学位論文要旨



No 212738
著者(漢字) 新田,至
著者(英字)
著者(カナ) ニッタ,イタル
標題(和) 可溶性蛋白質因子やエネルギーを必要としない、三級アミン類により活性化された生体外蛋白質合成系 : 翻訳系の起源との関連
標題(洋) Factor-and energy-free peptide synthesis catalyzed by tertiary amines : Implications on the origin of translation.
報告番号 212738
報告番号 乙12738
学位授与日 1996.03.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第12738号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 中村,義一
 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 教授 西郷,薫
 東京大学 教授 榊,佳之
 東京大学 教授 黒田,玲子
内容要旨 はじめに

 リボソームは数十種類のリボソーム蛋白質と数種類のリボソームRNA(rRNA)から構成される大および小サブユニットの会合体で、その基本的な構造は全ての生物種に共通である。そして、蛋白質合成の活性中心はリボソーム蛋白質上に存在し、rRNAはリボソームの骨組みを維持しているにすぎないと歴史的には考えられてきた。しかし、ある種のRNAに触媒活性のあること(リボサイム)が発見され、さらに蛋白質合成の各過程で遺伝情報性RNA(mRNA)を初めとして、転移RNA(tRNA)やrRNAが直接関与していることを示する実験事実が多量に集積されており、実は蛋白質合成の活性中心はrRNAに存在するのではないかとの考えが徐々に広まってきた1)。このことは、鶏と卵の関係にある核酸と蛋白質のどちらが先に生命体として出現したかと言う、分子生物学最大のパラドックスに対し、「生命は自己複製能を有するRNAのみで構成される環境に端を発した(RNAワールド仮説)のではないか」というヒントを与えているのである。

 現在までに、蛋白質合成系のメカニズム解明を目的としたモデルアッセイ系が多数提出されてきた。しかしながら、裸のrRNAのみで進行する反応は、翻訳のいずれの素過程にも見つかっておらず、我々は、rRNAがリボソーム機能を担っていることを検証するには、大胆な発想に基づく新たなアッセイ系の確立が不可欠であると考え、従来とは全く異なった発想に立って、新規な生体外蛋白質合成系を構築した。

有機溶媒を用いた生体外蛋白質合成系

 我々は、ピリジンと水から構成される、有機溶媒と水との混合系において、可溶性蛋白質因子やアデノシン三リン酸(ATP)、グアノシン三リン酸(GTP)を一切必要とすることなく、生体外蛋白質合成が進行することを発見した。この系は、アミノアシルtRNA、mRNA、リボソーム、カチオンそしてピリジンのみから構成されており、クロラムフェニコールなどの原核動物の蛋白質合成を阻害する各種の抗生物質で阻害される。このことは、従来の水系に比べ、本系は極めて単純化されているものの、基本的な合成メカニズムは従来と同様であることを意味している。さらに、ポリウリジル酸を鋳型としてフェニルアラニルtRNAよりオリゴフェニルアラニンを合成する場合を例に取り、ピリジン濃度が収率に与える影響を図1に示した。○はポリウリジル酸が存在している場合、●は存在していない場合で、反応温度は37℃、反応時間は1時間である。ポリウリジル酸の有無に関係なく、ピリジン濃度50%の場合が最も高収率(69.5%)であるが、ピリジン濃度が60%近傍の場合、ポリウリジル酸の存在による収率の上昇が最も顕著であり、このことは重合活性の鋳型依存性が最も厳密であることを意味する。

Fig.1.Template dependency of[14C]polyphenylalanine synthesis at various concentrations of pyridine.

 ピリジン系で合成されたペプチドの重合度をHPLC(カラム:ODS、溶出系:アセトニトリル/水)を用いて分析した結果、ポリウリジル酸存在下のオリゴフェニルアラニン合成の場合で少なくとも5以上、ポリアデニル酸存在下ポリリジン合成で40前後であることを確認した。さらに、ウリジル酸とシチジル酸の交互共重合ポリマーを鋳型とした場合のピリジン系生成産物が、セリンとロイシンの交互共重合ペプチドであることを、HPLCにて同様に分析することにより確認した。これらの実験事実より、ピリジン存在下においても、水溶液系と同程度の重合度を有するポリペプチドが、普遍暗号に従って合成されていると考えられる。

