学位論文要旨



No 212809
著者(漢字) 宮坂,明博
著者(英字)
著者(カナ) ミヤサカ,アキヒロ
標題(和) 油井管用高合金の腐食機構と可使用条件
標題(洋)
報告番号 212809
報告番号 乙12809
学位授与日 1996.03.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12809号
研究科 工学系研究科
専攻 金属工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辻川,茂男
 東京大学 教授 小川,修
 東京大学 助教授 柴田,浩司
 東京大学 助教授 前田,正史
 東京大学 助教授 篠原,正
内容要旨

 H2Sを多量に含有する石油あるいは天然ガスの掘削と輸送に使用される油井管およびラインパイプには,近年高合金が使用されている。しかし,H2S含有環境における高合金の不働態化条件や局部腐食発生条件には未だ不明な点が多く,腐食機構の解明が必要である。また,個々の腐食環境条件に応じて適切な材料を設計あるいは選定するためには,高合金の可使用条件を合理的に決定することが必要であるが,これまでの研究ではH2S含有腐食環境の苛酷さが定量化されておらず,高合金の耐食性評価に試験条件の影響が大きい従来試験法を用いていたため,合金間の相対比較に留まっていた。

 これに対して本研究では,臨界孔食電位および脱不働態化pHが試験時間に影響されない特性値であることに着目して,両者を用いて高合金の可使用条件を予測する手法を提案し,その妥当性を実験との比較で確認した。

 まず、腐食環境としての油井環境の苛酷さを定量化する目的で,油井環境のpHを熱力学的に推定する手法を提案するとともに,TiO2半導体電極のフラットバンド電位測定を応用した油井環境のpH実測法を確立した。前者では濃厚塩水溶液中における解離平衡,化学種とイオンの活量の変化を考慮してpHを推定した。一例として,H2S飽和4.28mol/kg NaCl水溶液のpHにおよぼすH2S分圧と温度の影響について,上記の手法で計算した値およびTiO2半導体電極を用いて実測した値を図1に示す。

 図1からわかるように,少なくとも温度473K,H2S分圧4MPaに至るまで,計算値と実測値は良く一致した。同様に,pHの推定値と実測値は,CO2飽和水溶液においても少なくとも温度473K,CO2分圧4MPaまで良い一致がみられた。これらの結果は,本研究で提案したpH計算法とpH実測法の両者が妥当であるを示すと考えられる。さらに本研究のpH計算法にもとづけば,H2S含有環境におけるS/H2S平衡電位を熱力学的計算によって推定できる。

図1 H2S飽和4.28mol/kg NaCl水溶液のpHの計算値および実測値(計算値は等pH線,実測値は口内の数字)

 次に,高合金の不働態化条件および局部腐食条件を詳細に解析した。H2S含有環境において高合金は自己不働態化することが確認され,そのときの合金の自然電位はS/H2S平衡電位とほぼ一致した。脱不働態化pHを不働態化能の指標として高合金の不働態化挙動を調べた結果,環境因子としてH2S分圧が高いほど,塩化物イオンが多いほど,温度が高いほど,高合金の脱不働態化pHが大きくなり,不働態化が阻害された。高合金の局部腐食(孔食,応力腐食割れ(SCC))形態の観察から,H2S含有環境におけるSCCは孔食を起点として発生することがわかった。また,分極曲線やSCCにおよぼす環境因子の影響を調べた結果から,この環境における高合金の局部腐食の成長を支えるカソード反応は,元素イオウ(S)の還元反応(次式)

 

 であり,この点からも高合金の自然電位はS/H2S平衡電位に近似できると考えられる。局部腐食に対する環境因子の影響を調べた結果,該環境における局部腐食はH2Sと塩化物イオンの重畳作用であり,H2S分圧が高いほど,塩化物イオンおよびSが多いほど,温度が高いほど,局部腐食が促進された。これに対して,CO2とHCO3イオンは局部腐食には直接関与せず,CO2分圧の増加は水溶液のpHを低下させて局部腐食を促進し,HCO3イオンはpH緩衝作用でpHを上昇させるために局部腐食を抑制すると考えられる。さらにH2S含有環境で高合金にSCCが発生するための応力条件を検討した結果,孔食が発生する環境条件では外部負荷応力が材料の0.2%耐力を超えると巨視的なSCCが発生し,従って孔食の発生がSCCの発生に支配的であることがわかった。

 上記の結果をもとにして,H2S含有環境における高合金の可使用条件予測法として,"不働態/局部腐食"境界は合金の臨界孔食電位VcとS/H2S平衡電位E1との貴卑の比較で予測し,"不働態/脱不働態"境界は合金の脱不働態化pHと環境のpHとの比較で予測する手法を提案した。ここで,E1は本研究で提案したpH計算法で計算したpHを用いて算出することができる。これらの予測法を用いて2相ステンレス鋼の可使用条件を予測した結果を,実験室における4320hの浸漬試験結果と比較して図2に示す。図2から,予測結果は実験結果と良く一致していることがわかる。さらに,いくつかの高合金について可使用条件を予測した結果は,実際の油井における長期間の実管フィールド試験結果と良く一致することが確認された。これらの結果かも,本研究の可使用条件予測法が高合金の可使用条件を決定する方法として妥当であることが確認された。

