学位論文要旨



No 212750
著者(漢字) 丸山,温
著者(英字)
著者(カナ) マルヤマ,ユタカ
標題(和) 樹木枝葉の水分特性と環境適応性
標題(洋)
報告番号 212750
報告番号 乙12750
学位授与日 1996.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12750号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,惠彦
 東京大学 教授 鈴木,和夫
 東京大学 教授 寶月,岱造
 東京大学 助教授 井出,雄二
 東京大学 助教授 丹下,健
内容要旨

 植物は、水分環境に対する耐性に応じて、湿地から砂漠まで様々な立地、環境に生育している。さらに、気候変動やギャップの形成などの環境変動に対し、適応性の幅に応じて消長を繰り返してきた。近年の気候変動予測においては、大気中の二酸化炭素濃度の上昇による将来的な気温上昇が懸念されているが、気温上昇は大気の乾燥化を伴うことから、植物の水分環境は、今後植物の分布や成長を左右する重要な限定要因となることが予測される。したがって、植物の水分状態を評価し、水分環境に対する耐性、抵抗性、さらに適応性を明らかにすることは、現時点における植物の分布、成長を理解するばかりでなく、将来的な気候変動に伴う種の分布、消長、及び成長を予測する上で、重要な意味を持つと考えられる。

 植物体の水分状態を評価するには、通常用いられる含水率や水ポテンシャル(w)だけでなく、浸透ポテンシャル(s)や圧ポテンシャル(p)も把握する必要がある。本研究では、これらの値やその相互関係などの植物の水分特性の測定法として、P-V曲線(図-1)の導入と改良を図ることから研究を始めた。そして、日本産主要樹種の水分環境に対する反応を明らかにするため、P-V曲線法を用いて枝葉の水分特性の季節変化を調べた。材料は、落葉広葉樹として関東の山地からミズナラとダケカンバ、平野部からクヌギとコナラを、常緑針葉樹として同じく山地からウラジロモミ、平野部からヒノキとサワラを選んだ。さらに、植物体内の水分環境を左右する主要因として乾燥と低温の二つを取り上げ、これらの要因が水分特性に与える影響を通じて、水分環境に対する適応性を検討した。材料には、40mを超える高さまで育ち、暖温帯から冷温帯まで広い温度域に生育することから、乾燥や温度に対する適応性の幅が広いと考えられる、スギを選んだ。

図-1 ミズナラのP-V曲線(7月28日)Pressure volume curve of Quercus crispula(July 28)Vt:十分吸水したときの全水分量(十分吸水したときの葉の重量-葉の絶乾重)、Ve:葉から失われる水の量、Vo:十分吸水したときの全生細胞内液量、Vp:初発原形質分離を引き起こすときの全生細胞内液量、FWC:相対自由水量(free water content)、RWC:相対含水率(relative water content)、AW:アポプラスト水(apoplastic water) Vt:volume of total water at full turgidity,Ve:volume of water expressed,Vo:volume of symplasmic water at full turgidity,Vp:volume of symplasmic water at turgor loss,FWC:free water content,RWC:relative water content,AW:apoplastic water

 乾燥抵抗性の高い樹種では、圧ポテンシャル(p)を失うときの水ポテンシャル(wtlp,tlp:turgor loss point)が低く、水欠差に対する膨圧の維持に有利な性質を持っていた。wtlpは、主として飽水時の浸透ポテンシャル(ssat,sat:saturated)で左右され、wtlpssatの値は乾燥抵抗性を比較する重要な物差しとなる。

 wtlpssatはいずれの樹種も新葉で高く、特に落葉広葉樹では高い値を示した。すなわち、展開後間もない時期の落葉広葉樹では、水ストレスを受けやすいと考えられる。夏期は、気温の上昇に伴い大気の水蒸気飽差が増大するため、蒸散量も増大し、水ストレスを受けやすくなるが、wtlpssatは葉の成熟に伴って低下し、乾燥抵抗性を獲得していた。その過程は成長特性の違いを反映しており、シュートが急速に展開し、冬芽を形成して成長が止まる落葉広葉樹やウラジロモミでは、wtlpssatは急速に低下したが、結晶が拡大するように展開、成長を続けるヒノキ、サワラでは、wtlpssatの低下は緩やかに続いた。ヒノキはサワラと比べ、同じssatに対するwtlpは低く、より低い含水率まで膨圧を失わないなど、水分の低下に対する膨圧の維持に有利な性質を持っていた。このことが、両樹種の乾燥抵抗性の差異を左右していると考えられる。

