大豆タンパク質の化学構造と物性との関係を良く把握することは、大豆タンパク食品の特性を調節する上で極めて重要な事柄である。この場合、ゲル化性乳化性等の特性を支配する化学構造とはタンパク質分子の表面構造であり、これらの特性を活用するにはタンパク質分子の知見が必要である。また、これらの研究の出発点になるのはnativeなタンパク質の立体構造であり、加熱等の変性によるコンフォメーションの変化は、nativeなタンパク質の構造を基に推定するのが常道であると考えられる。現在、nativeなタンパク質の立体構造はX線構造解析の手法で結合水の状態をも含めて詳細に解明できるが、このためには何よりもまず、純粋なタンパク質の結晶を調製することが必須である。 ところで、タンパク質の良質かつ大きな単結晶を調製するには、均一で純粋なタンパク質を調製する必要があるが、大豆の貯蔵タンパク質は通常、サプユニットに遺伝的な変異があり、これらが集合してできる分子には複雑なポリモルフィズムが認められるため、その中から単一分子種を単離精製して結晶化することは容易ではなく、これまで成功した例はない。そこで著者は、まず大豆主要貯蔵タンパク質の1種である-コングリシニン単一分子種の単離精製と結晶化を試みた。大豆貯蔵タンパク質は、沈降速度という特性から2S/7S/11S/15Sという4種の画分に分類され、また免疫学的には、、-コングリシニンおよびグリシニンに分類され、-コングリシニンとグリシニンで全体の60%におよぶ主成分である。しかし-コングリシニンは単一の分子から構成されているのではなく、、’、の少なくとも3種類の遺伝学的に相違するサプユニットから構成される3量体分子であり、これら3種類のサプユニットの組み合わせからなる3量体分子の種類は、理論上11種類存在する。このように性質が極めて近似した多種類の分子種の中から目的とする分子種を単離することは非常に困難である上に、-コングリシニンは電気泳動法やイオン交換クロマトグラフィー等、通常のタンパク質の単離精製手段で用いられるような低イオン強度の条件では、3量体分子が会合してダイマーとなることが良く知られているので、ヘテロダイマーの形成によって単一分子種を単離することは、更に困難である。 そこで、これらの困難を克服するために、まず、より単純なサプユニット構成をもつ’欠失系統の大豆種子を材料に選ぶことにした。この場合、分子種として3、2、a2、3の4種類しか存在せず、単離精製が普通種の大豆よりはるかに容易になる。方法としては、まず粗7S画分を調製し、硫安分画により純粋な7S画分を調製し、これをDEAE-セファロースを用いた陰イオン交換クロマトに供することで行った。ここでイオン交換クロマトグラフィーは多少ともdimer-monomerの解離会合平衡が成立するイオン強度で、しかも平衡に達する時間よりもはるかに長い時間をかけて行なうことによって、4分子種と思われる画分を単離精製することができた。次に、この得られた画分が単一分子種であることの確認を、SDS-PAGEによる組成分析、アミノ酸分析、N末端分析、超遠心沈降分析で行った。まずSDS-PAGEの結果であるが、これはとサプユニットの組成比から各画分が目的の4分子種であることが容易に推定できた。次に超遠心分析の結果、いずれの沈降定数の値も5.4-7.0Sであることから、これらの分子が3量体構造をとっていることが推定できた。また3、3分子種についてアミノ酸分析を行った結果、cDNAから推定されている値に極めて近い値であった。さらにアミノ末端アミノ酸配列を調べた結果10残基までcDNAからの推定配列と完全に一致した。 以上の結果より、得られた4種類の分子種画分が予想通り純粋に精製できたことが確認できたので、次にこれら分子種の結晶化を試みた。この結果、4種類のうち3分子種について、大豆貯蔵タンパク質としては、世界で初めて結晶化に成功し、格子定数・空間群を決定でき、X線結晶構造解析への道を開いた。