核酸塩基類による蛋白質合成系の活性効果

 ピリジンは最も簡単な芳香族三級アミンであり、芳香族三級アミン類は広く求核置換反応を触媒することが知られている。そして蛋白質合成の重要な素過程であるペプチド結合形成反応は、リポソーム上で進行する典型的な求核置換反応であり、ピリジンはこの反応を促進していると考えられる。我々はこの考え方をさらに進め、プリン、ピリミジン、さらにアデニンやシトシンなどの核酸塩基も同様の効果を有することを見い出した。図2には、核酸塩基類としてアデニン、グアニン、シトシン、チミンそしてウラシルを用い、これら核酸塩基類の濃度上昇に従い、蛋白質合成が促進されるか否かを示したものである。なお、アデニンおよびグアニンの飽和溶解度は、それぞれ5および0.5mMである。この図より、アデニンとシトシンは促進効果を有していることがわかるが、これらの塩基にはピリジンと同様、分子内に芳香族性の窒素(図の構造式中○で囲んだもの)が存在している。一方この窒素をもたないチミンやウラシルでは促進効果は殆ど見られない。この結果は、蛋白質合成に、RNAを構成する核酸塩基類の芳香族性窒素が直接関与しているのではないかという考えを抱かせる。

Fig.2.Yields of polyphenylalanine at various concentrations of nucleobases.The broken line represents the yield in the absence of bases.
リボソームの活性中心

 蛋白質合成の基本反応にrRNAが直接関与する可能性は、NierhausらおよびNollerらのグループにより報告されている。Nierhausらは、大サブユニットの試験管内再構成技術を駆使することにより、ペプチド結合形成反応に必要な大腸菌大サブユニットの最小構成要素は、リボソーム蛋白質のL2〜L4、および23SrRNAであること、すなわち、rRNAは必須であるのに対し、リボソーム蛋白質は殆ど必要ないことを報告している2,3)。Nollerらは、高度好熱菌のリボソーム大サブユニットに対し、SDS存在下でproteinaseK(PK)処理後、さらにフェノールで入念に除蛋白質処理を行っても(35Sラベルにより定量した残存リボソーム蛋白質量は5%)、ペプチド結合形成活性は全く失われないことを報告した4)

 我々は、ピリジン存在下の蛋白質合成系であれば、同様に除蛋白質処理されたリボソームが蛋白質合成能を保持することを確認した。大腸菌および高度好熱菌由来のリボソームをSDS処理、SDS存在下PK処理、およびフェノール処理したのち、このリボソームを用いて、ポリウリジル酸存在下ピリジン(60%)系でのオリゴフェニルアラニン合成活性を測定したところ、SDS処理では、いずれのリボソームについてもペプチド合成活性は低下せず、PK処理でも好熱菌で80%、大腸菌で34%の活性が保持されていた。リボソームをフェノール処理すると、大腸菌の場合は完全に失活したが、好熱菌の場合、16%の活性が保持されていた。このことは、蛋白質合成の各素過程にrRNAが深く関与していることを示唆している。

おわりに

 蛋白質生合成においてrRNA、特にその塩基部分に存在する芳香族性窒素が中心的な役割を演じている可能性を、本研究で示唆してきた。ピリジン存在下の蛋白質合成系を用いれば、ペプチド結合生成反応を初めとする翻訳の素過程を、rRNAのみで進行できる可能性があるが、リボソームからrRNAを抽出する従来法では、純粋なrRNAを調製することは不可能である。今後は試験管内転写により得られたrRNAを用いて、検討していく予定である。

文献1)H.F.Noller,Annu.Rev.Biochem.60,191-227(1991).2)H.Schulze and K.H.Nierhaus,EMBO J.1,609-613(1982).3)F.J.Franceschi and K.H.Nierhaus,J.Biol.Chem.265,16676-16682(1990).4)H.F.Noller,V.Hoffarth,L.Zimniak,Science 256,1416-1419(1992).
審査要旨

 蛋白質合成系には「核酸と蛋白質のいずれが先に出現したか」と言うパラドックスが存在する。そして、蛋白質合成系において中心的役割をはたしているリボソームは、核酸(リボソームRNA、rRNA)と蛋白質の複合体である。これまで、リボソームの活性中心は、リボソームの蛋白質上に存在しており、rRNAはリボソームの骨組みを構成しているにすぎないと考えられてきた。しかし、触媒機能を有するRNA、すなわちリボサイムが発見され、さらにrRNAがリボソームの各機能に直接関与していることを示唆する実験事実が集積されており、蛋白質合成の活性中心は、実は、rRNAに存在するのではないかとの考えが、認められつつある。

