学位論文要旨



No 212743
著者(漢字) 西山,明子
著者(英字)
著者(カナ) ニシヤマ,アキコ
標題(和) 乳癌細胞株におけるc-erbB-2遺伝子過剰発現の機構、およびc-erbB-2遺伝子プロモーター結合蛋白質の機能の解析
標題(洋)
報告番号 212743
報告番号 乙12743
学位授与日 1996.03.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12743号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 澁谷,正史
 東京大学 教授 横田,崇
 東京大学 教授 新井,賢一
 東京大学 教授 吉田,光昭
 東京大学 講師 平井,久丸
内容要旨

 c-erbB-2(neu)遺伝子は、トリ赤芽球症ウイルス(AEV)の癌遺伝子v-erbBに類似する前癌遺伝子で、EGF受容体に酷似する185kDの膜貫通型のチロシンキナーゼをコードする。c-erbB-2遺伝子産物(ErbB-2蛋白質)は、細胞膜貫通部位のVal689-Glu689変異によりトランスフォーム能を獲得するが、このアミノ酸変異はヒトc-erbB-2遺伝子の場合2つのヌクレオチドの変異を必要とする。従って、ラットneu癌遺伝子で観察されたVal689-Glu689変異はヒトでは起こりにくいと考えられ、実際にヒトの癌細胞では検出されていない。ヒトc-erbB-2遺伝子による発癌機構として考えられているのが過剰発現で、c-erbB-2遺伝子を大過剰に強制発現することによってNIH3T3細胞をトランスフォームすることができる。正常の状態では、ErbB-2蛋白質は、胚上皮組織の細胞で発現が高く、成体組織での発現は低い。一方、乳癌、胃癌、唾液腺癌等でc-erbB-2遺伝子の増幅していることが、発見当初から示されており、c-erbB-2遺伝子の過剰発現と癌との関連性が指摘されていた。特に乳癌では、c-erbB-2遺伝子の増幅が患者の生存率および再発までの時間に相関していることが報告され、ErbB-2蛋白質の発現増大が乳癌の進行に寄与している可能性が考えられてきた。さらにc-erbB-2遺伝子の増幅の頻度よりもErbB-2蛋白質の過剰発現の頻度の方が高いこと、すなわち遺伝子増幅以外にErbB-2蛋白質が過剰発現する機構の存在することが報告された。

 私は、乳癌におけるc-erbB-2遺伝子の、遺伝子増幅とは別の、過剰発現の機構について解析を開始した。まず核Run-offアッセイにより、c-erbB-2遺伝子過剰発現乳癌細胞株で、c-erbB-2遺伝子の転写速度が上昇していることを明らかにし、乳癌細胞でのc-erbB-2遺伝子の発現昂進が転写レベルでおこっていることを見い出した。次に、ヒトc-erbB-2遺伝子近位プロモーター約250bpに種々の欠失、点変異を導入し、乳癌細胞にトランスフェクションしてプロモーター解析を行った。その結果、特定の部位の欠失、変異により細胞株特異的に転写活性が変動し、ヒトc-erbB-2遺伝子が複数の転写因子による制御を受けていることが明らかになった。まず、-130位から-107位の間の配列およびCCAAT box配列がc-erbB-2遺伝子のベイサルレペルの転写に必須で、細胞株非特異的に正に制御されていることを見い出した。-155位から-107位の配列には、乳癌細胞では弱くHeLa細胞で顕著な、負に制御する転写因子が作用していることが示された。逆反復配列I(-145位から-126位)、逆反復配列II(-100位から-84位)、TATA boxの下流の領域には、乳癌細胞株特異的な転写活性化因子が作用していることが示された。さらに、ゲルシフトアッセイにより、これらの領域に結合する核蛋白質が存在することが明らかになった。このc-erbB-2遺伝子プロモーター断片に結合した蛋白質量は細胞株により異なり、プロモーター解析から予想された転写因子の存在を支持するものであった。以上の結果をまとめて、ヒトc-erbB-2遺伝子のプロモーターに結合する蛋白質を模式的に表したのが図Iである。このようにヒトc-erbB-2遺伝子プロモーターの近位領域には複数の正負転写因子が作用しており、これらの転写因子のうちのいくつかが細胞により量や活性の異なっていることが、細胞株による転写量の差に寄与しているのではないかと推測される。

 次に、上記の実験で観察されたヒトc-erbB-2遺伝子のプロモーターに結合する蛋白質をクローニングすることを試みた。c-erbB-2遺伝子高発現乳癌細胞株の発現ライブラリーを、ヒトc-erbB-2遺伝子のプロモーター断片をプローブとしてSouthwesternスクリーニングしたところ、新規のDNA結合蛋白質2クローンを得た。このうちの1クローンが転写因子様のモチーフを有していたため、全長をクローニングした。得られたfnb(finger protein in guclear bodies)遺伝子は、全長5.8kbで、15のクリュッペル型のZnフィンガーモチーフ、3つのプロリンに富む領域を有する1656アミノ酸のフィンガー蛋白質をコードしていた(図II)。

