学位論文要旨



No 212857
著者(漢字) 貝瀬,満
著者(英字)
著者(カナ) カイセ,ミツル
標題(和) c-fos SRE 3’領域類似の塩基配列を介した上皮性増殖因子によるH+,K+-ATPaseサブユニット遺伝子発現増加作用について
標題(洋) Epidermal Growth Factor Induces H+,K+-ATPase-Subunit Gene Expression through an Element Homologous to the 3’Half-site of the c-fos Serum Response Element.
報告番号 212857
報告番号 乙12857
学位授与日 1996.04.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12857号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 教授 菅野,健太郎
 東京大学 助教授 多久和,陽
 東京大学 助教授 名川,弘一
 東京大学 助教授 時野,隆至
内容要旨 実験背景・目的

 上皮性増殖因子(EGF)は多くの器官に対して様々な生物活性を有するペプチド増殖因子の一つである。EGFは上皮組織に対する増殖作用がその発見の端緒となったため、『上皮性増殖因子』と命名されたが、増殖と関連しない種々の生理機能(下垂体ホルモン産生・アミラーゼ分泌・インスリン産生・腸管のイオン輸送など)に対しても生物活性を有することが知られている。

 胃においてもEGFは増殖促進作用と非増殖性作用を呈する。胃酸分泌は胃壁細胞がH+,K+-ATPaseによってH+をその細胞質から胃内腔に移送する生理機能であり、EGFはこの胃酸分泌に対して全く異なる二つの作用を呈する。急性投与という条件下ではEGFは胃酸分泌を抑制することが今までよく知られてきたが、長期投与したEGFはin vivoで基礎・最大胃酸分泌を刺激し、in vitroでも胃壁細胞の酸産生を刺激することが最近明らかになってきた。

 胃酸分泌に対するEGFの作用機序を更に詳細に解明するため、本研究では胃酸分泌のkey enzymeであるH+,K+-ATPase遺伝子発現に対するEGFの作用について検討した。

実験結果

 1)雑種犬の胃粘膜より単離した胃壁細胞をEGF存在下に18時間培養した後、胃酸分泌の指標となる14C-aminopyrine uptakeを検討したところ、EGFは濃度依存性にaminopyrine uptakeを有意に増加させ、最大刺激は1nMのEGFで得られた。EGFのこの作用におけるEC50は70〜90pMと、生体内で観察されるEGFの血中濃度とほぼ同等であり、急性投与下でのEGFの胃酸分泌抑制作用におけるEC50の1/20〜1/200であった。

 2)単離胃壁細胞を用いたNorther blot法による検討では、EGFはH+,K+-ATPaseサブユニット遺伝子mRNAを有意に増加させた。最大刺激(無刺激時の253±18%,mean±SE,n=6)は1nM、EC50は50pMであり、慢性投与下におけるEGFの酸分泌刺激作用における濃度反応関係と同等であった。

 3)H+,K+-ATPaseサブユニット遺伝子のexon 1を含む653bpの5’上流域を組み込んだluciferase reporter遺伝子を培養胃壁細胞に導入した実験系による検討では、EGFはH+,K+-ATPaseサブユニット遺伝子promoterの転写活性を濃度依存性に増加させた。その濃度反応関係(最大刺激濃度1nM,EC5050pM)はmRNA及び胃酸分泌刺激作用のそれと同等であった。

 4)種々の長さのH+,K+-ATPaseサブユニット遺伝子5’上流領域を組み込んだluciferase reporter遺伝子(deletion mutant)を用いた検討では、転写開始点から上流162から156bpの領域(5’-GACATGG-3’)を含むdeletion mutantにはEGFによる転写活性増加作用が得られた。H+,K+-ATPaseサブユニット遺伝子minimal promoter及びthymidine kinase遺伝子promoterの上流に塩基配列5’-GACATGG-3’をみ込んだluciferase reporter遺伝子による実験では、この塩基配列がEGFの遺伝子転写活性増加作用の責任領域であることが明らかになった(EGF response element=ERE)。

 5)electrophretic mobility shift assay(EMSA)では、

 (1)32Pで標識したERE probeと胃壁細胞より抽出した核蛋白が、EREの塩基配列に特異的にDNA-protein complexを形成すること、

 (2)ERE塩基配列はc-fos SRE 3’領域に類似しており、その領域に結合することが知られている転写因子(SRE-ZBP,NFIL-6,E12)に対する特異抗体やconsensus oligonucleotideはERE-protein complex形成に影響を与えないこと、などが明らかになった。

