学位論文要旨



No 212748
著者(漢字) 佐藤,雅彦
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,マサヒコ
標題(和) 和牛の質的特異性に関する食品学的解析
標題(洋)
報告番号 212748
報告番号 乙12748
学位授与日 1996.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12748号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 荒井,綜一
 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 助教授 阿部,啓子
 東京大学 助教授 清水,誠
内容要旨

 我国の食糧生産,とりわけ牛肉をとりまく環境は国際的に激動の時代を迎えている.海外からの牛肉の輸入が長年にわたって制限されてきたため,国産の牛肉が市場の大半を占有してきた.近年の牛肉の輸入自由化に伴い,海外から安優な牛肉が大量に流入したために我国の食肉市場は一時大混乱に陥り,国産の乳牛の肉用去勢牛は価格が大幅に低下した.しかし,高級牛肉とされる和牛にはそれほど影響がでていない.これは,我国において和牛肉が圧倒的に高い支持を得ているからである.和牛肉がこれほど日本人に好まれているにもかかわらず,従来からの和牛の研究は育種と飼育方法に関連したものが多く,食品としての観点から,構成成分を他の牛肉と同条件で分析比較した研究はほとんど無い.そこで,和牛肉が乳牛や輸入牛肉と比較してどのような差異があるのか,呈味に関与する諸要因について理化学的分析と官能検査とにより検討した.

第1章和牛と乳牛肉の官能評価による予備的検討

 和牛と乳牛それぞれの赤肉と脂肪を4通りに組み合わせて加熱調理した製品では,赤肉・脂肪ともに和牛のものが最も風味が良く,ともに乳牛のものは評価が最も低かった.乳牛の赤肉と和牛の脂肪の組み合わせは,和牛の赤肉と乳牛の脂肪の組み合わせよりも高く評価された.製品の好ましさには赤肉より脂肪の種類が大きな影響を与えるものと考えられた.

 和牛と乳牛の脂肪のもつ風味の評価では,生の状態でも両者は識別可能で,和牛の脂肪には乳牛脂肪と比較して,より重く厚みのある甘い感じのウシ臭い匂いが強く感じられた.また脂肪を焼き加熱すると両者の差異はより顕著で,和牛がより好ましいという結果であった.

第2章生産地の異なる和牛,乳牛,輸入牛肉の成分比較と官能評価

 国産の黒毛和種とホルスタイン種,オーストラリア産のアンガス種のウチモモ部の赤肉と背部脂肪の成分を分析し,相互に比較した.赤肉中の核酸関連物質,有機酸,ヒスチジン関連ジペプチドについては,牛の種類によって含有量に大きな差はなかったが,遊離アミノ酸は和牛が多かった.背部脂肪については3者とも中性脂質がほとんどで,リン脂質は少なく,糖脂質は含まれていない.脂肪酸組成では大きな差は見られなかった.赤肉部分については和牛のウチモモ部を共通で用い,これに和牛,乳牛,輸入牛の背部脂肪を加えて加熱調理した製品のフレーバーの分析では,香気回収量は和牛脂肪区が最も多かった.官能基別では和牛脂肪区に酸類,ケトン類,ラクトン類が多く.乳牛脂肪区にはアルデヒド類,アルコール類が多い傾向が示された.また,この製品の官能検査では,和牛脂肪区は味が強く,匂いも好ましく,軟らかいと判定された.乳牛脂肪区は,匂いが好ましくなく,軟らかくなく,総合的に好ましくなかった.また,クッキング・ロスは和牛脂肪区が最も少なかった.

第3章同一条件で飼育した品種の異なる牛肉の成分比較と官能評価

 黒毛和種,褐毛和種,日本短角種,ホルスタイン種,アンガス種の去勢牛について,同一の農場で同じ飼料で肥育し,枝肉等級格付もほぼ同じである牛のリブロース部を試料として,呈味および香気に関与する要因について化学的分析と官能評価とにより比較検討した.リブロース部の赤肉部の分析では核酸関連物質,有機酸,ヒスチジン関連ジペプチドおよび遊離アミノ酸について定量したが,それぞれの含有量は品種間で差があるものの,和牛の呈味と関連する特徴的な傾向は認められなかった.脂肪部の分析では筋肉間脂質のHPLCパターンで黒毛和種,褐毛和種,日本短角種のグループとホルスタイン,アンガスのグループに類似性が認められた.また,脂質の融点は和牛が低く,ホルスタインとアンガスが高い値を示した.肉中の脂質含有量と各脂質を構成するトリグリセリドの分子種とその割合が「サシ」の特徴に影響を与えるものと思われた.牛肉ステーキの加熱香気分析では加熱後の肉中の脂質含有量,香気回収量,および含硫黄,含窒素化合物の含有量は黒毛和種に高い傾向がみられた.これらの牛肉試料を焼き加熱し,官能検査した結果,黒毛和種で味が強く,ホルスタインで弱いと評価された.匂いの強さは日本短角種,アンガスおよび黒毛和種で強く,ホルスタインで弱いと評優された,官能的には黒毛和種が一番好ましいという評価であった.

