学位論文要旨



No 212823
著者(漢字) 万木,孝雄
著者(英字)
著者(カナ) ユルギ,タカオ
標題(和) 日本農村の金融発展 : 農村信用組合を中心として
標題(洋)
報告番号 212823
報告番号 乙12823
学位授与日 1996.04.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12823号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 荏開津,典生
 東京大学 教授 藤田,夏樹
 東京大学 教授 田中,学
 東京大学 助教授 生源寺,眞一
 東京大学 助教授 藤田,幸一
内容要旨

 アジアを中心とする開発途上国の金融部門は都市部においては近年著しい発展が見られるが、農村部においては現在でも多くの問題をかかえている。特に金融機関の預貯金不足や貸付の延滞は、農村の金融発展に対して大きな障害となっている。一方で、わが国の発展途上期ともいえる戦前期日本の農村金融を眺めた場合には、それらの問題はほとんど発生しておらず、特に信用組合はこの時期に近代的な金融機関として農村部に広く普及・定着することに成功したと考えられる。このように日本の農村金融が信用組合を中心に比較的望ましい形で発展した点について、その要因を探ることが本論文の全体としての課題である。

 分析の視角として、農村金融の発展における市場と政府という二者の相対的な役割に着目した。従来の研究では、主として後者の政府の役割について分析が深められてきた傾向があるが、ここではアメリカを中心に形成された農村金融市場説を援用し、特に市場の役割を重視している。分析の対象は、戦後の総合農協の前身にあたり、戦前期の農村部で最も広範に普及した金融機関といえる農村信用組合(農村部で設立された産業組合の中で信用事業を営むもの)を中心としている。対象とする期間は、信用組合が法律で正式に定められてから統制政策が強まる昭和恐慌期以前の、1900年から1930年にいたる約30年間である。

 分析結果における第1の点として、農村信用組合の経営面について検証し、それが経済的な意味で自立した金融機関であることを明らかにした。信用組合はおもに出資金と貯金によって資金を吸収し、それを組合員へ貸付けるという事業を行っているが、組合はこの事業において政府からの助成に頼ることなく利益をあげていることを示した。出資金についての従来の解釈では、地主を中心とする村の指導者層による個人的負担であるとされてきたが、本論ではそれに加えて出資配当率を推計することにより、高い配当率に引かれて出資が行われた側面を指摘した。また信用組合は自らの力で組合員から貯金を集め、1918年以降は運用資金の70%以上を貯金によって調達していることに対しては、組合は地主層だけではなく自作や小作層からも貯金を吸収していることを明確にした。組合の借入金に関しては、政策的な低利資金がこの時期の信用組合にはほとんど課せられていない点を示した。農村金融市場説では特に途上国の政策的資金が金融機関の自立性をゆがめることの危険性が指摘されてきたが、恐慌期以前の信用組合においてはそのような政策は実施されなかったのである。

 以上の方法で集められた組合の資金は、その大半が組合員への貸付によって運用されている。ここで問題となるのは貸付の回収であるが、日本の信用組合の場合には回収率がかなり良好で延滞が少ないことを推計によって示した。その要因として、回収が滞って経営に息詰まった組合は、すみやかな解散が求められたという制度的要因によって説明を行った。金融市場が有効に機能するためには、市場のルールが法律で明確に規定されているとともに、政府はそれに従って金融機関を厳正に監督する必要があったことが、日本の経験からも例証されたと考えられる。

 分析結果における第2の点は、農村信用組合が貯蓄動員に成功した要因に関するものである。従来の研究では、1.政府による強制力、2.貯蓄慣習が形成されていた歴史的要因、3.地主を主導者とする村落共同体の役割、という主として非市場的要因について分析が進められてきた。しかし本論ではそのような非市場的要因を踏まえながらも市場機能による要因を重視し、それを、1.組合員農家の所得上昇、2.金利等を指標とする競争的な市場の進展、3.金融機関の自立性が守られていた制度的側面、の3点に整理して分析を行った。

