学位論文要旨



No 212739
著者(漢字) 馬場,美鈴
著者(英字)
著者(カナ) ババ,ミスズ
標題(和) 酵母の自食作用に関する形態学的研究
標題(洋) Ultrastructural Analysis of the Autophagic Process in Yeast
報告番号 212739
報告番号 乙12739
学位授与日 1996.03.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第12739号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 大隅,良典
 東京大学 教授 安楽,泰宏
 東京大学 教授 黒岩,常祥
 東京大学 教授 東江,昭夫
 日本女子大学 教授 大隅,正子
内容要旨

 細胞は外界の飢餓環境に遭遇した時、必要な栄養源獲得のため、あるいは生理活性維持のため既存の蛋白の代謝回転を切り換え、大規模な蛋白分解を誘導する。自食作用は、外界の栄養源の枯渇に呼応して生じる細胞内の重要な非選択的なバルクの蛋白分解機構である。この機構は細胞の生存に関わるため、分子レベルでの様々の制御機構が働いていると考えられる。自食作用の機構については、動物細胞のライソゾームの系で解祈が試みられ、自己の細胞質成分や小器官の隔離、自食胞の形成とその酸性化、ライソゾームとの融合、分解等、形態学的に複雑な変化を伴う。そのため、自食作用の膜動態や膜の由来に関して依然として多くのことが不明である。また栄養飢餓の認識や情報伝達、あるいは膜融合など、分解の制御機構に関わる分子装置に関してはほとんど何も解明されていない。

 酵母細胞には、主に二つの主要な蛋白分解経路が存在する。一つは、細胞質におけるユビキチンープロテアソームによる特異的な分解系であり、もう一つは液胞における分解糸である。酵母の液胞は酸性コンパートメントで、そこに含まれる加水分解酵素は、胞子形成や栄養増殖後期、あるいは栄養飢餓条件下においてその活性が誘導される。このことから液胞がライソゾームによる自己の細胞内成分のバルクな分解系と同様な反応に寄与することが示唆されていたが、実際には、その分解機構の過程はまだ解明されていなかった。本研究では、栄養飢餓条件下で酵母がどの様な分解機構によって、液胞内での蛋白分解を進行させるのかを形態学的見地から解析することを目的とした。

I、自食液胞の形態観察1、飢餓条件下の液胞内に出現する球形構造体の観察

 栄養飢餓に呼応した細胞内の生理現象を観察するために、液胞内の主要な蛋白分解酵素欠損株は、分解反応が阻害され、分解過程の中間段階を捕えることができる有利な系であると考えられる。そこで液胞内の主要な分解酵素と考えられるproteinase A.proteinase B.carboxypeptidase Yの欠損した変異株を用いた。この変異株を富栄養培地から窒素源の飢餓培地に移して蛋白分解を誘導し、光学顕微鏡下で観察した。およそ1時間後から液胞内に球形構造体が出現し、激しくブラウン運動するのが観察された。この構造体は時間の経過に伴ってその数が増加し、飢餓条件下3時間後には、ほとんどすべての細胞の液胞内に多数蓄積した(図1)。この現象は炭素源の飢餓、アミノ酸の飢餓、あるいは栄養要求性の単一のアミノ酸の飢餓においても誘導されることがわかった。

2、球形構造体の微細構造観察

 栄養飢餓条件下に生じる細胞内の形態変化を捕らえるために電子顕微鏡によって微細構造レベルで解析した。電顕観察の手段として、近年細胞内微細構造を最も良く保存する方法として電顕分野で広く行われている急速凍結置換固定法を用いた。この方法は、細胞の生育状態において、時間的に瞬間的に固定するために、本実験では、液胞膜の形態が固定時間の間に変化することなく、自然な状態で保存されており、特に液胞膜と自食胞(後述)の相互関係が正しく捕らえられた。

 液胞内に蓄積した球形構造体の微細構造を観察した(図2)。それは大きさが約400-800nmで、一重膜で囲まれていた。構造体の内部はリボゾームを含んでおり、その密度は細胞質とほぼ一致していた。さらに細胞質に存在しているような粗面小胞体、脂質顆粒あるいはミトコンドリアなども含まれていた。ミトコンドリアが液胞内に取り込まれることは、DAPI染色により、ミトコンドリア核様体が、球形構造体の動きと一致して液胞内でブラウン運動することからも確認された。これらの結果から球形構造体の内部は自己の細胞質成分の一部であると判断し、この構造体を自食体(autophagic body)と名付けた。

