学位論文要旨



No 212854
著者(漢字) 平林,茂
著者(英字)
著者(カナ) ヒラバヤシ,シゲル
標題(和) 脊髄モニターとしての硬膜外脊髄刺激脊髄誘発電位測定における上行性誘発電位の起源 : 神経根糸を介して誘発される電位の存在
標題(洋)
報告番号 212854
報告番号 乙12854
学位授与日 1996.04.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12854号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 花岡,一雄
 東京大学 助教授 長野,昭
 東京大学 講師 重松,宏
 東京大学 講師 榊原,洋一
 東京大学 講師 桜井,正樹
内容要旨

 脊髄の機能を電気生理学的に観察するさまざまな脊髄誘発電位測定法のうちで、脊髄を硬膜背面から刺激して誘発され脊髄を上行性または下行性に伝導する活動電位(以下、上行性誘発電位、下行性誘発電位とする)を、硬膜背面より導出する硬膜外脊髄刺激脊髄誘発電位測定法(以下、硬膜外法とする)は、電位の脊髄内伝導路が明らかにされている唯一の方法である。また、麻酔の影響を受けにくい振幅の大きな電位が安定して観察できるので、とくに、脊椎・脊髄手術または胸・腹部大動脈瘤の手術中に発生しうる脊髄障害を防止する目的で行う脊髄モニター法として、広く用いられている。

 硬膜外法によって観察される主要な電位は、刺激が閾値の約3倍より弱い場合には、上行性誘発電位も下行性誘発電位も2個の電位から成っているが、術野との位置関係から刺激電極を下位胸椎部または胸腰椎移行部に置いて、上行性誘発電位を観察せざるをえない場合には、3個または4個の電位がしばしば観察される。しかし、このような波形は実験的にも臨床的にもこれまで研究の報告がなく、前述の2個の電位との対応関係も未知のまま今日に至った。この結果、術中に現れる各電位の変化の意味がわからず、観察している電位を脊髄モニターの指標として十分に活用できなかった。

 今回、ヒトにおけるこれら3個または4個の上行性誘発電位の起源を知る目的で、まず脊髄麻痺のない14例の胸椎部の手術または胸・腹部大動脈瘤の手術の際の脊髄モニターにて、電位が出現する条件を明らかにした。脊髄の破壊実験が不可能な人体では、各電位の起源を実験的に証明することはできないため、ヒトにおけると類似した現象を示す他の動物での実験結果から、その起源を推定せざるをえない。このため、これまでも脊髄誘発電位の研究に用いられることが多く、解剖学的構造を肉眼的に確かめ、脊髄へ直達する実験操作が比較的容易であるネコを、23匹用いて同様な現象を観察したのち、脊髄の破壊実験によってネコにおける各電位の起源を明らかにした。ついで、ネコにおける脊髄誘発電位の各現象が、下位脊髄部の解剖学的構造との対比によってよく説明できるという事実をもとに、ヒトにおける脊髄誘発電位の各現象も、同様にその解剖的学構造との対比からよく説明しうると同時に、過去に報告された脊髄誘発電位に関する現象とも矛盾しなかった点から、ヒトで観察された3個または4個の上行性誘発電位の起源を推定できた。

 ヒトとネコにおける上行性誘発電位には、電位の個数、閾値、振幅の大小関係において次のような共通した特徴があった。

 ヒト、ネコともに、3個または4個の上行性誘発電位が観察されるのは、刺激電極が限られた椎体レベルにあり、かつ、刺激が閾値の約3倍以上の場合にのみであり、伝導距離の大小によって電位の個数は2〜4個になった。すなわち、刺激電極がヒトではT12-L1(9例)、ネコではL2-L5(19匹)にあるときにのみ、3個または4個の上行性誘発電位が観察された。伝導距離が短いときには頂点潜時の差が小さいため、また、長いときには潜時の長い電位の振幅が低下するために、電位の個数は、ヒトでは2個または3個、ネコでは3個になる場合があると考えられた。刺激電極がヒトではT12より頭側(4例)、ネコではL2より頭側(10匹)にあるときには、電位の個数は1個または2個であった。これらは、過去に報告された第1電位と第2電位に相当すると考えられた。刺激電極がヒトではL1より尾側(5例)、ネコではL5より尾側(7匹)にあるときには、刺激の強さおよび伝導距離の大小によらず、電位の個数は2個であった。

 4個の電位を潜時の短い順に、ヒトでは第1、第2、第3、第4電位とし、ネコでは第I、第II、第III、第IV電位とすると、閾値はヒト、ネコともに、第2番目の電位が最も低く、第4番目の電位と第3番目の電位はこれよりやや高く、第1番目の電位が最も高かった。

