学位論文要旨



No 212820
著者(漢字) 都丸,淳之
著者(英字)
著者(カナ) トマル,アツシ
標題(和) アデノシン関連化合物による消化管運動および機能の調節
標題(洋)
報告番号 212820
報告番号 乙12820
学位授与日 1996.04.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第12820号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 齋藤,洋
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 助教授 松木,則夫
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
内容要旨

 Burnstockらが1970年に消化管平滑筋を抑制性に支配するプリン作動性神経の存在を提唱したことが端緒となり、ATPおよびその生体内代謝物アデノシンによる腸管神経系の調節について多くの知見が得られてきた。たとえば、初期の研究では摘出モルモット回腸を電気刺激して生じるコリン作動性収縮がアデノシンにより抑制されることが報告された。近年、腸管神経系から調製したシナプトゾームを材料にした研究で、アデノシン作動薬をリガンドとした結合実験によりアデノシン受容体の存在が示され、さらにシナプトゾームからのアセチルコリンやタキキニンの遊離がアデノシンにより抑制されることが明らかにされた。しかし、in vitroの知見が集積される一方で、in vivoの知見は乏しかった。

 そこで、本論文ではin vivoでアデノシン関連化合物による消化管運動および機能の調節を解明することをテーマとした。In vivoの成績は、アデノシン関連化合物の消化管運動疾患治療薬としての臨床応用の可能性を判断する上でも貴重である。

1.伝播性大収縮のラットにおける初めての観察

 伝播性大収縮(GMC;giant migrating contraction)は結腸の長い距離を肛門側方向に伝わる大収縮であり、結腸内容物の肛門側方向への急速で大量の輸送を担い、便意や排便の惹起と密接に関連する。GMCの頻発は結腸内容物輸送の亢進と下痢を起こし、逆にGMCの欠乏は結腸内容物輸送の低下と便秘を起こす。

 本研究では、グリセロールをラットに浣腸してGMCを観察する系を開発した。ラットにおいてGMCが観察されたのは初めてである。3本のカテーテル型圧トランスデューサーを麻酔したラットの肛門から挿入し、先端付近のセンサー部を結腸内の3箇所(肛門から4cm、6cm、8cm)に留置し、結腸内圧変動を連続的に記録した(図1参照)。

 GMCの薬剤感受性についての従来の知見が乏しかったため、グリセロール誘発GMCの特性を薬剤感受性を中心に調べた。グリセロール誘発GMCはリドカイン、ヘキサメソニウム、クロニジンで完全に抑制され、アトロピンでも強く抑制され、ラットにおけるグリセロール誘発GMCは主にコリン作動性神経を介して起こると考えられた。また、グリセロール誘発GMCの伝播速度は1.84mm/secであり、排便の惹起とも密接に関連することが示された。

図1 ラットにおけるGMC測定系の概略グリセロール(65%,2ml/kg)を肛門から7.5cmの部位に注入しGMCを惹起した。
2.GMCのアデノシン作動薬に対する感受性

 ラットにおけるグリセロール誘発GMCは主にコリン作動性であるという上記の知見と、アデノシンがコリン作動性神経伝達を減弱するという従来のin vitroの知見から、アデノシンがグリセロール誘発GMCを抑制することが予想された。アデノシン受容体サブタイプに選択的な作動薬を用いて検討した結果、グリセロール誘発GMCはアデノシンA1作動薬(2S)-N6-(2-endo-norbornyl)-adenosine((S)-ENBA)およびN6-cyclohexyladenosine(CHA)により抑制されたが、アデノシンA2作動薬2-[p-(2-carboxyethyl)phenethylamino]-5’-N-ethylcarboxamidoadenosine(CGS21680)では影響されなかった(図2)。さらに、アデノシンA1作動薬(S)-ENBAによる抑制が末梢性アデノシン拮抗薬8-(p-sulfophenyl)theophylline(8-SPT)で解除された(図2)ことから、末梢のアデノシンA1受容体の刺激を介してグリセロール誘発GMCが抑制されたと考えられた。

