学位論文要旨



No 212767
著者(漢字) 山田,哲弥
著者(英字)
著者(カナ) ヤマダ,テツヤ
標題(和) 執務空間における領域に関する研究 : 空間共用の建築計画的考察
標題(洋)
報告番号 212767
報告番号 乙12767
学位授与日 1996.03.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12767号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,鷹志
 東京大学 教授 香山,寿夫
 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 助教授 大野,秀敏
 東京大学 助教授 平手,小太郎
内容要旨

 本論文は、事務所建築の主要空間である執務スペースを計画し、内部空間の設計を行う際の基礎的な知識となる、執務者の行動やそれに関わる意識と物的な空間構成との関係を、実際の執務スペースの調査・分析をもとに、「領域」という概念を用いて明らかにしたものである。「領域」は、一般になわばり、テリトリーと呼ばれる概念を参考にした人間の意識や行動と関係する実空間の場所の範囲に関する概念である。

 第1章では、事務所建築の現状をもとに、背景となる問題意識について述べた。

 事務所建築の計画には半恒久的な建物部分の計画と、内部活動に直接関わる内部空間計画の二面性がある。近年のニューオフィス化やファシリティマネジメント導入の動きをみると、執務者の行動や意識を捉えて内部空間を設計することが重視されている。また、日本では執務スペースの7割以上はオープンな対向形式である。これらのことから、オープンな執務室における内部空間計画を研究対象とし、とくに、近年出現したフリーアドレス・オフィスに着目した。地価高騰による不動産・施設の運用管理、組織のあり方、OA・IB化、執務者の意識の変化などの現状の課題への対応策として、時間や場所・組織に対するフレキシビリティが進む方向でのオフィス革新事例が世界各地で見られる。その中で内部空間計画の例として、席を共用するフリーアドレスが、執務者の行動と意識と場所との関係において注目されるのである。

 第2章では、本論文で扱う研究の目的、対象および方法について記した。

 執務者の行動や意識と場所との関係に関わる仕組みを表現する概念として「領域」を考えることができる。ここではまず「領域」を、従来の個人固定席およびフリーアドレス方式における「領域」の成立要因をもとに、以下のような段階的な「領域性の強さ」によって捉えられる機能の異なる場所の範囲として仮定した。

 *自分の場所と思う範囲、(自分が自由に使って良い場所と思う範囲;固定席の場合)、他者が自分の場所だと認識していると思う場所=自分のプライバシーを確保しやすい場所の範囲(専用性、排他性=最も領域性の強い範囲)

 *コミュニケーションが行いやすい、コミュニケーションのしかたを調整できる場所の範囲(行動的調整性・浸透性)

 *直接の行動上の関係はないが、視覚的に見ることと見られることを意識する場所の範囲(視覚的調整性)

 *意識の外の範囲(もはや領域ではないが、行動範囲である場合もあり得る)

 これらの仮定および既往研究をもとに、以下のように研究課題を設定した。

 1)一般的な個人固定席方式およびフリーアドレス方式において、「領域」を「領域性の強さ」によって、すなわち、「プライバシーの確保」および「コミュニケーションの調整」という機能的な側面から段階的に捉えることが可能であるという仮説を実証的に設定すること。

 2)「領域」の機能に関する仮説、すなわち、「領域」の機能を「領域性の強さ」として段階的に捉えることによって、各段階の場所の範囲が「プライバシー確保」および「コミュニケーションの調整」に影響を及ぼしていることを検証すること。

 次に、本論文で採用した研究の基本的な方法について記述した。

 まず、執務者の「領域」を実態から捉えるために、事例・現場研究を行い、観察や質問調査の結果の分析によって、実証的に「領域」やその形成要因・形成過程に関わる仮説を既往研究における知見を踏まえて設定する。その仮説を現場実験により、とくに物的環境と「領域」との関係について検証し、レイアウト設計への適用可能性について考察する。「領域」を捉える調査方法は、レイアウト計画・設計実務の点から見るとできるだけ実施しやすく、被調査者にも負担の少ない簡便な方法が望ましい。「領域」を捉えるために取り得る方法をいくつか比較検討すると、インターバル撮影、選択肢による利用意識調査、利用場所の圏域図示調査が適切と考えられる。

 第3章では、執務スペースに現われる執務者の「領域」的な行動や意識に関する場所の範囲について、個人固定席方式およびフリーアドレス方式それぞれの場合を調査・分析し、その結果をもとに「領域」が考慮されるべき範囲を検討するとともに、「領域」の機能に関する仮説を導き出した(研究課題1))。

