学位論文要旨



No 212736
著者(漢字) 井上,素子
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,モトコ
標題(和) 特異セイファート銀河NGC1275の中心部におけるミリ波CO及び近赤外H2輝線の観測
標題(洋) Millimeter CO and Near Infrared H2 Emission at the Center of cD/Seyfert Galaxy NGC 1275
報告番号 212736
報告番号 乙12736
学位授与日 1996.03.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第12736号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡村,定矩
 東京大学 助教授 田中,培生
 東京大学 助教授 尾中,敬
 東京大学 教授 井上,允
 国立天文台 教授 家,正則
内容要旨 1.セイファート銀河中心部におけるミリ波CO及び近赤外H2輝線の観測

 活動銀河中心部における分子雲の分布や運動を明らかにし、銀河中心へのガス輸送メカニズムを探ることは、活動銀河中心核(AGN)の形成を理解する上で不可欠である。まずは中心核に落ち込む前の分子雲全体の量や動きを把握しなければならず、そのためには温度が数十度、密度が103個cm-3の分子雲から放射されるミリ波COJ=1-0輝線を指標とした高分解能干渉計による観測が有効である。一方、中心核にまさに落ち込んでいくガスの様子を調べるためには、中心核近傍の分子雲表面あるいは分子ガス同士が衝突している領域等から放射される数千度に励起された近赤外水素分子輝線を観測し、その領域での物理状態を知ることが重要である。いくつか遷移の異なH2輝線を観測すると励起機構からガスのおかれている物理状況を推測することができ、そのためには近年開発された近赤外高分解能2次元アレイ検出器を用いた観測が有効である。

 銀河中心核へのガス輸送は、銀河同士の相互作用によって生じる非軸対象ポテンシャルにより引き起こされると考えられている。非軸対象ポテンシャルの代表的な例は棒状ポテンシャルであるが、すべての活動銀河がはっきりとした棒状ポテンシャルをもっている訳ではなく、楕円銀河のように非常に弱い非軸対象ポテンシャルの下でどのようにガスが中心領域に輸送されるのか、観測的に明らかにする必要がある。我々はペルセウス銀河団の中心に位置する楕円セイファート銀河NGC1275(距離70Mpc)の2.6mm COJ=1-0輝線と2mH2v=1-0S(1)輝線の高分解能観測を中心領域において行った。NGC1275は、すでに分子ガスの存在が確認されており、周囲に多くの銀河が存在していてNGC1275と相互作用している可能性も強いため、ガスの輸送メカニズムを探るには絶好の観測対象である。以下に、CO輝線とH2輝線の観測結果、およびそれらから提案されるガス輸送のシナリオを示す。

2.ミリ波COJ=1-0輝線:非対称分布(r<10kpc)、および2つのピークとそれを結ぶアーク状の分子雲構造(r〜1.2kpc)

 CO輝線の観測は、国立天文台野辺山宇宙電波観測所の10mミリ波干渉計を用いて行なった。観測した中心周波数は113.28GHz、バンド幅は320MHzである。バンドパス補正用には3C454.3を観測した。位相補正はNGC1275の中心核に強い電波源(6Jy)があるため自己補正をした。速度分解能は0.84km s-1ビームサイズは5.1"×3.6",P.A.=5.6"であった。

 観測領域1’のCO輝線のマップは、過去の21"ビーム等の観測に比べて多くのピークに分解された。中心20"以内では全COフラックスの30%が検出されたが、それ以外のCO輝線はすべて西側r<10kpcの領域から放射されている。この非対称な分子ガスの分布は、NGC1275の周辺にある他の銀河との相互作用で形成されたと考えられる。また、r<10kpcの領域内に存在する分子ガスの全質量は、約3×1010である。これだけの質量のガスは、NGC1275に向かって降下してくるペルセウス銀河団内のクーリングフローガスの供給率だけでは説明できず、NGC1275の別の銀河との合体も関与していると思われる。事実、107-108年前に別の銀河との合体があったことが、可視光で観測されたシェルやリップル状の構造によって明らかにされている。