 6章からなる本論文は、蛋白質合成におけるrRNAの触媒活性を証明することを目的として、従来とは全く異なる発想に立ち、有機溶媒を用いた、新規な生体外蛋白質合成系の構築を論じたものである。

1.有機溶媒を用いた生体外蛋白質合成系

 ピリジンと水から構成される、有機溶媒と水との混合系中では、従来の水溶液系で構築された生体外蛋白質合成系において不可欠である可溶性蛋白質因子やグアノシン三リン酸(GTP)を一切必要とすることなく、フェニルアラニル転移RNAからのオリゴフェニルアラニン合成が、リボソーム上で進行することが示された。さらに、その基本的なメカニズムは従来の水溶液系と同様であることが、抗生物質を用いた実験から示唆された。

 また、ピリジン存在下においても、数十量体から水溶液系と同程度までの重合度分布を有するポリペプチドが、普遍暗号に従って、鋳型RNA依存的に合成されていることが、高速液体クロマトグラフィーを用いた分析結果より、数種類のアミノ酸の場合について確認された。このことは、遺伝暗号の翻訳のみならず、トランスロケーションが、可溶性蛋白質因子の関与なしに進行している可能性を意味する。

2.核酸塩基類による蛋白質合成系の活性効果

 ピリジンは最も簡単な芳香族三級アミンであり、芳香族三級アミン類は広く求核置換反応を触媒することが知られている。そして蛋白質合成の重要な素過程であるペプチド結合形成反応は、リボソーム上で進行する典型的な求核置換反応である。ピリジンはこの反応を促進していると考え、プリン、ピリミジン、さらにアデニンやシトシンなどの核酸塩基も同様の効果を有することを見い出した。これらの結果は、蛋白質合成に、RNAを構成する核酸塩基類の芳香族性窒素が直接関与しているのではないか、という新たな概念を打ち出している。

3.リボソームの活性中心

 大腸菌および高度好熱菌由来のリボソームをSDS処理、およびSDS存在下プロテアーゼ処理して除蛋白したのち、ピリジン系で、ポリウリジル酸存在下のオリゴフェニルアラニン合成活性を測定したところ、いずれのリボソームについてもペプチド合成活性は低下せず、活性の保持が確認された。さらに、リボソームをフェノール処理すると、大腸菌由来の系は完全に失活したが、高度好熱菌の場合は、活性の保持が同様に確認された。このことは、ピリジン存在下の蛋白質合成系であれば、除蛋白質処理されたリボソームが蛋白質合成能を保持することを明らかにしていると共に、蛋白質合成にrRNAが、深く関与していることを示唆している。

本論文の考察および意義

 これまでに、蛋白質合成系のメカニズム解明を目的としたモデルアッセイ系が多数報告されてきたにもかかわらず、蛋白性因子の関与なしにrRNAのみで反応が進行する系は見い出されていない。本論文はこの点に着目し、rRNAが直接的にリボソーム機能を担っていることを検証するに基礎的、かつ重要な知見を提供したもので、意義深いものと考える。

 特に、ピリジン存在下における、可溶性蛋白質因子を必要としないトランスロケーション、除蛋白処理されたリボソームによるペプチド結合形成反応、さらにrRNAの塩基部分に存在する芳香族性窒素がペプチド結合形成反応において中心的な役割を演じている可能性の実証など、いずれも蛋白質合成系に関する今後の研究に、新たな道を開いたものであると思われる。

 また、本研究は蛋白質合成の各素過程をrRNAのみで進行させることが最終目標で、未解決の問題も多数あるが、本論文で明らかにされた知見は全くこれまでに報告されておらず極めて新規性の高いもので、独創性、斬新性という観点から、この分野の進展に充分な貢献をするものと判断された。よって論文提出者、新田至は、博士(理学)の学位を受けるに十分な資格があるものと判定された。

 なお、本論文の主要な部分は、連名で印刷公表済みであるが、そこに記載された殆どは論文提出者によって行なわれたものであり、実質的寄与は全て論文提出者によるものである。

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