学位論文要旨



No 212804
著者(漢字) 佐々木,正洋
著者(英字)
著者(カナ) ササキ,マサヒロ
標題(和) 分子線散乱を応用した有機金属分子線エピタキシャル成長における表面反応過程に関する研究
標題(洋)
報告番号 212804
報告番号 乙12804
学位授与日 1996.03.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12804号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 白木,靖寛
 東京大学 教授 伊藤,良一
 東京大学 教授 河津,璋
 東京大学 教授 尾鍋,研太郎
 東京大学 教授 小宮山,宏
内容要旨

 有機金属分子線エピタキシャル成長(MOMBE)法は、実時間の成長モニタが可能であるという分子線エピタキシャル成長(MBE)法の特徴を有しながら、表面状態に敏感な表面化学反応を活用することにより、自由度の高い成長制御を可能にした化合物半導体のエピタキシャル成長法である。たとえば、限定された領域のみにエピタキシャル成長を行う選択成長、横方向にエピタキシャル成長を進行させるラテラル成長、単原子層の単位でエピタキシャル成長層の厚さを制御できる単原子層成長(ALE)を実現することができる。しかし、これら成長制御において重要である表面化学反応過程に関して、これまで系統的な検討はなされていなかった。本研究の目的は、分子線散乱を応用した分析的な方法により、MOMBE法における表面反応を統一的に理解することにある。

 ここで注目しているMOMBE法における表面反応は、化合物半導体のエピタキシャル成長法として広く用いられている有機金属気相成長(MOVPE)法における表面反応と、本質的に同じであると考えられる。MOVPE法における表面反応は、適切な手段がないために、これまでほとんど検討されてこなかったが、本研究は、加えて、この表面反応を理解するために重要な情報を提供するものである。

 本研究では、状態の様々に異なるGaAs表面に、MOMBE法における代表的な原料ガスであるトリメチルガリウム(TMG)の分子線を照射し、表面から脱離する分子種を質量分析計を用いて分析した。特に、照射する分子線をパルス化し、脱離種を時間分解により観測することで、表面反応の初期過程である原料ガスの吸着過程の動的挙動に関する情報を得た。これにより、MOMBE成長における表面反応過程を統一的に記述することが可能となった。

 実験は、真空トンネルで接続したMOMBE成長室、パルス分子線散乱室、表面処理室から成る装置を用いて行った。

 エピタキシャル成長において最も一般的に用いられるGaAs(100)表面での表面反応から検討を始めた。GaAs(100)表面は、表面ストイキオメトリ(表面As被覆率)により様々な再構成構造をとることが知られている。TMGのGaAs(100)表面での分解率を表面ストイキオメトリの関数として詳細に検討した結果、0.75のAs被覆率を有する、(2×4)に再構成した表面で、TMGの分解が特異的に抑制されることを見いだした。この表面は安定な構造を持つことが知られている。この結果は、TMGの表面反応が安定な構造を有する表面で抑制されることを示唆するものである。

 より詳細な情報を得るために、パルスTMG分子線を用い、再構成構造の異なるGaAs(100)表面で散乱したTMG分子の飛行時間スペクトルを測定した。その結果、TMGの分解が抑制された(2×4)表面において、TMG分子は、分子散乱としては著しく長い時間(546Kにおいて0.9ms)にわたり表面に滞在した後、脱離することを見いだした。これに対し、TMGの分解が抑制されなかった表面では、表面滞在を経たTMG分子は脱離しなかった。

 得られた結果は、前駆状態を伴った化学(解離)吸着の機構で理解することができる。TMG分子が表面において長時間滞在したということは、吸着初期において深い前駆状態に一時的に捉えられたことを意味する。一般に、分子が深い前駆状態に捉えられる場合には効率よく解離吸着に至ることが多い。(2×4)表面で解離吸着に至らずに脱離したのは、前駆状態と解離吸着の間に高い障壁があるためであると解釈できる。この高い障壁は、表面構造の高い安定性を意味するものである。

 一方、TMGの分解が抑制されなかった(2×4)以外の表面では、TMG分子が前駆状態に捉えれるものの、表面構造が不安定なためそのまま化学吸着に至ったものと解釈できる。以上のことから、TMGの表面反応において前駆状態と表面構造の安定性が重要であると結論づけられる。

 GaAs(100)表面での検討から、前駆状態と表面構造の安定性が重要であることを見いだしたが、この結果を他の面方位のGaAs表面と比較する。

 安定な表面構造を持つことが確立している(110)表面においては、(100)-(2×4)表面の場合と同様に、TMG分子は、前駆状態に一時的に捉えられるものの、解離吸着に至らずに脱離することを観測した。従って、(100)表面で得られた結果が裏付けられた。

