学位論文要旨



No 212747
著者(漢字) 臼井,則生
著者(英字)
著者(カナ) ウスイ,ノリオ
標題(和) 発展途上国におけるオランダ病に対する政策対応 : インドネシアにおける原油ブームの分析
標題(洋)
報告番号 212747
報告番号 乙12747
学位授与日 1996.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12747号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 荏開津,典生
 東京大学 教授 原,洋之介
 東京大学 教授 藤田,夏樹
 東京大学 助教授 生源寺,眞一
 東京大学 助教授 藤田,幸一
内容要旨

 一般に発展途上国の経済発展を阻害する要因として、「二つのギャップ理論」として知られる国内貯蓄と外貨の不足が指摘される。この立場に立つならば、世界価格の騰貴などによる短期的な輸出ブームが生じた場合、それは潤沢な輸出収入を通じて国内貯蓄と外貨の不足というボトル・ネックを解消し、発展途上国の経済発展を促進する効果が期待される。しかし、輸出ブームを経験した多くの発展途上国は必ずしも順調な発展を遂げておらず、むしろ輸出ブームが伝統的輸出部門(貿易財部門)の停滞をもたらす問題、すなわち「オランダ病」(Dutch Disease)が注目されることになった。オランダ病のキーパラメーターは実質為替レートであり、輸出ブームによる国内アブソープションの増加を通じて実質為替レートが増価し、貿易財部門の縮小と非貿易財部門の拡大という構造変化が誘発される。製造業ならびに農業からなる貿易財部門の発展は経済発展の重要課題であるにもかかわらず、輸出ブームという一見恵まれた現象が両部門の停滞を通じて経済発展を阻害することになる。多くの発展途上国がこの問題に直面するなかで、1970年代に原油ブームを経験したインドネシアはオランダ病の影響を回避したケースとして指摘されている。本研究はインドネシアがオランダ病を回避しえた理由を原油ブーム下におけるマクロ経済運営の分析を通じて解明し、その効果をシミュレーション分析を通じて明らかにしたものである。

 本論文の構成は次の通りである。まず、第1章において他の産油途上国との比較を行い、インドネシアがオランダ病の影響を回避した点を明らかにした。第2章ではオランダ病を理論的に整理した。そこでは特に発展途上国の経済的枠組みを考慮した上でオランダ病の理論を検討し、発展途上国にとってオランダ病が含意する問題点を明らかにした。また、オランダ病を回避するための政策対応を理論的に分析し、同時にそれぞれの政策対応が持つ問題点を指摘した。第3章では原油ブーム期におけるインドネシアの経済システムならびに経済政策のあり方を論じ、インドネシアがオランダ病を回避する上で重要な役割を果たしたと考えられる五つの政策対応、すなわち、(1)均衡財政原則下における財政余剰の積み上げ、(2)原油収入の投資的使用、(3)許容できる対外借入、(4)商業銀行を通じた不胎化政策、(5)ルピア切り下げを指摘した。第4章では、インドネシアにおけるオランダ病の発生メカニズムを考慮した同時方程式モデルを作成し、そのモデルを用いてオランダ病を回避する上で重要な役割を果たしたと考えられる為替レートの切り下げならびに財政余剰の積み上げというマクロ政策対応の効果をシミュレーション分析によって明らかにした。最後の第5章は総括になっている。

 本研究のモデルは基本的に1973年から1983年の四半期データにもとづいて作成され、行動方程式9本、定義式11本から構成される。モデルの特徴は第一にオランダ病における部門分割を拡張し、貿易財部門を製造業部門と一次産品部門に、また、非貿易財部門を食糧作物部門とサービス業部門とに分割したことである。第二の特徴は政府部門にもたらされた原油収入がいかに使われたのかという点を考慮し、特に原油ブーム期のインドネシアに顕著に表れた政府財政主導の産業育成政策の影響を把握するため政府国内支出を各部門の供給量の決定式に取り込んだことである。モデルにおいて想定したメカニズムは政府財政を通じた原油収入の国内経済への注入が貨幣供給量の変動をもたらし、貨幣需要量との乖離から決定される過剰流動性の変動がサービス財価格の決定を通じて実質為替レートを決定し、この実質為替レートの変動を通じて各部門の供給量が決定されるというものである。すなわち、貨幣供給量の変動要因を通じて政府財政と金融がリンクし、サービス財価格の決定を通じて金融と実物面とがリンクする構造になっている。さらに、輸出入関数は貨幣供給量の変動要因の一つである対外純資産の変動を通じて金融面とリンクしている。モデルを構成する各構造方程式の推計結果は比較的良好であり、ファイナル・テストをはじめとした現実追跡力の結果もほぼ満足のいくものとなっている。このモデルを用いて先に述べた五つの政策対応のうち、均衡財政原則下における財政余剰の積み上げならびにルピア切り下げについてその効果を分析した。

