半井桃水は、明治の新聞小説家として現在その名を記憶されている。しかし、明治二十一年、『東京朝日新聞』の小説記者として登場する以前、桃水は『大阪朝日新聞』の通信員として、釜山に長期滞在していた。 この間桃水は明治十五年の六月から七月にかけて、朝鮮のハングル小説『春香伝』を『大阪朝日新聞』に翻訳連載し、また同年の七月に勃発した壬午軍乱に際しては、ソウルに特別通信員として派遣され、詳細な事件の報道を行い、読者の好評を博した。 明治十年代の日本人の朝鮮観の一つの典型を示すと思われる、桃水の朝鮮関係報道を詳しく分析した研究は、これまでなかった。 半井桃水は、徳川時代に朝鮮外交を主管した対馬藩の医者の家に生まれ、少年時代の三年間を釜山で過ごしている。この時期に朝鮮語を習得した桃水は、その朝鮮報道において生彩ある記事を次々を『大阪朝日新聞』の紙上に送り、読者の好評を博した。そこでは、壬午軍乱という一種の反日暴動が勃発するに至る朝鮮の政治、社会状況、開港に伴う社会的混乱や、日本商人と朝鮮人とのトラブルのありさま、それによって増幅される朝鮮民衆の反日感情などが、生彩ある文体で詳細に報道されている。 このような桃水の朝鮮報道は、明治十六年以降、余り『大阪朝日新聞』紙上に現れなくなり、明治十七年十二月に起きた甲申政変においても、桃水は目立った記事を書いていないのである。これは政治の中心地、ソウルから遠く離れた釜山に、桃水が駐在していたことと、明治十六年以降、政府の報道規制が朝鮮関係記事についても厳しく行われたことが大きな原因であったと考えられる。 桃水は明治二十一年に帰国後は『東京朝日新聞』の小説記者として、新聞小説にその活躍の舞台を移す。明治二十四年から二十五年にかけて『東京朝日新聞』に連載された小説『胡砂吹く風』には、明治十年代、足かけ七年間にもわたった桃水の朝鮮での取材活動、生活体験が豊富に盛り込まれている。『水滸伝』などの流れを汲む伝奇小説としての性格と同時に、『胡砂吹く風』は、特にその後半部において、「日清韓同盟論」を政治論として提示しており、政治小説としての性格をもっている。これは明治二十四年五月それまで内務大臣、総理大臣として言論統制に大きな力を振るっていた山県有朋が首相を辞職、一時政界を引退したために、朝鮮関係の言論統制が緩んだという事情があったと考えられる。 この小説『胡砂吹く風』の中で桃水は、朝鮮を喜怒哀楽の人間的感情を豊かに持つ、また義と節操に篤い人々と、英明な国王を持つ国として描いている。日本はこのような朝鮮の関化への努力を、共感を持って扶助を行う態度を取るべきものと桃水は考えていた。 以上が本稿全体の概略であるが、各章における論考のうち主なものを以下、章ごとに列挙する。 第一章、「半井桃水の生い立ちと少年時代」では、彼の伝記的資料を可能な限り利用して、彼の少年時代の釜山における生活体験を再現した。また『東京日々新聞』に掲載されたという桃水の投書を特定し、それが当時の江華島での砲撃事件をめぐって、征韓、反征韓の論戦の行われていた日本の言論界に一定の影響を与えたものであることを示した。 第二章「朝鮮通信員半井桃水の登場」では、『大阪朝日新聞』に明治十四年六月から七月にかけて掲載された一連の匿名の釜山通信が、桃水の手になるものであることを特定し、特に桃水の朝鮮からの第一報に取り上げられた李東仁暗殺事件をめぐる記事を、他の新聞記事との比較に於いて論じた。 また桃水が報道した朝鮮の凶作の模様と、それに伴う米輸出禁止措置について、他の文献に見られる朝鮮の飢饉関係の記事をつき合わせて、その背景を考察した。 第三章「青年記者、文学者、桃水」においては、その前半において桃水訳『春香伝』について、その原本を推論し、また翻訳の文体が、原文の持つ漢文の要素を生かすことを眼目にしたものであったことを示した。 後半においては、桃水の壬午軍乱における報道ぶりを、それに先立って『大阪朝日新聞』からソウルに特派された記者の記事の報道ぶりと対照する形で考察し、朝鮮語の能力もあり、朝鮮の社会、風俗に通じた桃水が、より具体的に、また民衆の心理にわけ入った報道をなし得ていることを分析した。 第三章の最後では、明治十六年以降、桃水の朝鮮特派員としての活動が全く不活発になっていることを叙述し、それが日本政府が朝鮮関係の報道規制を甲申政変以降、極めて厳格に行ったことと関係するものであることを推定した。これに関連して明治二十年「大阪事件」の被告たちが裁判の中で朝鮮に関して発言した内容を『大阪朝日新聞』の傍聴記事から抜粋して分析し、それが同紙の停刊処分と関係があったであろう事を示した。 終章「小説『胡砂吹く風』」においては、この小説に半井桃水の朝鮮での生活体験、取材、伝聞がどのような形で盛り込まれているかを略述し、また伝統的な伝奇小説として、説話の連鎖という構成法を用いていることをも示した。同時に、この小説が政治小説としては日清韓同盟論を前提としており、特に朝鮮が日本の同盟の相手としてなお信頼に値する存在である、ということを主張として内在させていることを、小説中に見える主人公の朝鮮国王に対する崇敬の態度の分析によって示した。 |