学位論文要旨



No 212760
著者(漢字) 木越,治
著者(英字)
著者(カナ) キゴシ,オサム
標題(和) 秋成論
標題(洋)
報告番号 212760
報告番号 乙12760
学位授与日 1996.03.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第12760号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野山,嘉正
 東京大学 教授 鈴木,日出男
 東京大学 助教授 長島,弘明
 東京大学 助教授 大木,康
 東京大学 助教授 菅野,覚明
内容要旨

 本研究は、江戸時代中期の小説家上田秋成の『春雨物語』及び『雨月物語』に関する研究を主として収めているが、同時に、上田秋成に先行する読本作家都賀庭鐘の『莠句冊』及び『雨月物語』に影響を与えた浮世草子怪談集『多満寸太礼』に関する考察をも収めており、全体は三部より成っている。

 第一部は『春雨物語』に関する研究で、「本文研究」と「作品論」に分けられ、Iの「本文研究」は、以下の論文四編と小文二編を収めている。

 1 『春雨物語』諸本研究史の試み―その(一)―

 2 『春雨物語』諸稿本の本文

 3 『春雨物語』諸本研究史の試み―その(二)―

 4 『春雨物語』へ―文化五年本からの出発―

 付a秋成の仮名

 付b上田秋成研究文献目録について

 1〜3は、五系統八種類に分類される『春雨物語』の現存する諸稿本に関する研究史をあとづけ、それぞれの問題点を整理しつつ、作品ごとに各稿本の本文の先後関係の確定を試みたものである。ここで得られた結論は大略次のようなものであった。

 1、春雨草紙はどれも初稿とみなしうる。

 2、富岡本と天理巻子本の多くは最終稿であろう。

 3、天理冊子本は、従来信じられてきたようにすべて文化五年本以前のものというわけではなく、文化五年本以前のものと以後のものとの二系列に分けられる。

 4は、『春雨物語』の全体像を把握していくうえで、あるべき『春雨物語』のテキストはいかなるものか、という問題意識に基づいて書かれたものである。それゆえ、1〜3における作品単位での改稿の問題よりも、各稿本それ自体の完結性・独自性が重視されることになっている。現段階では、まず、完本である文化五年本の稿本群に占める位置を正しく認識し、ここから出発すべきである、と述べているが、もちろんこれが最終的な結論というわけではなく、今後なお検討を続けていかねばならない課題として残されている。ただ、この過程で、数種の稿本を取りあわせた混合本文である『春雨物語』現行流布本文の問題点はほぼ明らかにしえたと考えている。

 なお、付abの小文二編は、秋成自筆稿本における仮名字母の調査によって得られた知見及び上田秋成の研究文献目録作成に関する諸問題について述べたものである。

 IIの「作品論」は、『春雨物語』のうち六作品を取り上げたもので、以下の各章より成る。

 1 「血かたびら」の構想

 2 「天津処女」論

 3a「海賊」覚書

 3b「海賊」の方法

 4 「二世の縁」試論―『春雨物語』の人間学―

 5a「宮木が塚」と法然上人伝―近世における民間伝承について―

 5b「宮木が塚」研究

 6 樊像の分裂

 付a磯谷台陽翁遺聞―佐藤良次氏の上田秋成研究ノートから―

 付b李花亭文庫の秋成資料

 1は、「血かたびら」において従来から指摘されてきた典拠に加えて『日本春秋』『水鏡(異本)』を提示し、作者自身による『日本春秋』への書き入れを紹介・利用しながら、平城帝を「善柔の性」の持ち主と規定した背後にある作者の歴史認識のありかたをさぐったものである。

 2は、『天津処女』に関する従来の注釈の不備を補う資料二、三を提示しつつ、この作品の歴史記述の特質について分析をすすめ、「血かたびら」に引き続く時代を扱っていながらも「血かたびら」とは異なるこの作品の性格を明らかにしようとしたものである。

