学位論文要旨



No 212742
著者(漢字) 神田,浩明
著者(英字)
著者(カナ) カンダ,ヒロアキ
標題(和) HGFの形質転換能および発癌における関与についての研究
標題(洋)
報告番号 212742
報告番号 乙12742
学位授与日 1996.03.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12742号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉倉,廣
 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 教授 森,茂郎
 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 助教授 渡辺,俊樹
内容要旨

 最近、肝細胞増殖因子(HGF)は、さまざまな生理作用をもつことがわかってきた。他方HGFは、癌化においても積極的役割を果たすのではないかと予想されてはいるが、この点に関しては、まだ不明な点が多い。たとえば、in vitroでHGFを癌細胞株の培養液中に加えると、必ずしも増殖を促進するばかりでなく、増殖を抑制することも知られている。また、形質転換能に関しては、形質転換能のアッセイに標準的に用いられるNIH3T3細胞で多くの試みが行われたが、HGF単独では、NIH3T3を形質転換させることはできなかった(関西医大上原より私信、及び自験)。我々は、不死化しているが、ヌードマウス移植性や、軟寒天培地増殖性を示さない、マウス肝細胞由来の細胞株(MLE-10)に、HGF遺伝子を導入することにより、はじめてこの遺伝子のオートクリン機構による形質転換能を証明することに成功した。

 HGF遺伝子の発現を確実にするために、サイトメガロウイルスのプロモーター領域の下流にfull lengthのラットHGFcDNA遺伝子をつなぎ、かつ、G418選択培養を可能にするため、SV40初期遺伝子プロモーターにより発現されるネオマイシン耐性遺伝子を含んだプラスミド(Rc/CMV-HGF)を作成した。陰性対照としては、HGF遺伝子の挿入されていないベクターのみ(Rc/CMV)を細胞に導入した。もちいた細胞株、MLE-10は、癌研(現、旭川医大)の李らにより、癌原物質投与をされていない8週齢雄のC3Hマウスから、門脈灌流法で分離された肝細胞をそのまま培養することで樹立された。この細胞株は、アルブミンやアルファフェトプロテインを産生していることや、活性化ras遺伝子により形質転換した株のヌードマウス移植腫瘍の組織像より、肝細胞由来であることが確認されている。また、この株は、軟寒天培地増殖性やヌードマウス移植性がないことが繰り返したしかめられている。MLE-10にRc/CMV-HGFをリン酸カルシウム法で、遺伝子導入した。導入細胞をG418選択培地で培養の後、形成されたコロニーをステンレスシリンジでクローニングし、導入HGF遺伝子の組み込みと発現をサザンプロット、ノーザンプロットで確認し、5株の細胞株を樹立した(MLE-10-HGF-1〜5)。ベクター(Rc/CMV)だけを同様に遺伝子導入して、3株を樹立した(MLE-10-CMV-1〜3)。

 これらの細胞株の性状は表にまとめた。MLE-10とMLE-10-CMV-1〜3は、ノーザンプロットでもELISAでもHGFを産生していないことが確認された。MLE-10-HGF-1〜5は、ELISAで、0.22-0.69ng/106細胞/24時間と、様々な濃度でHGFを産生していることが示された。増殖曲線を描いてみると、in vitroで、MLE-10-HGF-1〜5はすべて、MLE-10-CMV-1〜3やMLE-10より増殖がはやかった。しかし、MLE-10-HGF-1〜5のあいだでは、増殖のはやさと、HGF産生量は比例しなかった。また、MLE-10-HCF-1〜5はすべて、軟寒天培地にコロニーを形成した。このコロニーは、HGFの産生量にほぼ比例して数も多く、大きさも大きかった。さらに、培地中に抗HGF抗体を添加することによりその形成が阻害された。MLE-10-CMV-1〜3とMLE-10は、軟寒天培地にコロニを形成しないが、外来性にHGFを添加することにより、コロニー形成がみられた。ヌードマウス移植性を調べると、もっともHGFの産生の多かった二つの系(MLE-10-HGF-4と5)で、接種後2週間でヌードマウスの皮下に1cm大の腫瘍を形成した。その組織像は、素状パターン、腺管様パターン、紡錐形細胞肉腫様パターンの混在する肝細胞癌であった。この組織像を活性化ras遺伝子により形質転換したものと比較すると、類似性が目立ち、HGFに特徴的な像は見いだされなかった。さらに、HGFは、転移促進因子の一つである可能性があるが、6ヶ月間の観察でも遠隔転移は見いだされなかった。他の細胞系は2ヶ月間の観察でも腫瘍の形成はみられなかった。MLE-10も、また他の細胞も、ノーザンプロットで、NIH3T3細胞の数倍のHGF受容体遺伝子(HGFR/c-met)の発現がみられ、〔125I〕レセプター結合アッセイでもHGFの高親和性受容体が、各細胞膜に初代培養肝細胞と同じくらい高く発現していることが確認された。また、MLE-10に対しては、in vitroでHGFは分散活性を示した。これは、この細胞のHGFに対する反応性の別な面を示していると考えられる。

表1:MLE-10とMLE-10より誘導された細胞系の性格MLE-10およびMLE-10-CMV-1〜3はHGFを産生していない。MLE-10-HGF-1〜5は様々な濃度でHGFを産生する。MLE-10-HGF-1〜5は軟寒天培地中で増殖し、形成されたコロニーの数と大きさはHGFの産生量にほぼ比例する。HGF産生量の最も多いMLE-10-HGF-4と5は、ヌードマウス造腫瘍性がある。MLE-10やMLE-10-CMV-1〜3は、軟寒天培地増殖性もヌードマウス造腫瘍性もない。これらの細胞はすべてHGF受容体を高発現している。 -:陰性、発現なし、または無添加、+:陽性、発現あり、または添加あり、++:多数の大きなコロニーを形成、+++:非常に多数の大きなコロニーを形成 N.D.:Not determined.