 ヒト、ネコともに、4個の電位の振幅の大小関係は、刺激電極を置く椎体レベルにより異なっていた。すなわち、ヒトでは刺激電極をT12-L1の範囲で尾側へ移動させると、電位の振幅の大小関係が逆転し、第1電位の最大刺激のもとで、第1電位は第2電位よりも振幅は小さくなり、また、第3電位は第4電位よりも振幅は小さくなった。ネコでは刺激の強さを一定に保ったまま、刺激電極をL2-L5の範囲で尾側へ移動させると、第I、第III電位の振幅はしだいに低下したが、第II、第IV電位の振幅は変化しなかった。

 ヒトの同一髄節間における上行性誘発電位と下行性誘発電位とを比較すると、刺激電極がT12にあるとき、閾値の約3倍以上でT4またはT5に発現する4個の上行性誘発電位のうちの第1電位の潜時は、刺激電極がT4またはT5にあるとき、T12に発現する閾値の最も低い下行性誘発電位の潜時と等しかった。

 硬膜背面から刺激して4個の電位を発現させたあと、ネコの硬膜を切開し、神経根糸を切断して脊髄のみを直接刺激した場合には、第II、第IV電位は消失したが、第I、第III電位はなお残存し観察された。逆に、脊髄を切断して神経根糸のみを直接刺激した場合には、第I、第III電位は消失したが、第II、第IV電位はなお残存し観察された。以上の切断実験より、第I、第III電位は脊髄自体が直接刺激され誘発される電位、第II、第IV電位は神経根糸が刺激され脊髄内に誘発される電位(上行性経神経根誘発電位)と推定できた。

 解剖学的に下位脊髄部を観察すると、ヒトではT12-L1、ネコではL2-L5でのみ、脊髄はその周囲を神経根糸によって厚く覆われており、しかも尾側へ向かうほど脊髄の径は細くなり、逆に、神経根糸は相対的に組織量が増し、脊髄の周囲をより厚く覆っていた。

 このため、これらの椎体レベルの硬膜背面から刺激した場合には、ヒト、ネコともに、まず硬膜の直下にある神経根糸が刺激され、さらに刺激を強めた時にはじめて、神経根糸の腹側にある脊髄が刺激されると考えられた。ネコにおいて、神経根糸が刺激され脊髄内に誘発される電位と推定された第II、第IV電位の閾値が、脊髄自体が直接刺激され誘発される電位と推定された第I、第III電位の閾値よりも低かった点、および、刺激の強さを一定に保ったまま、刺激電極をL2-L5の範囲で尾側へ移動させると、第I、第III電位の振幅は低下したのに対して、第II、第IV電位の振幅は変化しなかった点は、以上の解剖学的な特徴からよく説明できた。

 一方、ヒトにおいては、刺激電極がT12-L1にあるとき、第2、第4電位の閾値が第1、第3電位の閾値よりも低かった点、および、刺激電極をT12-L1の範囲で尾側へ移動させると、電位の振幅の大小関係が逆転し、第1電位は第2電位よりも振幅は小さくなり、また、第3電位は第4電位よりも振幅は小さくなった点など、ネコにおけると同様な現象が認められた。したがって、これらの結果から、ヒトの第1、第3電位は脊髄自体が直接刺激され誘発される電位、第2、第4電位は神経根糸が刺激され脊髄内に誘発される電位と推定してよいと考えられた。

 同一髄節間における上行性誘発電位と下行性誘発電位との比較において、脊髄自体が直接刺激され誘発される電位である下行性誘発電位の潜時が、上行性誘発電位の第1電位の潜時と等しかった現象は、脊髄の同一髄節間における上行性誘発電位と下行性誘発電位の伝導速度は等しいという過去の報告からみて、この上行性誘発電位の第1電位は脊髄自体が直接刺激され誘発される電位とする推定と矛盾はしなかった。

 結局、ヒトの下位脊髄部の硬膜背面を刺激して誘発される上行性誘発電位は、1〜4個の電位から成っており、発現する電位の個数は、刺激電極を置く椎体レベル、刺激の強さおよび伝導距離により変化することがわかった。さらに、4個の電位を潜時の短い順に第1、第2、第3、第4電位とすると、閾値の低い第2、第4電位は神経根糸が刺激され脊髄内に誘発される電位(上行性経神経根誘発電位)であり、閾値の高い第1、第3電位は脊髄自体が直接に刺激され誘発される電位であると推定できた。

 本研究のようにヒトの下位胸椎部または胸腰椎移行部で硬膜外法を行い、上行性誘発電位を観察できる機会は、大多数が胸椎部の手術中に発生しうる脊髄損傷を防止することを主たる目的とした脊髄モニターである。この場合、患者にとって必要な部位に必要な強さの刺激が行われるにすぎず、刺激電極を置く椎体レベルを術中自由に変更できるわけではないため、刺激電極を置く椎体レベルと波形との関係を知るうえでは、特定された条件下で得られた多数の症例からの個々の結果を集積して、総合的に判断せざるを得ない。本研究ではこのような限界がおのずとあるものの、ヒトにおける脊髄誘発電位の各現象が、ネコにおけると同様に、その解剖的学構造との対比からよく説明できた。

