学位論文要旨



No 212859
著者(漢字) 野村,忍
著者(英字)
著者(カナ) ノムラ,シノブ
標題(和) 新しいストレス評価質問紙法(生活健康調査票)の信頼性と妥当性に関する研究
標題(洋)
報告番号 212859
報告番号 乙12859
学位授与日 1996.04.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12859号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 関根,義夫
 東京大学 助教授 横山,和仁
 東京大学 助教授 川久保,清
 東京大学 助教授 中安,信夫
 東京大学 講師 斉藤,正彦
内容要旨

 心理社会的ストレスが種々の心身の病態の発症や経過に影響していることは、臨床上広く認められている。したがって、ストレスの評価と対処とは、治療医学的な観点からも予防医学的な観点からも重要である。ところが、ストレスの評価に関しては、満足すべきものがなく、多くの課題が残されている。

 ストレスの評価法としては、(1)入力測定法、(2)出力測定法、(3)ストレス負荷試験、(4)多変量的モデルがある。入力測定法の代表的なものは、Holmes,T.H.らの社会再適応スケール(ライフイベント尺度)であり、生活上の大きな出来事から入力としてのストレッサーを測定するものである。しかし、この方法は、個体側の要因を考慮していないという難点がある。出力測定法としては、心理的・身体的自覚症の有無をたずねる各種心理テストと、ストレスホルモンの測定という生化学的指標や血圧、心拍、呼吸、脳波などの測定という生理学的指標によりストレス状態を評価するものがある。これらは、結果としてのストレス反応を測定する方法であり、どのくらいの心理的・社会的ストレッサーがあったか及びどのような認知と対処があったかは別の方法で調べる必要がある。ストレス負荷試験は、あるストレスを負荷してその反応を見るという方法であり、心理的負荷量と反応量の両者を計測することで個体のストレスに対する特性を評価するのに有効な方法である。ただし、この方法はある研究室内で個人を対象にした場合は優れた方法であるが、集団を対象にした場合は、実際的な困難がある。

 これに対して、ストレスを総合的、システム論的にとらえようという動きがあり、Lazarus,R.S.の「ストレスと情動過程の変数図式」やLevi,L.の「人間環境モデル」などが提示されている。これらは、単純な刺激-反応系ではなく、人間と環境との関わりを多因子の多くのフィードバック機構を持ったダイナミックなシステムと考えている。そして、これらのモデルをもとにした米国産業安全保健研究所(NIOSH)の職業性ストレス尺度の質問紙などが開発され、日本語版も作成されている。

 著者らの開発した生活健康調査票(Life Health Questionnaire:LHQ)は、図に示すような多変量的な独自のストレス評価モデルに基づいた新しいストレス評価質問紙である。LHQは、ストレス尺度として「ライフイベント尺度」、認知的評価としての「現在感じているストレス度」および「日常いらだち事尺度」の3つを採用し、ストレス反応としての「行動反応」、「心理反応」、「身体反応」およびその修飾因子としての「ストレス対処行動」、「社会的支持」などを総合的に評価しようとするものである。

 研究方法は、一般健常成人1386名(男性652名、平均年齢39.8±9.5歳、女性732名、平均年齢32.9±10.9歳)を対象としてLHQを施行し、その回答を集計した。因子分析により各因子の同定および信頼性係数(Cronbachの係数)の算出、男女別の因子得点の標準化、各因子間の相関分析を行なった。また、職業性ストレスを評価するために作業態様とストレス因子との分散分析を行なった。

 次に、糖尿病患者66名を対象として、LHQと気分調査表POMSとのテストバッテリーによる基準関連妥当性の検討を行なった。

 最後に、糖尿病群78名、気管支喘息群68名、神経症群110名、感情障害群105名、本態性高血圧群169名、虚血性心疾患群41名、胃・十二指腸潰瘍群81名の合計652名を対象として、LHQを施行し、疾患群別の特徴を検討した。