 「領域」の考慮範囲については、1フロアの一部に在籍する執務者に対するスケッチマップ調査から、対象とすべき範囲を見出すことができた。この事例では、同一フロアのオープンな部分のうち、この企業で「本部」と称する組織単位が占める場所の範囲が、「領域」を考慮すべき単位となると結論づけられる。このように「領域」は、入居組織の単位構成をもとにした場所の範囲の中で検討されるべきと考えられる。こうした範囲は、対象組織および入居しているフロアの形態(平面型)によって、異なると考えられるが、この事例での結果から、業務内容が関連をもち、業務上の人的交流が多く、オープンなオフィスの一部を占めている場合に、概ねそれを単位として考えることができる。一般的な企業であれば、部、あるいは部署といった単位である。

 「領域」の成立要因・機能については、まず、個人固定席方式で対向形式のオープン・プラン・オフィスを扱った。そこでは、実際の行動面からみると自席にいることがほとんどであり、「領域」は自分の席を中心に広がり、業務上、その人が自由に使って良い場所、また、他人から見て、その人がそこにいても当然あるいはおかしくないと見られる場所、つまり、「自分の」と意識する場所の範囲、他人が「その人の」と認識する場所の範囲を中心に「領域」が広がると考えることができることがわかった。

 つぎに、物的構成の異なるいくつかのレイアウトについて、コミュニケーションの場所と量を調査、比較すると、業務などの対人関係的なことがらとの関係が強く、席の配置よりも、パネルの有無、家具配置などによる空間構成(とくに視線の通る範囲)、席を共用すること等により異ることがわかった。この場合、その人にとって他者との「コミュニケーションが行いやすい場所」「コミュニケーションの仕方を調整できる場所」が「領域」となると考えられる。

 さらに、レイアウト改修後の「領域」の変化を調査し、「領域」の成立要因として、1)「領域」は時間経過により存続、強化・拡大する、2)「領域」が拡大する要因には、関係の深い・親密な執務者の相互配置、物的空間構成上の定位のしやすさ、よく利用する場所の配置、視野に入る範囲と頻度(在席率も含む)等が考えられることを明らかにした。これらのことから、行動的な対人関係の直接的な調整とは異なる「領域」、すなわち、視覚的なプライバシーを調整する範囲があることがわかった。

 フリーアドレス方式では、1)同一業務を実施するグループ単位ごとに場所選択が行われる「領域」があること、2)物的空間構成の違いと座席選択との関係は、打合せやミーティングなどのグループ作業の場合は大きく関係するが、個人作業の場合は関係がなく、むしろ個人の特性によって座席選択が行われる、つまり、「領域」となり易い場所の物的しつらえは、人によって異なること、3)グループ、すなわち集団としての「領域」を考慮すると、個人のプライバシー確保につながる「領域」と、コミュニケーションのための対人的調整に関わる「領域」とがあること、がわかった。

 以上により、「領域」をその機能の違い(領域性の強さ)によって、段階的に捉えることができると結論づけられる。

 第4章では、具体的なレイアウト変更実験を通して、執務者の「領域」をレイアウト設計によって操作し、また「領域」の広がり方を比較することによって、「領域」の強化・拡大とプライバシーやコミュニケーションに関する執務者の満足度との関係をもとに「領域」の機能を検証した(研究課題2))。

 まず、フリーアドレス方式の場合に、事前に各自の領域性の強い場所を調査し、それらを設計条件とする方法、すなわち、物的しつらえの異なる席を、それぞれのしつらえに対応する場所の「領域性が強い」人の人数比で設け、各空間構成の場所の配置と個人用資料棚の配置を操作する方法を提案した。そうした設計条件により実現したレイアウトでは各個人の「領域」が強化・拡大すること、および「プライバシーの確保」と「コミュニケーションの活性化」に関する執務者の満足度が向上することから、「領域」の機能を確認した。

 つぎに、個人固定席方式のレイアウトと、フリーアドレス方式のレイアウトとを比較検討し、後者では「領域」が強化・拡大すること、「領域」の拡大によって執務者の「プライバシーの確保」と「コミュニケーションの活性化」に関する満足度が向上することから、「領域」の機能を検証した。

 さらに、2つの異なる個人固定席方式のレイアウトについて、「領域」の広がり方、各執務者の個人席の物的しつらえおよび配置、共用作業スペースの配置、会話や打合せの多い相手相互の配置、「プライバシーの確保」と「コミュニケーションの活性化」に関する執務者の満足度を比較することによって、「領域」の機能を確認した。