 下位脊髄部を内包するヒトのT12-L1の椎体レベルでは、硬膜管内で脊髄の周囲を神経根糸が厚く取り囲むという解剖学的な特徴があるため、硬膜外法による脊髄誘発電位の測定に際し、刺激電極をこれらの範囲に置く場合には、神経根糸が刺激され脊髄内に誘発される上行性経神経根誘発電位の存在を考慮すべきである。

閾値の約3倍以上の強さの刺激で発現するヒトの4個の上行性誘発電位(T12刺激、T5導出)閾値の約3倍以上の強さの刺激で発現するネコの4個の上行性誘発電位(L4刺激、T6導出)
審査要旨

 本研究は脊椎・脊髄手術または胸・腹部大動脈瘤の手術中に脊髄モニターとして用いられる硬膜外脊髄刺激脊髄誘発電位測定法で観察される3個または4個の上行性誘発電位の起源を、ヒトとネコにおける上行性誘発電位の各現象と下位脊髄部の解剖学的構造との対比から、はじめて明らかにしたものであり、下記の結果を得ている。

 1.脊髄麻痺のない14例の、胸椎部の手術または胸・腹部大動脈瘤の手術の際に行った脊髄モニターから、ヒトの上行性誘発電位に関して以下の点が明らかになった。ヒトで3個または4個の上行性誘発電位が観察されるのは、刺激電極がT12-L1にあり、刺激が閾値の約3倍以上の場合にのみであり、伝導距離の大小によって電位の個数は2〜4個になる。4個の電位を潜時の短い順に第1、第2、第3、第4電位とすると、閾値は第2電位が最も低く、第4、第3電位がこれよりやや高く、第1電位が最も高い。刺激電極をT12-L1の範囲で尾側へ移動させると、電位の振幅の大小関係が逆転し、第1電位は第2電位より、第3電位は第4電位よりもそれぞれ振幅は小さくなる。同一髄節間における上行性誘発電位と下行性誘発電位とを比較すると、脊髄自体が直接刺激され誘発される下行性誘発電位の潜時は、上行性誘発電位の第1電位の潜時と等しい。

 2.ネコを23匹用いて実験を行った結果、ネコの上行性誘発電位に関して以下の点が明らかになった。ネコで3個または4個の上行性誘発電位が観察されるのは、刺激電極がL2-L5にあり、刺激が閾値の約3倍以上の場合にのみであり、伝導距離の大小によって電位の個数は2〜4個になる。4個の電位を潜時の短い順に第I、第II、第III、第IV電位とすると、閾値は第II電位が最も低く、次いで第IV、第III、第I電位の順に低い。刺激の強さを一定に保ったまま、刺激電極をL2-L5の範囲で尾側へ移動させると、第I、第III電位の振幅はしだいに低下するが、第II、第IV電位の振幅は変化しない。

 3.ネコの硬膜を切開し、神経根糸を切断して脊髄のみを刺激した場合、逆に、脊髄を切断して神経根糸のみを刺激した場合の電位変化より、第I、第III電位は脊髄自体が直接刺激され誘発される電位、第II、第IV電位は神経根糸が刺激され脊髄内に誘発される電位(上行性経神経根誘発電位)であることが示された。

 4.解剖学的に下位脊髄部を観察すると、ヒトではT12-L1、ネコではL2-L5でのみ、脊髄はその周囲を神経根糸によって厚く覆われており、しかも尾側へ向かうほど脊髄の径は細くなり、逆に、神経根糸は相対的に組織量が増し、脊髄の周囲をより厚く覆っていた。

 5.電位の起源が明らかにされたネコの上行性誘発電位の各現象が、下位脊髄部の解剖学的構造との対比によってよく説明できること、および電位の個数、閾値、振幅の大小関係においてネコの上行性誘発電位と共通の特徴を持つヒトの上行性誘発電位の各現象も、下位脊髄部の解剖学的構造との対比によってよく説明できることから、ヒトの上行性誘発電位の起源は以下のように推定された。第1、第3電位は脊髄自体が直接刺激され誘発される電位、第2、第4電位は神経根糸が刺激され脊髄内に誘発される電位(上行性経神経根誘発電位)である。

 以上、本論文はこれまで実験的にも臨床的にも研究の報告がなかったため、脊髄モニターの指標として十分に活用できなかった硬膜外脊髄刺激脊髄誘発電位測定法における3個または4個の上行性誘発電位の起源をはじめて明らかにしたものである。この結果は今後、特に下位脊髄部における疾患の病態の解明に活用されると予想され、本論文は学位の授与に値するものと考えられる。

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