 夏期のミズナラ、ダケカンバ、コナラの成熟葉では、一時的な乾燥や湿潤などの水分環境の変動に対して、wtlpssatの値に変動が見られた。これは浸透調節と呼ばれる一種の適応で、水ストレスの前歴に対してssatを低下させ、その結果wtlpを下げることで、膨圧の維持に有利な性質を獲得する。反対に湿潤状態が続けば、ssatは上昇し、wtlpも上昇する。しかし、この浸透調節機構は一定ではなく、同じ立地に生育するウラジロモミやクヌギでは、明らかな反応は見られなかった。このような浸透調節の差異は、環境適応性の幅を左右する要因になっていると考えられる。スギの場合も、重力ポテンシャル差によって常時乾燥状態におかれている高木の梢端部の葉では、樹冠最下部の葉と比べてwtlpssatは低かった。さらに梢端部の葉では、形態的にも乾燥に対して有利な特徴を持っていた。このように、同じ個体の異なった部位で、乾燥に強い性質、形態を獲得できることは、樹木が高く大きく育つことの重要な要素となっている。

 浸透調節は細胞内液の溶質の蓄積によって起こるとされているが、本研究では、葉の乾重を基準にした場合、溶媒量、すなわち細胞内液量の減少を伴うことが判った。特に成熟過程におけるssatの低下は、葉乾重当たりの細胞内液量の減少が主要因であった。これは、葉の成熟過程で二次細胞壁の発達により細胞壁が肥厚し、乾重部分が増大した結果、相対的に細胞内液量が減少したためである。しかし、乾重にかえて葉の体積を基準にした場合、成熟過程で溶質量に増大がみられた。葉の乾重は成熟過程だけでなく、環境前歴によっても変動するので、浸透調節における溶質や溶媒の変動を調べる場合、乾重や体積など、基準とするパラメータに十分注意する必要がある。

 常緑針葉樹のwtlpssatは、秋以降、気温の低下に伴ってさらに低下し続けた。冬期は大気の水蒸気飽差が小さく、蒸散量が著しく少ない反面、細胞外凍結によって水ストレスを引き起こす場合がある。初冬のスギの凍害は、この細胞外凍結による脱水が原因と考えられている。土壌や幹、枝の凍結により水の供給が長期間停止すれば、やはり水ストレスを引き起こす。寒風害と呼ばれる障害も、強度の水ストレスにより膨圧を失うことで起こるしおれが主要因であるという。常緑針葉樹のwtlpssatが冬期に最低に達したのは、このような低温下での水ストレスに対する適応-浸透調節-と考えられる。

 スギの場合も、初冬の時期に気温の低下に対してこれらの値は急速に低下し、乾燥抵抗性は高まった。クローン間で比べた場合、耐凍性の高いクローンでは耐凍性の低いクローンと比べ、wtlpssatは低く、乾燥抵抗性は高かった。さらに、耐凍性の高いクローンでは、冬期の細胞壁は強固で可塑性に富み、強度の脱水や機械的ストレスに対して高い耐性を持っていた。冬期に急速に乾燥抵抗性を獲得し、細胞壁の強度を高めることで、凍害を回避できることは、スギが冷温帯まで幅広く分布できる要因の一つとなっていると考えられる。

 以上、水分特性が葉齢や成熟過程などの樹体自身の要因と水分環境や温度といった樹体を取りまく要因によって変動し、環境に適応していることを明らかにした。しかし、浸透調節や細胞壁の体積弾性係数などの重要事項の評価には、やや問題を残した。今後はこれらの問題の解明に向けて、さらに知見を蓄積する必要がある。

審査要旨

 本論文は、樹木の環境適応性のひとつである乾燥抵抗性を取り上げ、異なる水ストレス条件下にある葉や耐凍性の異なる個体間で葉の水分生理特性を比較し、樹木の乾燥や低温に対する適応性評価として葉の水分特性が指標となることを明らかにしたものである。本論文の慨要は以下の通りである。

 植物の水分特性の測定法であるP-V曲線法は、水分特性を定量的に表すパラメータが簡便に得られ、再現性も高いことから、葉の乾燥抵抗性の評価方法として有効とした。また、葉の乾燥抵抗性の評価には、従来から指摘されている浸透ポテンシャルに加えて、膨圧の維持に影響する細胞壁の体積弾性係数も重要な指標となりうることを指摘した。

