学位論文要旨



No 212783
著者(漢字) 赤崎,弘平
著者(英字)
著者(カナ) アカサキ,コウヘイ
標題(和) 市街地整備のための建築のルールの地方的展開
標題(洋)
報告番号 212783
報告番号 乙12783
学位授与日 1996.03.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12783号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森村,道美
 東京大学 教授 高橋,鷹志
 東京大学 教授 大西,隆
 東京大学 助教授 西村,幸夫
 東京大学 助教授 高見沢,実
内容要旨

 本論における問題関心は、「最低水準に止まらず、それを上回る水準で市街地整備をはかるために、市街地整備のための建築のルールが一律的でなく、地域の歴史と実情、そして住民の意向に根差したものとして展開されることの可能性はどこにあるか」ということである。

 第1章においては、筆者の考える都市計画の社会的役割を述べたうえ、わが国の市街地は、開発や建築の主体や場所、建築物の用途や形態、デザイン、量が一定せず、秩序なく進行することによって形成されることが一般的で、その結果建築物の過度な建てづまり、基本的都市施設の低劣さがもたらす問題、またすぐれた景観の街並みが形成されないなど、よりよいまちづくりが進まないという問題も抱えていることを指摘する。都市計画の事業的手法によりこれらの問題を払拭することは重要であるが、それには限界がある。市街地の中の大多数を占める個々の建築物が最低限度の質を確保することはもちろん、よりよい水準を確保するよう制限することが求められるのである。本論では法や条例、また要綱等に定められたその制限を「建築のルール」と呼ぶ。

 そして、最低限度の水準にとどまることなく、よりよい水準で市街地整備をはかるための「建築のルール」は全国一律の適用ではなく、地域の実情に根差した「地方的展開」が必要であることを述べる。

 第2章においては、わが国における市街地整備のための建築のルールーの到達点を確かめる。わが国の近代的建築規制は、国に制度が成立する以前の明治前半期から、多くの地方ことに地方警察命令としての令規を、危険防止と健康保持という地域社会にとって必要な最低限度の秩序を保つことを目的として定めて始まった。明治後半期になると総合的で体系的な地方令規が現れ、それも受け継いで最初の国法、1919年「市街地建築物法」が成立する。それを市街地整備のための建築のルールとして見たときの特徴は、はじめて都市計画と連携するようになったことなどがあるが、その後市街地建築物法は「空地地区制度」等を創設し充実していく。戦後になり、わが国建築規制は1950年「建築基準法」によって再編されるが、1970年にはそれが大改正されて新時代に入り今日に至る。その間「総合設計制度」、「日影規制制度」、「地区計画制度」などの創設により実効型規制へ踏み出したり、建築のルールの地方的展開に大きな途を拓くが、最近の建築基準法の動向は規制緩和に向かっていることを確認する。

 第3章においては、大阪府における日影規制の適用と展開過程を見る。日影規制制度は、環境目標を明示して展開するはじめての建築規制であること、その規制方法は機械的なものではなく実効型規制を採ったこと、規制の対象区域や基準の選択を地方公共団体の条例に委ね市街地整備、特に住環境整備のための建築のルールの地方的展開に新たな途を拓いたことなどが特徴である。大阪府は制度の創設趣旨をよくくみ取り、その適用過程で丁寧な調査を繰り返し、慎重に対処したが、その過程を振り返ることにより、市街地環境整備に係る一般的な建築規制、すなわち最低限度の水準を確保する建築のルールの地方的展開のあり方の一端を示す。併せて、筆者が関係した調査をベースにして、「準工業地域」および「指定容積率300%住居地域」など大阪府において未だ日影規制を施行していない区域における制度適用の可否を考察し、今後の日影規制のあり方を展望する。

 第4章においては、大阪市における総合設計制度の適用とその展開過程を見る。特定行政庁が積極的に行う特例許可の制度として創設された総合設計制度は、建築のルールの地方的展開に新しい途を拓いたが、その許可実績は東京、横浜、大阪などの大都市圏に偏在している。そして、許可実績の多い東京都、横浜市、大阪市それぞれの「総合設計許可要綱」等の変遷、すなわち総合設計制度の地方的展開の中には各々の市街地整備に対する姿勢の相違があることを確かめる。制度の積極的活用を図り許可実績の最も多いのは大阪市であるが、総合設計制度創設以前における市街地整備のための建築のルールの展開、とりわけ建築物の絶対高さの例外許可事例の中に市街地整備を配慮した独自な展開があったことなど、現在の積極姿勢につながる下地が培われてきた。加えて大阪市の場合、制度適用建築物の集積による市街地整備効果が高いことなどを確認したうえ、その顕著な効果を、制度適用建築物の集積、連担によって快適な歩道状公開空地が連接的に創出された事例に求めて示す。総合設計制度をさらに効果的に展開して、より高い水準の、またより意図ある市街地整備に結実させるためには、それを単一の敷地ごとの個別的なものに止どめることなく、それらが集積したときに求められる市街地整備上の"将来予定の像"を、建築行政領域においても描くことの必要性と可能性を探り、大阪市において試みはじめられた「総合設計(公開空地整備)ガイドライン」による建築誘導策を示して、今後を展望する。

