学位論文要旨



No 212785
著者(漢字) 佐藤,弘泰
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ヒロヤス
標題(和) 嫌気好気式活性汚泥法における嫌気的有機物摂取に関する基礎的研究
標題(洋)
報告番号 212785
報告番号 乙12785
学位授与日 1996.03.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12785号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松尾,友矩
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 花木,啓祐
 東京大学 教授 山本,和夫
 東京大学 助教授 味埜,俊
内容要旨

 本研究では嫌気好気式活性汚泥法とよばれる微生物を利用した下廃水の処理技術の原理機構の解明を試みた。微生物学的にみた嫌気好気式活性汚泥法の最大の特色は、微生物が嫌気条件と好気条件に数時間ごとに交互にさらされ、しかも比較的低濃度の基質(有機物)が嫌気条件下で微生物に与えられるところである。この、いわば"嫌気好気条件"は人類が新たにつくりだした微生物の生育環境だといえる。嫌気好気条件の下では、嫌気条件下で供給される有機物を何らかの方法で摂取・蓄積し、続く好気条件下でそれを酸化分解してエネルギーを獲得するとともに増殖する生活形態が有利である。このような微生物代謝が存在することは、嫌気好気式活性汚泥法が開発されてはじめて知られるようになった。

 一方、嫌気好気式活性汚泥法は生物学的リン除去法ともいわれ、下廃水から経済的にリンを除去する技術として知られている。ある種のポリリン酸蓄積菌(本研究では脱リン菌と呼ぶ)は嫌気条件下でポリリン酸をエネルギー源として利用して有機物の摂取を行うことができる。脱リン菌は好気条件下においてポリリン酸を合成するために処理対象の下廃水中のリン酸を除去する。そのため、好気条件で十分時間が経過した後、活性汚泥と処理水を分離すれば、リンが十分に除去された処理水を得ることができる。嫌気好気式活性汚泥法におけるこのような微生物の働きを正しく理解することは、生物学的リン除去技術を確立する上で必要不可欠である。

 本研究で注目したのは、嫌気好気式活性汚泥法において観察される活性汚泥中微生物による嫌気条件下での有機物の取り込み(嫌気的有機物摂取)である。前述のように、嫌気好気条件は嫌気的有機物摂取を行うことができる微生物に有利な環境である。嫌気的有機物摂取は硝酸・亜硝酸は存在しないが、硫酸還元はほとんど起こらず、またメタン発酵は全く起きないような嫌気条件下で行われる。このような条件下での有機物の摂取機構を説明するためには、物質収支、酸化還元収支、およびエネルギー収支の説明がなされなけらばならない。

 本研究では、3章で嫌気的有機物摂取の際の代謝機構の仮説をたて、4章で人工下水に上り馴致された実験室規模嫌気好気式活性汚泥リアクターの汚泥を用いて、また、5章で、実下水を処理しているパイロットスケールのUCTプロセス(嫌気好気式活性汚泥法の変法の一つ)の汚泥を用いてその検証を行った。

 嫌気的有機物摂取に関与する代謝系として、(1)グリコーゲンの解糖系、および(2)3HB(3-ヒドロキシ酪酸)、3HV(3-ヒドロキシ吉草酸)、3H2MB(3-ヒドロキシ-2-メチル酪酸)、3H2MV(3-ヒドロキシ-2-メチル吉草酸)を構成成分とするPHA(ポリヒドロキシアルカノエート)の合成系、(3)およびポリリン酸の加水分解によるエネルギー供給系がこれまでに知られていた。これらの代謝経路を組み合わせることで、酢酸およびプロピオン酸の嫌気的摂取をうまく説明することができた。酢酸、プロピオン酸はそれぞれacetyl-CoA、propionyl-CoAをへてPHAに変換される。この時に還元力を消費するが、その還元力は解糖により供給される。しかしながら、これらの代謝系だけでは乳酸、ピルビン酸、リンゴ酸、グルコースといった有機物の嫌気的摂取を説明することができなかった。

 そこで、本論文の3章において、嫌気的有機物摂取に関与する代謝系としてこれまで知られている3つの代謝系に加えて、(4)コハク酸・プロピオン酸発酵系の存在の可能性を指摘した。これら4つの代謝系を組み合わせることにより、乳酸、ピルビン酸、リンゴ酸、コハク酸、グルコースの嫌気的摂取を説明することができる。例えば乳酸の場合、酸化されてピルビン酸となった後、一部はacetyl-CoAを経てPHAに変換される。この代謝系だけでは還元力が過剰になってしまうので、それを消費するためにピルビン酸の一部がコハク酸・プロピオン酸発酵により還元されてpropionyl-CoAをへてPHAに変換される。酸化還元収支が成立するために、acetyl-CoAをへてPHAに変換される乳酸とpropionyl-CoAをへてPHAに変換される乳酸の割合は理論上1対1となるはずである。