 次いで、日本産主要樹種の乾燥抵抗性を評価する目的で、落葉広葉樹のミズナラ、ダケカンバ、クヌギ、コナラと常緑針葉樹のウラジロモミ、ヒノキ、サワラを取り上げ、水分特性の季節変化を調べた。

 いずれの樹種も、展開後間もない葉で、膨圧を失う時の水ポテンシャルと飽水時の浸透ポテンシャルが最も高く、この時期の葉が、乾燥抵抗性の面では最も弱いことを示した。乾燥抵抗性は、葉の成熟にともなって増していき、冬季に最も高まることを示した。また、葉の乾燥抵抗性は、雨の多い時期には低下し、雨の少ない時期には高まるという降水量の季節変動に対応した変化を示すことを明らかにした。乾燥抵抗性を樹種間で比較し、平野部に生育する樹種では、クヌギが最も高く、コナラ、ヒノキ、サワラの順に低く、山地部の樹種では、ミズナラが最も高く、ウラジロモミ、ダケカンバの順に低いことを示した。しかし、これまでに報告されている世界各地の樹種と比較すると、いずれの樹種も乾燥抵抗性が高いとはいえなかった。

 乾燥した土壌条件等のように、葉に低い水ポテンシャルが恒常的にかかることが葉の水分特性や形態的特性に及ぼす影響について調べた。樹冠内の着生位置によって地上高に15〜20mの差があり、それが葉にかかる重力ポテンシャルの差となっているスギ成木の樹冠頂端部と最下部の葉を試料とした。最下部に比べて頂端部の葉は、膨圧を失う時の水ポテンシャルと飽水時の浸透ポテンシャルが低いという水分特性と、体積当たりの水分量が大きくて空隙率が小さいという形態的特性を併せもつことを明らかにした。これらの特性は、葉と土壌との水ポテンシャル差を維持しやすく、また蒸散による水分損失を抑えて水欠差を起こし難くするものであり、常により低い水ポテンシャル下にある頂端部の葉が、その水分環境条件に適応して獲得した乾燥抵抗性であることを明らかにした。また、乾燥に対する適応である浸透調節は、細胞内溶質量そのものの増加によってだけではなく、溶媒量の減少による相対的な溶質量の増加によっても起きていることを明らかにした。

 次に、低温に対する適応性を知るために、耐凍性の高いスギクローンと低いスギクローンの冬季の水分特性を比較した。まず、低温処理実験(-5〜-15℃)によって、凍害が発現する温度を11月と12月に調べた。その結果、耐凍性の低いクローンでは、12月に耐凍性が高まるのに対して、耐凍性の高いクローンでは、11月の時点で既に高い耐凍性をもっていることを明らかにした。また、葉の水分特性の季節変化から、耐凍性の高いクローンの葉では、最低気温が0℃以下にならない晩秋〜初冬の時期に、浸透ポテンシャルの低下がみられ、耐凍性の低いクローンよりも高い温度条件下で乾燥抵抗性が高まることを明らかにした。浸透ポテンシャルの低下は、細胞内溶質濃度の上昇によって、より低い温度まで細胞凍結が起こりにくくなるだけでなく、細胞外凍結などによる強度の脱水に対する抵抗性も高まることを意味し、乾燥抵抗性と耐凍性は密接な関係にあることを示した。また、耐凍性の高いクローンの葉は、弾性率の高い細胞壁を持っており、わずかな脱水によって水ポテンシャルの低下がおこる特性を持つことを明らかにした。以上の結果から、冬季の耐凍性の獲得は、乾燥抵抗性が高まることによって起こり、膨圧を失う時の水ポテンシャル、飽水時の浸透ポテンシャル、細胞壁の体積弾性係数などの乾燥抵抗性を指標する水分特性のパラメータによって、耐凍性も評価できることを明らかにした。

 以上のように本論文は、葉の水分生理学的及び形態学的特性を定量的に解析することによって、乾燥抵抗性ばかりでなく低温耐性をも比較評価できることを示したものである。本論文によって得られた知見は、様々な環境条件への造林樹種の選択基準としてばかりでなく、今後予測される気候変動の森林生態系に及ぼす影響予測にとっても重要な知見を与え、その学術上、応用上、極めて貢献するところが大きい。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値があるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50984