学位論文要旨



No 212871
著者(漢字) 安東,治
著者(英字)
著者(カナ) アンドウ,オサム
標題(和) トレハラーゼ阻害剤トレハゾリンおよびその関連化合物に関する研究
標題(洋)
報告番号 212871
報告番号 乙12871
学位授与日 1996.05.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12871号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 鈴木,昭憲
 東京大学 教授 山崎,真狩
 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 助教授 飴谷,章夫
内容要旨

 著者らは毒性が低い、新しいタイプの殺虫剤および抗真菌剤の開発を目的として、トレハラーゼ阻害剤の探索を行った。多検体を効率的にアッセイする反応系を工夫し、カイコトレハラーゼを用いて微生物培養液をスクリーニングした結果、8株の微生物培養液からトレハラーゼ阻害活性を有する化合物トレハゾリンを見いだした。これらの微生物はいずれも日本国内で採取された土壌試料より分離された放線菌であり、分類学的には希少放線菌に属するSaccharothrix、Amycolatopsis、およびMicromonosporaの3属にわたり、種レベルでは更に多様な菌種にわたっていた。また、Micromonospora属に属する一株は新種であることを明らかにし、Micromonospora coriaceaと命名した。

 トレハゾリンを生産菌の培養液から、当初はカラムクロマトグラフィーとシリカゲルの薄層クロマトグラフィーを用いて精製した。しかし詳細な活性評価等に多量のトレハゾリンが必要となったため、生産菌と培養条件の改良を行った。Micromonospora coriacea SANK 62390株をモノコロニー操作を繰り返して高生産株を取得し、培地には高濃度のグルコースを添加する等の改良を加え、当初4g/mlであった生産量を120g/mlに高めることができた。また同時に精製法を改良し、粗精製トレハゾリンのアセチル化、酢酸エチル抽出、脱アセチル化工程を導入することで高収率でトレハゾリンを単離・精製することができた。

 トレハゾリンの構造決定は、必要に応じてアセチル化トレハゾリンを用い、NMRおよびMSスペクトルの解析によって行った。トレハゾリンはグルコシル基とアグリコン部分とが窒素原子を介して結合した構造を有しており、アグリコン部分はテトラヒドロシクロペント[d]オキサゾール骨格からなるユニークな構造の疑似糖であった。この構造は従来知られているグリコシダーゼ阻害剤の基本骨格とは異なるが、キチナーゼ阻害剤として報告されているアロサミジン類の中に類似の構造が含まれている。

 トレハゾリンの部分構造に相当する化合物を加水分解により調製することを試みた結果、トレハゾリンを酸処理することによってアグリコン部分に相当するトレハラミン、さらに分解が進んだ形のトレハゾラミン、およびグルコースを得た。これらの化合物の相対配置をNMRおよびMSスペクトルの解析によって決定した。グルコースは比旋光度よりD-グルコースと決定した。また、得られたトレハゾラミンのアセチル体を、既に絶対配置が明らかにされている化学合成化合物と比旋光度を比較することにより、絶対配置を決定した。これらの結果を敷衍してトレハゾリン、トレハラミンもその絶対配置を決定した。またトレハゾリンをアンモニア水中で処理し、グルコシル基のアノマーである1-エピトレハゾリンを得た。

 

 このようにして取得した新規化合物を既知物質アロサミジン・アロサミゾリンと共に、トレハラーゼをはじめとするグリコシダーゼの阻害活性について検討した。カイコトレハラーゼは、カイコ蛹の中腸より遊離型酵素を精製して用いた。いずれの化合物もグリコシダーゼ阻害活性を有することが明らかとなり、トレハゾリンはカイコ、ブタおよびイネ紋枯病菌(Rhizoctoia solani)のトレハラーゼを16〜66nMのIC50値で選択的かつ強力に阻害した。一方トレハラミンのカイコ、Rhizoctoiaトレハラーゼに対する阻害活性はトレハゾリンと比較して大幅に低下していたが、トレハラミンはエキソ型-グルコシダーゼ全般を弱く阻害した。アロサミジンはキチンの加水分解酵素、キチナーゼを選択的に阻害した。しかしアロサミジンのアグリコン部分であるアロサミゾリンはキチナーゼをほとんど阻害せず、ラット小腸二糖加水分解酵素をアロサミジンよりも強力に阻害した。これらの結果から、トレハゾリンとアロサミジンは基質との構造類似性に対応した選択的酵素阻害活性を示すこと、これに対しアミノテトラヒドロシクロペント[d]オキサゾール構造の疑似単糖であるトレハラミンとアロサミゾリンは非特異的にグルコシダーゼを阻害することが示された。

 トレハゾリン、トレハラミン、トレハゾラミン、およびアロサミゾリンについて、それぞれの化合物が比較的強力な阻害活性を示した酵素について反応速度論的解析を加えたところ、いずれも基質に対して拮抗的であった。このうちトレハゾリンのトレハラーゼ阻害活性は、酵素と阻害剤を共存させた時間に依存して阻害活性が著しく増強された。酵素-阻害剤複合体の透析や失活した酵素の加熱変性実験より、トレハゾリンがトレハラーゼのスロータイトバインディングインヒビターであること、つまり本質的には可逆的であるが、酵素との親和性が高いために酵素-阻害剤複合体の形成、解離速度が小さく一見不可逆的阻害剤としての挙動を示す阻害剤であることを明らかにした。