3、細胞質可溶性酵素の局在

 液胞内に取り込まれた自食体内の成分を免疫電顕法により調べた。アルコール脱水素酵素、およびホスホグリセリン酸キナーゼに対する抗体を用い、二次抗体にprotein A-Goldを標識して可視化した。富栄養培地で生育した細胞では、細胞質可溶性酵素は細胞質に局在し、液胞内には認められなかった。栄養飢餓条件下においた細胞では、免疫反応は細胞質に観察されると同時に液胞内に取り込まれた自食体上にも同じ密度で観察されたが、液胞基質には認められなかった。この結果は、細胞質の可溶性酵素が自食体に含まれた状態で液胞内へ移行したことを示唆する。

 以上の結果から、蛋白分解が誘導される栄養飢餓条件下では、液胞への自己の細胞質成分の非選択的でバルクな取り込みが行われる事が判った。

II、ライソゾームによる分解系と類似した自食作用の過程1、自食胞の発見

 一重膜に囲まれた自己の細胞質の一部を含む自食体が液胞内に出現する機構について検討した。多数の切片を観察した結果、液胞近辺の細胞質中に二重膜で囲まれた球形の構造体を見い出した。大きさは約400-800nmで、液胞内の自食体の大きさと良く対応した。内部は細胞質と同じ密度のリボゾームを含み、免疫電顕法により細胞質可溶性酵素が細胞質と同じ密度で存在することも確認された。さらに、この構造体の膜は、他の細胞内小器官の膜と比較して薄いという特徴を示した。連続切片法により細胞内を詳細に観察した結果、この構造体は完全に閉じた膜構造をもち、液胞近くに単独または数個かたまって存在することがわかった。また、二重膜構造体と液胞膜の一部が接触した像、さらに二重膜構造の外側の膜が液胞膜と連続した像も得られた。これらの事実から、二重膜構造の外側の膜が液胞膜と融合することによって、内部の一重膜で囲まれた自食体を液胞内へ移行させる分解経路が存在することが明らかとなった。この二重膜構造体が液胞内の自食体の前駆体であり、酵母の分解系における自食胞(autophagosome)であると考えられる。この分解経路はライソゾームにおけるmacroautophagyと類似の過程であることが明らかとなった(図3)。

図表図1 窒素源飢餓条件下の液胞形態の変化a,Oh,b,3h. / 図2 炭素源飢餓条件下の液胞内の微細構造 / 図3 飢餓条件下に誘導される細胞内の主要な蛋白分解の模式図
2、野生型酵母における液胞内蛋白分解

 野生型細胞を栄養飢餓条件下においた時、液胞内の自食体の出現頻度は極めて低い。これは、細胞質の一部を液胞内に取り込むと同時に、それらが液胞内酵素によって分解されていることを示唆する。遺伝学的および蛋白分解酵素阻害剤の解析結果の報告から、自食体が液胞内に蓄積するためには、主要な蛋白分解酵素の中のproteinase Bが関与する事が示された。そこでproteinase Bの阻害剤であるPMSFを飢餓培地に添加し、野生型酵母を振蕩すると、細胞質に自食胞の形成と、液胞内に自食体の蓄積が起こることが電子顕微鏡により明らかにされた。さらに自食体を蓄積した細胞を阻害剤を除去して栄養源の豊富な培地に戻すと、自食体は液胞の中で速やかに分解し消失することが明らかとなった。

 以上の結果は、栄養飢餓条件下で新たに形成された自食胞及び自食体が分解反応の中間構造体であり、蛋白分解酵素欠損株において観察された分解過程は正常な自食作用の経路であることが確認された。また、酵母では液胞が栄養飢餓条件下での重要な分解コンパートメントであることが形態学的に明かとなった。

III、自食胞の膜形態

 自食作用の一連の膜動態の中で、自食胞の膜の由来はライソゾーム系においても未解決の問題である。栄養飢餓条件下の細胞質には、自食胞、または液胞膜の近傍に時折完全に閉じられていないカップ型の膜構造が観察された。これは自食胞形成に関わる膜構造であると推定している。自食胞の膜の性質を形態学的に検討するために、免疫電顕法、細胞組織化学法を適用した。PATAgによる糖鎖染色では強く染色された液胞膜に対して、自食胞の膜は弱い、明らかに異なった染色性を示した。さらに自食体および自食胞の膜形態を凍結割断法により観察した。液胞内に蓄積した自食体の凍結割断面には、ほとんど膜内蛋白粒子が存在せず、きわめて特徴的な膜形態を示すことがわかった。また、二重膜から構成される自食胞の内側の膜は、膜内蛋白粒子のほとんど存在しない特異的な膜であることがわかった。このことは、自食体の膜が自食胞の内膜に由来するという考えを強く裏づけた。自食胞の外側の膜には、極めて低い頻度で膜内蛋白粒子が観察された。従って、自食胞の内、外二つの膜は違った性質をもち、膜の機能の分化が示唆された。