 また、コハク酸・プロピオン酸発酵が嫌気的有機物摂取に関与するという仮定から、グリコーゲンを3HV主体のPHAに変換することにより、細胞内の酸化還元バランスを損なうことなくエネルギーを取り出すことができる"3HV発酵"の存在の可能性が導かれた。3HV発酵によるエネルギー生成はポリリン酸を必要としないので、3HV発酵を行う菌はポリリン酸に依存することなく嫌気的有機物摂取を行いうると考えられた。

 4章では、実験室で人工下水により馴致した嫌気好気式活性汚泥について、3章で提案した嫌気的有機物摂取機構の検証を試みた。馴致の結果、良好なリン除去を行う汚泥(A系)と、リン除去能が低いにも関わらず嫌気条件下で顕著な有機物摂取を行う汚泥(B系)が得られた。これらの汚泥に嫌気条件下で酢酸、プロピオン酸、乳酸、リンゴ酸、コハク酸、グルコースを投与し、これら有機物の嫌気的摂取機構を検討した。

 その結果、良好なリン除去を行うA系の汚泥による嫌気的有機物摂取では、予想通り、解糖系、コハク酸プロピオン酸発酵系、PHA合成系、そしてポリリン酸の加水分解によるエネルギー合成系が働いていることが確認できた。また、B系の汚泥による嫌気的有機物摂取も、エネルギーの供給機構を除けば脱リン菌の代謝と同様にして説明できた。B系の汚泥のエネルギーの供給機構は、3HV発酵により説明できた。

 3HV発酵菌が仮に脱リン菌と嫌気的有機物摂取において競合し、何らかの原因で3HV発酵菌の方が卓越してしまうと、嫌気好気式活性汚泥法によるリン除去は機能しなくなってしまう。そのため、3HV発酵菌と脱リン菌の競合関係を明らかにするのは非常に大切なことである。本研究で得られた知見では、発酵菌と脱リン菌は、嫌気的有機物摂取機構が非常に似かよっており、両者の違いはポリリン酸の代謝を行うか否かと、コハク酸・プロピオン酸発酵系の活性だけであると考えられた。しかし、このことからだけでは3HV発酵菌と脱リン菌の競合関係について意味のある議論を展開することはできなかった。これまでに3HV発酵菌が発生したと思われる報告例は数例あるが、そこからも共通する要因を抽出することはできなかった。

 5章では、実下水を処理しているUCTプロセス(嫌気好気式活性汚泥法の一つ)のパイロットプラントの活性汚泥について、3章で提案した嫌気的有機物摂取機構の検証を試みた。4章で行った検証実験との大きな違いは、ここで用いた汚泥が組成が単純な人工下水ではなく、実際の下水により馴致されたものであるということである。すなわち、実験室でのモデル実験よりも現実に即した情報が得られることが期待された。

 酢酸・プロピオン酸の嫌気的摂取にグリコーゲンの解糖が関与していること、摂取された有機物(酢酸、プロピオン酸、乳酸、ピルビン酸、リンゴ酸、コハク酸)の蓄積形態が3HB、3HV、3H2MVを構成成分とするPHAであること、嫌気条件に続く好気条件下ではポリリン酸だけでなくグリコーゲンも合成されることが確認された。また、コハク酸・プロピオン酸発酵も嫌気的有機物摂取に関与していることが示された。しかし、酸化還元の収支についてはグリコーゲンの解糖、コハク酸・プロピオン酸発酵、PHA合成を組み合わせた代謝だけでは十分に説明することができなかった。このような結果になった原因として、分析誤差、実験系への酸素の混入、活性汚泥中の共存有機物の影響、といった要因からくる実験手法上の誤差が考えられた。また、細胞内の酸化還元バランスを保つ機構として、グリコーゲンの解糖、およびコハク酸・プロピオン酸発酵系以外の機構が働いている可能性も考えられた。

 以上まとめると、3章で提案した仮説は人工下水で馴致した実験室の汚泥については正しいことを確認することができ、また、実下水を処理しているパイロットプラントの活性汚泥についても最終蓄積物質がPHAであり、嫌気的有機物摂取にグリコーゲンの解糖が関与していることをはっきりと示すことができた。しかし、パイロットプラントの活性汚泥については細胞内の酸化還元収支を説明することができなかった。このことから、3章で提示した代謝機構があくまで主要なものの一つであり、他にも未知の代謝機構が関与している可能性があることを示していると考えられた。

