学位論文要旨



No 212876
著者(漢字) 尾形,智夫
著者(英字)
著者(カナ) オガタ,トモオ
標題(和) 実用酵母の形質転換系開発のための基礎的研究
標題(洋)
報告番号 212876
報告番号 乙12876
学位授与日 1996.05.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第12876号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大森,俊雄
 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 北本,勝ひこ
 東京大学 助教授 山根,久和
内容要旨

 本論文は産業上に用いられている酵母であるSaccharomyces属酵母とHansenula anomalaの形質転換系の確立を行った研究をまとめたもので、序論の他に、以下の6章からなっている。

 第1章は、形質転換の際の選択マーカー遺伝子として、大腸菌のアミノグリコシドホスホトランスフェラーゼII(apt2遺伝子)を選び、S.cerevisiaeのADH1遺伝子のプロモーターを接続したADH1-APT2遺伝子を作製することで、形質転換酵母内のapt2遺伝子の発現の強化を試みたものである。酵母の形質転換は、栄養要求性等の変異のある宿主に、その変異を相補する野生型の遺伝子を選択マーカーとして導入し、その変異を相補する形質を示す形質転換株を選択する方法が通常である。この方法は、実験室酵母S.cerevisiaeで試みられてきたものであるが、酒類製造等に用いられているSaccharomyces属実用酵母にそのまま用いることはできない。実用株は通常、二倍体あるいは高次倍数体、異数体であるので、栄養要求性等の変異遺伝マーカーの付与が困難である。また、変異操作の結果、実用株の優良な形質に損傷を与える危険性がある。このため、実用株の形質転換には宿主の遺伝型によらない選択マーカー遺伝子(優性マーカー遺伝子)の利用が望ましい。そこで、優性マーカー遺伝子として、ADH1-APT2遺伝子を作製し、実験室酵母に導入したところ、形質転換株は抗生物質G-418に対する耐性度が著しく上昇した。

 第2章は、抗生物質G-418に対する耐性が元来強いSaccharomyces属実用酵母においても、構築したADH1-APT2遺伝子が、形質転換において選択マーカー遺伝子として、有効に利用できるかどうかを検討したものである。実用酵母のG-418耐性について検討すると、下面及び上面発酵ビール酵母は、実験室酵母と同程度の耐性度であったのに対し、清酒酵母はかなり強い耐性を示した。特に、協会7号酵母は、G-418 200g/mlの濃度であっても生育を示した。しかしながら、この清酒酵母協会7号の形質転換においても、選択培地のG-418濃度を1000g/mlに上昇させて、バックグランドコロニーの出現を抑制することで、形質転換株内のADH1-APT2遺伝子の強力な発現により、形質転換株の分離が可能となった。

 第3章は、リチウム塩処理では形質転換株が得られなかったSaccharomyces属実用酵母について、電気パルス法の利用を検討したものである。電気パルス法は、実験室酵母では高効率に形質転換株が得られると報告されている。電気パルス法の条件について検討したところ、従来の報告よりも低い印加電圧で最大の形質転換効率が得られることが判明した。この条件での形質転換を、リチウム塩処理では形質転換株が得られなかったSaccharomyces属実用酵母に試みたところ、全て形質転換株が得られた。

 第4章は、排水処理に用いられている酵母H.anomalaの形質転換系の確立のため、選択マーカー遺伝子として、オロチン酸脱炭酸酵素(ODCase)をコードするURA3遺伝子のクローニングを試みたものである。H.anomalaのURA3遺伝子は、S.cerevisiaeのURA3遺伝子をプローブとして用いることによってクローニングすることが可能であった。DNA塩基配列を決定したところ、 ORFでは各種酵母のODCase遺伝子と相同性がみられたが、5’,3’非翻訳領域では相同性が見いだされなかった。H.anomalaのURA3遺伝子は、S.cerevisiaeのura3変異を相補した。

 第5章は、H.anomalaの形質転換のために、宿主としてura3変異株を分離し、クローニングしたH.anomalaのURA3遺伝子を用いて形質転換を試みたものである。H.anomalaのura3変異株はピリミジン塩基生合成阻害剤である5-fluoroorotic acid(5-FOA)耐性変異株として分離された。得られたH.anomalaの5-FOA耐性変異株のODCase活性を測定し、ODCase活性が欠損している株をura3変異株として分離した。得られたH.anomalaのura3変異株を宿主とし、H.anomalaのURA3遺伝子を有するプラスミドを用いて形質転換を試みた。得られた形質転換株は染色体の相同領域で組換えを生じ、プラスミドが染色体に挿入されていることがサザンハイブリダイゼーションにより確認された。染色体に挿入されたプラスミドは、非選択的培養条件下でも安定に保持された。

 第6章は、H.anomalaでのS.cerevisiaeの遺伝子のプロモーターの機能性について検討したものである。H.anomalaでの優性選択マーカー遺伝子として、ADH1-APT2遺伝子が利用できるかどうかを検討したが、形質転換株のG-418耐性度は変化がなかった。また、H.anomalaのura3変異は、S.cerevisiaeのURA3遺伝子では相補されなかった。しかし、プロモーター領域をH.anomalaのURA3遺伝子のプロモーター領域に置換したS.cerevisiaeのURA3遺伝子は、H.anomalaのura3変異を相補した。これより、S.cerevisiaeのADH1遺伝子及びURA3遺伝子のプロモーターはH.anomalaでは機能しないと判断された。