 (111)B表面は、(100)表面の場合と同様に表面ストイキオメトリにより異なった再構成構造をとる。安定な表面構造を持つと考えられる(111)B-()表面では、(100)-(2×4)表面、(110)表面の場合と同様の結果を得た。一方、不安定な表面構造を持つGa過剰(111)B-(1×1)表面では、TMGは効率よく解離吸着に至った。これに対し、As過剰(111)B-(2×2)表面では、TMGは前駆状態に捉えられることなく全て脱離した。これは、(111)B-(2×2)表面に前駆状態のないことを意味するものである。

 表面構造が安定である場合には、一時的に前駆状態に捉えられたTMG分子が、解離吸着せずに脱離する。従って、これらの表面では、表面滞在時間の表面温度依存性から前駆状態の深さを精度良く決めることができる。これによると、前駆状態の深さは、(100)-(2×4)表面で0.85±0.05eV、(110)表面で0.38±0.05eV、(111)B-()表面で0.32±0.05eVであった。

 ここで、前駆状態の起源を前駆状態の表面構造依存性から議論する。深い前駆状態の観測された表面では、再構成した表面原子配列における電荷分布により、表面近傍で強い静電場が生じる。静電場の中でTMG分子は分極し、表面との間に強い引力が生じる。各表面で観測された前駆状態の深さは、この静電場によって説明できた。

 前駆状態のない(111)B-(2×2)表面では電荷分布が大きく異なる。この表面は(111)B面(As面)上のAsの三量体から成るが、As面上の三量体を成すAs原子は電気的に中性で、強い静電場は生じない。この電荷を持たないAs三量体による立体障害のため、TMGの吸着が阻害されると考えられる。(111)B表面を用いたラテラル成長は、この(2×2)表面の性質を利用したものである。また、GaAs(100)表面においても、表面のAs被覆率を著しく高めた場合に表面が不活性になることが知られているが、この現象も、同様の機構で理解することができる。

 単原子層(ALE)成長の起源は、GaAs表面にTMGを照射し続けた場合にGaAsの成長が停止する(成長自己停止)ことにある。パルスTMG分子線の散乱から、Ga過剰面の反応性は高いものの、TMGの照射に伴い表面が不活性化することを観測した。この現象が成長自己停止に対応するものと考えられる。これは、成長自己停止において、TMG照射に伴うメチル基の吸着が重要であることを示すものである。この不活性化は、過剰Asの場合と同様に、メチル基によってTMGの吸着が阻害されたことによると考えられる。

 原料ガスの分解を抑制するマスク材で基板表面の一部を覆うことにより、所望の領域だけに成長を行う選択成長は、成長制御において重要な技術である。この原料ガスの分解抑制機構について議論する。ここでは、真空一貫プロセスにおけるマスク材として知られている、GaAs光酸化膜(光を照射しながら酸素に曝すことで形成した酸化膜)とGaAs表面を窒化することで形成したGaNを用いた。

 パルスTMG分子線による観測から、光酸化膜表面におけるTMGの散乱には、GaAs表面で観測されたような前駆状態は観測されなかった。散乱においてエネルギーの授受が少ないことが、TMGの分解抑制の起源となることが予想されたが、散乱したTMGの速度分布は基板温度のマックスウェル分布に近いものであった。これは、散乱においてTMG分子と表面の間で相当量のエネルギー授受(緩和)があっても、TMGは分解に至らないことを意味する。したがって、酸化膜マスク上でのTMGの分解抑制には、深い前駆状態のないことが本質的であるといえる。

 一般に、GaAs酸化膜は、Gaによって、蒸発しやすい化学種に還元されることが知られている。しかし、光を照射しながら形成したGaAs光酸化膜は、還元されずに選択成長のマスクとして機能した。この現象について検討を加えた。その結果、GaAs光酸化膜は、(少量であれば)Gaの堆積により熱的な安定性が増すとともに、TMG散乱においてエネルギー緩和量が減少することを見いだした。エネルギー緩和が少ない場合にTMGの分解はさらに抑制されることが期待される。この特異な性質により、GaAs光酸化膜が、選択成長のマスクとして機能したと考えられる。

 一方、CaNマスクの場合は分解抑制機構が異なっていた。この表面では、GaAs表面の場合と同様の前駆状態を観測した。表面構造の安定性が高いためにTMGの分解が抑制されたと考えられる。

 以上、表面状態の様々に異なるGaAs表面でのTMGの散乱過程を詳細に検討した結果、MOMBEにおける表面反応の初期過程は、前駆状態を伴った解離吸着として統一的に理解できた。この反応機構においては、前駆状態の深さと、解離吸着との間の障壁の高さが重要である。ここで、前駆状態は再構成した表面原子配列における電荷の分布で、障壁の高さは表面構造の安定性でそれぞれ解釈できるものである。これにより、MOMBEにおける表面反応を決めている本質が明らかになった。

