本論文は河川水中のリン酸およびシアンを測定するためのバイオセンサーの開発に関するものであり、8章より構成されている。 飲料水として利用されている河川水は、1)河川水の汚濁、2)毒物の混入という2つの観点から評価が必要である。河川水の汚濁が進むと富栄養化現象を引き起こし、その結果悪臭などの水質の劣化が起こる。この河川水の汚濁を評価する指標の一つとして富栄養化現象の要因であるリン酸濃度が挙げられる。また、現在様々な有毒物質が河川水に混入する事故が起こっている。こうした物質の中で特にシアン化物は猛毒であり、これらが生体内にはいると呼吸を阻害し、死に至る可能性がある。従って、シアン化物が含まれているような廃液が河川に混入した場合、これを迅速に検知できるセンサーが必要とされる。 従来法によるリン酸やシアンの検出には煩雑な操作を要するので、これらの物質の連続的なモニタリングを行うには、高価で大型の分析機器が必要であった。 そこで本研究では、河川水の汚染の主な指標物質であるリン酸とシアンに着目し、これらの物質を簡便な操作で迅速に計測できるバイオセンサーの開発を目的とした。実際に河川におけるオンライン計測に応用できるセンサーの開発を目指し、微生物センサーや酵素センサーなど様々なバイオセンサーを製作し、その特性を調べた。 第1章は緒論であり、本研究の行われた背景について述べ、本研究の目的と意義を明らかにした。 第2章では、河川水中のリン酸を測定するフロー型酵素センサーの開発を行った。リン酸を選択的に識別する酵素としてはピルビン酸オキシダーゼ(E.C.1.2.3.3.)を用い、この酵素反応で生成する過酸化水素をルミノール化学発光で測定することにより、分析対象のリン酸を計測した。ピルビン酸オキシダーゼをアミノアルキル化ガラス粒子に固定化してフローインジェクション方式のセンサーシステムを構築した。本システムはピルビン酸オキシダーゼ反応流路とルミノール発光反応流路の2流路からなり、ピルビン酸オキシダーゼ反応用流路には反応基質であるピルビン酸、酵素反応に必要な0.1 Mフラビンアデノシンジヌクレオチド:FAD、0.6mMチアミンピロフォスフェイトクロリド:TPP、5mMマグネシウムイオン、0.02MN-2-ヒドロキシエチルピペラジン-N’-2-エタンスルフォニックアシッド:HEPES緩衝液(pH7.0)を、ルミノール発光反応流路には発光試薬(12.5 Mルミノール、10 Mpヨードフェノール、0.10mg/lペルオキシダーゼ:POD)を含んだ0.2M炭酸緩衝液(pH9.5)を、それぞれ1.0ml/minの流速で通液した。測定は室温で行った。 本センサーの測定時間は約3分間で、4.8 Mから160 Mのリン酸濃度と光電子増倍管の電圧値の間に直線的な関係が得られた。しかし、河川水中のリン酸の許容濃度が0.32 M(水質汚濁に係わる環境基準)であるのに対して、このセンサーの検出限界は4.8 Mであり感度は不十分であった。 第3章では、リン酸センサーシステムの改良を行った。前述したリン酸センサーを高感度化するために、次の2点を改良した。1)ピルビン酸オキシダーゼの補酵素であるTPPを精製した(TPP自体にリン酸が含まれているため)。2)発光を検知する光電子増倍管の感光面上にガラス基板でできたフローセルを装着し、その中に固定化PODを充填した(ルミノール発光が非常に早い反応であるため)。このセンサーシステムでは、0.37 M〜7.4 Mの範囲でリン酸濃度と光電子増倍管の電圧値の間に直線的な関係が認められ、検出下限は74nMであった。またピルビン酸オキシダーゼ固定化カラムの安定性について検討したところ、0.5%アルブミンまたは30 Mシステインを添加して4℃で保存した場合約2週間安定であることが示された。 第4章では、シアン測定用微生物センサーの開発を行った。微生物をニトロセルロースフィルターに吸着固定化し、この微生物固定化膜をナイロン網により酸素電極の先端部に装着し、微生物電極を製作した。用いた酸素電極によって、固定化された微生物の呼吸活性を測定した。 数種類の微生物を用いてシアンによる呼吸活性の阻害を調べたところ、Saccharomyces cerevisiaeが最も大きな呼吸活性の阻害を示した。