(パルス幅0.05ms)を先行させて与えると減少した.条件刺激だけでは,L5前根からの記録電位に変化は認められなかった.条件刺激で誘発されたMSRの振幅低下作用は刺激電圧に依存し,条件刺激と試験刺激の時間差が10 msの時に最大の振幅低下作用を示した.

 スパイナルラットを用い条件刺激効果を検討した結果,条件刺激によって誘発されるMSRの振幅低下作用は,人工脳脊髄液に溶解して露出した脊髄の腰部に直接滴下した,GABAA受容体アンタゴニストであるビククリンによって抑制されたが,グリシン受容体アンタゴニストのストリキニーネでは抑制されなかった.

 また,試験刺激(刺激頻度 0.2 Hz, パルス幅 0.05 ms, 1-5A)を,腰部運動ニューロンの細胞体近傍にタングステン電極を用い与え,運動ニューロンが直接刺激されて発生する電位(MN),Ia群感覚神経終末が刺激されて発生するシナプス性活動電位(MS),およびIa群感覚神経終末が刺激されて逆行性に発生する電位(PAF)に対する条件刺激(パルス幅 0.05 ms,最大上刺激電圧)の効果を検討した結果,条件刺激によって,MSは減少し,PAFは増大した.条件刺激が引き起こしたMSの振幅減少作用およびPAFの振幅増大作用は,条件刺激と試験刺激の時間差が10msの時に最大となり,MSRに対する効果と同じ刺激時間差で作用が認められた.MNは条件刺激の影響を受けなかった.

 以上の結果より,隣接する脊髄後根に与えた条件刺激で発生するMSRの振幅減少作用は,Ia群感覚神経終末に対するGABA介在神経を介したシナプス前抑制であることが明らかとなった.

 スパイナルラットとインタクトラットのIa群感覚神経終末に対する脊髄シナプス前抑制の強度を比較した結果,スパイナルラットのシナプス前抑制は,インタクトラットのシナプス前抑制よりも有意に強いことが明らかとなった,そこで,ノルアドレナリン神経に選択的に作用する神経毒DSP-4を前投与して,脊髄内ノルアドレナリンを枯渇させたインタクトラットを作製しシナプス前抑制の強度を測定すると,脊髄ノルアドレナリン枯渇群では有意にシナプス前抑制は増大した.この脊髄内ノルアドレナリンを枯渇させたインタクトラットのシナプス前抑制の強度はスパイナルラットと同じ強度であった.また,スパイナルラットにノルアドレナリンの前駆物質であるL-DOPAを投与すると,MSRの振幅は著明に増大したが,シナプス前抑制は低下した.1-アドレナリン受容体アンタゴニストの塩酸プラゾシンを前投与すると,L-DOPAのMSRに対する振幅増大作用は有意に抑制されたが,L-DOPAのシナプス前抑制に対する低下作用に変化はなかった.2-アドレナリン受容体アンタゴニストのイダゾキサンの前投与では,L-DOPAのシナプス前抑制に対する低下作用は用量依存的かつ有意に抑制され,MSRに対する振幅増大作用は軽度に抑制された.さらに,スパイナルラットに,2-アドレナリン受容体アゴニストである塩酸クロニジンを投与すると,シナプス前抑制は用量依存的に低下し,この低下作用は,2-アドレナリン受容体アンタゴニストのイダゾキサンおよび塩酸ヨヒンビンの前投与によって抑制された.イダゾキサンおよび塩酸ヨヒンビン自体では,シナプス前抑制に変化を与えなかった.塩酸クロニジンのシナプス前抑制に対する低下作用は,GABAA受容体アンタゴニストであるビククリンの前処置によって消失した.

 以上の結果より,下行性ノルアドレナリン神経は脊髄シナプス前抑制に対して抑制性に作用することが明らかとなった.この作用は脊髄内の2-アドレナリン受容体を介して,GABA介在神経活動を減少させて発生すると考えられた.

 2-アドレナリン受容体アゴニストである塩酸チザニヂンを投与すると,インタクトラットのシナプス前抑制を増強させたが,スパイナルラットのシナプス前抑制に対しては影響しなかった.また,塩酸チザニヂンと同様に2-アドレナリン受容体アゴニストであるグアンファシンでも,インタクトラットのシナプス前抑制を増強させたが,スパイナルラットのシナプス前抑制に対しては影響しなかった.塩酸クロニジンはインタクトラットでも,シナプス前抑制を低下させた.

 塩酸チザニヂンは下行性ノルアドレナリン神経の起始核である青班核の2-アドレナリン受容体を刺激して,下行性ノルアドレナリンの神経活動を低下させることが知られている.従って,インタクトラットにおいてのみ脊髄シナプス前抑制を増大させた塩酸チザニヂンとグアンファシンの作用は,下行性ノルアドレナリン神経活動の低下作用によって,脊髄内のノルアドレナリン放出量を減少させた結果と考えられる.また,塩酸クロニジンは脊髄内の2-アドレナリン受容体を刺激してシナプス前抑制を低下させることから,青班核に存在する2-アドレナリン受容体とシナプス前抑制の調節に関わる脊髄内の2-アドレナリン受容体のサブタイプが異なる可能性が示唆された.

