化学反応は従来、主として気相および液相で行われてきたが、近年反応場としての固相が注目を集めている。しかし固相反応における反応挙動は、未だ気相・液相に比較し解明されていない部分が多い。本論文で筆者は、局所的には固相と同様の分子配向の秩序性を有するが、巨視的には乱れや流動性を示す液晶相を反応場として導入し、その反応挙動を分子論的に解明し、もって固相反応の理解につなげることを目的としている。その対象としては、固相で特異な反応性を示すことが知られているジアセチレンの重合反応(図)を取り上げている。 ジアセチレン誘導体の固相重合反応 第一章では、固相反応の特徴について言及し、固相反応を効率よく起こさせるには、分子配列の制御が重要であることを指摘している。特に、研究対象としたジアセチレンの重合反応に関しては、重合反応性を示す分子配列を実現することが難しく、重合反応例自体が極めて少ないことを指摘している。また、重合反応における誘導期間の存在という特異な現象に注目し、基質分子が反応に際して起こす変位を結晶格子が押さえ込むことに、その原因を帰している。この解釈を実証する上で、液晶性を示すジアセチレン誘導体を合成し、局所的な分子配列の秩序を示すものの、結晶格子の束縛のない液晶相の反応挙動を解明することの重要性を提唱している。 第二章では、重合するジアセチレン誘導体自身に液晶性を持たせることを目的とし、長鎖アルコキシベンジリデンアニリン骨格を有するDA-Cn(n=1〜8)を設計・合成している。その結果、合成したすべての化合物が液晶相をとることが報告されている。中でもDA-C1は、液晶性置換基が結晶における分子配列をも制御した結果、重合反応性を示す結晶を与えたことを報告している。生成したポリジアセチレンは主鎖の規則性を反映し、エキシトンバンドの吸収を示すほか、アリール基が共役鎖と直結し、かつ非対称であるために、今後の物性研究において重要な系を提供したといえる。 第三章では、多様な分子間力をもつために複雑な構造相転移挙動を示すDA-C8について、種々の分光学的手法を用いて、その相転移挙動を解析するとともに、各々の相の構造と重合反応性との相関につき言及している。この液晶性ジアセチレンDA-C8の結晶は、結晶相-結晶相の相転移を起こしたのち、極めて結晶に近い分子環境を有するスメクティックF相、流動性をもち一軸方向に分子配列の秩序をもつネマティック相へと逐次的に相転移する。さらに重水素置換体の相転移エンタルピーの測定結果などより、これらの相転移は分子間水素結合の切り替えが引き金となっていると結論している。結晶相Iでは、結晶構造から予想されるとおり重合反応性は認められなかったが、結晶相IIでは50時間、スメクティックF相でも数時間におよぶ誘導期間の後に反応が進行することを見出した。この結果は、スメクティックF相における分子環境が極めて結晶状態に近いことを反映するものと解釈される。これに対し、ネマティック相では、殆ど誘導期間なしに反応が進行する。この重合挙動の相違はネマティック相ではモノマーが結晶格子の束縛から解放されているためと解釈され、結晶相反応における格子支配の意味を明らかにしたといえる。 また、ネマティック相では、試料の形状あるいは外電場により反応挙動に大きな影響を与えることが示されている。試料を膜状に成形し重合反応を行うと、100ミクロン以下の膜厚において、重合反応が加速されることが認められている。この結果は、液晶分子における分子間力に基づく分子配向の遠達性を反映している。膜状試料にさらに外電場を印加すると、ネマティック液晶の乱流運動のしきい値に相当するしきい値が認められ、より高電場側で重合反応が加速され、8000V/cmで極大値をとった後に減速するという挙動が見出されている。これらの結果は重合反応の速度を、外場制御するうえで重要な知見といえよう。 第四章においては、DA-C8のネマティック相重合反応について、詳細な検討が加えられている。まず、ネマティック相重合反応の生成物の分子量分布の時間変化について報告している。反応初期過程では三量体、五量体といった低分子量のオリゴマーのみが生成し、時間の経過とともに三量体、五量体が特徴的に生長するのに伴い、ポリマーが生成してくることが見出されている。このように分子量分布に構造を有することは、ラジカル重合では説明されず、ネマティック相重合特有の挙動であると指摘している。この傾向について筆者は、ネマティック相では数分子程度の分子配列の秩序が存在し、局所的に三量体、五量体といったオリゴマーが生成し、その段階で重合反応が一時中断され、オリゴマーどうしが再度反応することにより、重合反応が進行していくとして解釈している。この解釈を裏付けるため、オリゴマーの構造とネマティック反応場での役割について以下の実験を行っている。 まず単離した三量体の構造については、分光学的手法により、両端にシクロプロペン環を有する閉殻構造であると結論している。なお、ジアセチレン重合の中間体である三量体の単離は、液晶相反応場を利用することにより、初めて成功したものであり、特筆に価しよう。通常ジアセチレンの重合反応の中間体は、ジラジカルあるいはジカルベン構造をもつとされてきたが、ネマティック相重合では、反応場に柔軟性があるために、末端ジラジカルが分子内で付加環化することで反応が中断したと解釈している。単離されたオリゴマーは、さらに反応系内でオリゴマーどうしで重合反応を再開することより、このオリゴマーを"自己捕捉型リビングオリゴマー"と定義し、ジアセチレン重合における上記の特異な反応挙動を解明することに成功している。 さらにネマティック相重合反応の初期過程における三量体・五量体の生成量の時間変化を詳細に検討することにより、1)重合開始後わずかに誘導期間が存在すること、2)三量体・五量体はほぼ同時に独立に立ち上がること。なおこの際、二量体、四量体は生成しないこと、3)さらに単離した五量体をモノマーに添加すると三量体がほぼ誘導期間なしに生成し、添加していない場合よりも早く極大濃度に達すること、を見出している。以上の結果より、ネマティク相重合反応では、オリゴマーが生成するまでに誘導期間が存在し、一旦生成したオリゴマーが核となり、その周囲でオリゴマーの生成が促進されることが示唆される。筆者はこの現象を"自己鋳型効果"という新規な概念で説明している。なお、重合反応の初期に三量体、五量体が選択的に生成し、二量体、四量体が生成しにくいことについては、多分子が反応場において一定の分子配列をとる確率および生成物の熱力学的な安定性から考察を加えているほか、多分子・多中心の反応に対する分子軌道法の適応について一石を投じている。 以上、本研究は、固相および液相を反応場として連続的に捕らえるべく、反応場として中間相である液晶相を導入するという考えに端を発し、液晶相の導入の効果が最も顕著に現れるネマティック相において、"自己捕捉型リビングオリゴマー""自己鋳型効果"という新規な概念を導出し、その特異な反応性を明らかにした。本研究で開拓された液晶性ジアセチレンの液晶相重合反応は、固相重合反応を分子論的に解明する上でも重要な知見を与えるのみならず、新規ポリジアセチレン合成に道を拓くものである。 これらを総合して、審査委員会は本論文を博士(学術)の学位授与の対象として十分なものであると判定した。 |