 まず農家の所得面については、信用組合の時系列貯金増加分や県別貯金残高を説明するために回帰分析を行い、農業所得が貯金の増減を規定する第一の要因であることを明らかにした。また後者の県別の分析によって、農業所得とともに組合員の加入率や中規模農家の割合が貯金量を説明する重要な要素であることも判明した。以上の結果から、単に農家所得の大小だけではなく、農家所得の平等度や中規模自小作農の経済活動が活発な地域ほど、組合への貯金が多い傾向にあることが結論としてまとめられた。

 次に農村部における預貯金市場の進展にとともに、信用組合が貯蓄銀行や郵便局と競合しながら預貯金を集めている点について分析を行った。まず信用組合が法律によって規定された1900年当時には、すでに多くの銀行や郵便局が農村部においても設立されていることを明示した上で、後発の信用組合がそれら機関と競合的に預貯金を吸収しているという仮説を設定した。その仮説を信用組合の貯金金利が銀行の預金金利や公定歩合と連動している点によって説明するとともに、金融機関へ預けることのリスクや取引費用の変化によって各機関の預貯金残高が変化している点も、競合的な金融市場が成立していることの例証として指摘した。

 貯蓄動員が進められたその他の要因としては、信用組合に自由な経営が認められている制度的側面が重要であった。具体的には、組合には貯金や貸付の金利決定権などが認められていたために、金融機関としての自立性も確保され得た点が推測された。この時期の組合に対する政府の方針は政策を代行するような機関としてではなく、むしろ市場の中で自由な経営を行う組織として組合を位置づけていると結論づけられた。

 結果に関する第3の論点は、信用組合の普及における政府の役割である。日本では西欧で発達した協同組合を模倣して信用組合が設立される以前から、多くのインフォーマル金融組織が存在していた。従来の研究は様々な組織についての断片的な分析が多かったのであるが、ここではそれらの組織を性格によって、講・無尽、貯蓄組織、報徳社、初期信用組合、農事組合・青年会、共同購買組織、生糸製造販売組織、その他の販売組織、の8つに分類した上で、信用組合に転化した組織の数とその過程について総体的に分析しそれを明らかにした。

 インフォーマル組織が信用組合に転化する過程は個別的に様々なケースがあるが、全体としては既存の組織が政府によって組合に転化することを強く勧められている点に、その特徴があった。組合が設立される以前に前身となる組織を持っていたものは、明治年間に設立された信用組合のおよそ8%にのぼっている。このような分析の結果、信用組合は地域やタイプによって多様な性格を持っているが、それは政府による組合普及政策と矛盾するものではないとまとめられる。信用組合は市場の中の自立的な金融機関であったといえるが、その設立や普及においては政府による重要な役割が確認されたのである。

 以上のような結論を示した上で、最後に信用組合を育成するための政策を整理した。ここでは比較のために1930年の農業恐慌の以前と以後に分け、その時期を境として組合政策がどのように変化したのかについて着目している。恐慌期以前の政策は信用組合を金融市場の中での組織と位置づけているが、恐慌期以降の政策はしだいに統制色を強め、信用組合を政府による業務を代行する機関として組み込んでいると整理された。これによってすべての農村信用組合は4種の事業兼営が義務づけられ、農家の強制的な加入によって米の販売や肥料の購入における組合利用率も急速に高まっている。信用事業においても、販売代金が組合の口座に振り込まれることによって農家の貯金保有率が大きく増加していることや、組合を通した政策的低利貸付が広範に行われたために、農家による組合借入利用率も急速に上昇している点を、資料に基づいて明らかにした。

 信用事業を代表とする多くの組合事業は、昭和恐慌期から第2次大戦下における政策によって市場の中での競合という性格をまったく失い、そして当時に規定された組合事業のいくつかは、戦後の総合農協にも受け継がれていった。ただし本論では恐慌期以後の組合政策について整理を行ったのみであり、特に市場の役割が全面的に否定されたこの時期の農村金融については、さらに分析が深められる必要がある。