 3aは、改稿過程をたどることによって明らかになってくる主人公の海賊文室秋津像の変化に着目しつつ、『土佐日記』の旅の途上にあった貫之と海賊文室秋津とを出会わせることの意味を問うたものである。同じ問題は3bでよりくわしく検討されているが、ここではさらに、雅文随筆と小説にみられる「書く」意識の違い・作品構成に与えた同時代演劇の影響・海賊に仮託された批評が最終的には作者自身をはなれて自律的な性格を帯びるようになっていることなどについても論じている。

 4では、「二世の縁」において、土中入定から掘り出された僧定介の破戒的な行動とそれに対する村人の様々な反応を通して、幻想の崩壊がもたらす正負ふたつの側面が描かれていることを指摘するとともに、「生」に本能的に執着している定介の姿にこの時期の作者の思いが託されているのではないかと論じた。

 5の2編のうち前者は、「宮木が塚」に利用されたふたつの伝説の出自とその展開の様相をたどりながら作者の利用のしかたを考えてみようとしたものであるが、同時に、鎌倉期に発生した伝説が江戸中期まで伝えられてくる過程でどのように変貌していったかを具体例に即して述べるものともなっている。

 後者は純然たる作品論で、作品の枠組みとなっている作者自身の遊女塚探訪体験がデフォルメされていることの意味をさぐり、本文の改稿過程をたどることによって主人公宮木像が定着していくブロセスを確かめながら、この宮木の造型は、『世間妾形気』三ノ二・三の藤野や『雨月物語』「浅茅が宿」の宮木との連続性だけでなく、『春雨物語』に先行して書かれた「剱の舞」(『藤簍冊子』巻四)の静や「ますらを物語」の妹やゑとの比較においてもとらえる必要があるということを論じたものである。

 6は、同じ「樊」という作品ではあっても、文化五年本の樊像と富岡本の樊像はかなり違うのではないかということを双方の本文の比較によって述べているが、これは、Iの「本文研究」において述べた各稿本の独自性ということを作品論のなかで明らかにしようと試みたものである。

 なお、付abの二編はいずれも秋成に関する資料の紹介である。

 第二部は『雨月物語』の五編の作品について論じたもので以下の諸編より成る。

 1 はじまりの『雨月物語』―「白峯」

 2 「菊花の約」私案

 3 くりかえしの修辞学―「浅茅が宿」試論―

 4 「仏法僧」断章

 5 「青頭巾」・ひとつの読み方

 1は、「白峯」冒頭の「あふ坂の関守にゆるされてより」という一文が、歌枕的修辞法の伝統からみて『雨月物語』という作品の開始宣言としての意味を担っていることを述べたものである。

 2は、「菊花の約」に描かれた丈部左門と赤穴宗右衛門の「信義」がきわめて特殊な性格のものであることを論じたうえで、冒頭と末尾でくりかえされる「軽薄の人」とのまじわりを戒める教訓の意味について考察したものである。

 3では、「浅茅が宿」において再会した妻宮木(の亡霊)が、夫勝四郎の七年の不在をなにひとつ問題にしないことへの疑問から出発して、待ち続けた彼女の内面の地獄を指摘するとともに、それをあらわに提示しないまま手児女伝説と重ね合わせることによって伝承の中にうずめていこうとする作者の方法について論じている。

 4は、関白秀次一行の亡霊や高野山に関する知的な議論という側面から取り上げられることの多い「仏法僧」という作品を「そぞろなる」旅人である夢然父子の側から考察しようとしたもので、怪異とそれに出会う者という観点からみて、この作品が『雨月物語』の他の八編とは全く異なった性格を持つことを明らかにした。

 5では、男色から食人に至った「青頭巾」の破戒僧に関する愛欲描写の徹底性を高く称揚すると同時に、末尾における快庵禅師による救済ははたして作品を読むうえで自明の前提としうるかという疑問を提出し、作品自体はその点をあいままいなままに放置しているのではないかと述べた。

