有機合成化学において、炭素-炭素結合の形成にはカルバニオン、カルボカチオン、ラジカル等の反応活性種が利用されている。これら反応活性種の生成法として様々な手法が開発されており、酸化反応を利用する手法もその有効な方法の一つと考えられる。筆者は中性の有機化合物を一電子酸化し生じるカチオンラジカルを、カチオンとラジカルに分離することができれば、従来にない新しい特徴的な酸化的反応活性種生成法が開発できるものと考えた。特に炭素-スズ結合が開裂し易いことに着目し、有機スズ化合物のカチオンラジカルからスタンニル基を脱離させ、カルボカチオンや炭素ラジカルを生成し、これら反応活性種を炭素骨格形成反応へ活用することを試みた。 1)N-(1-トリブチルスタンニルアルキル)アミドおよびカルバマートからのイミニウムイオンの生成と反応 2-ピバロイル-1-トリブチルスタンニル-1,2,3,4-テトラヒドロイソキノリンをシリルエノールエーテルの存在下、硝酸アンモニウムセリウム(IV)やフェリセニウムヘキサフルオロホスファートで酸化すると、スタンニル基がアルキル置換された化合物が高収率で得られた(式1)。本反応はスタンニルアミドの酸化によって生じるカチオンラジカルから、スタンニルラジカルが脱離してN-アシルイミニウムイオンが生成し、これにシリルエノールエーテルの求核付加が進行していることを明らかにすることができた(式2)。また、ケテンシリルアセタールやアリルシラン等の様々な炭素求核剤も利用することができる。 この反応をスタンニル基を持たないピバロイルアミドで行った場合には酸化反応が進行しないことから、スタンニル基は脱離基として機能するだけでなく、基質の酸化電位を低下させる効果もあることが判明した。またアミド以外に、スタンニルカルバマート誘導体についても適応することができ、炭素求核剤と反応させることによって、アミン誘導体の位に様々な炭素鎖を導入することが可能である(式3)。 電極酸化反応等、酸化的にイミニウムイオンを生成させる手法はこれまでに数多く報告されているが、従来の方法では直接炭素鎖を導入することは困難であった。本手法は-段階で炭素求核剤と反応させることができ、またルイス酸等を用いる酸性条件下でのイミニウムイオン生成法に比べ、中性に近い穏やかな条件下で反応を行うことができるため、酸に不安定な求核剤も反応に用いることができる。本反応は、従来アニオン等価体として有機合成に用いられてきたスタンニルアミン誘導体を、カチオン等価体へと極性転換させている。 2)-トリブチルスタンニルカルボニル化合物からのラジカル種の生成と電子豊富オレフィンとの反応 1,4-ジカルボニル化合物を合成する有効な方法の一つに、シリルエノールエーテルの酸化的カップリング反応が報告されている。しかし、異なる2種類のシリルエノールエーテルを反応させる場合、自己カップリング体の副生も進行し、交差カップリング反応のみを選択性良く進行させることは難しい(式4)。 交差カップリング反応を効率良く進行させるには、生じるラジカルを選択的に望む受容体とのみ反応させる必要がある。筆者は、-スタンニルエステルやアミドをラジカル源に、またそのラジカル受容体としてシリルエノールエーテルを用いて、選択的交差カップリング反応を行わせることを考えた。-スタンニルエステル類は、そのエノール型との平衡が存在するが、ほとんどケト体として存在しているため、ラジカル源とは成り得てもラジカル受容体には成り得ない。またスタンニル基の強い酸化電位低下作用から、受容体よりも優先的に酸化され、炭素ラジカルを生成すると思われる。実際、式5に示したように、スタンニルエステル類をシリルエノールエーテル等の電子豊富オレフィンの存在下、硝酸テトラブチルアンモニウムセリウム(IV)で酸化すると、交差付加反応が効率良く進行することを見出した。また、本反応はカチオンラジカルからスタンニルカチオンが脱離し生成するラジカルが、反応活性種であることも明らかにすることができた。 さらに位に置換基を有する各種スタンニルエステルを用いて反応を検討したところ、2級ラジカルとなるプロピオン酸や酪酸エステルでは高収率で非対称1,4-ジカルボニル化合物が得られるのに対し、3級ラジカルを生成するイソ酪酸エステルでは、生成したラジカルのホモカップリング体であるコハク酸エステルが主生し、交差カップリング体の収率は低かった(式6)。 また様々なケト、エノール互変異性体比をとるスタンニルケトン誘導体をラジカル源とし、シリルエノールエーテルとの分子間付加反応を検討した結果、エノール体の存在比が大きくなるにつれ交差付加体の収率が低下し、自己カップリング体の副生が増加することが明らかとなった(式7)。 従来、これら非対称1,4-ジカルボニル化合物は、刺激性が強く化学的安定性に乏しい-ハロカルボニル化合物から合成されてきたが、本手法により取り扱いの容易なスタンニルエステルやシリルエノールエーテルを用いて効率良く合成することができる。また、-スタンニルカルボニル化合物はアニオン等価体であり電子豊富オレフィンへ付加させることは困難であったが、これからラジカルを生成させることによって付加反応が可能となった。 3)(±)-Stemonamideの全合成 前述したイミニウムイオン、およびラジカルを反応活性種とする酸化的炭素骨格形成反応を利用して、Sutemonaアルカロイドの一種である天然物(±)-Stemonamideの全合成を行った。Stemonamideの骨格を、下記の図に示したように四つのフラグメントに分割し、3つのフラグメントX、Y、Zを今回開発した反応を用いて順次連結させ、Stemonamideのメチル基を除く全ての炭素鎖を構築することができた。次に骨格変換を行いA、B環を構築し3環性化合物に誘導した後、AB環の面から立体選択的にメチル基を導入した。これら四つのフラグメントを原料として、12工程で全合成を達成することができた。 |