 本研究では以上のように嫌気的有機物摂取に関して主要な代謝機構を示すことができた。しかしながら、ここで示した代謝機構が嫌気的有機物摂取の全てを説明しているわけではなく、場合によっては他の代謝機構の方が重要になる場合もあるようである。特に実際の下水は様々な有機成分が微量ずつ混合されたものであり、そうしたことを考えると今回提示した代謝機構では説明できない部分があって当然である。微量かつ多成分系の代謝ということになると、解析するのが非常に困難になると思われるが、今後の研究の発展に期待したい。

 また、本研究では脱リン菌と3HV発酵菌の競合関係を解明することができなかった。嫌気好気式活性汚泥法が生物学的リン除去法として広く活用されている今日の状況を見ると、3HV発酵菌と脱リン菌の競合関係を明らかにすることは急務であると考えられる。その方面においても、今後の研究の発展に期待したい。

審査要旨

 微生物を利用した廃水からのリン除去法である嫌気好気活性汚泥法は、ユニークな廃水処理技術として工学的に注目されたのみならず、微生物学的な研究対象としても多くの研究者から取り上げられ精力的な研究が行われてきた。この嫌気好気活性汚泥法においてリン除去を担うとされるポリリン酸蓄積細菌は、細胞内に蓄えたポリリン酸を嫌気条件下でエネルギー源として利用することにより有機基質を細胞内に取り込み蓄積するという特性を持ち、この性質が本細菌が嫌気好気式活性汚泥法で優占する要件となっている。

 この嫌気的有機物摂取機構を代謝レベルで明らかにするための研究は従来より多くの研究者により試みられてきたにもかかわらず、酢酸などきわめて限られた基質に関してのみについてしか説明されていなかった。本研究は、嫌気好気活性汚泥法における嫌気的有機物摂取がどのような反応経路で生じるかを、反応の物質収支・エネルギー・酸化還元の収支の面から検討を行い、本法での優占微生物の代謝の機構を提案したものである。

 本論文は「嫌気好気式活性汚泥法における嫌気的有機物摂取に関する基礎的研究」と題し6章から成っている。

 第1章は「はじめに」であり、本研究の背景について述べている。

 第2章は「緒論」であり、本研究の前提として必要な過去の関連研究をレビューした上で、本研究の目的を述べている。嫌気好気式活性汚泥法の嫌気工程における有機物摂取を説明するためにエネルギー供給機構と酸化還元調節機構の解明が重要である点を強調している。

 第3章は「代謝機構に関する検討」であり、本研究で対象としている嫌気的有機物摂取機構に関する理論的側面をまとめている。代表的な低分子有機物の推定代謝経路を提示し、ポリリン酸によらないエネルギー供給機構が存在する可能性のあることを理論的に示している。

 第4章は「実験室汚泥による回分式実験」と題し、実験室内に設置した嫌気好気式活性汚泥法のパイロットプラントの汚泥を用いた実験結果について考察している。本法での有機物蓄積形態がPHA(Polyhydroxy-alkanoate)であること、細胞内グリコーゲンが酸化還元バランスの調節およびエネルギー供給に関与することを示すとともに、3HV発酵という新しい代謝様式の存在を示唆する提案を行った。また、ポリリン酸蓄積細菌と3HV発酵細菌の代謝の類似性をはじめて指摘した。

 第5章は「パイロットプラントの汚泥による回分式実験」では、実際の下水を処理するプラントの汚泥を用いた検証実験の結果をまとめている。第3章・第4章で提案した代謝様式が実下水プラントでもほぼ確認されたと言えるが、実験室の系でみられなかった有機基質の初期吸着などの新しい現象も見つかった。それらの解明は今後の課題であるとしている。

 第6章は「終わりに」であり、本研究で得られた結論をまとめるとともに、今後の課題として、アミノ酸など本研究で扱わなかった有機物の代謝機構の解明やポリリン酸蓄積細菌および3HV発酵細菌の単離の努力の必要性を指摘している。

 嫌気好気式活性汚泥法に関与する細菌の単離には今のところ誰も成功していない。つまり、混合培養系を対象せざるを得ないという制約の中で、本研究はこれまで微生物学的には十分理解されていなかった嫌気好気式活性汚泥法における有機物の代謝機構を理解するための基本的考え方を提示した。嫌気好気式活性汚泥法の微生物学的な理解を大きく促進した点で、また、混合培養系である活性汚泥微生物コミュニティの細胞レベルの代謝機構の解明に新しい研究手法を示した点においても、本研究の成果は高く評価されるものである。よって本論文は、都市工学とりわけ環境工学の発展に大きく寄与するものであり、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50989