学位論文要旨



No 212751
著者(漢字) 朝倉,富子
著者(英字)
著者(カナ) アサクラ,トミコ
標題(和) コメのアスパラギン酸プロテアーゼ「オリザシン」に関する研究
標題(洋)
報告番号 212751
報告番号 乙12751
学位授与日 1996.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12751号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 荒井,綜一
 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 教授 鈴木,紘一
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 助教授 清水,誠
内容要旨

 コメは世界中で栽培され、世界人口の4分の1の食糧として消費されている穀物であり、何千年もの間、高品質、高収量のコメを目指して改良が進められてきた。コメは、人類にとって重要な作物であるにもかかわらず、分子生物学的研究は立ち遅れていたが、近年になってイネ核ゲノムの解析が進み、生体としてのイネの姿が次第に明らかにされつつある。コメ中には、グルテリンをはじめとする貯蔵タンパク質が約7%存在し、タンパク質源としても重要な種子である。しかし、種子中のタンパク質のプロセシングや分解を担うプロテアーゼに関する研究はごくわずかであり、システインプロテアーゼ(CP)についての報告があるのみである。コメのCPはオリザインと呼ばれ、コメの発芽期に多く発現し、芽生えに伴う貯蔵タンパク質の分解に関与すると言われている。しかし、他の種類のプロテアーゼに関しての報告例はほとんどない。そこで本研究では、コメ中にCPに次いで多量に含まれ生理的にも重要な役割を持つと予想されるアスパラギン酸プロテアーゼ(AP)に着目した。APは、動物や微生物においては、細胞内、細胞外にあってタンパク質のプロセシング、消化、生理活性ペプチドの生成等、生理的にも重要なものが多い。植物体内においてもその存在意義は大きいことが予想される。そこで本研究では、コメAPに関して遺伝子工学的手法およびタンパク質工学的手法を用いて植物生理学的意義を解明することを目的として解析を行った。以下に、その概要を述べる。

 第1に、コメよりAPをコードするcDNAクローンのスクリーニングを行った。RT-PCRにより、APをコードする3種類のクローンpL1,pL4,pL5を得た。これらのクローンはアミノ酸配列で互いに58〜76%の高い相同性を有し、他の植物APとも58〜80%と高い相同性を有していた。しかし、pL1,pL4,pL5は、動物、微生物APとは35〜45%と相同性は比較的低かった。3種のクローンをプローブとして開花2週目の種子から作製したcDNAライブラリーをスクリーニングし、全長2027bpよりなるAPの配列をコードするcDNAクローンを単離した。本クローンはpL1,pL4,pL5のいずれとも異なるアミノ酸配列をコードしており、そのタンパク質をオリザシン1と命名した。オリザシン1は509アミノ酸残基から成り、約20アミノ酸残基のシグナル配列とそれに続く47アミノ酸残基のプロ配列を有し、活性中心となるアスパラギン酸残基周辺配列は他のAPと同様高度に保存されていた。オリザシン1は、オオムギAPであるHvAPと最も相同性が高く、成熟型酵素部分は88%という非常に高い値であった。オリザシン1の大きな特徴は、既知の動物、微生物APには存在しない104アミノ酸残基からなる巨大インサーションをC末端領域に有していることである。植物(コメ、オオムギ、カルドン)由来のAPにはすべてこのインサーション領域が存在していたが、この領域の機能については解明されていない。

 オリザシン1mRNAの発現時期をノーザン分析により調べたところ、開花直後から生合成が始まり、開花2週目に発現量は最大となって、種子が熟するまでの登熟の間発現量は多いが、完熟種子では著しく減少した。一方、発芽期にあっては、発芽初期の種子および芽では発現量が多いが次第に減少し、発芽7日目ではほとんど検出されなかった。コメの主要貯蔵タンパク質であるグルテリンmRNAは開花後3週目に発現量が最大となるが、オリザシン1はこれに先立ち登熟初期から発現し、完熟に至るまでの間発現量は多く、オリザシン1が貯蔵タンパク質のプロセシングを行っている可能性が示唆された。

 第2に、オリザシン1の遺伝子構造について解析を行った。オリザシン1遺伝子は約6.6kbpからなり、14のエキソンより構築され、したがって13個のイントロンで分断されていた。活性中心の2つのアスパラギン酸残基は第2エキソンと第8エキソンに由来していた。オリザシン1遺伝子には5’-ノンコーディング領域に第1イントロンが挿入され、また、14エキソン・13イントロン構造であったという点で、9エキソン・8イントロン構造の動物AP遺伝子や微生物AP遺伝子等、既知のAP遺伝子とは著しく異なっていた。オリザシン1遺伝子は、植物APとして初めて解析されたものであり、他の植物APとの比較はできないが、動物・微生物AP遺伝子とはイントロンの挿入位置に関しても、全く一致しなかった。オリザシン1には104アミノ酸残基からなる動物・微生物APには存在しないインサーションがあり、この領域はオリザシン1遺伝子上では3つのエキソンに分かれてコードされていることが、明らかになった。