審査要旨

 本論文は、「分子線散乱を応用した有機金属分子線エピタキシャル成長における表面反応過程に関する研究」と題し、GaAs基板表面での原料ガスの吸着、脱離過程につて、分子線散乱を応用することで得られた結果をもとに、有機金属分子線エピタキシャル(MOMBE)成長における表面反応を議論したものである。

 高機能を有する次世代の光、電子素子を実現するために、エピタキシャル成長を3次元的に精密に制御する技術が求められている。MOMBE成長法は、限定された領域のみにエピタキシャル成長を行う選択成長、横方向にエピタキシャル成長を進行させるラテラル成長、単原子層の単位でエピタキシャル成長層の厚さを制御できる単原子層成長(ALE)等、求められる成長制御の可能性を有する。しかし、成長制御において重要である表面反応過程に関して、これまで系統的な検討はなされていなかった。本研究の目的は、分子線散乱を応用することで、MOMBE法における表面反応を統一的に理解し、成長制御のための指導原理を得ることにある。また、本研究は化合物半導体のエピタキシャル成長として広く用いられている有機金属気相成長(MOVPE)法の表面反応に関する知見をも得るものである。

 本論文は8章から成る。

 第1章「序論」で、本研究の背景、目的を、第2章「実験手法及び実験装置」で、本研究で用いた研究の手法を議論する。

 第3章「連続分子線を用いたGaAs(100)上TMGの表面反応の検討」では、エピタキシャル成長において最も一般的に用いられるGaAs(100)表面での、MOMBE成長における代表的な原料ガスであるトリメチルガリウム(TMG)の反応を、表面ストイキオメトリ(表面As被覆率)依存性に注目して検討し、表面反応における表面再構成構造の重要性が示されている。

 第4章「パルス分子線散乱によるGaAs(100)上TMGの表面反応の検討」では、パルスTMG分子線を用いて得られる、再構成構造の異なるGaAs(100)表面で散乱したTMG分子の飛行時間スペクトルをもとに、表面反応の動的挙動を議論する。TMGの表面反応は、前駆状態を伴った化学(解離)吸着の機構で理解することができる。GaAs表面では吸着初期において深い前駆状態に捉えられるが、安定性の高い表面では化学吸着に至らず脱離し、安定性が高くなければ、そのまま解離吸着に至ると解釈できる。TMGの表面反応において前駆状態と表面構造の安定性が重要であると結論づけられている。

 第5章「選択成長におけるTMGの表面反応」では、成長制御において重要な技術である選択成長について議論する。ここでは、主に、真空一貫プロセスにおける選択成長のマスク材となるGaAs酸化膜に注目する。TMG分子と表面の間で熱平衡に至るほどのエネルギー授受があるにもかかわらず、TMGの分解は抑制されることから、TMGの分解においては、エネルギー授受の量の相違より、深い前駆状態の有無が本質的であるという結果が得られている。

 第6章「TMG表面反応の面方位依存性」では、(110)表面、および様々な再構成構造を有する(111)B表面での検討から、第4章、第5章で得られた結論に一般性があることを示す。

 第7章「TMG表面反応過程の統一的な理解」では、第6章までで議論した表面反応の表面(再構成)構造依存性から前駆状態の起源について議論するとともに、表面反応を統一的に理解するためのモデルを提案する。すなわち、深い前駆状態の起源が再構成した表面原子配列における電荷分布により生じる静電的な相互作用であるとして実験結果を全て説明できる。

 第8章「結論」で、全体をまとめる。

 以上を要約すると、状態の様々に異なるGaAs表面上で、MOMBE法における代表的な原料ガスであるTMGの吸着、脱離を、質量分析計を用いて詳細に観測した。特に、基板に照射する分子線をパルス化し、吸着過程の動的挙動に関する情報を直接得た。これにより、MOMBEにおける表面反応の初期過程は、前駆状態を伴った解離吸着として統一的に理解できることがわかった。この反応機構においては、前駆状態の深さと、解離吸着との間の障壁の高さが重要である。ここで、前駆状態は再構成した表面原子配列における電荷の分布で、障壁の高さは表面構造の安定性でそれぞれ解釈できるものである。これにより、MOMBEにおける表面反応を決めている本質が明らかになった。

 本研究の成果は、次世代の化合物半導体素子実現に不可欠な、MOMBE成長によるエピタキシャル成長の精密制御のために重要な指針を与えており、物理工学への貢献が大きい。よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50992