近年、美術館・博物館が日本各地で建設され、美術・芸術を身近に楽しみ、郷土の歴史や文化にも親しめるようになった。文化施設に対する住民の関心は高く、今後ともこうした建物は増加すると思われる。 日本では古来より土蔵あるいは校倉等に美術工芸品を保管してきたが、現代においてはコンクリート建造物が美術品の保存・展示場所である。美術館をコンクリート造とする理由は、(1)コンクリートが不燃建材であり防災の面で優れている、(2)建物が堅固となって防犯の面で管理し易い、(3)熱容量が大きく外界の気象変動に対して室温変動を抑えやすい、などのメリットがあるからであるが、他方で、(4)土蔵・校倉等に比べて吸放湿性が劣るため室内の相対湿度が変動し易い、(5)コンクリートの枯らし(乾燥)が不十分な時期に建物の使用を始めると、多湿やアルカリ性汚染因子によって美術品を損傷する恐れがある、などの問題が顕在化している。 このうち(4)の問題に対しては吸放湿性に優れた調湿性建材を付加することでコンクリート躯体の吸放湿性を補填することが美術館では一般化しつつあるが、必ずしも調湿性建材の吸放湿性の評価法およびその利用法(設計法)は確立されておらず、熱湿気同時移動モデルを用いた設計手法の開発およびその精度検証が望まれていた。 また(5)の空気質(アルカリ汚染因子)の問題に関しては、コンクリート打設時に使用する大量の水分の処理が重要と思われるが、アルカリ性物質の定性・定量の研究は多いが、コンクリートの含水状態・水分挙動との関連は必ずしも十分に明らかにされておらず、これに関する基礎実験の必要性と、具体的な建設現場でのフィールドデータの蓄積が望まれていた。 このような背景のもと、筆者は美術館の設計・施工の実務に関わる立場において、温湿度と空気質の双方を考慮した建築設備計画および施工計画が美術館では重要であると認識し、本論文においては、調湿性建材およびコンクリート構造体の設計施工に関わる知見を整理することを目的とした。 本論文の主な内容と構成は、以下の通りである。 第1章では、前述に示した研究の背景と既往の研究について概観した。 第2章では、コンクリートの吸放湿性を補填し、気象変動や空調運転に伴う相対湿度の変動を緩和するために用いられる調湿性建材の熱湿気物性の把握と吸放湿特性の評価法を検討し、以下の結果を得た。 (1)本論文で用いる熱湿気同時移動モデルを提示した。また、本論文で用いる調湿性建材(ゼオライトパネル)の熱湿気物性値を明らかにした。 (2)吸放湿特性を把握するための実験手法を提示し、上記の調湿性建材の吸放湿性が木材などより優れていることを確認した。 (3)(1)の計算モデルと熱湿気物性値を用いて、(2)の実験経過を再現計算できることを確認した。 第3章では、上記の調湿性建材を用いて美術品収蔵庫を想定した試験室(ゼオライトハウス)を作り、外周部暖房加湿実験(実験A)および庫内暖房加湿実験(実験B)を実施し、以下の結果を得た。 (1)調湿性建材の特徴を活かす空調方式は、実験Aの二重壁構造を用いた外周部空調方式である。 (2)実験Bの場合には、室内温湿度が変動した後に調湿性建材が吸放湿するため、暖房加湿の変化に対する応答が遅れた。 次に、熱湿気同時移動モデルを用いて、実験Aおよび実験Bの室内温湿度変動に関する再現計算を行い、平衡含湿率曲線(湿気物性)の近似モデルと実験値の関係を検討し、以下の結果を得た。 (3)室内相対湿度が中湿度域(40〜60%)の実験Aでは、平衡含湿率曲線を中湿度域で直線近似することで実験値を再現できた。今回の実験範囲では、線形計算モデルでも実験値を再現できた。 (4)室内相対湿度が中湿度から高湿度(50〜95%)にかけて変動する実験Bでは、平衡含湿率特性を曲線(折れ線)近似し、中湿〜高湿の材料物性を考慮するで再現精度は向上した。 (5)美術品の保存展示空間は中湿度域ではあるが、予測手法としての汎用性や現状のコンピュータ性能を考えれば、平衡含湿率特性を曲線近似して取り扱うのが妥当と考える。 第4章では、打設時に大量の水分を保有するコンクリートの放湿特性を把握するため、直径10cm、高さ20cmの円柱形のコンクリート試験体を作り、脱型直後からの重量変化を計測するとともにその再現計算を行い、以下の結果を得た。 (1)コンクリートからの放湿量は、脱型直後に特に大きく、以後漸減した。 (2)円柱座標系で水分収支の保存則が成立する差分スキームを導出した。 (3)筆者がフランスCSTBでガンマ線含水率計を用いて計測したモルタルの水分拡散係数を基準に、コンクリート放湿特性を再現する含湿率勾配に対する水分拡散係数を同定した。拡散係数は含湿率に大きく依存し、含湿率の高いときに拡散係数は大きく、放湿量も大きくなった。 (4)設計・施工上は、含湿率の高い養生期間に強度上の支障にならない範囲で、自然に放湿し易い壁体仕様・工法・環境とすることが重要である。 第5章では、前章と同時に制作した同形のコンクリート試験体からのアルカリ性物質の放出特性を実験的に把握するとともに、含湿率低減とアルカリ放出の関係を検討し、以下の結果を得た。 (1)イオンクロマトグラフィーを用いた分析により、コンクリートが放出するアルカリ性物質として、有意にアンモニアが検出された。 (2)アンモニアの放出量は、コンクリートの放湿特性と同様、脱型直後に特に大きく、徐々に小さくなった。 (3)試験体を一旦、絶乾状態にするとアンモニアの発生はなかったが、再度、含水状態にするとアンモニアは発生した。 (4)コンクリート含湿率が高いほど、アンモニア発生量が大きくなる相関関係が得られた。コンクリート中の強アルカリ成分(CaO等)が含水状態ではイオン化するため、弱アルカリのアンモニアが溶液中から追い出される(ガス化)ものと推察できる。 第6章では、実際の使用状態にある美術品収蔵庫の温湿度を測定し、熱湿気同時移動モデルによる解析を行い、以下の結果を得た。 (1)収蔵庫内部では棚・収蔵物の吸放熱・吸放湿の影響が大きかった。 (2)収蔵庫内の見かけの熱容量を同定した結果、6[kcal/m3℃]程度であった。 次に、設計・施工段階で空気質(アルカリ汚染)に配慮した美術館に関して、施工中から一年間に亘る空気質環境の実態調査を行い、以下の結果を得た。 (3)コンクリート乾燥促進・防湿処理などの対策を実施した結果、美術館オープン後の環境モニター(空気質の簡易測定法)の測定値は2(中性)〜3(弱アルカリ性)であり、良好な空気環境であった。 (4)木製内装材の収蔵庫は酸性側と判断された。外気のNOx・SOx濃度は高かった。空調機の酸アルカリ除去フィルターの選定は重要であった。 第7章では、各章で得られた知見をまとめ、総括的な結論を述べる。 本論文で提示した熱湿気同時移動モデルは、美術館の計画の中で、保存展示空間の温湿度環境を予測評価し、調湿性建材を含めた建築設備計画を最適化するのに利用可能である。また、コンクリートが放出するアルカリ汚染因子の問題は、設計・施工段階でコンクリート乾燥促進・防湿処理・空調機フィルター等に配慮することで抑制でき、今後はむしろ木材から発生する有機酸などの他の空気汚染因子の評価と対策が重要になることを指摘した。 |