図2 2相ステンレス鋼の可使用条件の予測と実験結果との比較線A;"不働態/局部腐食"境界の予測結果,線B;"不働態/脱不働態"境界の予測結果。円内の文字は実験結果で,N;不働態,L;局部腐食,G;均一腐食,を表わす。

 また,H2S含有環境における高合金の不働態化と局部腐食におよぼす合金元素の影響を検討し,H2S含有環境ではCr,Moに加えてNiが耐食性を向上させる元素であること,臨界孔食電位は合金の[%Cr]+0.3[%Ni]+4[%Mo]値([%X]は合金元素Xの重量%)と良い相関にあり,環境条件(H2S分圧,温度)をパラメータとして[%Cr]+0.3[%Ni]+4[%Mo]値の関数で表わされること,がわかった。環境条件が決まれば臨界孔食電位と[%Cr]+0.3[%Ni]+4[%Mo]値との関係を用いて,耐食性の観点から必要な合金組成を決定できることから,本研究における可使用条件決定法は材料設計へも応用できる。

審査要旨

 本論文は、H2SおよびCO2を含有する石油あるいは天然ガスの掘削・生産・輸送に使用される高合金について、材料が不動態を維持しうる可使用条件を、不動態が失われて均一(全面)腐食・局部腐食・応力腐食割れ(SCC)を発生する材料側の条件と腐食環境条件との対比により予測する手法を明らかにし、適正材料の選定法を提案したもので、全7章から成る。

 第1章「序論」では、石油・天然ガス井の腐食環境条件の過酸化にともなって高耐食合金が使用されるようになった経緯を述べ、従来の研究を整理して合理的な材料選択法の開発必要性を指摘している。

 第2章「油井環境のpH推定および測定」では、300℃までの温度・20%濃度までのNaCl・10MPaまでの、H2SとCO2とを含む油井環境のpHを溶液化学的計算によって推定するとともに、TiO2半導体電極フラットバンド電位のpH依存性に基づく新しいpHセンサを用いて実測し、両者の整合性を確認した。

 第3章「H2S環境における高合金の不動態化条件」では、高合金のpHd(脱不動態化臨界pH)を求め、不動態を維持するか/不動態を失って均一腐食に陥るか-の臨界条件を明らかにした。また、高温・高H2S分圧・高Cl-濃度がpHdを高めて不動態化を阻害すること、CO2分圧の影響は無視しうるなど、環境因子の影響を定量化した。

 第4章「H2S環境における高合金の局部腐食発生条件」では、油井管で問題となる局部腐食形態である孔食の発生下限界電位としての孔食電位Vcについて、H2S分圧・温度・塩化物イオン濃度等の環境因子依存性および材料側因子としての化学組成依存性を定量化した。また、H2S環境における不動態化高合金の自然電位EspがH2S/S0の平衡電位で近似しうることを見出し、このEspと上述Vcとの比較により、孔食発生の有無を予測できることを示した。

 第5章「H2S環境における高合金のSCC発生限界応力」では、従来の定荷重法・定歪法・SSRT(低歪速度引張試験)法等負荷方法を異にする試験法で求められるSCC発生限界応力を2相ステンレス鋼において調査した。SSRT法において応力一変位曲線が不活性環境中のそれから乖離する点の応力cが統一的な限界応力を与え、かつこのcは、油井管で常用される冷間加工材を含めて、合金の0.2%耐力に一致することを示した。またH2S環境でのSCCは必ず食孔を起点として発生することを明らかにして、SCC発生の環境条件は孔食のそれに帰着することを示した。

 第6章「各種高合金の可使用条件決定法」では、第2〜5章の結果に基づいて高合金が不動態を維持しうる可使用環境条件を予測する手法を提案した。すなわち、不動態を維持できず均一腐食に陥る限界条件は環境のpH(2章)と合金のpHd(3章)との比較に基づいて、また同じく孔食・SCCに陥る限界条件は環境のEspと合金のVc(4章・5章)との比較に基づいて、予測する。さらに実験室的長期腐食試験と実規模の高合金管を用いての実油井環境中試験とから成る実際試験結果が、上述の予測結果と一致することを確認した。またVcの合金組成との定量的関係(4章)を用いて、与えられた環境条件で使用できる最適の合金設計が可能であることを示した。

 第7章は「総括」である。

 以上のように本論文は過酷な油井環境の腐食性を綿密・新規な手法を用いて定量化し、合金に想定される腐食形態毎に明快な発生限界条件を組み合わせて予測手法を樹て、かつその有効性を実証した。これらの成果は金属表面工学の発展・合金設計学の充実に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク