本研究は、酵母細胞Saccharomyces cerevisiaeを用いて、栄養飢餓条件下において液胞内蛋白分解反応を進行させるための細胞内での分解機構を形態学的に解明する目的で行われた。論文は5章よりなる。 第1章では、栄養飢餓条件下での酵母細胞を電子顕微鏡で観察するための固定法を改善し、その手法について述べている。栄養飢餓条件下での生理条件を反映した酵母細飽の微細構造を解析するためには急速凍結置換法の適用が必須である。しかし、この手法は動物細胞観察のために発展したために、酵母細胞へ適用するためには手法の改善が必用であった。主要な改良点は、細胞を均一な薄層に広げること、液体窒素下で割断することにより、熱伝導効果と固定液の浸透条件を高めたことにある。この手法の改良により微細構造の保存が優れた結果となり、加えて、多数の試料を簡便かつ迅速に扱えることが可能となった。 第2章では、液胞内蛋白分解酵素欠損株を用いて、様々な栄養飢餓条件下での液胞形態の変化について、位相差顕微鏡、蛍光顕微鏡、電子顕微鏡、免疫電子顕微鏡法、などの手法を駆使して観察した結果について述べている。様々な栄養飢餓条件下において液胞内には多数の球形構造体が蓄積した。電顕観察の結果、球形構造体は大きさが約400-800nmで一重膜に囲まれ、その内部構造はリボソームが細胞質と同じ密度で観察され、ミトコンドリアや小胞体などを含むことからこの構造体が自己の細胞質構成成分の一部を液胞内に送り分解すると判断し、自食体と名付けた。細胞質可溶性酵素の局在を免疫電顕法により調べ、それが自食体に取り込まれて液胞内へ移行したことを明らかにした。これらの形態学的解析から、栄養飢餓条件下において酵母細胞が非選択的に自己の細胞質構成成分を一重膜に囲まれた自食体の形で液胞内へ取り込む自食作用のあることが初めて明らかにされた。 第3章では、液胞内へ自食体を取り込むための分解経路を調べた結果について述べている。栄養飢餓条件下の細胞の細胞質に球形の二重膜構造体を発見した。大きさと内部構造等の性質がすべて自食体の形態と一致し、この構造体が自食体の前駆体であることを超薄切片法、凍結割断法、酵素組織化学法、免疫電顕法を用いて証明した。この二重膜構造体を、酵母の分解系における自食胞と名付けた。この形態学的解析により栄養飢餓条件下において酵母細胞には、二重膜構造が細胞質を非選択的に取り囲んで自食胞を形成し、その外側の膜が液胞膜と融合することにより、内部の一重膜でかこまれた自食体を液胞内へ移行させる分解経路が存在することが明らかにされた。酵母の分解系がライソゾームにおけるmacroautophagyの分解経路と類似の膜動態によることが示された。 第4章では、野生型酵母細胞における蛋白分解過程の解析結果について述べている。遺伝学的および蛋白分解酵素阻害剤の解析結果から、自食体が液胞内に蓄積するためには、主要な蛋白分解酵素の中のproteinase Bの欠損が需要であることが示された。proteinase Bの阻害剤であるPMSF依存に、野生型酵母においても栄養飢餓条件下に液胞内への自食体の蓄積と、細胞質に自食胞の存在が確認された。阻害剤の除去により自食体が液胞内で実際に分解する事が確認された。これらの結果から、蛋白分解酵素欠損株において見出された分解過程は、酵母細胞における正常な分解反応の過程を示しており、液胞が栄養飢餓条件下における分解コンパートメントとして機能していることが明らかにされた。 第5章では、飢餓条件下において誘導される中間構造体の膜形態について凍結割断法により解析した結果について述べている。液胞内自食体、及び自食胞の膜は膜内蛋白粒子はほとんど認められない極めて特徴的な膜形態をしていることが明らかにされた。 以上の様に本論文では、酵母細胞において栄養飢餓条件下に自己の細胞質成分を非選択的に液胞内へ取り込んで分解する自食作用が存在するという事実を新たに発見し、自食作用の分解過程を形態学的に明らかにした。この自食作用は真核生物において普遍的な現象であり、酵母細胞における今後の分子レベルでの理解は、哺乳動物細胞におけるライソゾームの分解系の解析にも大きな貢献をなすものであり、その成果は高く評価できる。第1章から第5章まで全文公表済みである。いずれも共著論文であるが、本論文提出者が形態学的研究の全てを担当したものであることを確認した。ここに審査員一同は、論文提出者馬場美鈴は東京大学博士(理学)の学位を授与するに値するものと認める。 |