学位論文要旨



No 212754
著者(漢字) 中村,甚七郎
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,ジンシチロウ
標題(和) 清酒の火落菌管理における免疫化学的および分子生物学的技術に関する研究
標題(洋)
報告番号 212754
報告番号 乙12754
学位授与日 1996.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12754号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 山崎,眞狩
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 助教授 北本,勝ひこ
 東京大学 助教授 片岡,宏誌
内容要旨

 清酒腐敗菌として知られる火落菌は15%以上のエタノール存在下で生育できる乳酸桿菌属の総称であり、その中には20%以上という高エタノール存在下でも生育可能な菌群も含まれる。清酒醸造においては火落菌管理は大変重要な問題である。開放発酵系でもろみ管理を行う清酒醸造では醸造工程における火落菌管理が重要であり、さらに製品への火落菌の混入は混濁や香味の劣化につながるためさらに重要である。特に、最近では清酒の商品のバラエティー化が進み冷用の生酒の需要も増加している。生酒は、火入れという清酒の殺菌操作を行うことができないので、特に、火落菌管理には注意を払う必要がある。

 本研究は、清酒醸造における腐敗菌である火落菌管理のために必要な検出法や同定法を迅速かつ高感度に行うために免疫化学的手法や分子生物学的手法を応用し火落菌管理に利用することを目的に行ったものである。

 第一章では、火落菌からSDS(Sodium dodecylsulfate)により、タンパクを抽出し、それをSDS-PAGE(SDS-polyacrylamide gel electrophoresis)で分析した。その結果、そのパターンは火落菌のグループ{ホモ発酵型真性火落菌(ho-T)、ホモ発酵型火落性乳酸菌(ho-H)、ヘテロ発酵型真性火落菌(he-T)、ヘテロ発酵型火落性乳酸菌(he-H)}ごとに特徴的なパターンを示し、さらにho-H、he-Hのグループにはそのパターンの違いによりho-Hが2サブグループ、he-Hが4サブグループに分けられることが明らかとなった。それらのパターンを火落菌以外の一般乳酸桿菌と比較した結果、火落菌のパターンとは異なっており、大落菌のSDS抽出タンパクのSDS-PAGEパターンを比較することによって、火落菌を簡単に同定することができることが分かった。さらに酒造蔵中の清酒中の火落菌の分布を知らべるために当社4酒造蔵より定期的に火落菌を分離し、721株の火落菌のSDS-PAGEパターンを比較した結果、簡単に同定できた。さらに、それらのパターンの特徴より火落菌標準株10株を選択した。 (第一章)

 第二章では、最近、食品や臨床検査の分野においてモノクローナル抗体を用いた免疫化学的手法を用いた微生物の特異的検出法が開発されていることより、これらの方法を火落菌の検出に応用することを考え、まず火落菌に対するモノクローナル抗体の作製を行った。火落菌のSDS抽出タンパクのSDS-PAGEパターンの特徴より選択した10株の標準株を抗原に用いモノクローナル抗体のスクリーニングを行った。その結果、それぞれの火落菌標準株10株に対して強い反応性を示すモノクローナル抗体を取得した。ELISA法により標準株10株と火落菌以外の一般乳酸菌桿菌への反応性とを調べた。それらのモノクローナル抗体は特異性と反応性が高かく、3種のモノクローナル抗体以外はまったく交差反応性を示さず高い特異性を示すことが明らかとなった。これらのモノクローナル抗体を使ってELISA法により火落菌を特異的に検出する方法を検討した。10種のモノクローナル抗体を混合することにより酒造蔵から分離した火落菌834株のうち、98.2%の火落菌を104セル以上の感度で検出できることが明らかとなった。 (第二章)

 第三章では、今回作製した火落菌に対するモノクローナル抗体は高い反応性と特異性を示した。これらの性質を利用して火落菌の免疫学的分類に利用できるかを検討した。ELISAプレート上にモノクローナル抗体と供試する火落菌のマトリックスを作製し、モノクローナル抗体の反応性のパターンによりグループ分けした、10グループにクリアーに分かれ、それぞれのグループの性質は培養法による結果と一致していた。したがって、ELISA法によりモノクローナル抗体の反応性を調べることにより簡単に火落菌をグループ分けすることができることが明らかになった。この方法を用いて酒造蔵中の火落菌の分布を調べた。その結果、火落菌の分布は酒造蔵によって異なっていた。火落菌に特異的なモノクローナル抗体の認識する抗原決定基の解析を行った結果、すべてのモノクローナル抗体は火落菌細胞表層のタンパク抗原を認識し、その抗原は火落菌の細胞表層全面に存在することが明らかとなった。 (第三章)

