蓄熱式空調システムは、蓄熱装置(蓄熱槽)を介して熱源側と負荷側を分離し、冷暖房に必要な温度レベルを維持しながら、ある期間(通常は1日単位)の熱量収支をバランスさせることによって、熱の生産を効率的に行おうとするシステムであり、需要側における経済性の追求、冷房用電力ピークの回避、省エネルギー・省資源・環境保全の推進などさまざまな目的のため採用されているが、熱源運転の自由度が増すという利点が、かえって欠点となってしまう場合が存在している。実態調査によると、合目的な運転がなされている状況の方がむしろ少ないと言った報告すら見られる。 言い換えれば、蓄熱式空調システムが含有している特徴の多くは、合理的な範囲で熱源運転を夜間にシフトすることから導き出されるにも関わらず、種々の理由(原因)により、そのような運転となっていないケースの方が多いと言うことである。 本論文はこのような背景のもと、蓄熱式空調システムの運転制御の適正化に関する研究を通して、このシステムの本来目的を達成し、ひいては、社会的貢献に資することを願望するものである。 一般に空調システムの運用は現場の運転管理者の手にゆだねられており、とりわけ運転管理の巧拙が顕在化しやすい蓄熱式空調システムの場合、合理的な運転がなされてきたとは言い難い状況が見られる。まずこれに対し、実建物を例に運転制御上の問題点を抽出するとともに、空調システムシミュレーションプログラムを用いて定量的な分析を試みた。またこのシミュレーション結果から、蓄熱式空調システムの運転状態のあるべき姿(理想状態)を求めることによって、実システムの問題点の把握→改善策の検討→改善の実施→効果の確認を実施し、シミュレーションによる実システムの運転制御の適正化手法を提案して、「解析的手法による運転制御の適正化」の道を開いた。 一方、実建物における運転調整過程を通して得られた知見を整理・分類し、(1)計測、(2)データの妥当性確認、(3)データの加工方法、(4)運転診断と調整、に関し標準化を行い「実務的手法による運転制御の適正化」としてまとめた。 さらに、2つの適正化手法を融合する形で新しい計測・制御システムの提案を実建物への適用を経て行うとともに、蓄熱式空調システムの運転制御の適正化に対する今後の方向性を示した。 以下に各章での研究成果を要約して述べる。 1章「序論」 蓄熱式空調システムの意義として(1)経済性、(2)負荷平準化、(3)省エネルギー・省資源・環境保全、について具体的なメリットを述べるとともにデメリットについても言及した。また、現実の蓄熱式空調システムに関する、定性的な調査による問題点を整理し、特に運転制御上の問題が突出していることを示した。 次に、蓄熱式空調システムの基本的な構成を示すとともに理想的な運転について解説したが、実際の運転は理想的な運転状況と乖離する。その主な原因は(1)蓄熱槽効率の低下(水の温度差を有効に利用できない状態に陥る現象を、非定常蓄熱槽シミュレーションの試算によって示した。)、(2)熱源機器の運転時間の良否(理想的な運転と最も悪い運転の両極を示し、実際のシステムの運転はこの間に存在することを示した。)、などが考えられる。 さらに、運転制御の適正化のための制約条件と評価関数を定義した。即ち(1)制約条件:室内環境、(2)評価関数:経済性、負荷平準化、省エネルギー・省資源・環境保全、でありこれらを集約した指標としての熱源夜間移行率1)と、そのシステム毎の理想的な熱源夜間移行率に対する実際の熱源夜間移行率の比をもって、夜間移行達成率2)と定義し、その実現度合いを評価することとした。 2章「実測による蓄熱式空調システムの問題点の把握」 標準的と思われる実際の建物を例に取り、その問題点を把握するとともに解決策に対する展望を得るための実測を行った。約1年半にわたる問題点の把握と調整を繰り返し、ある程度の適正運転が可能となるに至ったが、調整項目の中で運転制御に関わる事項が全体の90%にまで上り、この分野を改善していくことが最も重要であることが確認できた。 この実測、分析、改善を通し、以後2通りの方法で適正化の研究を進めることとなる。その1つは蓄熱式空調システムの動きを予測し、本来あるべき姿を数値解析により求め蓄熱式空調システムの運転の適正化を図る研究(3章:解析的手法による運転制御の適正化)であり、今1つは、調整作業の合理化研究(4章:実務的手法による運転制御の適正化)である。 図表3章「解析的手法による運転制御の適正化」 蓄熱式空調システムの有利性を左右する要因分析のため、動的な空調システムシミュレーションプログラムであるHASP/ACLD/8501およびHASP/ACSS/8502を用いて、実験計画法による分析を行った。モデル建物としては、東京に建つ標準的な事務所ビルを想定し、実測結果との照合が行えるよう2章で実測した建物を対象とした。 