 また、(S)-ENBAについてグリセロール誘発GMCを完全に抑制した用量(10g/kgi.v.)で結腸血行動態に及ぼす影響を臓器反射スペクトル法で調べたところ、その影響は軽度であり、(S)-ENBAによるグリセロール誘発GMCの抑制に結腸血行動態の変化が寄与する割合は、たとえ寄与するとしても小さいと推察された。

図2 アデノシン作動薬のグリセロール(65%,2ml/kg)誘発GMCに対する影響Aにおける矢印はGMCの例を示す。Bではグリセロール浣腸前に4cmの部位で偶発的にGCが多発したが、(S)-ENBA投与により抑制された。
3.アデノシン拮抗薬のラット消化管機能に対する作用

 アデノシン拮抗薬を用いての消化管機能の検討は未だ試みられていなかった。アデノシンA1作動薬が排便に密接に関連するGMCを抑制したことから、アデノシンA1拮抗薬は内因性アデノシンによるGMCの抑制を解除し排便量を増加することが予想された。実際、ラットを用いて調べたところ、アデノシンA1拮抗薬1,3-dipropyl-8-cyclopentylxanthine(DPCPX)および(R)-7,8-dihydro-8-ethyl-2-(3-noradamantyl)-4-propyl-1H-imidazo[2,1-i]purin-5(4H)-one(KF20274)は下痢を伴わずに排便量を顕著に増加した。一方、アデノシンA2拮抗薬CP-66,713は排便量に影響しなかった(表1)。また、DPCPXによる排便増加はアデノシンA1作動薬(S)-ENBA処置で打ち消されたが、アデノシンA2作動薬CGS21680処理では影響されなかった。これらの成績は、内因性アデノシンがアデノシンA1受容体の刺激を介して排便を持続抑制していることを示している。

 さらに、ラットを用いて、アデノシンA1拮抗薬DPCPXおよびKF20274の胃排出および小腸内容物輸送への作用を調べたところ何ら影響は認められず、アデノシンA1拮抗薬の結腸特異的な作用が示唆された。

表1 アデノシン拮抗薬のラット排便に対する作用被験薬投与後90分間に排泄された便の湿重要。平均値±標準誤差(n=10)。*P<0.05,**P<0.01;溶媒投与対照群と比較して有意差あり(Steel多重比較検定)。
4.アデノシン関連化合物の臨床応用の可能性

 アデノシンA1作動薬はラットにおけるグリセロール誘発GMCを抑制することから、GMC頻発型の下痢を抑制すると考えられる。しかし、アデノシンA1作動薬は中枢神経系および心臓を強く抑制することが知られており、臨床応用には工夫が必要であろう。

 次に、アデノシンA1拮抗薬はラットの排便量を顕著に増加することから、便秘治療薬としての有用性が期待される。ラットの成績によれば、アデノシンA1拮抗薬は結腸特異的に作用し、下痢を伴わない点が特徴である。一方、緩下剤ビサコジルは排便増加に胃排出抑制と下痢を伴った。

5.アデノシンA2a受容体の刺激を介した促進性神経調節

 今回の一連の研究の過程で、アデノシンA2a作動薬CGS 21680が結腸運動を亢進し排便を増加することが偶然に見いだされた。実は、中枢神経系ではアデノシンA2a受容体刺激によりアセチルコリン遊離が促進されることが既に報告されている。本研究では、摘出モルモット回腸においてアデノシンA2a受容体の刺激がコリン作動性収縮の増強と結びつくことを支持する成績を得た。消化管においてもアデノシンA2a受容体刺激によりアセチルコリン遊離が促進されることが初めて示唆された。

審査要旨

 本論文は、消化管の運動及び機能がアデノシン関連化合物によって調節されることをin vivoで解明し、さらにアデノシン関連化合物が消化管運動疾患治療薬として臨床的に応用できるという可能性を明確に示した結果が述べられている。消化管の薬理におけるアデノシン受容体の重要性に関する多面的な研究成果を集大成したものである。