審査要旨

 本論文は産業上用いられている酵母であるSaccharomyces属酵母とHansenula anomalaの形質転換系の確立を目的として行った研究をまとめたもので、序論の他に、以下の6章からなっている。

 第1章は、形質転換の際の選択マーカー遺伝子として、大腸菌のアミノグリコシドホスホトランスフェラーゼII(apt2遺伝子)を選び、S.cerevisiaeのADH1遺伝子のプロモーターを接続したADH1-APT2遺伝子を作製することで、形質転換酵母内のapt2遺伝子の発現の強化を試みたものである。酵母の形質転換は、栄養要求性等の変異のある宿主に、その変異を相補する野生型の遺伝子を選択マーカーとして導入し、その変異を相補する形質を示す形質転換株を選択する方法が通常である。この方法は、実験室酵母S.cerevisiaeで試みられてきたものであるが、酒類製造等に用いられているSaccharomyces属実用酵母にそのまま用いることはできない。実用株は通常、二倍体あるいは高次倍数体、異数体であるので、栄養要求性等の変異遺伝マーカーの付与が困難である。また、変異操作の結果、実用株の優良な形質に損傷を与える危険性がある。このため、実用株の形質転換には宿主の遺伝型によらない選択マーカー遺伝子(優性マーカー遺伝子)の利用が望ましい。そこで、優性マーカー遺伝子として、ADH1-APT2遺伝子を作製し、実験室酵母に導入したところ、形質転換株は抗生物質G-418に対する耐性度が著しく上昇した。

 第2章は、抗生物質G-418に対する耐性が元来強いSaccharomyces属実用酵母においても、構築したADH1-APT2遺伝子が、形質転換において選択マーカー遺伝子として、有効に利用できるかどうかを検討したものである。実用酵母のG-418耐性について検討すると、下面及び上面発酵ビール酵母は、実験室酵母と同程度の耐性度であったのに対し、清酒酵母はかなり強い耐性を示した。特に、協会7号酵母は、G-418 200g/mlの濃度であっても生育を示した。しかしながら、この清酒酵母協会7号の形質転換においても、選択倍地のG-418濃度を1000g/mlに上昇させて、バックグランドコロニーの出現を抑制することで、形質転換株内のADH1-APT2遺伝子の強力な発現により、形質転換株の分離が可能となった。

 第3章は、リチウム塩処理では形質転換株が得られなかったSaccharomyces属実用酵母について、電気パルス法の利用を検討したものである。電気パルス法は、実験室酵母では高効率に形質転換株が得られると報告されている。電気パルス法の条件について検討したところ、従来の報告よりも低い印加電圧で最大の形質転換効率が得られることが判明した。この条件での形質転換を、リチウム塩処理では形質転換株が得られなかったSaccharomyces属実用酵母に試みたところ、全て形質転換株が得られた。

 第4章は、排水処理に用いられている酵母H.anomalaの形質転換系の確立のため、選択マーカー遺伝子として、オロチン酸脱炭酸酵素(ODCase)をコードするURA3遺伝子のクローニングを試みたものである。H.anomalaのURA3遺伝子は、S.cerevisiaeのURA3遺伝子をプロープとして用いることによってクローニングすることが可能であった。DNA塩基配列を決定したところ、ORFでは各種酵母のODCase遺伝子と相同性がみられたが、5’、3’非翻訳領域では相同性が見いだされなかった。H.anomalaのURA3遺伝子は、S.cerevisiaeのura3変異を相補した。

 第5章は、H.anomalaの形質転換のために、宿主としてura3変異株を分離し、クローニングしたH.anomalaのURA3遺伝子を用いて形質転換を試みたものである。H.anomalaのura3変異株はピリミジン塩基生合成阻害剤である5-fluoroorotic acid(5-FOA)耐性変異株として分離された。得られたH.anomalaの5-FOA耐性変異株のODCase活性を測定し、ODCase活性が欠損している株をura3変異株として分離した。得られたH.anomalaのura3変異株を宿主とし、H.anomalaのURA3遺伝子を有するプラスミドを用いて形質転換を試みた。得られた形質転換株は染色体の相同領域で組換えを生じ、プラスミドが染色体に挿入されていることがサザンハイブリダイゼーションにより確認された。染色体に挿入されたプラスミドは、非選択的培養条件下でも安定に保持された。

 第6章は、H.anomalaでのS.cerevisiaeの遺伝子のプロモーターの機能性について検討したものである。H.anomalaでの優性選択マーカー遺伝子として、ADH1-APT2遺伝子が利用できるかどうかを検討したが、形質転換株のG-418耐性度は変化がなかった。また、H.anomalaのura3の変異は、S.cerevisiaeのURA3遺伝子では相補されなかった。しかし、プロモーター領域をH.anomalaのURA3遺伝子のプロモーター領域に置換したS.cerevisiaeのURA3遺伝子は、H.anomalaのura3変異を相補した。これより、S.cerevisiaeのADH1遺伝子及びURA3遺伝子のプロモーターはH.anomalaでは機能しないと判断された。

 以上、本論文は産業上用いられているSaccharomyces属酵母とHansenula anomalaの形質転換系を確立したものであり、学術上・応用上貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51004