S.cerevisiaeをセルロース膜に固定化し、150mg/lグルコースを含む0.01Mトリス緩衝液(pH8.0)中でシアンの測定を行ったところ、0.3 M〜150 Mの範囲でシアン濃度と電流増加値の間に直線的な関係が得られ、このセンサーを用いて、シアンの測定が可能であることが確認できた。なお排水中に含まれるシアンの規制値は38.5 Mであり、本センサーはシアンの計測に応用できることがわかった。 第5章では、将来河川でのオンライン計測に応用できるようなシアンセンサーの開発を目的とし、その基礎研究としてフロータイプの微生物センサーを製作してシアンの計測を試みた。酸素電極上にS.cerevisiaeを直接吸着固定した膜を装着した電極装着型微生物センサーと、S.cerevisiaeを多孔質ガラスビーズに固定し、カラムに詰めたリアクターを用いる微生物センサーを製作し、これら2種類のセンサーの測定条件の最適化を行った後、シアンに対する応答性や安定性について比較した。その結果、リアクター型微生物センサーの方が、電極装着型微生物センサーより優れた感度と安定性を示した。 リアクター型センサーに、150mg/lグルコースを含む0.O1Mトリス緩衝液(pH8.0)を流速4.5ml/minで送液し、30℃で、シアン濃度0〜15 Mに対する電流値変化を調べたところ、0.15〜15 Mの範囲でシアン濃度と電流増加値の間に直線的な関係が得られた。このリアクター型微生物センサーに固定化された微生物は4℃で保存した場合、16日間固定化直後の90%の呼吸活性を維持していることがわかった。 第6章では、開発したリアクター型微生物センサーで実際に河川水中のシアン濃度を測定するために、固定化担体の種類やリアクターの容量、測定条件などの最適化を行った。その結果、本センサーでは、固定化担体としてキチン・キトサンビーズを用い、30mlのリアクターに150mg/lグルコースを含む蒸留水を流速4.5ml/minで移送し、20℃でシアン濃度を測定した場合、シアン濃度0.15〜15 Mの範囲でシアン濃度と電流増加値の間に直線的な関係が得られた。また、本センサーは、河川水に含まれる種々のイオン(塩化物イオン、鉄イオンなど)や、河川水の温度やpHで応答があまり変化しないことがわかった。さらに、実際に利根川水系の数カ所から採取した河川水を用いてシアン濃度の計測を行い、本センサーは河川水中のシアン濃度の計測に応用可能であることが明らかになった。 第7章では、化学発光検知型シアン測定用酵素センサーの開発をおこなった。これまでに開発した微生物センサーで河川水中のシアン濃度の測定は可能であるが、このセンサーは、農薬などの他の毒物にも応答する可能性がある。そこで河川水中のシアンを選択的に、また迅速、簡便、連続的に計測することを目的として酵素センサーを製作した。このセンサーは、フローインジェクションシステムを採用しており、基質であるシアンを、ロダネーゼ、サルファイトオキシダーゼの2段階反応を通して過酸化水素を生成させ、これをルミノール化学発光を利用して検知する原理に基づいている。 このセンサーシステムに発光用試薬として7 Mルミノール、5mgペルオキシダーゼを含む0.8M炭酸緩衝液(pH10.0)を、シアン反応溶液として10mMのリン酸緩衝液(pH8.0)をそれぞれ1.51ml/minの流速で通液し、10 Mチオ硫酸ナトリウムを含む各濃度のシアン水溶液をインジェクターから注入してシアンの測定を行った。その結果、シアン濃度が11.5nM〜3.84 Mの範囲でシアン濃度と光電子増倍管の電圧値の間に直線的な関係が得られ、シアン濃度の高感度な定量が可能であった。また本センサーは、河川水に含まれる種々のイオン(塩化物イオン、鉄イオンなど)にあまり応答が影響されないこと、そして河川水に含まれる農薬や界面活性剤などに応答しないことが確認された。 実際に利根川水系の数カ所がら採取した河川水を用いて本センサーでシアンの測定を行い、本センサーが河川水中のシアンの計測に応用可能であることを示した。 第8章は総括であり、本研究を要約して得られた研究成果をまとめた。 |