 第一章では、ラットを用いて結腸の伝播性大収縮(GMC;giant migrating contraction)を初めて観察し、これを定量的に記述する方法を開発した結果を示している。3本のカテーテル型圧トランスデューサーを麻酔したラットの肛門から挿入し、先端付近のセンサー部を結腸内の3箇所に留置し、結腸内圧変動を連続的に記録するという方法を新たに開発し、グリセロールをラットに浣腸してGMCを起こさせ、GMCの薬剤感受性について調べている。グリセロール誘発GMCはリドカイン、ヘキサメソニウム、クロニジンで完全に抑制され、アトロピンでも強く抑制され、ラットにおけるグリセロール誘発GMCは主にコリン作動性神経を介して起こると考えられた。また、グリセロール誘発GMCは排便の惹起とも密接に関連することが示された。

 第二章及び第三章では、GMCのアデノシン作動薬に対する感受性について検討した結果が述べられている。ラットにおけるグリセロール誘発GMCは主にコリン作動性であるという上記の知見と、アデノシンがコリン作動性神経伝達を減弱するという従来のin vitroの知見から、アデノシンがグリセロール誘発GMCを抑制することが予想された。しかし、アデノシン受容体サブタイプに選択的な作動薬を用いて実験を行ってみたところ、グリセロール誘発GMCはアデノシンA1作動薬により抑制されたが、アデノシンA2作動薬では影響されないことが判明した。さらに、アデノシンA1作動薬による抑制が末梢性アデノシン拮抗薬で解除されることを示し、末梢のアデノシンA1受容体の刺激を介してグリセロール誘発GMCが抑制されたことを示すことに成功した。

 第四章では、アデノシン拮抗薬のラット消化管機能に対する作用が検討された結果が述べられている。アデノシン拮抗薬を用いての消化管機能の検討はこれまでは試みられていなかったが、上記のようにアデノシンA1作動薬が排便に密接に関連するGMCを抑制したことから、アデノシンA1拮抗薬は内因性アデノシンによるGMCの抑制を解除し排便量を増加することが予想された。実際にラットを用いて実験を行うと、アデノシンA1拮抗薬は下痢を伴わずに排便量を顕著に増加することが判明した。一方、アデノシンA2拮抗薬は排便量に影響しなかった。また、アデノシンA1拮抗薬による排便増加はアデノシンA1作動薬処置で打ち消されたが、アデノシンA2作動薬処理では影響されなかった。これらの成績から、学位申請者は内因性アデノシンがアデノシンA1受容体の刺激を介して排便を持続的に抑制している、という結論を導いた。さらにこれらの作用は、結腸特異的であることが示唆された。

 第五章では、アデノシンA1拮抗薬が便秘治療薬として使用するという可能性が追及されている。ラットの成績によれば、アデノシンA1拮抗薬は胃や小腸には作用せず、結腸特異的に作用し、下痢を伴わない点が特徴であった。すなわち、ここで用いられた新規の化合物は、副作用を伴わない優れた便秘治療薬となる可能性が高かった。

 第六章では本研究の途上で発見された、「アデノシンA2a作動薬の結腸運動促進作用」がどのようメカニズムで起こるか解明した結果が述べられている。摘出モルモット回腸において、アデノシンA2a受容体の刺激がコリン作動性収縮の増強と結びつくことを支持する成績を得たことより、消化管においてもアデノシンA2a受容体刺激によってアセチルコリン遊離が促進されることが初めて示唆された。

 以上述べたように、学位申請者都丸淳之の研究成果は、(1)ラットにおける結腸の伝播性大収縮の測定法を確立した点、(2)消化管の薬理のなかで未知であったアデノシン作動性メカニズムという新たな視点を導入した点、(3)これに基づいて新しい優れた便秘治療薬の開発に成功した点、等に関して大きな意義を持つものである。これらの研究成果は消化管の薬理学及び薬物治療学に資するところが大であり、学位申請者都丸淳之は博士(薬学)の学位を受けるに十分であると判断した。

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