 これらにより、1)HGFの遺伝子導入により、in vitroでの細胞の増殖が亢進し、HGF産生量の多くなったMLE-10-HGF-4と5がヌードマウスに腫瘍をつくること、2)MLE-10-HGF-1〜5すべてが軟寒天培地で増殖し、コロニーの大きさとHGF産生量がほぼ比例し、それは抗HGF抗体により抑制されること、3)MLE-10細胞は、初代培養肝細胞と同じくらい強くHGF受容体を発現しており、4)HGFR/c-met遺伝子についてはNIH3T3細胞の数倍も強く発現していること、また、5)MLE-10細胞は、HGFによる被分散活性も保っていたことが明らかになった。HGFの産生量と、軟寒天培地増殖性及びヌードマウス移植性の間に関連のみられたこと、また、MLE-10がHGF受容体を高発現していることから、HGFが肝細胞で強く発現されたときは形質転換を生じること、その際HGF受容体との協調によるオートクリンのメカニズムが作用していることが強く示唆された。つまり、HGFが強く発現されている場合にMLE-10細胞は形質転換を起こすことが証明された。

 HGFは、その強い臓器再生作用ゆえに、臨床応用が期待されている。その際に避けて通れないのが発癌との関連の問題である。実際に、急性肝不全の患者だけでなく、肝癌の前癌状態ともいえる慢性肝炎や肝硬変の患者血中でもHGFの値が上昇していることが示されている。生体でのHGF及びその受容体の産生部位や局在を探ると、HGFR/c-met遺伝子を強く発現しているのは、上皮系の細胞に多く、一方、HGFの産生が確認されたのは、非上皮性の細胞に多いので、もしHGF-HGF受容体の協調が、発癌に関与する場合があるとしても、in vivoの発癌においては、オートクラインよりは、上皮細胞-非上皮細胞(間質細胞)間相互作用による、パラクリン、エンドクリンの機序の方が考え易い。しかし、肺非小細胞癌細胞株の一部では、HGFおよびHGF受容体のオートクライン機構が証明されており、また、胃癌などでも異常発現によるオートクラインループ成立の症例が集積されつつある。HGFが癌化において、促進に働くのか、抑制に働くのか、さらに、癌細胞の個性の修飾を行うか否かについては、知見の集積がなされつつある。この研究は、第一の可能性の存在を実験的に証明した。しかし、現在のところ、HGFの発癌に及ぼす影響についての知見はまだ不足しており、更なる展開が期待される。

審査要旨

 本研究は、多くの機能を持つ増殖因子として最近注目されている肝細胞増殖因子(Hepatocyte growth factor:HGF)が、生体の癌化においてどのような役割を演じる可能性があるか検討するため、C3Hマウス肝細胞に由来し、不死化はしているが軟寒天培地増殖性やヌードマウス移植性がない不死化マウス肝細胞(MLE-10)に遺伝子導入により、HGFを強制発現させることで、線維芽細胞由来であるNIH3T3については得られなかった下記の結果を得ている。

 1.MLE-10細胞は、本来HGFを産生していない。HGFの遺伝子導入により、HGFを産生するようになった、MLE-10由来細胞株を5株樹立した。これらは、すべてin vitroで細胞の増殖が亢進した。特にHGF産生量の多い2株は、ヌードマウスに腫瘍を形成し、その組織像は肝細胞癌であった。

 2.HGFを産生するようになった細胞株は、すべて軟寒天培地での増殖性を獲得し、形成されたコロニーの大きさとHGF産生量がほぼ比例した。また、このコロニー形成は、抗HGF抗体添加により抑制された。

 3.〔125I〕レセプター結合アッセイで、MLE-10細胞は、初代培養肝細胞と同じくらい強くHGF受容体を発現しており、また、HGFR/c-met遺伝子についてはNIH3T3細胞の数倍も強く発現していることがノーザンプロットで確認された。

 4.スキャッターアッセイを行うと、MLE-10細胞は、HGFによる被分散活性も保っていることが明らかになった。

 以上、本論文は、マウス不死化肝細胞MLE-10において、導入したHGFの産生量と、軟寒天培地増殖性及びヌードマウス移植性の間に関連がみられたことから、HGFが肝細胞で強く発現されたときは形質転換を生じることを証明した。また、MLE-10がHGF受容体を高発現していることから、これにはHGF受容体との協調によるオートクリンのメカニズムが作用していることが強く示唆された。本研究において、HGFの癌化における新たなる作用の可能性が示され、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53940