 一方、r<1.5kpcの中心領域から放射されているCO輝線は2つのピークとそれを結ぶアーク状の構造をしており、分子ガスがr〜1.2kpcの軌道上を約210km s-1のスピードで中心核の周りを回転していることがわかった。以下の4つはこの領域の分子ガスの主な特徴である。第一は、回転軌道面の傾き(〜45゜)である。もし、軌道の南側の部分が我々から遠ざかる方に傾いていたとすると、この分子ガスの軌道面はVLBIで観測された電波ジェット(視線方向に対して南に30°-50°の角度で我々に向かって放出されているジェット)に対して垂直であることになる。第二は、CO輝線の中心領域マップとハッブル宇宙望遠鏡で撮った同じ領域の可視光のイメージを重ねてみると、2本のダークレーンがr〜1.2kpcにある2つのCO輝線のピークから外側に向かって伸びていろように見えることである。このような現象は棒状銀河でも観測されており、その場合、2つのCO輝線ピークがInner Lindblad Resonance(ILR)とよばれる共鳴点で観測されている点が大変興味深い。第三は、r〜1.2kpcにある分子ガスが、重力的に不安定な状態にあることである。一般に、分子ガスの質量はそこでのダイナミカルな質量(rv2/G)の10%を越えると重力的に不安定であると考えられる。r<1.2kpcのダイナミカルな質量は1.4×1010であるのに対し、r〜1.2kpcの軌道上にある分子ガスの質量は6×109もある。第四は、この領域でのバースト的星生成の可能性である。遠赤外100m連続波光の観測によると、空間分布は分解能30"では分解されず、中心核を除いた領域の熱的放射はLIR=1.0×1011あると報告されている。同じ30"以内の範囲にある分子ガスの質量はM(H2)=1.8×1010なので、LIR/M(H2)は6/となりスターバースト銀河のLIR/M(H2)(5-20/)と同じような値になる。したがって、中心30"以内でスターバーストが起こっていることは大いに期待される。もし、空間分解されなかった100m連続波が全てr〜1.2kpcの分子ガスと同じ領域から放射されていると、LIR/M(H2)は17/となり、この軌道上でのスターバーストは充分示唆される。この場合のLIR/M(H2)は、銀河間相互作用のある系に存在するスターバースト銀河の値(LIR/M(H2)〜20/)にも近く、注目に値する。

3.近赤外H2輝線:r<340pcの中心集中

 H2輝線の観測は、ハワイのInfrared Telescope Facilityで、3m赤外線望遠鏡にthe Cryogenic Echelle Spectrographを取付けて行なった。検出器は、NICMOS-3アレイ(256×256 pixels,1-2.5mHgCdTe,0.25"/pixel,3.75km s-1/pixel)を用いた。スリットは、2"×30"のサイズで、NGC1275の中心核の位置を中心にして東西方向に設置した。速度分解能は3.0km s-1空間分解能は2"であった。

 H2輝線の空間分布は分解されなかった。上記のCO輝線とは対象的に、中心r<340pcにH2輝線が集中していることになる。中心2"×2"での速度プロファイルは速度分解され、中心速度が銀河のシステミック速度に等しいcz=5255km s-1(VLSR)、速度輻はFWHM=250km s-1で、ガウシアンでフィットできた。また、このH2輝線は励起温度が数千度の熱的放射であることが、別の観測からわかっている。速度プロファイルがガウシアンに近いことから、中心r<340pcに存在する分子ガスは、ランダムな運動をしているのではないかと考えられる。そのような状況下では、分子雲同士の衝突で衝撃波が生じるので、水素分子の熱的励起を説明することができる。また、衝突時の相対速度が50km s-1を超すと水素分子は解離してしまうので、数10km s-1の相対速度で分子雲同士が衝突していることが予想される。

4.ガス輸送のシナリオ

 以上の観測結果は、非軸対象ポテンシャル中のガス運動を調べたモデル計算で良く説明できる。シミュレーションによると、非軸対象ポテンシャル(バーポテンシャルなど)の回転速度がある程度遅くILRが存在するような状況下では、ガスは一度ILR付近にリング状に集まる。ガスがILR付近に自己重力を無視できないくらい集まってくると重力的に不安定になり、ガスのリングは崩壊する。こうしてILR付近に集まっていたガスはさらに中心へ落ちていくことになる。以下に、NGC1275で推測されるガス輸送シナリオを、我々の観測結果とモデル計算を参照しながら提案する。

 NGC1275に銀河が接近し、相互作用で非軸対象ポテンシャルが生じた。ガスはこのポテンシャルにより中心に向かって落ちはじめ、r〜1.2kpc付近のILRでリング状に集められた。CO輝線で観測された回転軌道はこれにあたる。リング上のガスは、重力的に不安定になり、ガスはさらに中心に向かって落ちた。落ちた分子雲が中心r<340pcの領域で数10km s-1の相対速度で衝突しあう。この衝突により熱的に励起された水素分子がH2輝線として観測されたのである。

 NGC1275の中心数キロパーセクで観測されたCOとH2輝線の構造は、セイファート銀河NGC1068の同じ領域で観測されたものと非常に良く似ている。NGC1068の場合は、2mで観測されたバーポテンシャルによってCO輝線のリング状分布が形成されたと考えられている。今回、楕円銀河であるNGC1275でも同じような分子ガス構造が見つかったことで、楕円銀河にあるような弱い非軸対象ボテンシャルでもガスを中心領域まで輸送しAGN形成に重要な役割を果たしていることが明らかになった。

審査要旨

 本論文はミリ波一酸化炭素回転遷移線と近赤外水素分子振動遷移線という2種の輝線スペクトルを観測することによって銀河中心部における分子ガスの分布およびその運動を調べ、活動銀河中心核の形成のプロセスを明らかにすることを目指したものである。