 一般にAPはN末端およびC末端領域の類似する2つのドメインから構成され、X線結晶解析の結果から、双葉様三次構造をとることが明らかとなっている。また、AP遺伝子の構築過程に関しては、ヒトレニン遺伝子の解析より、gene duplicationが生じた後、融合することによって、現在の形が形成されたという説が出されている。しかし、オリザシン1遺伝子の構造は、この仮説とはほど遠いものであった。すなわち、植物AP遺伝子は、APの基本骨格形成のためのgene duplicationが生じた後動物や微生物APと分かれ、C末端領域にのみ大きなインサーションが挿入され、その後独自の進化過程を辿りながら、イントロンの獲得と欠落が生じて現在の形の遺伝子構造が形成されたものと考えられる。

 以上、遺伝子レベルでの解析により、植物APに関する多くの知見を得ることができたが、実際にコメ中におけるオリザシンの性質を解明するためには、そのタンパク質を完熟種子より抽出、精製することが不可欠である。そこで、第3に、オリザシンタンパク質を各種クロマトグラフィーを用いて精製した。精製オリザシンは、AP特異的阻害剤であるペプスタチンで完全に阻害されたが、他のプロテアーゼインヒビターでは全く阻害を受けず、アスパラギン酸プロテアーゼであることが確認された。精製オリザシンの分子質量は57kDaで、cDNAから推定される分子質量より数kDaも大きくなっていた。その理由として、オリザシン1cDNAには、2ヵ所の糖鎖付加部位NHT254、NKT402が存在し、糖鎖が付加している可能性が考えられる。また、ヘモグロビンを基質とした際の水解至適pHは3.0で、4.0を超えると著しく活性が低下した。活性の温度依存性を23℃〜57℃で測定したところ、50℃までは温度の上昇とともに活性も上昇するが、50℃を超えると急激に減少した。

 ノーザン分析によるオリザシン1の発現パターンをみると、これが登熟期に多く発現し、完熟になるとほとんど発現しなくなる。しかし、完熟種子では、明らかにAP活性をもつオリザシンが存在した。これらのことから、オリザシンは、登熟中に種子内で生合成され、不活性のプロ体として完熟種子中に蓄積される。成熟型酵素への変換は何らかのシグナル(例えば活性型オリザシンによるプロ配列の切断)が引き金になると推定される。

 第4に、植物APの持つ特異的な構造と酵素学的性質の相関について調べるために、オリザシン1タンパク質を大腸菌で発現させ、活性化機構の解析を行った。方法としては、GST(glutathione S-transferase)融合タンパク質としてオリザシン1を大腸菌で発現させた。オリザシン1の活性化はin vivoでのオリザシンの活性化を知る上で重要な情報を与えてくれるはずだからである。現実に、GSTに融合させた形で発現させたプロ体オリザシン1は、pH3.3という酸性条件下で24時間処理することで成熟型となり、プロテアーゼ活性が生じた。すなわち、プロ体のオリザシン1は酸性条件下で自己触媒的に活性型に変換されることを明らかにした。活性型オリザシン1は至適pHが3.0で、コメより精製したオリザシンと同様のpH依存性を示した。

 以上の研究を総合し、植物細胞内でのオリザシンの代謝回転について考察すると、オリザシン1は至適pHが酸性領域にあることから、植物細胞内における局在は酸性オルガネラである液胞、プロテインボディーまたはエンドソームなどであろうと推定される。オリザシン1は、他のプロテアーゼと同様、粗面小胞体膜上で生合成され、ゴルジ複合体を経由して液胞へと選別輸送され、液胞内で成熟型オリザシンへと転換されると思われる。液胞内では、プロ型オリザシンと成熟型オリザシンの両方が存在し、プロ型オリザシンは液胞内の酸性条件下で活性型となり、細胞内タンパク質の消化、プロセシング、異物代謝等に関与すると考えられる。

 最後にオリザシンの応用面での研究について付記する。オリザシンに関して遺伝子解析、大腸菌での発現、また酵素の精製といった仕事を行ってきた過程で、多くの凝乳酵素がAPであることに鑑み、オリザシンの凝乳酵素としての可能性を模索した。その結果、オリザシンは、スキムミルク溶液をカルシウムイオン存在下で凝固させ、-カゼインを限定分解することを見い出した。完熟イネ種子に存在するオリザシンを凝乳酵素として利用することは、安全で、安価で、しかも、安定供給が確保されているという面でも有益であろう。