 その結果、(1)ライフイベント尺度では、大きな生活上の出来事は出現率が低く、認知的評価は個人により大きく異なることから、これをこのままストレス尺度とすることには問題がある。今回の調査結果は、Holmesらの順位・評点とは大きく異なっており、やはり日本人の評価スケールを用いるべきである。(2)3つのストレス尺度とストレス反応の相関分析により、その関連の強さはすべての因子において、日常いらだち事尺度が最も大であった。すなわち、いらだち事尺度が高いほど、ストレス反応が多いことが示唆された。(3)ストレス対処行動(特に、問題中心の対処行動)と社会的支持は、ストレス反応としての心身の症状を緩和することが示唆された。(4)仕事時間、残業時間、交替性勤務などの作業態様と各ストレス尺度とは有意の相関が認められ、全体としては作業が過負荷になるほど、ストレス度は高く、社会的支持は少なく、時間的余裕がなくなり、飲酒・喫煙などの食行動が多く、循環器系症状が多いことが示唆された。(5)LHQとPOMSのテストバッテリーによる比較研究では、POMSによってあらわされる活気(V)以外の陰性の情動はLHQの各ストレス因子と密接な関連を有し、活気(V)という陽性の情動は各ストレス因子と負の相関を有していた。(6)健常者群と各疾患群との比較研究では、それぞれの疾患に特徴的な所見が認められた。例えば、神経症、感情障害の精神疾患群では、ストレス度は高く、その現われ方は行動反応よりも心身の症状として現われやすいことを示している。身体疾患群では、それぞれ関連する身体症状が多いこと、ストレス度は健常者群と大きな差はないこと、気管支喘息群では慢性化したものには神経症傾向を示すものが多かったことが認められた。また、疾患群では健常者群に比較し、社会的支持の少ないことが特徴的であった。

 ストレス関連疾患の増大する21世紀社会にあって、ストレスの総合的な評価法の開発とそれに基づくストレス疾患の予防と対策を講じる必要性が叫ばれている。著者らは、こうした社会的要請により、新しいストレス評価法の開発を試みてきた。今回発表した生活健康調査票(LHQ)は、個人のストレッサーとストレス反応との関連及び修飾因子を測定することにより、総合的なストレス評価を目指すものである。以上述べたように、LHQは多変量的モデルに基づく信頼性と妥当性を持ったストレス評価法であり、各種疾患の発症と経過に及ぼすストレスの影響を測定するのに有用な方法である。

 今後、このLHQにより各種疾患の進展に及ぼすストレスの影響を測定する予測的な研究を行なうことが大きな課題であり、それを通じて適切な医療的介入のガイドラインの資料を提供できると考える。

図 ストレス評価モデル
審査要旨

 本研究は心理社会的ストレスと種々の心身の病態との関連を明らかにするためのストレス評価法の開発を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.本研究の生活健調査票(Life Health Questionnaire:LHQ)は、多変量的な独自のストレス評価モデルに基づいた新しいストレス評価質問紙法である。LHQは、ストレス尺度として「ライフイベント尺度」、認知的評価としての「現在感じているストレス度」および「日常いらだち事尺度」の3つを採用し、ストレス反応としての「行動反応」、「心理反応」、「身体反応」およびその修飾因子としての「ストレス対処行動」、「社会的支持」などを総合的評価しようとするものである。

 2.一般健常成人を対象とした調査の結果、(1)ライフイベント尺度では、大きな生活上の出来事は出現率が低く、認知的評価は個人により大きく異なることから、これをこのままストレス尺度とすることには問題があり、ストレッサーとストレス反応の両者を測定する必要があることが示された。(2)3つのストレス尺度とストレス反応との相関分析により、その関連の強さはすべての因子において、日常いらだち事尺度が最も大であることが示された。(3)ストレス対処行動(特に、問題中心の対処行動)と社会的支持は、ストレス反応としての心身の症状を緩和することが示唆された。(4)仕事時間、残業時間、交替性勤務などの作業態様と各ストレス尺度とは有意の関連が認められ、全体としては作業が過負荷になるほど、ストレス度は高く、社会的支持は少なく、時間的余裕がなくなり、飲酒・喫煙などの食行動が多く、循環器系症状が多いことが示唆された。

 3.LHQと気分調査表POMSとのテストバッテリーによる基準関連妥当性の検討において、POMSによってあらわされる「活気」以外の陰性の情動はLHQの各ストレス因子と密接な関連を有し、「活気]という陽性の情動は各ストレス因子と負の相関を有していたことが示された。

 4.健常者群と各疾患群との比較研究では、それぞれの疾患に特徴的な所見が認められた。例えば、神経症、感情障害の精神疾患群では、ストレス度は高く、その現われ方は行動反応よりも心身の症状として現われやすいことが示唆された。身体疾患群では、それぞれ関連する身体症状が多いこと、ストレス度は健常者群と大きな差はないこと、気管支喘息群では慢性化したものには神経症傾向を示すものが多かったことが認められた。また、疾患群では健常者群に比較し、社会的支持の少ないことが特徴的であった。

 以上、本論文はストレッサーとストレス反応との関連及び修飾因子を測定することにより、ストレスの総合的な評価法の開発を目指すものである。質問紙法という限界はあるものの、LHQは多変量的モデルに基づく信頼性と妥当性を持ったストレス評価法であり、各種疾患の発症と経過に及ぼすストレスの影響を測定するのに有用な方法であると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51000