学位論文要旨



No 212816
著者(漢字) 高寺,喜久雄
著者(英字)
著者(カナ) タカテラ,キクオ
標題(和) 高速液体クロマトグラフィー/誘導結合プラズマ質量分析法による生体物質の分析と環境計測への応用
標題(洋)
報告番号 212816
報告番号 乙12816
学位授与日 1996.03.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12816号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡辺,正
 東京大学 教授 二瓶,好正
 東京大学 教授 軽部,征夫
 東京大学 助教授 篠塚,則子
 東京大学 助教授 橋本,和仁
内容要旨

 本論文は全4篇から成り,生体物質の分離分析手段として汎用されている高速液体クロマトグラフィー(HPLC)と,高感度な元素分析装置として注目されている誘導結合プラズマ質量分析装置(ICPMS)を連結した計測システム(HPLC/ICPMS)を構成することにより,微量元素を含む生体物質の分析法の開発を行うと同時に,これを環境計測に応用したものである。

 第1篇は,序論であり本論文の学術的背景と概要について述べている。

 第2篇では,生体物質を試料としてHPLC/ICPMSを用いた新たな分析法を確立すると同時に,本法の有効性について評価した。

 第2章-1では,甲状腺ホルモンとして知られるヨードアミノ酸のHPLC/ICPMSを用いた分析法を確立した。甲状腺ホルモンの血中濃度は,甲状腺機能亢進症をはじめとするいくつかの病気に関与しており,精度の高い定量法の開発が必要とされている。しかも医療分野においては,少量の試料で迅速な定量が要求される。本章で検討した逆相HPLC/ICPMSによる分析法は,安定同位体を利用した通常の検出法と比較して検出下限が約1桁低く,実試料においてもほとんど妨害を受けることなく精度の高い定量が迅速にできることが確認された。

 第2章-2では鉄含有タンパクの分析を通して,HPLC/ICPMS法によるタンパク分析条件の最適化を行った。HPLC/ICPMS法は検出感度の高い分析方法であるが,定量性に問題があった。その原因として,タンパクをHPLCで分離する際,高濃度の塩を含む溶離液を用いる必要があるため,測定途中にプラズマインターフェース部にこれらの塩が析出し,試料およびイオンの通路がふさがれることにより感度の低下を招くことが挙げられる。これを防止するため,塩の析出しにくい溶離液について検討したところ,Tris緩衝液に硫酸アンモニウムを加えた溶離液が,塩の析出防止,定量的なタンパクの回収およびICPMS装置感度の安定性において優れていることを明らかにした。

 第3章では,多くの酵素タンパクにおいて活性中心を構成するアミノ酸であるシステインの分析法を開発した。本法は,以下で述べるように,ラン藻MTの定量法としてきわめて有効な方法である。

 第3篇では,水系の食物連鎖における一次食物として重要な位置をしめるラン藻(Anacystis nidulans R-2)を生物試料として,さまざまな重金属環境下におけるメタロチオネイン(MT)の誘導挙動について検討を加え,重金属ストレスに対する生体の分子レベル応答の一端を明らかにした。

 第1章は,重金属と生物との関係についてMTを中心に従来得られている知見について解説した。

 第2章は,ラン藻MTのHPLC/ICPMSによる定量法について検討した。MTは中に取り込まれている金属量から間接的に定量することができるが,精度の点で問題があった。ここでは,MT中のシステイン含量は一定でしかも全アミノ酸の20%と含有量が高いことに注目して,システイン量からMTを定量できるのではないかと考え,第2篇-第3章で確立したシステインの化学修飾法を利用したMTの定量法について検討した。ここでシステインの化学修飾に使用した有機水銀試薬はシステインのチオール基と選択的に反応し,しかもHgはICPMSの検出下限が低く,また検出に際して妨害となる元素はほとんどないことなどから,本法によりMTをきわめて簡便にしかも高い精度で定量できることが確認された。

 第3章では複数の重金属ストレスに対するラン藻の応答についてMT誘導の観点から検討した。高等植物に対する複数重金属の及ぼす効果については,Znの取り込みとCdの取り込みに関しては何らかの因果関係があることが指摘されていたが,これらはいずれも植物各組織中における金属の取り込みの観点から得られた知見であり,金属イオンの化学形態の変換,特にMT誘導との関連についてはほとんど触れられていなかった。本章では,MT誘導の観点から分子レベルで重金属間の相互作用を明確にした。具体的には,Zn2+の共存によりCd2+によるMT誘導が促進されること,比較的低レベルのCd2+投与に対しては,Zn2+の共存によりMTの誘導が促進され,その際Zn-MTの誘導量が顕著に増大することなどを明らかにした。

 第4章では重金属投与後のMT誘導量の経時変化について検討した。Hg2+を単独で投与したとき,誘導初期ではMT以外の高分子量タンパクにもHg2+が結合するのが観測されたが,MTが誘導されるに従って,高分子量タンパクと結合したHg2+がMTの方に取り込まれる現象が観測された。これはMT誘導によりHg2+が無毒化されているものと考えられる。Cd2+(Hg2+)およびZn2+を高い濃度で同時に投与したとき,単独でZn2+を投与したときよりもZn-MTの誘導が抑えられた。この抑制効果はCd2+よりもHg2+の方が強く観測されたことから,Hg2+,Cd2+,Zn2+の順序でMTに取り込まれ易いことが明らかとなった。これは毒性の高い金属ほど選択的にMTによって取り込まれ無毒化されるという,生物のもつ本質的な機能を反映しているものと考えられる。