 以上、本研究は、オリザシンの発見、植物生理学的意義の解析、そして、凝乳酵素への応用の可能性の示唆を通じ、プロテアーゼ研究における新たな展開の一助として寄与しうると考えている。

審査要旨

 コメには、グルテリンをはじめとする貯蔵タンパク質が約7%存在し、タンパク質源としても重要である。しかし、種子中のタンパク質のプロセシングや分解を担うプロテアーゼの研究は主としてシステインプロテアーゼに関するものであり、他のプロテアーゼに関する報告は著しく少ない。本研究は主要穀物であるコメのアスパラギン酸プロテアーゼ(AP)に関して遺伝子およびタンパク質レベルでの解析を行い、その成果をまとめたものである。以下に、その概要を述べる。

 第1章序論に続く第2章では、コメ種子中に存在するAPのcDNAクローンのスクリーニングを行っている。まず、RT-PCRによりAPをコードする3種類のクローンを得た。さらに開花2週目の種子より作製したcDNAライブラリーから、新規APの全長をコードするcDNAクローンを単離し、これをオリザシン1と命名した。オリザシン1は509アミノ酸残基から成り、約20アミノ酸残基のシグナル配列とそれに続く塩基性アミノ酸に富む47アミノ酸残基のプロ配列を有し、既知のAPと35〜88%の相同性をもち、活性中心近傍の配列は他のAPと同様保存されていた。しかし、オリザシン1は既知のAPには存在しない104アミノ酸残基からなる巨大インサーションをC末端領域に有するという大きな特徴を持っていた。

 第3章では、オリザシンmRNAの発現時期をノーザン分析により解析し、主として登熟期の種子で発現することから貯蔵タンパク質のプロセシングを行っている可能性を示唆している。また、複数種のオリザシンにおいて発現パターンが異なることから、これらが機能的に役割分担をしている可能性も示唆している。

 第4章では、植物APとしては初めてオリザシン1の遺伝子構造について解析を行った。オリザシン1遺伝子は約6.7kbpからなり、14のエキソンより構築され、したがって13個のイントロンで分断されていた。オリザシン1遺伝子は、9エキソン・8イントロン構造をもちイントロンの挿入位置が保存されている動物AP遺伝子や微生物AP遺伝子等、既知のAP遺伝子とは著しく異なる構造を有しており、動物由来のAP遺伝子で定説となっている遺伝子重複を想定させる構造はとっていなかった。オリザシン1の遺伝子構造から、植物APは他のAPとは古い時代に分化したものと結論づけている。また、オリザシン1に存在した植物APに特有のインサーションについては遺伝子上では3つのエキソンに別れてコードされており、この領域が古い時代から存在したものと推定している。

 第5章では、オリザシン1タンパク質を大腸菌で発現させ、活性化の条件の検討を行っている。方法としては、GST(glutathione S-transferase)融合タンパク質としてプロ型オリザシン1を大腸菌で発現させた。発現したGSTプロ型オリザシン1は封入体に蓄積されたが、これを2種の界面活性剤にて可溶化させ、pH3.3、25℃、24時間酸処理をすることにより活性型酵素を得ることに成功している。本酵素の再構成率は4%であった。活性化オリザシン1はペプスタチンで阻害され、ヘモグロビンを基質とした場合、至適pH3.0、至適温度45℃であった。

 第6章では、オリザシンタンパク質を各種クロマトグラフィーを用い、コメから精製を行っている。精製は硫安分画、DEAE-セルロース、Sephadex G-100、MonoQ、ペプスタチンアフィニティーにより行われ、ペプスタチンで阻害を受ける至適pH3.0の酵素が得られた。

 第7章は、オリザシンの応用面での研究について述べている。コメの粗酵素液をカルシウムイオン存在下でスキムミルク溶液に加えるとゲル化が生じ、これに各種プロテアーゼインヒビターを加えたところ、ペプスタチンを加えた系ではゲル化が抑制された。これによりコメ中の酵素のうちペプスタチン感受性プロテアーゼ、すなわちオリザシンが凝乳に関与することが明らかとなった。そこで精製オリザシンを弱酸性下でk-カゼインに作用させたところ、これを限定分解することを見い出した。コメに存在するオリザシンを凝乳酵素として利用することは安全で、安価で、しかも安定供給が確保されているという面でも有益であろうと予見している。

 以上、本研究はコメの新規アスパラギン酸プロテアーゼ(オリザシン)に関してcDNAクローニング、遺伝子解析、タンパク質の精製、大腸菌による発現と活性化、食品加工への応用と幅広いアプローチにより、植物プロテアーゼの機能解明に貢献したと認められ、審査員一同は本論文が博士(農学)の論文として価値のあるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50985