序 蛋白質合成系には「核酸と蛋白質のいずれが先に出現したか」と言うパラドックスが存在する。そして、蛋白質合成系において中心的役割をはたしているリボソームは、核酸(リボソームRNA、rRNA)と蛋白質の複合体である。これまで、リボソームの活性中心は、リボソームの蛋白質上に存在しており、rRNAはリボソームの骨組みを構成しているにすぎないと考えられてきた。しかし、触媒機能を有するRNA、すなわちリボサイムが発見され、さらにrRNAがリボソームの各機能に直接関与していることを示唆する実験事実が集積されており、蛋白質合成の活性中心は、実は、rRNAに存在するのではないかとの考えが、認められつつある。 6章からなる本論文は、蛋白質合成におけるrRNAの触媒活性を証明することを目的として、従来とは全く異なる発想に立ち、有機溶媒を用いた、新規な生体外蛋白質合成系の構築を論じたものである。 1.有機溶媒を用いた生体外蛋白質合成系 ピリジンと水から構成される、有機溶媒と水との混合系中では、従来の水溶液系で構築された生体外蛋白質合成系において不可欠である可溶性蛋白質因子やグアノシン三リン酸(GTP)を一切必要とすることなく、フェニルアラニル転移RNAからのオリゴフェニルアラニン合成が、リボソーム上で進行することが示された。さらに、その基本的なメカニズムは従来の水溶液系と同様であることが、抗生物質を用いた実験から示唆された。 また、ピリジン存在下においても、数十量体から水溶液系と同程度までの重合度分布を有するポリペプチドが、普遍暗号に従って、鋳型RNA依存的に合成されていることが、高速液体クロマトグラフィーを用いた分析結果より、数種類のアミノ酸の場合について確認された。このことは、遺伝暗号の翻訳のみならず、トランスロケーションが、可溶性蛋白質因子の関与なしに進行している可能性を意味する。 2.核酸塩基類による蛋白質合成系の活性効果 ピリジンは最も簡単な芳香族三級アミンであり、芳香族三級アミン類は広く求核置換反応を触媒することが知られている。そして蛋白質合成の重要な素過程であるペプチド結合形成反応は、リボソーム上で進行する典型的な求核置換反応である。ピリジンはこの反応を促進していると考え、プリン、ピリミジン、さらにアデニンやシトシンなどの核酸塩基も同様の効果を有することを見い出した。これらの結果は、蛋白質合成に、RNAを構成する核酸塩基類の芳香族性窒素が直接関与しているのではないか、という新たな概念を打ち出している。 3.リボソームの活性中心 大腸菌および高度好熱菌由来のリボソームをSDS処理、およびSDS存在下プロテアーゼ処理して除蛋白したのち、ピリジン系で、ポリウリジル酸存在下のオリゴフェニルアラニン合成活性を測定したところ、いずれのリボソームについてもペプチド合成活性は低下せず、活性の保持が確認された。さらに、リボソームをフェノール処理すると、大腸菌由来の系は完全に失活したが、高度好熱菌の場合は、活性の保持が同様に確認された。このことは、ピリジン存在下の蛋白質合成系であれば、除蛋白質処理されたリボソームが蛋白質合成能を保持することを明らかにしていると共に、蛋白質合成にrRNAが、深く関与していることを示唆している。 本論文の考察および意義 これまでに、蛋白質合成系のメカニズム解明を目的としたモデルアッセイ系が多数報告されてきたにもかかわらず、蛋白性因子の関与なしにrRNAのみで反応が進行する系は見い出されていない。本論文はこの点に着目し、rRNAが直接的にリボソーム機能を担っていることを検証するに基礎的、かつ重要な知見を提供したもので、意義深いものと考える。 特に、ピリジン存在下における、可溶性蛋白質因子を必要としないトランスロケーション、除蛋白処理されたリボソームによるペプチド結合形成反応、さらにrRNAの塩基部分に存在する芳香族性窒素がペプチド結合形成反応において中心的な役割を演じている可能性の実証など、いずれも蛋白質合成系に関する今後の研究に、新たな道を開いたものであると思われる。 また、本研究は蛋白質合成の各素過程をrRNAのみで進行させることが最終目標で、未解決の問題も多数あるが、本論文で明らかにされた知見は全くこれまでに報告されておらず極めて新規性の高いもので、独創性、斬新性という観点から、この分野の進展に充分な貢献をするものと判断された。よって論文提出者、新田至は、博士(理学)の学位を受けるに十分な資格があるものと判定された。 なお、本論文の主要な部分は、連名で印刷公表済みであるが、そこに記載された殆どは論文提出者によって行なわれたものであり、実質的寄与は全て論文提出者によるものである。 |