 第5章では,MTアイソフォームの分析を行った。MTアイソフォームの個々の機能の違いについてはほとんど明らかとなっておらず,その理由のひとつに,高感度な分析方法がなかったことが挙げられる。本章では,逆相HPLC/ICPMSにより,従来の原子吸光分析装置を用いて検出する方法と比較して3桁近く検出下限が低くなることを示すと同時に,ラン藻中に存在する2種のMTアイソフォームの機能の違いの一端を明らかにした。

 第6章では,Zn2+ストレスにより誘導されたMT中へのセレンの取り込みについて検討した。Zn2+および亜セレン酸あるいはセレン酸を添加した培養液中でラン藻を培養したとき,Zn2+により誘導されたMT中には他のタンパクと比較して特異的に高い濃度でセレンが取り込まれ,その取り込みには「S-Se結合」と「セレノシステインとしてMTのペプチド鎖に取り込まれる」という2つの形態が存在することを明らかにした。

 第4篇は本論文の総括である。

審査要旨

 本論文は,高速液体クロマトグラフイー(HPLC)と高感度な元素分析装置である誘導結合プラズマ質量分析装置(ICPMS)を連結した計測システム(HPLC/ICPMS)を構成することにより,生体物質の高感度分析法を開発するとともに環境計測に応用し,その成果をまとめたもので、全四篇から成る。

 第1篇は序論で、本研究の背景と目的を述べている。

 第2篇では,生体物質を試料としてHPLC/ICPMSを用いる新たな分析法を確立すると同時に,本法の有効性を評価している。

 第2章1では,甲状腺機能亢進症などの病変に関与し,高精度・高感度の定量法開発が要望されてきた甲状腺ホルモンのひとつ,ヨードアミノ酸の分析を検討している。逆相HPLC/ICPMS法では,安定同位体を用いる方法に比べて検出下限が約1桁低く,実試料でも共存物質の妨害がほとんどなく高精度・迅速な定量ができることを示している。

 第2章2では鉄含有タンパクを試料に,HPLC/ICPMS法によるタンパク分析条件の最適化を行っている。従来,HPLC/ICPMS法は高感度ながら定量性に問題があり,原因のひとつは,溶離液が高濃度の塩を含むため,測定中にプラズマインターフェースに塩が析出する現象であった。そこで溶離液を検討したところ,Tris緩衝液に硫酸アンモニウムを加えた溶離液が,塩の析出防止,タンパクの定量的回収,装置感度の安定性維持に有効だと見出している。

 第3章では,多くのタンパクに含まれるアミノ酸であるシステインの分析法を確立し,その成果は下記のラン藻MT定量に活用された。

 第3篇では,水系の食物連鎖における一次食物であるラン藻(Anacystis nidulansR-2株)を試料として,重金属環境下におけるメタロチオネイン(MT)の誘導挙動を調べ,重金属に対する生体応答の一端を分子レベルで解明している。

 第2章は,ラン藻MTのHPLC/ICPMS定量法にかかわる。MTは取り込み金属の量から間接的に定量できるが,精度に難点があった。そこでMTのシステイン含有量が高いことに注目し,第2篇3章で確立した化学修飾法を用いる定量法を検討した結果,精度・感度・簡便さでの優位性を確認している。

 第3章では複合的重金属ストレス下でのラン藻体内のMT誘導を調べている。従来,高等植物についてZnとCdの取り込みには因果関係があるものと推測されてきたが,各金属イオンの化学形態変換,特にMT誘導との関連は未解明だった。そこでMT誘導の観点から金属間の相互作用を調べたところ,Zn2+の共存がCd2+のMT誘導を促進すること,また低レベルのCd2+投与ではZn2+の共存でMT誘導が促進され,その際Zn-MTの誘導量が増大することなどを示している。

 第4章ではMT誘導量の経時特性を調べている。Hg2+単独投与では,初期にはMT以外の高分子量タンパクにもHg2+が結合するが,MT誘導の進行につれてMT側に移行する現象を見出し,Hg2+の無毒化を反映すると解釈している。Cd2+(Hg2+)とZn2+の同時投与では,Zn2+の単独投与よりもZn-MTの誘導が抑えられた。このときCd2+よりHg2+の方が強く観測されたことから,取り込まれやすさがHg2+,Cd2+,Zn2+の順であると結論し,高毒性の金属ほど選択的にMTに取り込み無毒化する生物本来の機能を反映すると考えている。

 第5章はMTアイソフォームの分析にかかわる。アイソフォームの存在は従来も指摘されてきたが,高感度計測法がなかったため,個々の機能の差は明らかになっていなかった。検出下限が原子吸光法より約3桁低い逆相HPLC/ICPMSをでこの点を検討した結果,とくに金属交換の現象を解析することにより、2種のMTアイソフォームの機能の違いについて一端を解明している。

 第6章では,Zn2+により誘導されたMT中へのセレンの取り込みを検討している。Zn2+と亜セレン酸(またはセレン酸)を含む培地でラン藻を培養した際,Zn-MTには他のタンパクよりも特異的に高い濃度でセレンが取り込まれ,その取り込みには,S-Se結合形成とセレノシステイン化の2形態が存在することを初めて明らかにしている。

 第4篇は本研究全体の総括である。

 以上要するに本研究は、生体物質を対象にした高感度・高精度・迅速な計測手法を作り上げ、さらにはそれを応用して水圏の重金属汚染に起因する生物のストレス応答の一端を分子レベルで解明したものであり、環境計測化学ならびに生体機能化学の分野への寄与が大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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