 日本農村の金融発展における信用組合の位置づけとその発展要因は、昭和恐慌期以前に限定すれば本論のような市場と政府の役割という論点によって、ほぼ明らかにされたと考えられよう。ただしこのような経験が途上国においてどの程度適用可能であるかについては、今後の重要な課題として残されている。

審査要旨

 農業金融は、途上国の農業開発にとって重要な政策手段の一つであるが、実際には各国の政府系農業金融機関がdefaultを始め多くの困難に直面しているのが実情である。この分野における経済学的研究は、近年オハイオ州立大学のグループを中心として理論・実証の両面において大いに進み、オハイオ学派とも呼ぶべき新しい学説が形成されつつある。

 本論文は、この新しい学説の中心をなす農村金融市場(Rural Financial Market:以下RFMと略称)の理念的枠組みを参照しつつ日本の農村金融の発展過程を分析したものであり、途上国の農業金融政策にとって応用上の価値に富んだ知見を多くふくんでいる。全体は研究課題の意義を簡単に述べた序章と成果を総括した終章とを加えて7章から構成されている。

 第1章は、RFMの枠組みを明らかにしつつ、本研究の主たる対象である戦前期日本の農村信用組合について考察した導入部である。

 第2章は、RFMの一つの要素である「自立性」(viability)に関して、1900年以降の産業組合信用事業を検討したものである。ここではまず信用事業の経営基盤をなす資金調達について詳しい分析が行なわれている。又資金回収は、現在の途上国農業金融上最大の問題であるが、これについても検討を加え、信用組合の自立性が高かったことを確認した。更に興味深いのは、信用組合の解散(破産)の検討を通じて、日本の農村信用組合の自立的発展にとって競争市場のメカニズムが大きな役割を果していたことが明らかにされている点である。

 第3章は、やはりRFMの重要な要素である貯蓄動員(savings movilization)について検討したものである。ここではまず、戦前期の日本の農村金融における貯蓄比率を、1970-80年代におけるアジア6国のデータと比較して、日本の貯蓄比率が良好な状態にあったことを確認したのち、その原因を、市場的要因と非市場的要因に分けてそれぞれの果した役割を考察している。

 本章の中心をなす貯蓄動員の要因分析では、さまざまな興味深い知見が得られているが、なかんずく貯蓄動員における自作中農層の役割の重要性を統計的な方法で確認したこと、金利・取引費用・リスクなどRFMの諸要因を詳しく検討したことなどが注目される。本章の結論は、貯蓄動員をふくめて、農村金融の発達における競争市場メカニズムの役割が重要であることの指摘である。

 第4章は、信用組合の形成過程の分析である。ここで取り上げられるRFMの要因はインフォーマル金融である。ここでは、戦前期日本の農村インフォーマル金融として、講・無尽以下8つの類型を検討の対象とし、自生的に存在していたさまざまなインフォーマル金融が信用組合に転化したこと、又その転化に当っては政府の誘導が大きな役割を果したことなどを明らかにした。本章の分析は、現在途上国にさまざまな形態で存在するインフォーマル金融に対して政策上の大きな示唆を与えている。

 第5章は、協同組合金融の発展にとって政府の育成政策が果した役割を取り上げている。これはRFMの枠組の中では、多く市場と対立的にとらえられている政府の役割を、日本の事例に依拠して積極的に評価したものであって、やはり途上国農業金融政策に多くの示唆を与える結果である。

 以上を要するに、本研究は現在途上国農業開発の重要な政策手段の一つとなっている農業金融について、1900年以降1940年代に至る日本の事例を、新しい分析枠組みであるRFMの理論的諸要因に沿って検討し、途上国への適用可能性を求めたものであり、学術上応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位にふさわしい成果であると判定した。

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