 第1章では研究の背景と今回選択した観測手法の特徴、および観測対象について述べている。活動銀河中心核とは可視光で明るく輝く銀河中心核で、そのエネルギー源は中心に形成されたブラックホールへ落ち込むガスの重力エネルギーであると考えられているが、その形成、および、外周部から中心へのガスの輸送のメカニズムはよくわかっていない。今までの活動銀河中心核の研究は、主として可視光分光観測を用いて、中心部の高温電離ガスの物理状態とその運動から、中心に存在するであろうブラックホールの正体を明らかにすることに重点がおかれてきた。一方、近年の計算機による2次元、3次元の数値シミュレーションは、銀河と銀河が接近してお互いにその重力を及ぼしあうと、それぞれの銀河はその形状が大きく変化し、二つの銀河が合体することがあることを示している。実際に、その様々な過程を示唆する銀河がいくつも観測されている。活動銀河中心核を持つ銀河の比較的中心部の分子ガスの分布は、幾つかの渦巻銀河で調べられているが、論文提出者は、活動銀河中心核の形成が、銀河の全体の形状、すなわち、銀河全体としてのガスの量や角運動量、重力ポテンシャルなどに主に支配されるのか、あるいは、比較的中心部のガスの構造によって左右されるのかを考察するために、今までに数例の観測がなされている渦巻銀河ではなく、観測例のない楕円銀河であるNGC1275を観測対象に選んだ。これは、数少ないデータではあるが、ケーススタディーとしては、重要な着眼点である。

 第2、第3章では上記の問題意識を基に、異なる2種の観測の詳細について述べている。比較的低温の分子ガスの分布をミリ波―酸化炭素輝線で調べ、中心核近傍の、激しい衝突により高温になった分子ガスを近赤外水素分子輝線で探る。まず、ミリ波―酸化炭素輝線を、国立天文台野辺山宇宙電波観測所のミリ波干渉計で観測した。この干渉計は、世界でも有数の感度と空間分解能を有し、今回のデータは、以前の単一鏡でのデータでは決して見ることのできなかった数秒スケールの構造を分解している。この銀河はたいへん強い電波連続波源であり、これはこの強い連続波成分で位置の決定が精度よくできると同時に、波長の感度特性をよほどよく較正できないと、線スペクトルの強度決定の不確定さが大きくなってしまうという困難さを併せ持つ。論文提出者はこの較正を丁寧におこない、このような連続波成分に対して弱い線スペクトルの検出が可能であることを示した。その結果、この観測によって、この銀河の10キロパーセクスケールの非軸対称なガスの分布を明らかにし、さらに、半径1.2キロパーセクのリング状の構造を分解した。一方、近赤外水素分子輝線をハワイマウナケア天文台の3m赤外線望遠鏡を用いて観測し、そのスペクトルが、半値幅毎秒約250キロメートルのガウス分布でフィットでき、中心340パーセクに集中していることを示した。活動銀河中心核からの水素分子輝線の速度プロファイルを分解したのは初めてである。

 第4章では前の章で述べた新しいデータをもとに、ガス輸送機構の一つのモデルを提案している。つまり、他の銀河との相互作用の結果、非軸対称な重力ポテンシャルが形成され、それによって中心付近にリング状の構造ができる。さらに、そのリングの不安定性によって中心に落ち込んだガスクランプがお互いに衝突し、衝撃波を生じ、水素分子輝線を放射するというものである。さらに、中心1キロパーセクにおける分子ガスの構造は、よく調べられている渦巻銀河NGC1068の活動銀河中心核とそのスケールまでもが非常によく似ている。これは、活動銀河中心核の形成、およびガスの輸送を支配する機構が、銀河の大局的形態にはよらず、中心部のリング状の構造に強く支配されていることを示唆するものである。

 第5章ではこの論文全体のまとめが述べられている。

 今回の観測によって、活動銀河中心核の形成のプロセスがすべて明らかになったわけではないが、本論文は、今後の研究を進める上で大変重要な指針と手がかりを与えている。まず、一酸化炭素輝線と水素分子輝線との観測の組み合わせが極めて有効であることを示したこと、次に、唯一の解ではないが、ガス輸送機構の一つのモデルに合致する観測データを得たこと、最後に、活動銀河中心核の中心1キロパーセク以内の分子ガスは銀河の形態によらず、同じ振舞いを示すようにみえることである。このように本論文は、活動銀河中心核へのガスの輸送機構の解明に重要な寄与をなしたものである。

 なお、本研究は、亀野誠二、川辺良平、井上允、長谷川哲夫、田中培生氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって観測を企画し、観測、データ解析を行い、論文を執筆しており、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 以上の理由により、審査委員会は全員一致をもって、論文提出者に対し博士(理学)の学位を授与できると判断した。

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