 第5章においては、茨木市における都市景観指導行政の展開過程を見る。法律に規定のない市街地整備のための建築のルールとして展開されている1989年「茨木市都市景観整備基本要綱」による都市景観整備施策の成立過程とその施策の組み立てを示し、その制度提案段階では公が一方的に指導をするだけではなく、都市景観形成に係る建築等行為者自ら建築のルールをつくって申し出、市はそれを認定する制度が提言されていたことに着目する。茨木市の都市景観整備施策のうち、重点地区たる「都市景観整備地区」で展開されるもの以外の施策、すなわち全市を対象とした「一般地区」における都市景観整備の展開を採り上げて、その初動期の実態を知り、市の都市景観整備に係る「指導」と建築等行為者の「応答」の動向を示す。そして、典型的な事例について現地における目視調査を行い、法律に規定のない茨木市の市街地整備のための建築のルールの可能性と限界を確認する。それまではすぐれた都市景観の創出がなかった茨木市においては、「一般地区」における都市景観指導によって事業者等の都市景観に対する配慮は徐々になされるようになっているものの、それは個別敷地ごとの配慮に止まっており、今後はそれらが集積したときの都市景観に係る"将来予定の像"描出に基づくものとして展開する必要があることなどの課題を指摘し、今後を展望する。

 第6章は本論の結びで、市街地整備のための建築のルールの地方的展開を展望する。建築基準法の一般規制は、危険防止や健康保持といった地域社会として必要な最低限度の水準と秩序を保つことを目的としており、より高い水準で市街地整備を図ることには限界がある。しかし近年、建築基準法の中にあっても地域の実情に根差して運用が図れる規制の仕組みがいくつか組み込まれるようになり、市街地整備のための建築のルールの地方的展開の可能性を大きく拓いてきた。

 当初からの「一団地認定制度」や、「特定街区制度」、「地区計画制度」は、一団の区域を限って集団的に建築物敷地をとらえ、建築基準法の一般規制を一旦解除し、改めて特段の建築のルールを定めるもので地方的展開が図られるが、「日影規制制度」や「総合設計制度」も個別敷地ごとの建築のルールの地方的展開に途を拓いたものである。それらの蓄積と流れを踏まえるならば、わが国建築規制は、その目的を目的を危険防止や健康保持といった最低限度の水準に止めず、良好な環境をもって市街地整備を図ることも目的とすべきであって、再編が求められる。その方向は、

 (1) 現行の集団規定は単体規定と切り離して都市計画法体系のもとに置くこと。

 (2) 建築規制の目的に則し、最低限度水準確保の建築規制と、より高い水準の市街地整備を図るための建築規制との二層制を採ること。このとき、後者は当該地域の都市計画に基づいて規制基準と規制対象区域の設定を行うこととし地方の判断に委ねること。

 (3) 市街地整備の建築のルールは、各々確保すべき環境目標を明示して行い、できるだけ機械的規制を排して実効型規制に置き換えること。

 (4) 市街地整備のための建築のルール、個別の建築物敷地ごとになされるもののほか、建築物敷地の集団的取り扱いを行うものの範囲を広げ、それらはすべて何らかの都市計画による判断に委ねるよう統合すること。

 (5) 実効型規制や建築物敷地の集団的取り扱いによる建築規制の運用には行政と事業者との事前協議が必要で、双方が「納得」するシステムを確立しておくこと。

 などと指摘できる。このことにより「市街地整備のための建築のルールの地方的展開」の可能性は大きく拓かれるはずであるが、それを都市計画法による「市町村の都市計画マスタープラン」とも連携させることが必要で、わが国の市街地整備に果たす市町村の役割は今後ますます大きくなる。

審査要旨

 本論文における問題関心は、「市街地整備のための建築のルールが、全国一律的でなく、地域の歴史と実情、そして住民の意向に根ざしたものとして、場合によっては国の水準を上回る形で展開されることの可能性はどこにあるか」ということである。

