本論文はミリ波一酸化炭素回転遷移線と近赤外水素分子振動遷移線という2種の輝線スペクトルを観測することによって銀河中心部における分子ガスの分布およびその運動を調べ、活動銀河中心核の形成のプロセスを明らかにすることを目指したものである。 第1章では研究の背景と今回選択した観測手法の特徴、および観測対象について述べている。活動銀河中心核とは可視光で明るく輝く銀河中心核で、そのエネルギー源は中心に形成されたブラックホールへ落ち込むガスの重力エネルギーであると考えられているが、その形成、および、外周部から中心へのガスの輸送のメカニズムはよくわかっていない。今までの活動銀河中心核の研究は、主として可視光分光観測を用いて、中心部の高温電離ガスの物理状態とその運動から、中心に存在するであろうブラックホールの正体を明らかにすることに重点がおかれてきた。一方、近年の計算機による2次元、3次元の数値シミュレーションは、銀河と銀河が接近してお互いにその重力を及ぼしあうと、それぞれの銀河はその形状が大きく変化し、二つの銀河が合体することがあることを示している。実際に、その様々な過程を示唆する銀河がいくつも観測されている。活動銀河中心核を持つ銀河の比較的中心部の分子ガスの分布は、幾つかの渦巻銀河で調べられているが、論文提出者は、活動銀河中心核の形成が、銀河の全体の形状、すなわち、銀河全体としてのガスの量や角運動量、重力ポテンシャルなどに主に支配されるのか、あるいは、比較的中心部のガスの構造によって左右されるのかを考察するために、今までに数例の観測がなされている渦巻銀河ではなく、観測例のない楕円銀河であるNGC1275を観測対象に選んだ。これは、数少ないデータではあるが、ケーススタディーとしては、重要な着眼点である。 第2、第3章では上記の問題意識を基に、異なる2種の観測の詳細について述べている。比較的低温の分子ガスの分布をミリ波―酸化炭素輝線で調べ、中心核近傍の、激しい衝突により高温になった分子ガスを近赤外水素分子輝線で探る。まず、ミリ波―酸化炭素輝線を、国立天文台野辺山宇宙電波観測所のミリ波干渉計で観測した。この干渉計は、世界でも有数の感度と空間分解能を有し、今回のデータは、以前の単一鏡でのデータでは決して見ることのできなかった数秒スケールの構造を分解している。この銀河はたいへん強い電波連続波源であり、これはこの強い連続波成分で位置の決定が精度よくできると同時に、波長の感度特性をよほどよく較正できないと、線スペクトルの強度決定の不確定さが大きくなってしまうという困難さを併せ持つ。論文提出者はこの較正を丁寧におこない、このような連続波成分に対して弱い線スペクトルの検出が可能であることを示した。その結果、この観測によって、この銀河の10キロパーセクスケールの非軸対称なガスの分布を明らかにし、さらに、半径1.2キロパーセクのリング状の構造を分解した。一方、近赤外水素分子輝線をハワイマウナケア天文台の3m赤外線望遠鏡を用いて観測し、そのスペクトルが、半値幅毎秒約250キロメートルのガウス分布でフィットでき、中心340パーセクに集中していることを示した。活動銀河中心核からの水素分子輝線の速度プロファイルを分解したのは初めてである。 第4章では前の章で述べた新しいデータをもとに、ガス輸送機構の一つのモデルを提案している。つまり、他の銀河との相互作用の結果、非軸対称な重力ポテンシャルが形成され、それによって中心付近にリング状の構造ができる。さらに、そのリングの不安定性によって中心に落ち込んだガスクランプがお互いに衝突し、衝撃波を生じ、水素分子輝線を放射するというものである。さらに、中心1キロパーセクにおける分子ガスの構造は、よく調べられている渦巻銀河NGC1068の活動銀河中心核とそのスケールまでもが非常によく似ている。これは、活動銀河中心核の形成、およびガスの輸送を支配する機構が、銀河の大局的形態にはよらず、中心部のリング状の構造に強く支配されていることを示唆するものである。 第5章ではこの論文全体のまとめが述べられている。 今回の観測によって、活動銀河中心核の形成のプロセスがすべて明らかになったわけではないが、本論文は、今後の研究を進める上で大変重要な指針と手がかりを与えている。まず、一酸化炭素輝線と水素分子輝線との観測の組み合わせが極めて有効であることを示したこと、次に、唯一の解ではないが、ガス輸送機構の一つのモデルに合致する観測データを得たこと、最後に、活動銀河中心核の中心1キロパーセク以内の分子ガスは銀河の形態によらず、同じ振舞いを示すようにみえることである。このように本論文は、活動銀河中心核へのガスの輸送機構の解明に重要な寄与をなしたものである。 なお、本研究は、亀野誠二、川辺良平、井上允、長谷川哲夫、田中培生氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって観測を企画し、観測、データ解析を行い、論文を執筆しており、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 以上の理由により、審査委員会は全員一致をもって、論文提出者に対し博士(理学)の学位を授与できると判断した。 |