 シミュレーション結果が示唆するポイントは以下の通りである。まず、ルピア切り下げは実質為替レートを減価修正し、副次的にもたらされた原油収入の増加が財政を通じた産業育成政策を通じて投資的支出として用いられたことにより貿易財部門を拡大する効果を持ったことが明らかとなった。また、均衡財政原則が存在するなかでデリケートな会計処理によってなされた財政余剰の積み上げは、過剰流動性の減少をもたらすことを通じて実質為替レートの増価の程度を軽減し、同時にルピア切り、下げによる実質為替レートの減価効果をより持続させる需要管理政策としての効果を持ったことが確認された。1971年以降放置された為替レートの修正とはいえ、第二次オイル・ショックにより原油収入の増加が始まった1978年にルピア切り下げが実施され、実質為替レートが減価修正されたことは、インドネシアがオランダ病を回避する上で大きな役割を果たしたものと考えられる。また、財政拡大圧力への安全弁として機能してきた均衡財政原則を実質的に放棄し、財政余剰を積み上げるという機動的対応が取られたことも政策当局の適切な経済運営として評価することができる。これらの政策はオランダ病を回避するためのマクロ政策対応として理論的根拠を有しており、また、同時に財政余剰の積み上げがルピア切り下げ効果を持続させる需要管理政策としての機能を果たしたという意味において相互に整合性を持った政策対応になっていた。他の産油途上国に比ベインドネシアがオランダ病の影響を回避しえた理由の一つは、これらのマクロ政策対応にあるものと考えられる。また、同時に分析結果が示唆する重要なポイントは、原油収入が政府財政を通じて投資的支出として用いられ、貿易財部門の拡大をもたらした点である。原油収入がこれらの部門の供給能力を増加させる形で用いられ、浪費されなかったこともインドネシアがオランダ病を回避しえた要因になっている。

 以上、本研究はインドネシアにおける原油ブームの影響をオランダ病の観点から分析し、インドネシアが他の産油途上国と比べオランダ病の影響を比較的よく回避しえた理由が政策当局の原油ブームに対する政策対応、すなわち、経済運営のあり方に存在したことを明らかなものとした。この研究が示唆する最大のポイントは、輸出ブームという一見恵まれた現象が発展途上国に対し困難な構造調整問題を迫る可能性が存在し、長期的目標である経済発展を促進するためには輸出ブームのなかでインドネシアが成しえた様な慎重なマクロ政策運営が求められるという点にある。これはインドネシアと同様に資源輸出に強く依存し、輸出ブームを経験している、ないし経験する可能性がある他の発展途上国に対し重要なインプリケーションを持つものと考えられる。

審査要旨

 オランダ病とは、特殊の部門の輸出ブームが実質為替レートの上昇を通じて却って経済全体の不振をもたらすことを意味し、本来はその命名の示す通り先進国経済の問題である。しかし類似の現象は開発途上国にも見出される。本論文は、原油の輸出ブームに直面したインドネシア経済が、オランダ病を回避するために実行した経済政策について分析したものであり、一次産品資源を有する開発途上国の経済発展にとって示唆に富む成果である。主要な分析手法はマクロ・エコノミック・モデルによるシミュレーションであって、その大要は本論文の第4章に報告されている。

 第1章は序論であり、論文全体の構成を示すと共にオランダ病の原因となりうる原油資源についてインドネシアを他の原油国と比較して概況を示している。

 第2章は分析の理論的フレームワークを示すものであって、三つの部分から成っている。第1にオランダ病そのものの病理を示す三つのモデル、すなわちコア・モデル、エンクレープ・モデル、パラドックス・モデルを説明した後、申請者の独自の見解としてマネタリイな要因を導入している。第2に、オランダ病の理論を発展途上国に適用するための諸条件を考察している。最後に、オランダ病を避けるために経済政策当局がとり得る手段を考察して、以下の実証分析の仮説を提出している。

 第3章は、本体をなす第4章のエコノメトリック・シミュレーションに現実性を与えるための、インドネシア経済の実証分析であり、それ自体一つのオリジナルな研究業績をなしている。この分析の結果として、インドネシアが原油輸出ブームにもかかわらずオランダ病をまぬがれた理由として、余剰財政の積み上げ、原油収入の投資的使用、許容できる対外借入れ、商業銀行を通じる不胎化政策、ルピア切下げの5項目の政策対応が検出された。

 第4章は、本論文の中心をなすマクロ・エコノメトリック・モデルを用いたシミュレーション分析である。データは1973年から1983に至る11年間の四半期データである。モデルは9本の行動方程式と11本の定義式からなる非線形連立差分方程式体系をなしている。構造推定は、モデルが過剰識別であることから二段階最小2乗法を用いているが、同時に自由度の不足を考慮して単純最小2乗法による推定も行っている。

 本モデルの特色は、財政収入中の原油収入を別にして一つの変数とすることにより、オランダ病に関するシミュレーションを行うのに適切な形に構成したこと、およびマネタリイな変数を組み込むことによって第3章で指摘したマクロ政策対応の効果を検出可能にしたことなどである。

 推計結果は、各行動方程式とも良好な統計値を示したが、シミュレーション用のモデルを選択するに際しては、ファイナル・テストを行って、貨幣供給量をM2にとりかつSLSMによった構造を採用した。ファイナル・テスト結果から判断して、これは充分所期のシミュレーションに使用可能なモデルとなっている。

 シミュレーション結果を要約的に述べると、それは第3章の分析から導かれた作業仮説を確証するものであった。すなわち、インドネシア政府によって採用されたオランダ病対策のうち、ルピア切下げと財政余剰の積み上げのいずれも、対照となるマクロ経済の経路(ベースライン・ソリューション)と比較して良好なパフォーマンスを示しており、オランダ病対策が有効に作用したことが確認された。

 以上を要するに、本論文は開発途上経済に関してオランダ病の理論を修正適用した上で、インドネシア経済を対象とするエコノメトリック・モデル分析によってオランダ病を回避するためのマクロ経済政策の有効性を検証したものであって、学術上応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位にふさわしいものであると判定した。

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