 第1章では、わが国の市街地は、開発の主体や場所、建築物の用途や形態、デザイン、量が一定せず、秩序なく進行することによって形成されることが一般的で、その結果建築物の過度な建てづまり、基本的都市施設の低劣さがもたらす問題や、すぐれた景観の街並みが形成されないなど、よりよいまちづくりが進まないという問題を抱えていることが指摘される。都市計画の事業的手法によりこれらの問題を払拭することは重要であるが、それには限界がある。

 本論では法や条例、また要綱等に定められた制限を「建築のルール」と呼んでいるが、この「建築のルール」は、全国一律の適用ではなく、地域の実情に根差した「地方的展開」が必要であることが述べられる。

 第2章では、わが国の近代的建築規制は、国に制度が成立する以前の明治前半期から、地方ごとに地方警察命令としての令規が、危険防止と健康保持という地域社会にとって必要な最低限度の秩序を保つことを目的として始まり、明治後半期になると総合的で体系的な地方令規が現れ、それを受け継いで最初の国法である1919年「市街地建築物法」が成立する過程が記述される。その後市街地建築物法は「空地地区制度」等を創設し充実していくが、戦後1950・1970年と大改正をうけて今日に至る。その間「総合設計制度」、「日影規制制度」、「地区計画制度」などの創設により、建築のルールの地方的展開に大きな途を拓くことが述べられる。

 第3章では、大阪府における日影規制の適用と展開過程が扱われる。日影規制制度は、環境目標を明示して展開するはじめての建築規制である点、その規制方法は機械的なものではなく実効型規制を採った点、規制の対象区域や基準の選択を地方公共団体の条例に委ね、建築のルールの地方的展開に新たな途を拓いた点で特徴的なことが語られる。大阪府は制度の創設趣旨をよくくみ取り、その適用過程で丁寧な調査を繰り返し、慎重に対処したが、その過程を振り返ることにより、市街地環境整備に係わる一般的な建築規制、すなわち最低限度の水準を確保する建築のルールの地方的展開のあり方の一端が示される。

 第4章では、大阪府における総合設計制度の適用とその展開過程が扱われる。総合設計制度は、建築のルールの地方的展開に新しい途を拓いたが、その許可実績は東京、横浜、大阪などの大都市圏に偏在している。それら地域の「総合設計許可要綱」等の変遷の中には各々の市街地整備に対する姿勢の相違があることが確かめられる。制度の積極的活用を図り許可実績の最も多いのは大阪市であるが、同市では総合設計制度創設以前に市街地整備のための建築のルールの展開、とりわけ建築物の絶対高さの例外許可事例の中に市街地整備を考慮した独自な展開があったことなど、現在の積極姿勢につながる下地が培われてきたことが述べられる。加えて、その顕著な効果を、制度適用建築物の集積・連担によって快適な歩道状公開空地が連接的に創出された事例に求めて示す。総合設計制度をさらに効果的に展開して、それらが集積したときに求められる"将来予定の像"を、建築行政領域においても描くことの必要性と可能性を探り、大阪市において試み始められた「総合設計(公開空地整備)ガイドライン」による建築誘導策を示すことで今後が展望される。

 第5章では、茨木市における都市景観指導行政の展開過程を見る。法律に規定のない都市景観整備施策の成立過程とその施策の組み立てを示し、重点地区である「都市景観整備地区」以外の「一般地区」における都市景観整備の展開を取り上げて、その初動期の実態を知り、市の都市景観整備に係わる「指導」と建築等行為者の「応答」の動向を示す。「一般地区」における都市景観指導によって事業者等の都市景観に対する配慮は徐々になされるようになっているものの、それは個別敷地ごとの配慮に止まっており、今後はそれらが集積したときの都市景観に関わる"将来予定の像"描出に基づくものとして展開する必要があることなどの課題が指摘される。

 第6章は本論の結びで、建築ルールの地方的展開のためには、(1)建築規制の目的を最低水準の確保から良好環境へとシフト、(2)集団規定を都市計画法体系へ移行し、"将来予定の像"とリンク、(3)建築規制の目的に即した二層制の導入、(4)環境目標の明示と「仕様書的規定」から「性能規定」への移行、(5)敷地の集団的取り扱いの拡大、(6)事前協議制の充実、(7)市町村の役割重視を挙げている。

 要するに本論文は、建築規制関係令規(全国都道府県)、日影規制(大阪府)、総合設計制度(大阪市)、景観要綱(茨木市)の成立過程とその運用を、豊富な資料をもって検討することで、市街地環境整備のための建築のルールの地方的展開の必要性と可能性について検証したものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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