図表図I. ヒトc-erbB-2遺伝子プロモーターに結合する蛋白質の模式図。 CATアッセイ、ゲルシフトアッセイの結果から予想される、DNA結合蛋白質の作用の図式をまとめた。は細胞株非特異的な転写活性化因子、は細胞株特異的な活性化因子、は細胞株特異的な転写抑制因子を表わす。 / 図II. fnb遺伝子がコードすると予想される蛋白質の構造模式図。 上のスケールはアミノ酸数を表示している。

 Southwestern法により、その結合領域はc-erbB-2遺伝子プロモーター+5位から+36位の領域(K領域)であることが明らかになった。しかし、c-erbB-2遺伝子プロモーター配列からK領域を欠失しても、ヘテロなプロモーターにK領域を挿入しても、Fnb蛋白質による転写活性化に影響がなかったことから、Fnb蛋白質が、直接c-erbB-2遺伝子プロモーターに作用している可能性は低いと考えられた。一方Fnb蛋白質は、ヒトメタロチオネインIIAプロモーター、単純性疱疹ウイルスチミジンキナーゼプロモーターからの転写を活性化し、転写活性化因子としての機能を有することが明らかになった。また、全長のFnb蛋白質はnuclear bodiesに局在するが、アミノ末端側を欠失することにより、その局在は損なわれることが示された。

 以上、c-erbB-2遺伝子高発現乳癌細胞株におけるc-erbB-2遺伝子の転写制御機構、およびc-erbB-2遺伝子プロモーターに結合する新規の転写因子Fnbについて述べた。乳癌細胞でのc-erbB-2遺伝子の過剰発現は、転写レベルで起こっていることが明らかとなった。私の見い出したc-erbB-2遺伝子プロモーター上のシス因子も含め、乳癌特異的なターゲット配列、転写活性化因子の特定、単離が急務である。Fnb蛋白質は、当初期待したc-erbB-2遺伝子の乳癌特異的な転写活性化因子である可能性は低いことが判明した。しかし、スプライシング、細胞内局在等、Fnb蛋白質は興味深い性質を有しており、今後の解析が待たれる。

審査要旨

 本研究は、乳癌細胞におけるヒトc-erbB-2遺伝子の過剰発現のメカニズムおよび、c-erbB-2遺伝子プロモーターに結合する因子としてクローニングしたFnb蛋白質についての解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.乳癌細胞においてヒトc-erbB-2遺伝子が過剰発現している原因の少なくとも1つに、c-erbB-2遺伝子の転写速度の上昇があることを明らかにした。

 2.乳癌細胞を用いてヒトc-erbB-2遺伝子のプロモーター解析を行い、ヒトc-erbB-2遺伝子プロモーターが複数の転写因子による制御を受けていることを示した。この転写因子には、細胞株特異的なものや非特異的なもの、活性化因子や抑制因子、CCAAT box結合蛋白質が含まれることが明らかになった。

 3.ヒトc-erbB-2遺伝子高発現乳癌細胞株MDA-MB453細胞とHeLa細胞から調製した核抽出液を用いてゲルシフトアッセイを行ったところ、c-erbB-2遺伝子プロモーター断片には、種々の核蛋白質が結合することが明らかになり、プロモーター解析から示唆された蛋白質が存在する可能性を示した。

 4.ヒトc-erbB-2遺伝子プロモーター断片への結合活性を指標としてfnb遺伝子をクローニングした。fnb遺伝子は、全長5.8kb、1656アミノ酸のフィンガー蛋白質をコードしていた。Fnb蛋白質は分子量250kDであり、計算値184kDとの差はカルボキシル末端領域の寄与が大きいことが示された。さらに、その結合領域はc-erbB-2遺伝子プロモータ-+5から+36位の領域(K領域)であることが示された。

 5.fnb遺伝子は、調べた全ての細胞株で弱く発現しており、c-erbB-2遺伝子過剰発現細胞株と他の細胞株との違いは見出されず、また、血球系の細胞では発現しないc-erbB-2遺伝子とは発現パターンが異なっていた。

 6.fnb遺伝子発現ベクターを用いた共トランスフェクションの実験により、c-erbB-2遺伝子プロモーター配列からK領域を欠失しても、ヘテロなプロモーターにK領域を挿入しても、Fnb蛋白質による転写活性化には影響がないことが示された。従ってFnb蛋白質が、直接単独でc-erbB-2遺伝子プロモーターに作用している可能性は低いと考えられるが、一方、ヒトメタロチオネインIIAプロモーター、単純性疱疹ウイルスチミジンキナーゼプロモーターからの転写を活性化し、転写活性化因子としての機能を有することが明らかにされた。

 7.全長のFnb蛋白質は核内のnuclear bodiesに局在するが、アミノ末端側を欠失することにより、その局在は損なわれることが示された。

 以上、本論文は乳癌細胞におけるヒトc-erbB-2遺伝子の過剰発現のメカニズムを検討し、新規の転写因子Fnb蛋白質をクローニングし、機能解析を行った。本研究はこれまで解析の遅れていた乳癌細胞におけるヒトc-erbB-2遺伝子の転写制御に関する研究を集中的に行い、さらに新規の遺伝子をクローニングしており、学位の授与に値するものと考えられる。

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