 以上のように、「領域」の強化・拡大が執務者のプライバシー・コミュニケーションに関わる満足度を向上させることから、「領域」が段階的に捉えられ、その強化・拡大がプライバシーを確保し、コミュニケーションを活性化させることを確認できた。

 第5章では、これまでに明らかにしたことがらを要約するとともに、オフィス計画における今後の動向を予測し、本論文での研究方法・内容の問題点を指摘しながら、今後取組むべき研究課題に言及し、執務スペースの内部空間設計や評価に関わる提言を行った。

審査要旨

 本論文は、事務所建築の主要な部分である執務空間を対象として、その執務環境の質を向上させるための基礎的研究として位置づけられる。しかし同時にこの研究は、かかる執務空間計画を支援する応用価値の高い性格を併せ持っている。在来の執務室、その改善後の執務室あるいは準実験的にしつらえた執務室等において、執務者の意識や行動の特性と空間配置とがどのように関係しあっているかを、質問紙、インタビュー、観察等の方法を駆使して分析し、特に執務者が個人の固定席を持たないフリーアドレス方式の質の高さを実証している。この成果は、執務者が事務所建築において充実した生活を送るに適した執務空間を計画・設計するための指針となる知見を提供するものである。

 論文は5章よりなり、最後に付録として調査票等が付加されている。

 第1章では、わが国が明治時代に事務所建築を西欧から導入した時点から現代までの歴史を通覧している。そして、日本の執務室の典型である並行あるいは対向配列による個人固定席方式を改善するために近年現れてきたフリーアドレス方式(個人席を廃止し、図書館の閲覧机のような共用席による執務形態をいう)を分析、評価することの意義を述べている。

 第2章は、個人固定席とフリーアドレス方式との比較評価を、既往の「仕事場の心理学」に関する研究のレビューを経て、執務者の行動・心理上の「領域」の観点から行うことの意味を明らかにしている。更に、そのための研究方法として筆者が独自に考案した「インターバル観察」、「アンケート」、「スケッチ・マップ」等の簡便な方法の内容およびその妥当性を述べている。その結果、執務者個人を中心として、地理的に広がっている空間の中に、行動・心理的な「領域の強さ」に関する勾配(自分の回りの専有性が強く、排他的な、プライバシー確保に必要な「領域」に始まり、相互のコミュニケーションの度合いを調整できる「領域」、殆ど無関係でいられる「領域」などに亘る)によって段階的な秩序が存在することを仮説として述べている。

 第3章は、前半が個人固定席方式におけるレイアウト変更前後の執務者の領域変化に関する調査、分析に当てられている。その結果、前章で仮定した段階構成をもった「領域」の存在が検証され、それらが改修後に時間と共に成立、定常状態に達するプロセスを明らかにしている。後半では、執務者が自ら執務席を決めることのできるフリーアドレス方式においても、領域の段階構成が成立するのかについて、当該オフィスの長期観察調査と圏域図示法によるアンケートによって分析を行っている。その結果、各人が自由に席を選択する際にも、「領域性の強さ」の段階構成仮説が成立していることを検証している。この「領域性の強さ」の段階モデルは、執務空間利用の一方式であるフリーアドレス方式の配置計画における理論的根拠を与えるものである。

 第4章では、前章までの成果の上に立って、実際の執務空間における個人固定席やフリーアドレス方式を組み合わせる実験を行い、プライバシーの確保やコミュニケーションの活性化を実現する度合い、いいかえれば個人の環境に対する満足度評価の分析に関する結果を述べている。フリーアドレス方式においては、予想に反して個人作業におけるプライバシーが達成されやすいこと、かつ対人コミュニケーションのしやすさに対する満足度が高いという効果を見出し、当方式の有用性を検証している。

 第5章では、各章の結論を要約した上で、将来の執務空間の質を更に高めるための研究のあり方を展望している。そして(1)計画者とユーザーとが一体となった(ワン・コミュニティ)研究体制の必要性、(2)研究成果を設計プロセスへ応用する方法の開拓の必要性、(3)個別事例研究の意義、(4)個人の特性を考慮した上での、ある文化に共通する規範的行動(normative behavior)の存在を明らかにすることの重要性などを指摘している。

 以上、要するに本論文は、個人の自由・責任と組織の規範的行動とを共に満たすことのできるような質の高い執務空間の計画論を、数多くの調査、実験、試行を通じて考察したものであり、ここで得られた研究と計画とを結ぶ研究プロセスは事務所建築のみならず、他の建築種別の計画においても適応可能であり、生活・行動の質の向上という課題の解決に重要な役割を果たす空間共用に関する知見を明らかにした点で、建築計画学全体にも寄与するところが大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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