第4章黒毛和種銘柄牛間の成分の相違

 同一の品種でも生産地や肥育方法が異なると牛肉の肉質にどのような差異が見られるかを調べるため,黒毛和種の中でも特に高級牛肉とされる,代表的な神戸牛,米沢牛,松阪牛,前沢牛,飛騨牛の5種類の銘柄牛について香気および呈味成分の相違について検討した.赤肉中の核酸関連物質,ヒスチジン関連ジベプチドおよび低分子ペプチドの分子量分布には銘柄による顕著な差は認められなかった.全遊離アミノ酸量およびグルタミンは飛騨牛で多く,松阪牛で少なかった.脂質の分析では,ロース芯部の粗脂肪含量は23〜36%と高く,脂肪酸組成では不飽和脂肪酸の割合が66〜73%と極めて高かった.逆相カラムを用いた脂質のHPLCパターンはいずれの銘柄牛も類似していた.脂質の融点は,神戸牛,米沢牛および松阪牛で低く,前沢牛および飛騨牛で高かった.牛肉ステーキの加熱香気分析では,香気同収量および香気画分中の含窒素化合物において前沢牛が多く,香ばしいことが予想された.また,官能基別分類では,酸類,アルコール類,アルデヒド類,ケトン類に銘柄による相違が認められ,これらは脂質に由来する化合物の差が現れていると考えられた.

第5章和牛と輸入牛の脂質の温度分画と成分の差異の検討

 黒毛和種およびアンガス種のリブロース部の筋肉内脂質と筋肉間脂質の分析により和牛および輸入牛の脂質の性質の違いを明確にすることを目的とした.まず脂質の融点では筋肉間脂質および筋肉内脂質,すなわち背脂肪とサシの脂肪とで融点が大きく異なり,背脂肪の方が融点が低く,特に黒毛和種の背脂肪で低い値を示した.また,脂質を溶媒で抽出した後,4℃で固化し,10,20,30℃まで順に加温した後,遠心し,溶融している脂質を採取し,4画分を得た.その結果,黒毛和種の背脂肪には10℃以下で溶融している画分が多く存在し,このことは黒毛和種の背脂肪の融点が低いことを裏付ける結果であった.画分ごとの脂肪酸組成では,溶融点の低い画分にオレイン酸が多く,不飽和脂肪酸の割合が高くなる傾向があった.各々の画分について官能検査を行ったところ,高融点の画分ほど匂いが強く感じられ,30℃以上で固体の画分では黒毛和種は甘いミルク臭が感じられ,アンガスは脂っこい匂いが識別された.脂肪の旨味は明確に識別できなかったが,黒毛和種がさらっとした食感だったのに対しアンガスはグリースのようであった.さらに,これをTLCで各脂質成分に分離すると,リン脂質は背脂肪では検出されなかったが,サシでは検出され,融点の高い画分ほど多く検出された.リン脂質についてHPLCで調べたところ,筋肉内脂質中のリン脂質含量はアンガスが黒毛和種より多かった.リン脂質の中ではホスファチジルコリンおよびホスファチジルエタノールアミンの量が多く,この2種で約86%を占めた.筋肉内脂質において30℃で固体の画分は,品種間の匂いの差が識別できたが,この画分はリン脂質を多く含有しており,リン脂質がフレーバーの差異に関係するという報告もあることから品種間のリン脂質含量の差は意味があると考えられた.

まとめ

 日本人に好まれる和牛肉について乳牛肉,輸入牛肉との比較の上で,食品としての質的差異,特に呈味と香気の差を明確にする目的で理化学的分析と官能検査により解析した.

 同一の農場に黒毛和種を含む5品種の去勢牛を集めて同じ飼料で肥育した牛肉には食味における品種間の差が明確に感じられた.呈味成分として重要な核酸関連物質と遊離アミノ酸は赤肉中の含量が低く,それらの閾値を考慮すると品種間の食味の差に影響するほどの差は見られなかった.脂肪部には品種間の差が見られ,黒毛和種の脂肪はオレイン酸含量が高く,ステアリン酸含量が低く,融点が低く,口融けが良いばかりでなく,脂肪組織そのものに独特の甘い,重い感じの好ましい香気を有していた.逆に乳牛の脂肪組織には不快な匂いが感じられた.

 牛肉を加熱したときの香気には脂肪に由来する酸,アルコール,ラクトンなどの成分が多いが,黒毛和種ではメイラード反応により生じた含窒素,含硫黄化合物の量が多く,これらは香ばしさの発現に関係しており,好ましい香気が強く感じられた.