 以上をまとめると、アミノテトラヒドロシクロペント[d]オキサゾール構造はグリコシダーゼ阻害剤の基本骨格の一つであることを明らかにした。アミノテトラヒドロシクロペント[d]オキサゾール単独では酵素への結合は比較的弱いが、これに基質の他の糖単位に相当する構造が付加すると酵素との結合は飛躍的に強力になり、スロータイトバインディングインヒビターとしての挙動を示すようになると思われる。この骨格に様々な糖単位を付加することによって種々のグリコシダーゼに対する強力な阻害剤をデザインできる可能性について考察した。

 最後にトレハゾリンの生体レベルでの活性について検討を加えた。トレハラーゼ阻害剤は殺虫活性および抗真菌活性を有することが期待される。まず作物の幼苗における植物病原性真菌に対する感染防御活性を検討した。感染抑制効果は、試験した10種の真菌の中で、特に紋枯病菌Rhizoctonia solaniのイネ幼苗感染に強く認められ、本菌に対しては100ppmの溶液を感染後に治療噴霧することによって完全に発症を抑制したほか、30ppmの噴霧および100ppmの感染前予防噴霧でも部分的な抑制が観察された。一方殺虫剤としての評価のモデルとして殺虫活性をカイコを用いて検討したところ、カイコに50gおよび100gのトレハゾリンを注射することによって殺虫活性が認められた。これに対しトレハゾリンのマウスに対する急性毒性試験では100mg/kgの静脈投与でも毒性が見られず、哺乳類に対しては毒性が非常に低い安全な薬剤であることが示された。

審査要旨

 トレハラーゼはトレハロースの加水分解反応を触媒する酵素であり、昆虫及び真菌においては重要な生理機能を果たしていることが知られている。したがって本酵素の阻害剤は、低毒性の殺虫剤および抗真菌剤となることが期待される。本論文はトレハラーゼ阻害剤の探索の結果得られた化合物、トレハゾリンに関するものであり、7章よりなる。

 第1章ではトレハラーゼ阻害剤の探索について述べている。効率的な反応系を構築し、カイコトレハラーゼを用いて探索を行った結果、8株の放線菌培養液からトレハラーゼ阻害活性を有する化合物、トレハゾリンを見いだした。これら生産菌の同定に関しては第2章で述べている。生産菌はSaccharothrix、Amycolatopsis、およびMicromonosporaの3属にわたり、種レベルでは更に多様な菌種にわたっていた。また、Micromonospora属の一株は新種であることを明らかにし、Micromonospora coriaceaと命名した。

 第3章ではトレハゾリンの醗酵生産と単離精製について述べている。生産菌の培養液から、各種クロマトグラフィー操作を経てトレハゾリンを精製した。さらにアセチル化を行う精製法の導入により、高収率でトレハゾリンを精製することに成功した。

 第4章ではトレハゾリンの構造決定について述べている。NMRおよびマススペクトルによって解析を行った結果、トレハゾリンはグルコシル基とテトラヒドロシクロペント[d]オキサゾール骨格のアグリコン部分からなるユニークな構造の疑似糖であることを明らかにした。このアグリコン部分の構造は、キチナーゼ阻害剤アロサミジンと類似性が認められた。

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 第5章はトレハゾリンの関連化合物の調製を通じた絶対配置の決定について述べている。構成成分を酸加水分解により調製することを試み、トレハラミン、トラハゾラミンおよびグルコースを得た。標品と比較することでグルコースとトレハゾラミンの絶対配置を決定し、トレハゾリンの絶対配置を決定した。またトレハゾリンをアンモニア水中で処理し、1-エピトレハゾリンを得た。

 第6章では酵素阻害活性の解析について述べている。トレハゾリンは各種トレハラーゼを強力、かつ選択的に阻害した。一方トレハラミンはエキン型-グルコシダーゼ全般を弱く阻害した。いずれの化合物の阻害活性も、基質に対して拮抗的であった。さらに、トレハゾリンがトレハラーゼのスロータイトバインディングインヒビターであることを明らかにした。これらの結果より、アミノテトラヒドロシクロペント[d]オキサゾール構造はグリコシダーゼ阻害剤の基本骨格の一つであり、単独では酵素への結合は弱いが、これに基質の他の糖単位に相当する構造が付加すると親和性が高まり、スロータイトバインディングインヒビターとしての挙動を示すようになると結論した。また、本骨格に種々の糖単位を付加することで様々なグリコシダーゼに対する阻害剤がデザインできる可能性が示唆された。

 第7章では、トレハゾリンの生体レベルでの活性について検討を加えている。植物病原性真菌に対する感染防御活性は紋枯病菌Rhizoctonia solaniのイネ幼苗感染において強く認められ、100ppmの溶液を感染後に治療噴霧することによって完全に発症を抑制した。一方殺虫剤としての評価のモデルとして殺虫活性をカイコを用いて検討したところ、カイコに50gおよび100gのトレハゾリンを注射することによって殺虫活性が認められた。これに対しマウスを用いた急性毒性試験では100mg/kgの静脈投与でも毒性が見られず、当初の考察通り、抗真菌・殺虫活性を有しながら哺乳類に対しては毒性が非常に低い薬剤であることが示された。

 以上本研究は微生物代謝生産物より新規トレハラーゼ阻害剤を発見し、その作用機作および抗真菌、殺虫活性について明らかにしたもので学術上、応用上貢献するところは少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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