他の分子種については、現在のところまだ結晶化は確認されていないが、これはサプユニットの糖含量が約25%もあることが主な原因と考えられ、糖鎖の有効な除去が結晶化には必須であり、今後の課題であると思われる。 次に上記の研究の過程において著者は、材料として用いた’欠失系統の代表品種「毛振」およびこれを母本とする系統の大豆種子中に、-コングリシニンのサプユニットを極めて特異的に1箇所で限定水解するプロテアーゼ活性を発見した。大豆中のプロテアーゼについての報告は過去にいくつか見受けられるが、この酵素を部分精製してその特性を調べたところ、このプロテアーゼは中性/アルカリ性セリンプロテアーゼの一種であることを明らかにした。さらにこの酵素は大豆由来のKunitzトリプシンインヒビター、Bowman-Birkプロテイナーゼインヒビターで競争的に阻害を受けることを認めた。これは大豆起源のプロテアーゼとしては両インヒビターで阻害される酵素として初めての発見であり、両インヒビターが大豆種子中に多量に存在する生理学的意義について再考するきっかけになると思われる。 さらに本酵素は-コングリシニンのサプユニットのみでなく、’サプユニット、サプユニット、G5グリシニン酸性ポリペプチドをもそれぞれ一箇所で特異的に切断することができ、これらの切断箇所はいずれも連鎖塩基性残基Arg-Argの中間またはそのカルボキシル側であることが判明した。そこで立体障害を除いた上での基質特異性を明らかにするために合成基質(各種ペプチド-MCA)、天然オリゴペプチドを用いて検討した結果、Arg-Arg連鎖を認識する極めてArg特異性の高い酵素であることを明らかにした。これは生理活性タンパク質の前駆体に特異的に作用し活性化する酵母のケクシンや哺乳動物のフリン等のプロセッシング酵素の基質特異性に極めて似ており、高等植物界において初めて発見された酵素である。このようなプロセッシング酵素とプロテアーゼは大豆貯藏タンパク質の生合成・蓄積および発芽に際しての分解等、生理学的に重要な酵素であることはいうまでもないが、これらの酵素類は非常に高い基質特異性と限定水解を行うため、使い方次第では大豆タンパク質の構造研究や、さらにはその加工分野においても有効に利用できると考えられる。 そこで、まず構造研究への利用を検討した。先の-コングリシニン単一分子種の単離精製の過程で、HPLCによる4分子種をはじめ-コングリシニン分子種の定量分析系を確立したため、この系を用い3分子種にプロテアーゼを作用させた時の分子の状態を経時的に調べた。この結果、3つのサプユニットが1つずつ限定水解された3種の分子種のピークがその過程で生じ、最終的には3つとも限定水解された分子種に収束していることが分かった。この結果、3分子種はN末端より126残基目で切断される時、nickが入るだけではなく、切断されはするものの4次構造を保ったままであることが分かった。2、2分子種についても、同様の結果が得られた。 また、-コングリシニン分子種のうち最も特性が異なると予想される33および3限定水解物の3種類の分子種について、熱安定性に関する検討を行った。この結果、3分子種は3分子種に比べて変性温度が約10℃高く、3分子種が熱安定性に優れていることを明らかにした。分子量およびアミノ酸組成の上では3限定水解物と3分子種は非常に近似しているため、3限定水解物は変性温度が3分子種より高いと予想していたが、実際には3分子種とほぼ同じで3分子種に比べて変性温度が低かった。以上の結果より3分子種と3分子種の熱安定性の違いは、サプユニットのN末端から126残基のプロテアーゼで切り取られる領域の差ではなく、コアーの部分の構造の違いに起因することが予想された。 以上のように、本論文においては、まず大豆種子中に含まれる主要貯蔵タンパク質である-コングリシニンの単一分子種の単離精製と初めての結晶化および一部その特性を明らかにし、またこの研究の過程において発見された新規アルギニン特異性プロテアーゼの精製と特性を明らかにし、さらにこの酵素を積極的に利用して-コングリシニン単一分子種の熱安定性に関わる構造上の特性を明らかにした。 |