 第四章では、さらに火落菌に対するモノクローナル抗体の作製を行なう中で、今までのモノクローナル抗体と性質を異にするモノクローナル抗体を得た。それは、大落菌の約45kDaのタンパクを認識し、そのタンパクは調べた火落菌すべてに存在していることが明らかとなった。最近、極微量の任意の遺伝子配列を生体外で対数的に増幅できるPCR法が開発され、遺伝子診断や特定遺伝子の検出に応用されている。我々は、火落菌共通抗原遺伝子をPCR法で増幅するという分子生物学的手法を利用した火落菌検出法の開発を試みるために、まず、この火落菌共通抗原遺伝子をクローニングし、4株の火落菌の遺伝子配列を比較した。次に、その中の共通配列を検索し広範囲の火落菌遺伝子を共通に増幅できるプライマーを設定した結果、それは酒造蔵から分離された広範囲の火落菌をカバーでき、乳酸桿菌1セルのDNA量に値する量である10fgのゲノムDNAを高感度に検出できた。次に、生酒中の火落菌の検出を検討し、集積濾過によりメンブレンフィルター上に回収し検出した。その結果検出感度は10セルであった。次に、生酒の大落菌検査にPCR法を応用した。かなり低濃度の火落菌がコンタミしても生酒を火落ちさせる可能性があることから確実な検出を行うために回収した火落菌を48時間培養して検出するスケジュールを組み、生酒検査を行った。生酒瓶詰めラインの工程管理用のサンプルを使用し、従来法との比較を行った。その結果、PCR法は78サンプルのうち18サンプル(23.1%)が、培養法では78サンプルのうち17サンプル(21.8%)が陽性であった。しかしPCR法では検出期間が3日であるのに対して従来法は、7-13日という長期間を必要とした。このようにPCR法による火落菌の検出は従来の方法に較べ短期間に火落菌の検出ができ実際の生酒の火落菌管理に応用することができることが明らかとなった。現在当社では、PCR法により実際の生酒の火落菌管理に使うために生産管理部に技術移行を行っている。 (第四章)

 このように、今回検討した免疫化学的手法や分子生物学的手法を応用した迅速かつ高感度検出法は、従来長期間を要していた清酒の火落菌管理に応用でき、産業上有用な方法であるといえる。

審査要旨

 清酒腐敗の原因となる火落菌は、火入れという低温殺菌により防がれてきたが、最近の生酒需要の増加などにより、再びその管理に注意を払わねばならなくなってきた。そのため従来は培養によってなされてきた火落菌の検出・同定を、より高感度かつ迅速に行う必要がある。本研究は免疫化学的手法や分子生物学的手法を駆使してこれを達成したもので、論文は4章よりなる。

 第1章ではドデシル硫酸ナトリウム(SDS)抽出蛋白質の電気泳動パターンによる火落菌の同定について述べている。火落菌は15%以上のエタノール存在下で生育できる乳酸桿菌の総称であるが、ホモ発酵型真正火落菌(ho-T)・ヘテロ発酵型真正火落菌(he-T)・ホモ発酵型火落性乳酸菌(ho-H)・ヘテロ発酵型火落性乳酸菌(he-H)の4群に分けられる。各群11株の細胞につき、1%SDSで室温30分間処理して抽出される蛋白質のSDS-ポリアクリルアミドゲル電気泳動(SDS-PAGE)パターンを解析したところ、各群に特徴的なバンドが認められた。更に、4群のうちho-Hは2つ,he-Hは4つのサブグループに分かれること、一般の乳酸菌のパターンとは区別できろことが分かった。酒造倉から採取した721株の火落菌について調べ、すべてを明確に分類できることを確認した。

 第2章では、モノクローナル抗体を用いたELISA法による火落菌の高感度特異的検出法の開発について述べている。第1章で明らかにした8つのサブグループの代表とho-T群の2株を加えた計10株の標準株菌体を抗原として、これらの細胞を認識するモノクローナル抗体を調製した。スクリーニングの結果、各株に対して強い反応性と高い特異性を示し一般乳酸菌とは全く交叉反応をおこさない抗体7種と、火落菌に強い反応性を示すが一部の乳酸菌とも交叉反応する抗体3種を得ることができた。これら10種の抗体を混合したものを用いたELISA法を開発し、酒造倉分離火落菌834株に対して、菌数104の感度,98%の確率で検出できることを明らかにした。

 第3章では、モノクローナル抗体による火落菌の免疫化学的分類と抗体が認識する抗原の解析結果について述べている。第2章のモノクローナル抗体に対する反応性のパターンで火落菌をグループに分けると10群に明確に分けられ、この群は培養法による分類と一致した。これによって酒造倉中の火落菌の分類と分布を容易に判断することができた。SDS-PAGE後のイムノプロットにより、各抗体がそれぞれ特異的な細胞表層蛋白質を抗原としていることを明らかにした。

 第4章では、モノクローナル抗体Je3が認識する火落菌の共通抗原と、それをコードする遺伝子の解析、およびその遺伝子のポリメラーゼ連鎖反応(PCR)法にはる火落菌の高感度迅速検出法について述べている。モノクローナル抗体のスクリーニング中に得られたJe3抗体は、ELISA法での反応性は弱いものの火落菌標準株のみならず酒造倉分離760株のすべてと反応し、大腸菌とは反応しなかった。火落菌ではすべて分子量約45,000の蛋白質と反応していたので、ho-Tの1株の染色体DNAから構造遺伝子を発現ベクターとイムノプロット法により大腸菌を用いてクローン化した。クローン化したDNA中から他の標準株のDNAすべてとサザンプロットで反応する断片を選び出し、塩基配列を決定した。これより抗原が蛋白合成の伸長因子EF-Tuと分かり、これらの配列を基にして火落菌に特異的なプライマーDNAを設計した。このプライマーを用い、試料中の微量のDNAをPCR法で増幅することにより火落菌を検出できる系を開発した。本法では、10細胞あれば火落菌を検出することが可能で、生酒試料については従来7〜13日必要だった検出期間を3日に短縮し、しかも検出感度がより高いことを実証した。

 以上、本論文は、火落菌に特異的な抗原や遺伝子塩基配列の存在をモノクローナル抗体やPCR法などにより明らかにし解析するとともに、これを利用して火落菌の迅速かつ高感度な検出法を確立したものであり、学術上,応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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