このシミュレーションによる数値実験から、HASP/ACSS/8502の計算上、蓄熱槽内水温のオーバーシュートと熱源機器の送水温度制御が入口温度でしか制御できないことによる問題点が明らかとなり改良を行った。 次に、シミュレーション値と、実建物で得られたデータとの検証を行った。検証に当たっては、(1)熱負荷に関して、実測値とシミュレーション値を整合させるため、内部発熱および外気取入れ量などの負荷に係わるパラメータを調整する、(2)熱負荷を概略一致させた上で、システムの運転制御上のパラメータを変動させ、実測値に見合う状況を再現する、という方法を取った。 比較検討によるシステム性能の分析から、特に、冬期の熱源運転に問題が多いことが判明した。そこで、冬期の熱源夜間移行率を向上させるべく、シミュレーション結果の中で実測データを最も再現しているケースを代表にして改善の可能性を検討し、蓄熱コントローラの各種設定値の変更や空調機コイルの絞り特性の改良などを行い、効果度合いを確認した。 その結果、熱源夜間移行率は最終調整後に80〜85%となり、シミュレーションによる理想値である90〜100%には達しないものの、夜間移行達成率は90%以上に至った。 また、更なる性能向上のためには、(1)負荷予測制御、(2)学習機能、などの蓄熱コントローラ自体の改善項目が浮き彫りとなった。 第4章「実務的手法による運転制御の適正化」 建築における真の省エネルギー・省資源を達成するためには、運用面での工夫が重要であり、各種の運転データに基づく日常のきめ細かな管理に負うところが大である。そこで、"管理なくして省エネルギー・省資源なし"、"計測なくして管理なし"と言う前提のもとに、実建物より得られた知見を実務者(設計者、施工者、運転管理者など)の役に立つ形とするため、計測およびそのデータを利用した適正化手法の標準化を図った。 まず、計測項目の選定、計測箇所の選定、標準計測機器および取付け方法、計測システムの選定の順に、運転制御の適正化に必要な計測の標準化を行った。 また、正しいデータに基づいて、はじめて正しい制御が実現するという考えのもとに、計測データの妥当性を確認するため、(1)基本チェック、(2)有効チェック、(3)相互チェック、(4)トレンドによるチェック、の4分類によるキャリブレーション方法を示した。 次に、専門家の多くはグラフ化されたデータによって、はじめてそのシステムの動きを認識できることから、計測データの表およびグラフ化を基本とする加工・処理方法を提案した。 さらに、この加工されたデータに基づいた運転制御の診断方法および不適切な場合の対処方法について、診断シートに整理した。その際、診断・調整を(1)コンポーネントに対する運転診断・調整、(2)サブシステム毎の運転診断・調整、(3)全体システムの熱源夜間移行率、エネルギー消費量の管理、の3段階に分類した。これは、この分野におけるエキスパートシステムとなり得るものと考える。 5章「新しい計測・制御システムの試行」 蓄熱式空調システムの運転制御の目標を、(1)熱源運転の夜間移行とピークカットを両立させた適切な制御、(2)試運転調整を含む運転調整の省力化と自動化、において改めて蓄熱コントローラが具備すべき基本的要件を次の3点とした。 (イ)建物やシステム特性に応じた制御を行う。 このためには建物やシステムのデータを計測し、制御に取り込む必要がある。 (ロ)勘と経験に頼らずに論理的に制御する。 負荷予測(気象予測、熱負荷予測、電力負荷予測)、コイル特性を考慮した有効蓄熱量評価、電力負荷平準化制御などの論理的な制御ロジックを構築する。 (ハ)変化に対応できる柔軟性を持つ。 運転スケジュールやパラメータ値を制御に取り込む。 以上の要件を満たす蓄熱コントローラを汎用パソコンを利用して開発し、先に述べたモデル建物に適用した結果、最終的には冬期において、100%の熱源夜間移行率を達成できた。 さらに、以下に示す考え方のもとに、パソコンによる診断システムを開発した。 (1)正しい制御の前提となる正しい情報のためのデータ診断、 (2)システムの運転状態を把握し、制御システムにフィードバックするシステム診断、 この診断システムを新築建物の空調システムにおける試運転調整時に適用した。予め設計思想に基づいて、診断すべき内容を登録しておいたことによって、短時間で多くの内容を診断することができた。また、即座に原因追求と現場での処置が可能であったことから、本診断システムの有効性が確認できたと考える。 前述の蓄熱コントローラと本診断システムが両輪となって、はじめて運転制御の適正化が実現できることとなる。 最後にこれまでの研究成果を踏まえ、蓄熱コントローラに関しては(1)天気予報の入力の合理化、(2)制御システムの自動最適化、(3)負荷予測制御等の精度向上、などを、また診断システムに関しては(1)診断メッセージの認識性の向上、選択性の加味、(2)制御システムへのフィードバック機能の追加、(3)他システムへの応用、(4)診断メニュー作成支援ツールの開発、などを今後の課題とした。 |