 以上,本研究によって下行性ノルアドレナリン神経は,1-アドレナリン受容体を介する脊髄運動ニューロンに対する興奮作用以外に,2-アドレナリン受容体を介したIa群感覚神経終末のシナプス前抑制に対する低下作用を示すことが初めて示され,以下の事実が明らかとなった.

 1)隣接する脊髄後根を電気刺激した時に誘発されるMSRの振幅低下作用は,Ia群感覚神経終末に対する,GABA作動性介在神経を介したシナプス前抑制であることが明らかとなった.

 2)下行性ノルアドレナリン神経は脊髄シナプス前抑制に対して抑制性に作用することが明らかとなった.

 3)下行性ノルアドレナリン神経の脊髄シナプス前抑制に対する低下作用に,脊髄内の2-アドレナリン受容体が介在することが明らかとなった.

 4)脊髄内に存在してシナプス前抑制を低下させる2-アドレナリン受容体と,青班核内の下行性ノルアドレナリン神経活動を減少させる2-アドレナリン自己受容体のサブタイプが異なる可能性が示された.

審査要旨

 脊髄運動ニューロンの興奮性は感覚神経終末から放出される興奮性アミノ酸、また下行性神経終末から放出されるノルアドレナリンやセロトニンによって上昇し、脊髄介在ニューロンから放出されるグリシンや-アミノ酪酸(GABA)により低下する。グリシンはシナプス後抑制により運動ニューロンを過分極し、GABAは感覚神経の終末のGABAA受容体に作用して興奮性アミノ酸の放出量を減少させるシナプス前抑制によって、それぞれ感覚神経-運動ニューロンシナプスにおける興奮伝達を抑制する。脳性麻痺に伴い発現する頚性麻痺においてシナプス前抑制が変化するとの報告があり、頚縮に対して2-アドレナリン作動薬のtizanidineが有効である。本研究ではラットを用い、筋緊張に関わる単シナプス反射(MSR)伝達のシナプス前抑制に対する下行性ノルアドレナリン神経系の抑制性調節を明らかにした。ウレタンおよびクロラロース麻酔、人工呼吸下で脊髄を頚髄第1位の高さで切断し脳から脊髄への影響を無くしたラットをスパイナルラットとし、切断しないラットをインタクトラットとした。腰仙部の脊髄を露出後、腰髄第5後根に試験刺激を与え、同側の前根よりMSRを導出した。

 1.インタクトラットおよびスパイナルラットにおいて、試験刺激で誘発されたMSRは隣接する腰髄第4後根に先行刺激を与えることにより減少した。この効果は先行刺激が10msec前に与えられた時に最大となった。このMSRの低下はGABAA受容体拮抗薬bicucullineの脊髄適用により抑制されたが、グリシン受容体拮抗薬strychnineの適用では抑制されなかった。また、脊髄運動ニューロンプールに微小電極を刺入し、隣接後根を先行刺激し、求心性神経終末の興奮性変化を測定したところ感覚神経線維の脱分極が示された。この効果の時間経過はMSR振幅の低下の時間経過と一致した。これらの結果より、隣接後根の先行刺激で生じたMSRの低下はGABA介在ニューロンを介するシナプス前抑制によることを明らかにした。

 2.スパイナルラットとインタクトラットのシナプス前抑制の強度を比較した結果、スパイナルラットの前抑制が強かった。インタクトラットで下行性ノルアドレナリン神経のノルアドレナリンを枯渇すると、シナプス前抑制は強くなった。またスパイナルラットにノルアドレナリンの前駆物質 L-DOPA を投与すると、反対にシナプス前抑制は減少した。これらの結果より下行性ノルアドレナリン神経は脊髄シナプス前抑制に対して抑制をかけることを明らかにした。

 3.スパイナルラットにおけるL-DOPAのシナプス前抑制低下作用に対して、2-アドレナリン受容体遮断薬は、これを抑制した。また2-アドレナリン受容体作動薬のclonidineは、スパイナルラットのシナプス前抑制を低下させた。これらの結果から、1-受容体ではなく脊髄2-アドレナリン受容体を下行性神経から放出されたノルアドレナリンが刺激しシナプス前抑制を低下させることを明らかにした。

 4.2-アドレナリン受容体作動薬のtizanidineおよびguanfacineはインタクトラットのシナプス前抑制を増強したが、スパイナルラットのシナプス前抑制には作用しなかった。clonidineはスパイナルラットでシナプス前抑制を低下させたが、インタクトラットでもシナプス前抑制を低下させた。これらの結果から脊髄の2-受容体刺激はシナプス前抑制を低下させるが、脳幹の下行性ノルアドレナリン神経細胞体の2-受容体刺激はシナプス前抑制を増強すること、また両部位の2-受容体のサブタイプが異なることを示した。

 以上、本研究は下行性ノルアドレナリン神経が脊髄単シナプス性反射伝達経路におけるシナプス前抑制を低下させることを見出した点と、さらに、これは脊髄の2-受容体を介することを明らかにし、頚性麻痺治療薬の新しい作用機序を提唱した点で、中枢薬理学の発展に寄与するものであり、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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