考按及びまとめ

 1)慢性投与したEGFは生理的濃度において胃酸分泌刺激作用を有し、急性投与下の胃酸分泌抑制作用はその濃度作用関係からみてEGFの薬理学的作用と考えられた。

 2)EGFは胃酸分泌のkey enzymeであるH+,K+-ATPase遺伝子発現をmRNA及び転写活性levelで増加させ、この作用がEGFの生理的胃酸分泌刺激作用の主要機序であると考えられた。

 3)H+,K+-ATPaseサブユニット遺伝子の5’上流域にはEGF刺激に対する責任塩基配列(5’-GACATGG-3’)が存在することが明らかになった。このモチーフ(EGF response element=ERE)には胃壁細胞の核蛋白が塩基配列特異的に結合してDNA-protein complexを形成し、これがEGFによるH+,K+-ATPaseサブユニット遺伝子転写活性を増加させると考えられた。

 4)ERE塩基配列に類似したc-fos SRE 3’領域に結合することが知られている転写因子(SRE-ZBP,NFIL-6,E12)に対する特異抗体やconsensus oligonucleotideはERE-protein complex形成に影響を与えないことから、EREに結合する胃壁細胞核蛋白は未知の転写因子と推測された。今後、この核蛋白をcodingする遺伝子のクローニングによって、EGFの胃酸分泌における作用機序が更に解明できるものと考えられた。

審査要旨

 本研究は消化管の病態生理に深く関与する上皮性増殖因子(EGF)の胃酸分泌に対する生理作用を明らかにするために、単離胃壁細胞及びその培養系を用いて酸分泌能及び酸分泌機構のkey enzymeであるH+,K+-ATPase -subunit遺伝子発現について解析し、以下の結果を得ている。

 1)単離胃壁細胞をEGF存在下に18時間培養した後、胃酸分泌の指標となる14C-aminopyrine uptake(AP uptake)を検討した結果、EGFは濃度依存性にAP uptakeを有意に増加させ、最大刺激は1nMのEGFで得られた。また、EC50(70〜90pM)はEGFの生理的血中濃度とほぼ同等であった。

 2)単離胃壁細胞から抽出したRNAを用いたNorthern blot法では、EGFはH+,K+-ATPase -subunit遺伝子mRNAを有意に増加させ、そのEC50(50pM)はEGFの酸分泌刺激作用におけるのEC50と同等であった。

 3)H+,K+-ATPase -subunit遺伝子のexon 1を含む653bpの5’上流域を組み込んだluciferase reporter遺伝子を培養胃壁細胞に導入した実験系では、EGFはH+,K+-ATPase -subunit遺伝子promoterの転写活性を濃度依存性に増加させた。その濃度反応関係(最大刺激濃度1nM,EC5050pM)はmRNA及び胃酸分泌刺激作用のそれと同等であった。

 4)種々の長さのH+,K+-ATPase -subunit遺伝子5’領域を組み込んだluciferase reporter遺伝子(deletion mutant)を用いた実験では、転写開始点から上流162〜156bpの領域(5’-GACATGG-3’)を含むdeletion mutantにはEGFによる転写活性増加作用が得られた。H+,K+-ATPase -subunit遺伝子minimal promoterおよびthymidine kinase遺伝子promoterの上流に塩基配列5’-GACATGG-3’をみ込んだluciferase reporter遺伝子による実験では、この塩基配列がEGFの遺伝子転写活性増加作用の責任領域であることが明らかになった(EGF response element,ERE)。

 5)electrophretic mobility shift assayでは、(1)32Pで標識したERE probeと胃壁細胞より抽出した核蛋白が、特異的なDNA-protein complexを形成すること、(2)ERE塩基配列はc-fos serum response element 3’half-siteに類似しており、その領域に結合することが知られている転写因子(SRE-ZBP,NFIL-6,E12)に対する特異抗体やconsensus oligonucleotideはERE-protein complex形成に影響を与えなかった。

 以上、本論文は『EGFは胃酸分泌のkey enzymeであるH+,K+-ATPase遺伝子発現促進作用を介して生理的濃度下で胃壁細胞の胃酸分泌を刺激すること、H+,K+-ATPase -subunit遺伝子の5’上流域に存在するEGF刺激による転写促進責任塩基配列を示し、その塩基配列に未知の核蛋白が結合すること』を明らかにした。本研究はこれまでほとんど知られていなかった胃酸分泌制御における分子生物学的機構の解明に重要な貢献をしたと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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