審査要旨

 本研究は、酵母細胞Saccharomyces cerevisiaeを用いて、栄養飢餓条件下において液胞内蛋白分解反応を進行させるための細胞内での分解機構を形態学的に解明する目的で行われた。論文は5章よりなる。

 第1章では、栄養飢餓条件下での酵母細胞を電子顕微鏡で観察するための固定法を改善し、その手法について述べている。栄養飢餓条件下での生理条件を反映した酵母細飽の微細構造を解析するためには急速凍結置換法の適用が必須である。しかし、この手法は動物細胞観察のために発展したために、酵母細胞へ適用するためには手法の改善が必用であった。主要な改良点は、細胞を均一な薄層に広げること、液体窒素下で割断することにより、熱伝導効果と固定液の浸透条件を高めたことにある。この手法の改良により微細構造の保存が優れた結果となり、加えて、多数の試料を簡便かつ迅速に扱えることが可能となった。

 第2章では、液胞内蛋白分解酵素欠損株を用いて、様々な栄養飢餓条件下での液胞形態の変化について、位相差顕微鏡、蛍光顕微鏡、電子顕微鏡、免疫電子顕微鏡法、などの手法を駆使して観察した結果について述べている。様々な栄養飢餓条件下において液胞内には多数の球形構造体が蓄積した。電顕観察の結果、球形構造体は大きさが約400-800nmで一重膜に囲まれ、その内部構造はリボソームが細胞質と同じ密度で観察され、ミトコンドリアや小胞体などを含むことからこの構造体が自己の細胞質構成成分の一部を液胞内に送り分解すると判断し、自食体と名付けた。細胞質可溶性酵素の局在を免疫電顕法により調べ、それが自食体に取り込まれて液胞内へ移行したことを明らかにした。これらの形態学的解析から、栄養飢餓条件下において酵母細胞が非選択的に自己の細胞質構成成分を一重膜に囲まれた自食体の形で液胞内へ取り込む自食作用のあることが初めて明らかにされた。

 第3章では、液胞内へ自食体を取り込むための分解経路を調べた結果について述べている。栄養飢餓条件下の細胞の細胞質に球形の二重膜構造体を発見した。大きさと内部構造等の性質がすべて自食体の形態と一致し、この構造体が自食体の前駆体であることを超薄切片法、凍結割断法、酵素組織化学法、免疫電顕法を用いて証明した。この二重膜構造体を、酵母の分解系における自食胞と名付けた。この形態学的解析により栄養飢餓条件下において酵母細胞には、二重膜構造が細胞質を非選択的に取り囲んで自食胞を形成し、その外側の膜が液胞膜と融合することにより、内部の一重膜でかこまれた自食体を液胞内へ移行させる分解経路が存在することが明らかにされた。酵母の分解系がライソゾームにおけるmacroautophagyの分解経路と類似の膜動態によることが示された。

 第4章では、野生型酵母細胞における蛋白分解過程の解析結果について述べている。遺伝学的および蛋白分解酵素阻害剤の解析結果から、自食体が液胞内に蓄積するためには、主要な蛋白分解酵素の中のproteinase Bの欠損が需要であることが示された。proteinase Bの阻害剤であるPMSF依存に、野生型酵母においても栄養飢餓条件下に液胞内への自食体の蓄積と、細胞質に自食胞の存在が確認された。阻害剤の除去により自食体が液胞内で実際に分解する事が確認された。これらの結果から、蛋白分解酵素欠損株において見出された分解過程は、酵母細胞における正常な分解反応の過程を示しており、液胞が栄養飢餓条件下における分解コンパートメントとして機能していることが明らかにされた。

 第5章では、飢餓条件下において誘導される中間構造体の膜形態について凍結割断法により解析した結果について述べている。液胞内自食体、及び自食胞の膜は膜内蛋白粒子はほとんど認められない極めて特徴的な膜形態をしていることが明らかにされた。

 以上の様に本論文では、酵母細胞において栄養飢餓条件下に自己の細胞質成分を非選択的に液胞内へ取り込んで分解する自食作用が存在するという事実を新たに発見し、自食作用の分解過程を形態学的に明らかにした。この自食作用は真核生物において普遍的な現象であり、酵母細胞における今後の分子レベルでの理解は、哺乳動物細胞におけるライソゾームの分解系の解析にも大きな貢献をなすものであり、その成果は高く評価できる。第1章から第5章まで全文公表済みである。いずれも共著論文であるが、本論文提出者が形態学的研究の全てを担当したものであることを確認した。ここに審査員一同は、論文提出者馬場美鈴は東京大学博士(理学)の学位を授与するに値するものと認める。

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