 第三部は、秋成に先行し、様々に影響を与えた作家及び作品に関する以下の研究三編を収める。

 1 『多満寸太礼』をめぐって

 2 『莠句冊』私注―第四篇を中心に―

 3 『莠句冊』第九話をめぐって

 1は、『雨月物語』のいくつかの作品との関係が指摘されている『多満寸太礼』の典拠調査を主にした研究であるが、それらを通してうかがえる作者の修辞的文体への関心や対話形式による知的議論の提示などは、『雨月物語』と同じ志向性を有するものであることを述べた。

 2と3は、都賀庭鐘の読本作品中でもあまり取り上げられることのない『莠句冊』の二編を俎上にのせたものである。前者では、すでに『英草紙』で利用した典拠を再度取り上げたのは、典拠に関する作者なりの研究成果を作中に提示するためであったということを具体的に論証し、こうした点に顕著にみられる読者の知的興味に訴える庭鐘の創作方法を明らかにした。後者は、従来不明であった第九篇の典拠を確定するとともに、典拠の霊験譚的要素を自助論的な近世的富貴の理念で置き換えていることを明らかにしたものである。

審査要旨

 本論文は、上田秋成(1734〜1809)の小説についての研究で、第一部「『春雨物語』」、第二部「『雨月物語』」、第三部「先達者たち」の三部から成る。第一部は、I「本文研究」とII「作品論」に分かれ、Iは「『春雨物語』諸本研究史の試み-その(一)-」以下、『春雨物語』諸本の本文研究四篇と二篇の付論、IIは「「血かたびら」の構想」以下、『春雨物語』各篇についての作品論八篇と付論二篇を収める。第二部は、「はじまりの『雨月物語』-「白峯」-」以下、『雨月物語』各篇に関する作品論五篇、第三部は、「『多満寸太礼』をめぐって」以下、秋成の読本に影響を与えた先行の作者や作品についての論考三篇を収める。

 秋成の最晩年の短・中篇小説集である『春雨物語』は、自筆本・転写本を合わせて八本に上る稿本が残るが、各本は文章の相違はもとより、筋の展開や所収話そのものも異なっている。しかも、自筆本各本はいずれも不完全原稿で、諸本の関係ははなはだ錯雑としており、従来の研究は、各本の個別の紹介に力点がおかれ、諸本の全体的な整理はほとんど進んでいなかった。木越氏は、第一部Iの諸論考において、各話ごとにこれらの『春雨物語』諸本の文章表現の異同を丹念に検討し、それぞれの話における各稿本の成立順を推定して、初めて網羅的に諸本の位置づけを行った。木越氏の研究においても、例えば自筆本である富岡本と転写本である文化五年本の関係が未解決のまま残されるなど、さらに考察を深めるべき点はあるが、諸本全体の関係に踏み込んだこれらの論考は、『春雨物語』の本文研究史の上で画期的な業績といえる。IIの作品論は、Iの本文研究の成果をふまえ、さらに新たな典拠を発掘しながら『春雨物語』の各話を論じたもので、「血かたびら」における江戸期の史書の利用、「宮木が塚」における法然伝説の利用の検討等から、秋成の創作方法を鮮やかに解明する。第二部の『雨月物語』についての論考は、主題論に比重をおき、「菊花の約」の信義や「青頭巾」の救済の問題について、従来の表面的な解釈とは異なり、秋成の小説が内包する主題の両義性を指摘する。第三部は、秋成の師と目される都賀庭鐘の小説の作品論が卓抜で、秋成との類似点・相違点を指摘し、秋成の『雨月物語』『春雨物語』の史的な意味を、側面から明らかにする。全体として、本論文の最大の意義は、詳細な諸本調査と精密な典拠検討によって、従来、研究者各自の問題意識に引きつけられ過ぎていた『春雨物語』『雨月物語』の解釈を、秋成の創作意識に立ち戻って新たに論じ直した点にある。諸本研究と典拠研究を統合した本論文の新しい作品論は、秋成研究における貴重な成果であることは疑いない。よって、本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に相当すると判断する。

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