 このように和牛肉の品質を理化学的分析から検証した本研究が,和牛のおいしさの理由を解き明かす一助となるとともに,乳牛や輸入牛肉の肉質を改良していく上での指針となることが期待されるのである.

審査要旨

 現在の日本では産地と品種を異にする様々な牛肉が流通している。本論文は日本人の嗜好に合った食味を有する和牛肉について、乳牛肉および輸入牛肉との呈味に関与する諸要因の差異を理化学的分析と官能検査とにより検討したものであり、5章よりなっている。

 序論において牛肉の食味に関与する要因について概説したのち、第1章では和牛肉と乳牛肉の官能評価による予備的検討を行い、和牛の脂肪が製品の食味を改善すること、和牛の脂肪は特有の好ましい匂いを有することを明らかにした。

 第2章では生産地の異なる和牛、乳牛、輸入牛肉を比較した。赤肉中の核酸関連物質、有機酸、ヒスチジン関連ジペプチドは品種間に大きな差はなかったが、遊離アミノ酸は和牛が多かった。和牛の赤肉に、和牛、乳牛、輸入牛の脂肪を加え、加熱調理した製品の香気分析では、香気回収量は和牛脂肪区が多く、官能基別分類では、和牛脂肪区に酸類、ケトン類、ラクトン類が多く、乳牛脂肪区にはアルデヒド類、アルコール類が多かった。

 第3章では同一条件で飼育した黒毛和種、褐毛和種、日本短角種、ホルスタイン、アンガスについて比較検討した。赤肉部の分析では核酸関連物質、有機酸、ヒスチジン関連ジペプチドおよび遊離アミノ酸については差があるものの、和牛の呈味を特徴づける成分は認められなかった。筋肉間脂質のHPLCパターンで和牛のグループ間とホルスタイン、アンガス間に類似性が認められた。脂質の融点は和牛が低く、ホルスタインとアンガスが高い値を示した。加熱香気分析では香気回収量および含硫黄、含窒素化合物は黒毛和種が多かった。官能検査で、味は黒毛和種で強く、ホルスタインで弱いと評価された。匂いは日本短角種、アンガスおよび黒毛和種で強く、ホルスタインで弱いと評優された。総合的には黒毛和種が一番好ましいと評価された。

 第4章では代表的な黒毛和種銘柄牛5種類の香気および呈味成分を検討した。赤肉中の核酸関連物質、ヒスチジン関連ジペプチドおよびペプチドの分子量分布に銘柄による顕著な差は認められず、全アミノ酸量およびグルタミンは飛騨牛で多く、松阪牛で少なかった。ロース芯部の粗脂肪は23〜36%であり、不飽和脂肪酸の割合は66〜73%と極めて高かった。逆相カラムを用いたHPLCパターンはいずれも類似していた。脂質の融点は、神戸牛、米沢牛および松阪牛で低く、前沢牛および飛騨牛で高かった。加熱香気分析では前沢牛で香気回収量および含窒素化合物が多く、香ばしいと推定された。官能基別分類では、酸類、アルコール類、アルデヒド類、ケトン類に銘柄による相違が認められた。

 第5章では黒毛和種とアンガスの脂質の差異を異なる角度から検討した。融点は筋肉間脂質が低く、特に黒毛和種で低い値を示した。脂質を4℃で固化し、10、20、30℃まで順に加温した後、溶融している脂質を採取し、4画分を得た。黒毛和種の筋肉間脂質には10℃で溶融している画分が多く、融点が低いことを裏付けた。脂肪酸組成では、溶融点の低い画分にオレイン酸が多く、不飽和脂肪酸の割合が高い傾向があった。匂いは高融点の画分ほど強い傾向があった。リン脂質は筋肉内脂質だけに検出され、アンガスが黒毛和種より多く、融点の高い画分ほど多かった。リン脂質はホスファチジルコリンおよびホスファチジルエタノールアミンが約86%を占めた。30℃で固体の画分はリン脂質が多く、リン脂質が香気の差異に関係することから品種間のリン脂質含量の差は意味があると考えられた。

 本研究で得られた結果について、「総括」において総合的な考察を行っている。

 以上本論文は、和牛肉の食味の特徴に関して、乳牛肉と輸入牛肉との比較の上で呈味と香気の差を明確にする目的で理化学的分析と官能検査とにより解析し、同一条件下で飼育した牛の品種間差と、黒毛和種という同一の品種での生産地間差を明らかにしたものであり、和牛のおいしさの理由を解明する一助となるとともに、和牛の生産と肉質の改良の進展に、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は、申請者に博士(農学)の学位を授与してしかるべきものと判断した。

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